第31章
第31章
Ⅰ 11月29日
某所、雪が降り積もる。一人の人間と一体の植物がぎこちなく会話をしている。
「…また人殺しでもしてきたのか」
「いや、戦いを見てました。ファレノプシスが負けました」
「問題はない。手元にはあれのDNAがある。再生はいつでも可能だ。…君の助言により創り出した最強のアレンジメント個体は?」
「アルストロメリアを討ちました。素晴らしい出来です」
「しかしそのアルストロなんとかという強者のパーツは回収できなかったようだが」
「あの混沌状態ならば致し方ないかと。しかしアルストロメリアより強者はたくさんいます。特に私が目を付ける四大個体」
「四大個体」
「『灼熱のカランコエ』、『森林のドラセナ』、『電撃のサンダーソニア』、そして『撃鉄の蛇黒』。私の見つけたこの星のビッグフォーです。しかしどの個体も捕獲は困難。一個体のみで博士の兵士を全滅させ得る力を持ちます」
「蛇黒…。ただの殺人鬼じゃないのか?」
「まさか。歴とした開花者です」
「そうだったのか…」
「なにか」
「いや。…まあそれらの捕獲は第四の技術さえできてしまえば容易に遂行できるだろう」
「それはいつ」
「クラステル君よ。試作品を君に預けよう。暗躍は君の方が慣れている。データさえとってきてくれれば被験者は特に制限しない。君の選定で構わない」
「わかりました」
「君の私情に口は出さない。何度も言うが私は君に感謝をしている。君の能力の解明により私たちは第五の技術を手に入れ得るのだから」
「取るに足りません。薬師博士。では」
クラステルは研究室を出る。出るやいなや、こわばった表情を解放しその場で腹を抱えて笑い跪いた。
「あの時のラナンキュラスの顔と言ったら傑作だった!次はあいつだ!あの男の絶望を見なければいけない!」
Ⅱ 12月1日
「珍しい客だなあ。逃げるべきか?」
夜の港。潮風は冷たく。
今日もコンテナに寄りかかり水面を眺めている一人の男。彼にまた来訪者が訪れる。
「ビールでいいか?」
コンビニ袋を持った男が横に腰掛けた。
「…つまみは?」
「イカと魚肉」
「いいね。…痩せたな。夏」
「半分はお前のせいだ」
「はは。よくここがわかったな」
「ちょっとした情報屋を抱えててな」
「そいつは警察よりも優秀なのか?」
「優秀かどうかはわからんが警察の百倍は働いてるな」
「で、ワッパでも掛けに?」
「気が向いたらな」
「…一本恵んでくれ」
夏焼が胸ポケットからタバコを取り出す。隣の男もそれを欲した。
二人は煙を北風に流し、昔のことを思い出したりした。
「今何を追ってる?」
「指名手配犯に言えるか」
「お前はてっきりオレを追ってるのかと」
「御覧の通りお前なんかいつでも捕まえられるからな」
「違いないな」
「…どうやって脱獄した、蛇黒」
「それはお前の情報屋も知らなかったか?」
「そうだな。聞けば解るまで追ってくれるかもな」
「ハハハ」
蛇黒は右手を夜空の月へと向けた。
「お前にムショにぶち込まれてすぐ中の下衆野郎を一人絞め殺した。したらすぐにオレは独房に入れられたよ。星の光も入らない。あるのは鋼鉄の分厚い扉だけ。まあ仕方ないんだよな。自業自得だし。って最初は思ってたんだけどさ。この扉の向こうにはさ。いるんだよな。俺たちが追ってた胸糞悪い外道共が。隣にも。その隣にも。おれ達は何人もの遺族の顔を見てきた。心の傷も癒えぬうちに無理して取り調べに応じてくれた人もいたじゃんか。その原因がいるんだよ。半径数メートルの間に何人も。おれは遂にこの扉を越えようとした。独房に何日もいたからさ。その時はちょっと頭おかしくなっててよ。何か鋼鉄の扉の声が聞こえるような気がしたんだ。来る日も来る日もこの右手を鋼鉄の扉にあてて心を澄ましてたんだ。したらさ。気付いたんだよ。人間の身体には血管が隅々まで張り巡らされてるだろ?そんで血液ってようは鉄だろ?んで鋼鉄の扉ももちろん鉄なわけだ。だからさ。あながち間違ってなかったんだよな。聞こえたんだよ。その時は!狂ってるよな?」
「…だいぶいってるな」
「そんでな。こっからは説明が難しいんだけどさ。鋼鉄の扉を血液に、血液を鋼鉄にすればいいって気付いたんだ」
「あ?」
その時。
「!?」
「できたんだ。実際に」
月光に照らされた男の右手が拳銃へと変った。
「お前…。身体気持ち悪」
「そりゃオレが一番信じられないよ。未だに夢だと思ってる。まあ夢だとしてもそれが醒めるまではこの力でオレの正義を貫くさ」
蛇黒正義は全身の血液を鋼鉄に変えそれを自在に造形することに成功した。彼にとって鋼鉄の扉は血液であり、全身を巡る血液は拳銃となった。
もうこの時代では『常識』など死語だ。何が起きてもおかしくない。
「それはどんな形にでもなるのか」
「いや。構造がわからなきゃどんなに外身を似せてもただのおもちゃだな。だからこれはお前の腰にも掛かってるニューナンブだ。ちなみに銃弾も作れない。火薬は体内にないからな」
「上はお前を狂った奇人だと言ってる。警察の恥だと。俺もはじめて上と意見があった」
「ははは。まあそう言うなよ。こっちは知らないおっさんから変な濡れ衣もプレゼントされて参ってんだ」
夏焼は蛇黒の話尾からふと薬師とHypoの融合についてを思い出し、それを蛇黒に語った。
「…それもまたイカれた話だな」
「おれ達では手も足も、姿さえ見ることができなかった。お前がヤツをしょっ引け。濡れ衣を返上しろ」
「まあ気が向いたらな」
「…じゃあこれでどうだ」
夏焼は自らの魚肉ソーセージを蛇黒に差し出した。
「…酔ってんのか?」
「…」
「酔ってんじゃねーか。…まあ考えとくよ。同期のよしみだ」
蛇黒は受け取った魚肉ソーセージの赤いビニールをピリっと剥き、顔を赤らめた夏焼の口に咥えさせた。
蛇黒はその場から立ち去り、夏焼はそれを追わず、魚肉ソーセージをつまみに、缶に入ったビールの残りを啜った。
眼前では大型旅客船がまたどこかへ航海を始めた。
Ⅲ 12月3日
寒い。今日も北風が身に染みる、書物によれば今月より来月。来月より再来月はさらに寒さが増すらしい。
サンダーソニアは山中に築いた寝床をそろそろ捨て、風を避けれて、できれば温かいところを探さねばと齷齪していた。
サンダーソニアは人間界に来て多くの賢智を書物や地域の人々の口伝えにて増やした。しかし彼には依然理解できない一つの問題があった。
はじめの内はついに自分も流行り病に罹ってしまったかと疑った。ただどうも違う。すぐに気が付いた。理解はできないが、原因が判明したのである。
あの女だ。あの女を思い出す度、どういう訳か胸が、全身が、苦しくなるのだ。
外は身を凍らせるほど寒いはずなのに、あの女の笑顔を思い出すと蕩けるように、それはもう何も他のことは考えれらなくなるほど熱くなり、それは次第に苦しみへとかわる。
サンダーソニアは図書館で顔なじみとなった老婦人の中元さんの見解を伺った。すると中元さんはくしゃりと顔を緩め、瞬時に答えを教示してくれた。
「ソニアさん。それはね、『恋』ですよ」
「恋…」
優しい口調から放たれた心地良いその言葉。サンダーソニアはすぐに辞書を引いた。しかし、それはこれまで直面したどの言葉よりも難解であり、解釈し難いものであった。
一通り調べ上げたサンダーソニアは再び中元さんの見解を伺った。
「恋は解釈するものではないんです。感じるものですよ。…人類はあらゆるものを科学で証明してきました。しかし『恋心』については、未だに解明できていません。きっとこの先も、ね」
まさか科学でも証明できないことがまだこの世にあったなんて。人類の科学力に心酔しきっていたサンダーソニアは、また世界の大きさを知った。
「ソニアさん。もし『恋』が何かわかったら、お話ししてくださいね」
中元さんは読んでいた小説に栞をはさむと、満足そうに図書館をあとにした。去り行く中元さんは、なんだかいつもより若返って見えた。
サンダーソニアはその後、閉館時間まで『恋』について記載のある書物を読み漁った。ティーン雑誌で。恋愛小説で。ラブコメで。エロ本で。
しかし不思議なことに、それらひとつひとつはまるで異なる結論を導き出し、そしてそのどれもが、サンダーソニアの今の心境を投影するに値しないものばかりであった。
結局この日、サンダーソニアは『恋』とは何かを理解できずに図書館をあとにした。
「ついに恋のラビリンスに足を踏み入れてしまったのね…」
噂を聞きつけた図書館司書らはにやけた顔で彼をからかった。
「みなさんは『恋』を知っているんですか」
「そりゃ私も若いころは『武蔵村山の恋愛ケルベロス』と呼ばれてましたからねえ」
「『恋愛ケルベロス』」
「私は『高知の恋愛レボリューション21』と」
「『恋愛レボリューション21』」
サンダーソニアの謎はさらに深まった。
図書館の自動ドアを抜け、すっかり寂しくなった枝の先の暗闇をぼーっと眺めていると、また阿保の声が遠くから聞こえてきた。
サンダーソニアの身体はすぐに沸騰し、彼の巨体を支える両足は腰の付け根から離れ、プカプカと宙に浮いているような感覚を覚えた。
ここから立ち去ろう。このままあの女と対面してしまったら自分はついにイカれてしまう。サンダーソニアは恐怖した。
最強であると自他ともに認められてきた。自らの存在を否定的に装ってきたことはあったが、正直最強としての自覚はあった。
他の生物なんて気にしたことがなかった。ただ唯我独尊であろうとした。
…しかしなぜだ。なぜこんなにも。なぜこんなにもオレは今、あの女に自分がどう見られているかが気になっているのだ。
これが『恋』なのか?ならば多くの書物に記載されていた「『恋』とは幸福の感情」というのは嘘じゃないか。こんなにも惨めで、屈辱的な思いは今までに覚えがないぞ。これが『恋』ならば、『恋』とはもはや苦行じゃないか。
ならばやはりこれは『恋』ではないのか。病だ。病に違いない。罹ったのだ。ついに疫病に。
おい。ついに目が合ってしまうぞ。気付くな。通り過ぎてしまえ。ただ、少しで良い。見たい。その顔。
「!!」
「あー!えっとねーサンダーソニアさん!」
「…」
「あれ、また間違った?」
「…いや合ってる」
「えっへん!」
何なんだこの可愛すぎる生命体は。全く勝てる気がしない。この女を殺すイメージが微塵も想像がつかない。闇一つない笑顔、それはどんな傷でも癒してしまいそうだ。加えてそのはりぼったい唇から発せられる阿保らしい声。体に染み渡る。どんな温泉よりも効果的で、あらゆる病も滅びるだろう…。そして丸みを帯びたこのずんぐりむっくりな身体。大そう柔らかいんだろう。普通の人間の女よりはふくよかだ。それこそ中元さんや司書さんらに比べたら肥えているといってもいいだろう。だがオレに比べればこんな体一捻りだ。なのに想像がつかない。この女が形を変えて血反吐を吐く姿が。護らなければならない。このオレが。
…何故オレが護らなければならない?
サンダーソニアの思考は、未来の科学、リニアモーターカーよりも速く彼の右脳と左脳を往復した。
「ソニアさんは図書館で毎日何してるの?」
それからどんな会話をしたか。事細かく思い出せる。ああ言えばよかった。あれは悪い印象を与えてしまったか。もっと最強という事を誇示するべきだったか。彼はそんな後悔の念を毎秒積もらせた。
魔法に掛けられたような体の異常、やはりこれはこの女によるもののようだ。ならば、この女ならば、その解決方法がわかるはずだ。
「『恋』って知ってるか」
「『恋』?うーん。よくわかんないなあ。そういうのは雛ちゃんとかリンドウさんに聞かなきゃ」
「オレはどうやらお前に恋しているらしいんだ」
「えー!なんでー!」
「お前のことを考えると病のように苦しいんだ」
「そうなんだ。ソニアさん…。何か、恥ずかしいなあ」
「身体が熱いか?」
「うん。なんか照れちゃうよ」
「そうか、ならばきっとお前もオレに恋をしているんだ」
「えーそうなの?」
「中元さんが言っていた。『恋』は理解するんじゃなくて、感じるんだと。感じるんだろう?オレが感じている熱いものを」
「うん。そっかー。じゃああたしもソニアさんに恋してるんだね」
これが『恋』なのか。それは誰にもわからない。
ただ一つ言えること。それは、この日から二人は、冬の寒さを忘れる温かい関係となった。
第30章 -決死行編-
第30章
Ⅰ 11月15日
見慣れぬ天井。目を覚ます。
「ラナンキュラス。何故お前はこちらに来た」
「…ただの人探しですよ」
「違うだろう。お前はそんなものの為に命を懸けるようなやつではない」
「…何を仰りたいのでしょうか」
「お前は『よからぬ事』を考えていただろう?」
「総帥、お人が悪いですね。私はただこちらに突入した教え子を止める為にやってきただけですよ」
「もうそんなことを悠長に言ってられる場合でないことはわかるだろう。利き腕を失った貴様ならばなおさら」
「反論はありません」
「…ラナンキュラスよ。私は未だに思い返すことがある。あの時お前の首根っこを掴んででも花陽隊に入隊させ、お前を私の元で教育すべきだったと」
「…総帥の心に留めて頂いて光栄です。…総帥、何故私などを治癒して頂けたのでしょうか」
「アルストロの判断だ」
「アルストロメリアの…」
「…いいかラナン。花陽隊、騎士隊、暴徒。誰が何色の服を身に纏おうともはや関係ない。これはアルプローラを掛けた総力戦だ。ラナン、ファレノを討て」
「…救って頂いたこの身体。その命にて尽くしたいと存じます」
「えーと。じゃあ牡丹。これから週刊源泉徴収さんのインタビューだから」
「何それ」
「源泉徴収について書いてる雑誌」
「週刊で!?何で私!?」
「失礼のないようにね」
「ちょっと待ってよ!」
某テレビ局楽屋。桜田牡丹はよくわからない雑誌のインタビューを待った。
「失礼しまーす」
「どうぞー」
「今日はよろしくお願いします。週刊源泉徴収の浅海です」
「よろしくお願いしまーす」
楽屋にずかずかと入って来たインタビュアーが二人を隔てる机の中央に録音媒体を置き、インタビューを始める。
「どうって…しゃかいじんのぎむだと思います!」
牡丹はアイドルの仮面を被り、当たり障りもない回答をした。
マネージャーはインタビューが始まるや控室から出て行った。左胸を抑えていたのでおそらくはタバコだろう。
「…」
マネージャーが部屋から消えた瞬間。インタビュアーの顔が変わった。
「…では桜田さん本題です。先々月、牡丹さんは暴徒植物に襲われましたが、何で牡丹さんが狙われたと思ってますか?」
「へ?」
「数いたアイドルの中から牡丹さんだけが致命傷を受けました。そして奇跡的に蘇生しました。これについて、何でだと思いますか?」
「あの…源泉徴収は…」
「ああ。じゃあそれも踏まえて、質問に応えて頂けますか?」
「何なんですかあなた。答えたくないですよ。人が死んだんですよ」
「じゃあ質問を変えましょう。ヒーローについて正体を知っていますか?」
何なんだこのインタビュアーは。まるで全てを見透かしているような質問ばかり。一体何者なんだ。
「知らないですよ」
「そうですか。謎の物体とヒーローの話はもちろん知っていますよね?」
「それは、はい。テレビで見たんで」
「でもね。ヒーローの目撃情報って全くなかったじゃないですか。彼ら、どうも普通の人間の眼には見えないみたいなんですよね。でもある人たちには見える…。例えば…妖精が見えるとか」
「!」
「これを見てください。春先のアフタヌーンのライブDVDです。えーっとこれは誰ですか?」
「…私です」
「そうですよね。例えばここにピンク色の妖精が浮かんでいるのが見える!って私が言ったらどう思いますか?」
インタビュアーは動画中に移り込んだロッタの姿を的確に指さしていった。間違いない。こいつは妖精が見えている。そして私がヒーローであることを確信している。どうする。雑誌記者と言った。全てを公にされる前にこちらに取り込むか。しかし信用ならないこのツラ。どうする。
「…何言ってるんだろーって思います」
「そうですか。テレビとか…この前映画にも出ていましたよね!作品全部拝見させていただきました。でもね。そーゆーのには映ってなかったんですよ。一切。きっと私のような『見える』人を警戒して妖精さんに言ってたんだと思うんです。「カメラの前には出るな!」とか。でもライブのカメラまでは妖精さんも気付かなかったのかもしれませんね」
「…」
「どう思います?」
「目的はな
ガチャリ。控室の扉が開く。
「おすすめの源泉徴収はありますか?」
「!!…えーっと道玄坂の…ヤツです!」
二人は落とした仮面を再び被った。
この女。マネージャーにそれがバレないように配慮した。いったい何が目的なんだ。
「ではインタビューは以上です!お時間とってもらってありがとうございました!」
「いえいえ!創刊楽しみに待ってます!」
インタビュアーは深く礼をして楽屋から去った。あの女…いったいどうする気だ。牡丹がこの後のバラエティ番組で全く活躍できなかったのは言うまでもない。
Ⅱ 11月27日
季節は冷たい風を通りに吹かせた。街はすでに煌びやかなクリスマスデコレーションで飾り付けられている。
冬は植物にとって生命を維持させるうえで最も厳しい季節。気を抜けば死が待ち受ける低気温は彼らにとって死活問題である。
カランコエが要塞を巡り松明に灯を燈していく。カトレアはカランコエを治癒した後に力尽きた。死してはいないがもうこの戦いで誰かを治癒することはできないだろう。
気色の悪い声。指令室の液晶に再びあの男が映し出される。
薬師は、植物体を能力そのままに体内組織を操作、細胞分裂を停止させ、半永久的に朽ちることのない戦士を作り出す技術『プリザーブド』、そしてさらに手に入れた植物体同士を自由に組み合わせ、より強い個体を創り出す第三の技術『アレンジメント』を発表した。
カーネーションは拳で液晶を叩き割った。彼が部下の前で初めて見せる感情的なアクションである。これにより、彼らはこの後発表された第四の技術について情報を得ることが叶わなかった。
母国の滅亡が迫っているのも梅雨知らず、サンダーソニアは今日も図書館で日本語の勉強に勤しんでいた。
「サンダーソニアさん。今日もお疲れ様でした。もう閉館のお時間ですよ」
「…こっちの時間が過ぎるのは本当に早い」
「その本借りていきますか?」
「お願いします」
サンダーソニアは小説を二冊と日本史に関する文庫本を一冊抱え、夕暮れの図書館をあとにした。
街路の広葉樹は肌を赤く染め、今にも落ちそうなほど薄く、枝にしがみ付いている。
昨日読んだ書物には、葉というのは元々赤色をしているものであり、春先に葉緑体をたくさん蓄えることでその姿を緑色に変化させる。つまりそれらが失われ、秋に露わになった赤色こそが彼らの真の姿であるのだと記してあった。
植物である自分ですらそんなことは知らなかった。本当にこっちの書物は興味深いものばかりである。
目に入るもの全てが科学で説明出来得ると多くの書物は語っていた。彼が「こちらの時間が過ぎるのは早い」と語った言葉の真理にも、彼は近いうちに触れることになるだろう。
「いしやーきーもーいかがですかー」
この腑抜けた阿呆のような声も、科学的に何かしらの意味をもっているのだろう。やがてその声はサンダーソニアに近づく。
「あ!えーっとね。サンダーソナーさん!」
「…」
「あちゃーまちがえちった?」
「サンダーソニアだ」
「それでした!ソニアさん!」
あの時の女だ。花陽隊の隊長と悶着した時。そういえばこいつのせいで散々な目に遭った。
「あ!これはね!焼き芋!お金ないでしょー?植物だもんね!はい!これはあたしの奢りだよ!」
女は炭火で焼かれた甘芋を銀の鉄布で包み、こちらに手渡した。
女がそれを剥いて食べろというので、サンダーソニアは言われるがままに紫色の芋に齧り付いた。
中の黄金色の身がほのかに甘い。炭火の風味は体を温める。自然と浮かんできたこの感想はまさに「ホクホク」だ。
「おいしーでしょー」
サンダーソニアはどうもこの女に屈した気がするので素直にイエスと返答ができなかった。が、どうやら女にはその内心は見抜かれている様だ。彼は結局、無理に感情を繕うのをよした。
「うまい」
「でしょー。じゃまたね!サンダーソニアさん!」
女はまた荷台を引き、例の阿呆臭い掛け声を伴い歩き出した。こんなに軽そうなリアカーをゆっくりゆっくりと引く女の後ろ姿に、サンダーソニアは自然と声をかけていた。
「名前は」
「あたし?あたしはね!ひまわり!菊江ひまわりだよ!」
ひまわり。それは太陽の花である。彼女の笑顔にサンダーソニアの何かが優しく暖められた。去り行く彼女の背中を橙色の炭火が照らし、またそれは夕日のように尊く思えた。
Ⅲ 11月28日
朝日がアルストロメリアの目を覚ます。今日も彼の枕元は鮮血で滲んでいる。壊れた精神が自身の血反吐によって元に戻される。
身体を蝕む疫病。迫りくる死こそが彼の精神を逆に安定させた。もはや戦うしかない。前も後ろも待ち受けるは死である。
向かってくるイヤな足音に心拍数が上がる。辺りを見回す。戦士達からはもう微塵の迷いも感じられない。今ここに立っているのは誇り高き者のみだ。
病からか、あるいは武者震いからか、珍しく身体が強張るアルストロメリアにラナンキュラスが近づいた。ラナンキュラスの半身には花陽隊の軍服が着ささっている。
「アルストロメリア。ファレノはオレが仕留める。他の者をファレノから遠ざけて欲しい」
アルストロメリアはそれに返答をしなかった。重たい空気が二人の間に流れる。足音は徐々に大きくなって近づいてくる。ラナンキュラスがアルストロメリアにもう一度口を利こうとした時、アルストロメリアが先に口を開いた。
「ラナンキュラス。私の身体はすでに疫病に犯されている。おそらく今日が私の最期となる。退陣はない。進軍のみだ。…先に黄泉の国で待つ。お前が来たら、約束通りお前を殺す」
ラナンキュラスは強く固唾を飲み、頷いた。
巨大兵器の腹部が開く。中から出でたのはファレノプシス一体のみ。
ファレノプシスが一歩、二歩と、先陣のラナンキュラスとアルストロメリアに歩み寄る。
砂塵が静かに吹く。
「生きてたか。ラナン。…さて、決断はできたか。アルストロ」
ファレノプシスが語る。殺気はない。生気すらもない。
「お誘いには感謝するがやはり私は百花繚乱、散り様に美学を見出している。残念だが今回は遠慮しておこう」
「そうか。残念だ」
そう言うとファレノプシスは不格好に引っ付けられた腐った誰かの右腕を揺らし、腰に収まった鞘から剣を抜いた。ラナンキュラスも鞘から剣だけを抜き捨て、慣れぬ左腕でそれを握った。
「ラナン。私がお前をこっちに呼ばなかったのはな
「ファレノ、それ以上は余計だ」
「…」
一拍より短い脈が世界に打たれる。
ギャシーン!
ラナンキュラスとファレノプシスはアルストロメリアの号令を待たずして刹那を斬り裂きぶつかり合った。
その瞬間、兵器内から大量のアレンジメント兵が地上に降り立つ。アルプローラの戦士達も一斉に剣を取る。アルストロメリアはあらゆる感情を捨て、戦士達に敵兵をラナンキュラスらから遠ざけるように指示した。
「あちらを見るな!眼をやられるぞ!目の前の敵に集中しろ!」
アルストロメリアは感涙を流しかけた。隊員達は、戦いながら敵を遠ざけるという難儀な注文を、いとも簡単に遂行してみせたのだ。
ここに戦う勇者たちの名は一人残らず後世に受け継がなければならない。決して滅ぼしてはいけない。この種族を。
アルストロメリアの剣を握る手が再び躍動する。
御膳立ては済んだ。チャンスは一太刀のみ…。それを躱されれば次はない。瞳がヤツの光を浴びれば少なく見積もっても五秒、視界は戻らない。心の瞳で全てを描く。『ファレノプシス』がきっと導いてくれる。
ラナンキュラスはそっと瞳を閉じ、剣を構えた。辺りの戦いの怒号がスッと頭の中から消え去り、これまで気にしてこなかった風の音、その風が葉を揺らす音、散る音、その葉の下で眠るリスの心拍音がトクトクと聞こえてきた。
スャーン!
そのような音はしていなかったかもしれない。しかしその五感に突き刺さるほどの強烈な発光は、漫画的な効果音で形容する他ないほど、敵味方人間植物地球人異星人関係なく視界を奪った。たったの二名を除いて。
ラナンキュラスは閉じた瞳の中で右方に剣を捌く。鋼と鋼がぶつかる。見えている。見えているぞ。ラナンキュラスはファレノプシスの太刀筋を完全に読み切った。
依然真っ白な世界で、ラナンキュラスは士官学校で彼と出会った時の事、日々互いに剣技を切磋琢磨した事、夢を理想を語り合った事、深夜に寮を逃げ出し女のところに行った事、戦争に駆り出された事、そこで共に戦果を挙げた事、その酒杯に酔った事、上官に怒られたこと。そして別々の道を選んだ時の事、彼が蘭十字騎士隊隊長に就任した時のこと、それを心から誉に思った事。ファレノプシスと過ごした全ての記憶が瞼、瞳、そして頭に、心に映し出された。
強烈な光は止み、視界に色彩が戻った頃、地面にはファレノプシスの首がころりと転がっていた。
「…」
「…それはオレの負けと言いたいのか?」
ファレノプシスの右腕には、変色した自らの腕がくくり付けられていた。
ラナンキュラスは深く息をつき。その首と体を要塞まで運ぶと、再び激戦地へと入っていった。
ラナンキュラスがファレノプシスを仕留めた。戦場の花陽隊の士気がさらに上がる。アルストロメリアは今が勝負時であると確信した。隊員たちはさらに巨大兵器に迫っていく。
いける。辿り着ける。皆で掛かれば巨大兵器を落とせる。今しかない。
「な」
何だコイツは。その瞬間、目の前に立ち塞がったアレンジメント兵にアルストロメリアは眼球が落ちるほどに目を見開いた。
究極的。まさに究極的な組み合わせ。アルプローラの強者だけを究極的に繋ぎ合わせている。他とは明らかに違う。これは最強。最強の個体だ。
最後の敵だ。こいつが我が人生最後の敵。血反吐など隠す必要もない。いくらでも吐き捨ててやる。こいつを天に葬り、彼らと黄泉の国で語らってやる。
「うらああああああああああ!!!」
アルストロメリアは全てを懸けてこの最強個体とぶつかった。
一太刀を振りかざす度に内臓が破裂しそうなほどの脈が打たれる。腹部は太刀キズと血反吐が判別できぬほどに血みどろに染まっている。
この時、アルストロメリアは自らがすでに絶命していることに気付きもしなかっただろう。
彼の魂はすでに肉体と分離していることにも気付かず、夢幻のなかでひたすら剣を振り続けた。本当の肉体が混沌と化した戦地で軍靴に踏みにじられてるとも知らずに。
彼の死の報は永遠に仲間の元に届くことはなく、兵器に回収されることもなかった。
彼は魂の問答の中で、自らの命の意味を考えたが、答えが出る前にその灯は北風により風化した。
第29章 -決死行編-
第29章
Ⅰ 10月4日
梅屋芍薬・リンドウアヤメら数名の人間らと植物界の一国家であるアルプローラ聖国との間に協定が締結された。
協定締結に激しい反意を示していたリンドウも、その見返りとして提示しれた条件の前に、それを飲まざるを得なかった。
その条件とはカランコエの攻撃により瀕死状態にある『リリーエーデルワイスの蘇生』であった。
リンドウはそれを断れなかった。甘んじてアルプローラとの停戦を受け入れた彼だが共闘については最後まで同意しなかった。
協定締結から数時間後、なおもリリーへの懸命な治療が続く深夜の某病院ICUに一体の植物体が訪れる。
カトレアと名乗るその植物体は動揺する医師らに事の次第を伝えた。
なおも警戒する医師らに、彼は自らの足を目の前で切り落とし、それをすぐに修復して見せた。
医師らは驚き、恐怖はすぐに希望へと変わった。
手術台へ通されたカトレアは焼け爛れたリリーの前に立った。
「カランコエさんに身を任せておけばとっくに楽になれていたというのに。あんたらは妖精じゃなくて悪魔だな」
カトレアはリリーの身体の上で必死に命をつなぎとめる三匹の妖精に言った。
カトレアは一息つくと右腕の軍服をまくり、リリーの身体の上に乗せる。
彼の右腕、そして彼女の身体がほのかな桃色に光り始めた。
医師たちはその時、奇跡を目の当たりにした。到底説明できぬ事象。神のみぞ知る原理。「奇跡」という言葉があってよかった。これがなければこの体験を口外できないところだった。
カトレアがリリーから掌を離し、捲った袖を元に戻す。
「…命を繋いだだけだ。今の俺の体力では完治に至らせることはできなかった。後はお前達でもできる仕事のはずだ」
カトレアは医師らに残し、病院を去っていった。
翌日、梅屋より牡丹とひまわりにも協定及びリリーの復活について告げられた。
「平和だねー」
「どこがだ!」
呑気なひまわりと怒れる牡丹。ベランダからは今日も殺戮兵器の足跡が聞こえてくる。
Ⅱ 10月19日
初めに飛び掛かった花陽隊戦士の身体は一瞬にして小間切れとなった。
剣捌きを見れば巨大兵器から降り立った『アレ』が『ソレ』であることは明白だった。
アルストロメリアが最前線に躍り出る。
「大口を叩いて。やはり口だけだったな」
アルストロメリアは剣を握り、帰って来た『ソレ』に呟いた。返事が来ないことは知っていた。戦場にはすでに多数の物体が負傷兵の回収に出ている。とっとと仕留めなければ。
アルストロメリアは団隊長の身ではありながら開花者ではない。
冷静な状況判断能力と、磨き上げられた剣術の腕により、実力のみで隊長までのし上がった猛者である。故に潜ってきた窮地は隊長である誰よりも多い。
「量産される前に討つ!」
アルストロメリアがその首に斬りかかったその時、彼を強い動悸が襲う。
「!」
彼はその場に跪き激しく咳き込む。地面には自らの吐血された血が散乱している。
「…」
『ソレ』はアルストロメリアをただ見下し、兵器の中へと帰っていった。アルストロメリアは立ち上がり巨大兵器をただ茫然と見つめた。
またいくらかの同胞を回収された。未だ慣れぬユーストマとの対峙。そして『アレ』。
部下に悟られぬよう、地面に散った自らの血を軍靴で払う。彼の横眼。一体の植物が近寄るのが見える。
「…何の用だ。ラナンキュラス」
「アルストロ。アレは」
「ファレノプシスだったな。間違いなく」
「寝返ったのか?」
「そうじゃない。もっと複雑な」
「例の発明か」
「知っているなら聞くな。殺すぞ」
「開花能力はそのままか?」
「お前はクソガキか。ピーチクパーチク質問してきやがって。能力がそのままだったら私はすでに死んでいたとでも言いたいのか?…勅命を持たず呑気にウロチョロしているお前は正直目障りだ。今日だけは目を瞑る。しかし次に姿を見せたらまずはお前を殺す」
アルストロメリアは手に持っていた刀をラナンキュラスの首に突き付けて言った。
ラナンキュラスが無礼を詫びるとアルストロメリアは刀を鞘にしまい要塞へと戻っていった。
Ⅲ 11月10日
時はまたいたずらに過ぎた。
戦える人員は着実に減ってきている。加えて先月回収された同胞らが明日の敵になる可能性は高い。今まさに同胞達が薬師の汚れた手にかけられてるかと思うと恐怖と悲しみで体が震える。しかし我々はこの望まぬ戦いに勝たなければならない。
花陽隊戦士は痺れを切らしていた。模造兵の準備でもしているのか、敵の攻撃は憎たらしいほどに不定期だ。
ならばこちらから攻めに行こうにも、鬱陶しい人間軍共が邪魔をする。我々の土中進軍も人間が要塞周囲に埋め込んだ鉄板により防がれた。
こうしている間にも、祖国の市民は次々に息絶えている。
雪辱に燃えるカランコエ。冷静なるアルストロメリア。先陣に立ち、焦る戦士達を何とか宥め、その襲来を待ち続ける。
ドシン。ドシン。
ついに来た。巨大兵器の足音。戦士達は剣を抜き、眼前の人間軍に眼も暮れず遠くから姿を現す巨大兵器に全集中力を向けた。
巨大兵器が人間軍の前線を越えて立ち止まる。兵器腹部がキュラキュラと不気味な音をたててゆっくりと開く。
奥に光る大量の瞳。その数、目算で三十余体はいるだろうか。先頭の一体が地上に向けて滑空を始めとそれに続き、それらが続々と地上目掛けて飛び降りてくる。
「薬師…どこまでも…どこまでも外道…!」
アルストロメリアの堪忍袋は爆裂した。
ショーのように花陽隊の前に並び立ったのは、これまでに回収された花陽隊員らの四肢や胴体、頭部をバラバラに切り離し、それを不細工につなぎ合わせたモノたちだった。
あの右腕は。左腕は。腰は。頭部は…。見覚えのある同胞達の各部位が無礼に、残酷に、卑劣につなぎ合わせられている。
「ふざけるな!ここまでする必要が何故ある!ただ滅ぼせばそれでいいだろう!お前らの目的は何だ!」
アルストロメリは珍しく声を荒げた。アルストロメリアの問いに兵器が答えるはずもなく、繋ぎ合わせの兵士たちは花陽隊へと刃を向けた。
ユーストマの時は。動揺から剣を抜けぬ者もいたし、抜いたはいいがそれを偉大なるユーストマに対して降れぬ者もいた。
しかし今回においては隊員皆がすぐに剣を抜いた。楽にしてやらねばならない。彼らは同胞の無残な姿に、揃ってそう思った。
何故我々は今、同胞と戦っている?あまりにも酷ではないか。この同胞等がどんな思いで国を背負い、剣を握ってきたと思っているのか。どれほど大きな覚悟を持って、時空を跨いでやって来たと思っているのか。あまりにも酷じゃないか。酷過ぎるではないか。何故名誉の内に死なせてやってくれぬのだ。何故死して屍になってもなお、我々に向かってこさせるのか。あまりに酷。酷過ぎるじゃないか。
戦士達は感情を露わにし、目には涙を浮かべ、向かってくる同胞だったものに剣を振った。
このあまりに残酷な光景に周りを囲む自衛隊員及び米軍隊員らも思わず目を伏せた。
この地獄はもはや直視を許されない。人の道を大きく踏み外している。これはやりすぎだ。
味方を守ることも、敵を斬ることも、また敵に斬られることも、この戦場で起こり得る全ての結果は『味方を失う』という結果のみである。
あちこちで隊員の断末魔が響く。アルストロメリアが血反吐を吐きそれらを斬る。ブーゲンビリアも。カレンデュラも。グロリオーサも。皆がそれぞれに隊員たちとの歴史を回想し、この残酷な運命と戦っている。
しかし。カランコエだけは巨大兵器を睨み一切その場から動かなかった。
例え繋ぎ合わせ兵士がカランコエに刃を振ってきたとしても、彼は仁王に立ち続け、その運命に歯向かい続けた。
それに気付いたアルストロメリアがカランコエに振られた太刀を受ける。その兵士を斬り捨て、アルストロメリアはカランコエの肩をどんと殴り彼に怒鳴った。
「戦え!」
「オレは同胞には手を出さん」
「あれはもう同胞じゃない!眼を覚ませ!」
「あれがもう同胞ではなかろうと!オレは同胞に一切手を出さん!」
「…勝手にしろ!バカ野郎!」
不気味な機械音が再びなり兵器から物体が現れる。負傷兵の回収が始まったのだ。
「物体を優先的にやれ!負傷兵の回収をさせるな!また地獄が繰り返されるぞ!」
アルストロメリアが存命の隊員たちに叫ぶ。彼も剣を一時止め、負傷兵の救護に当たる。その時。
「アルストロメリア隊長!」
「!?」
またしても不覚。いや違う。こいつだ。いつのまに。
ファレノプシスだったモノ。背後からアルストロメリアに剣を振る。
ジャッキン!
「…ラナンキュラス!」
「悪いが殺すのは後でにしてくれ…!」
その太刀を受けたのはラナンキュラス。忠告を無視しまた眼前に現れた。
この手を痺れさす衝撃、刃と刃がぶつかる金属音。懐かしい。
「ファレノ…」
目の前の植物体。いや、元植物体というべきか。決して言葉を返す様子のない相手。かつての親友ファレノプシス。魂はすでに死したか。
ジャッキン!
繊細なる二つの豪鉄がぶつかり合い、天空が割れる。
この戦いには引き分けがある。どちらかが死に果てるまで続く死闘ではない。負傷兵の回収が終わればこいつは兵器内へと帰っていく。
ラナンキュラスは相手に息をつく暇を与えずファレノプシスの懐に踏み込んだ。喉を裂くよう弧を描いた太刀、ファレノプシスはあろうことかそれを右下腕で防御した。
「何!?」
!!
ラナンキュラスの瞳は綺麗な青空を映した。あまりにも綺麗だった。黄泉の国だろうか。いや。綺麗な青空だが視界の端には汚らしい黒い怒号がまだ響いている。
右腕の感覚がない。同じく上体も痛みがない程に血飛沫をあげている。斬られた。ただ生きている。にもかかわらずあいつは次の太刀を振って来ない。そうか。あとは回収させるだけなのだ。殺せば鮮度が落ちるという事か?
そうか。お前はまだ使えたのか。アレを。
アルストロメリアは絶望した。
彼は先日カーネーションにこう伝えた。「敵駒になる過程で同胞たちから開花能力が失われている」と。
敵のユーストマ兵は全く毒撃を繰り出してこない。もちろん先日対峙したファレノプシスも同様に。そのことから彼は上述の結論を導き出した。
しかし。あのファレノプシス。確かに彼の開花能力を使用し、ラナンキュラスを斬り裂いた。
『閃光のファレノプシス』。ファレノプシスの開花能力は『光撃』である。
彼は自らの身体を光源とし、並みの哺乳類であれば失明させてしまうほどの強烈な光を解き放つことができる。
さきほどの太陽が落ちてきたかのような強烈な光。まさしくファレノプシスの能力。
アルストロメリアの考察は誤っていたのだ。
物体はラナンキュラスの回収に取り掛かった。やはりあれはわかっている。今採るべき個体がどれかというのを。
阻止しきれぬ。実態の掴めぬ敵にはユーストマの毒撃が有効だった。こちらの最大戦力であるカランコエは使い物にならない。さらに無駄に勇んだラナンキュラスは敵の戦力をいたずらに上げそうだ。おまけにファレノプシスは自分たちの前に完全体として君臨している。
アルストロメリアの中で何かが壊れた。
「…」
繋ぎ合わせ兵が兵器へと帰艦していく中、ファレノプシスがアルストロメリアの方へと歩んできた。アルストロメリアはただ無意識に再び剣を握る拳を固くした。
「どうしたアルストロメリア。顔が死んでるぞ」
「!?」
ファレノプシスが喋った。敵に魔改造され、すでに口利けぬ身となったはずのファレノプシスが。
「…貴様はまだファレノプシスなのか」
「まだ?私は永遠にファレノプシスだ。永遠にな」
「…何故裏切った」
「そのボロボロの身体でお前は祖国の為にあと何ができる?」
「ボロボロはお互い様だろうが」
ファレノプシスはその質問を笑った。ファレノプシスの右腕は依然、ラナンキュラスに斬られたまま、文字通り皮一枚のみでぶらりと右肩に繋がっている。
「もうこれ以上人間と戦う必要などないのだよアルストロ。我らが永遠の命を手に入れれば解決するんだ」
「永遠の命があればな。ただそんなものは存在しない。頭の悪さは今まで通りだな」
「ハッハッハ!あったんだよ。あそこには」
ファレノプシスは自らの右腕を引き千切りその場に投げ捨てた。
「薬師は私の身体に第二の技術『プリザーブド』を施した。私にはもう痛みも死もない。ついでにあいつにもな」
ファレノプシスが兵器の腹部を指さす。顔を覗かせる一体の植物体。
「ク、クラステル」
「…アルストロよ。お前もこっちに来ないか?疫病なき永遠の世界へ」
「ふざけるな。永遠の命など騎士道の美学を侮辱している!」
「美学か。私の美学と言えば大聖木様にこの身を捧げることだった。しかし。信じ仕えた大聖木様が最期に選んだのは誰だった?…人間さ。裏切られたんだ。人生を尽くした大聖木に。その人生を否定されたんだ。花陽隊だろうと気持ちは同じだろう?…アルストロよ。よく考えるんだ。またここに来る。そのとき、同じ質問をしよう」
「待て!お前が悪に魂を売った決断はわからぬ!わからぬが動機に関しては理解し得た!正直に言おう!私をはじめ多くの花陽隊員はあれ以来大聖木様に不信感を抱いたはずだ!だからお前が頭をおかしくしたのも頷けるのだ!だがしかし!何故我々に剣を向ける!その必要はないはずだ!」
「理由などない。強いて言えばそれが条件だったからだな。あいつを牢屋から出したのにも理由などない。ヤツが外に出たがっていたからだ。もうどうでもいいだろう?少なくとも私はもうどうでもいいのだ」
ファレノプシスはアルストロメリアの次の問いかけには応じず、兵器と共にその場を消え去った。
もうアルストロメリアに感情に喜怒哀楽する余地はない。彼はただ辺りに散らばる同胞達の無残な姿を眺めた。
静かだ。どういう訳か今日は五月蠅い人間軍の追撃が来ない。救護が捗る。
カトレアももう限界だ。全員を治すことは無理。アルストロメリアは機械的に、誰を治癒させ、誰を名誉の戦死とさせるかを的確に指示した。これは感情を失ったからこその所業であった。
茫然と空と地上の境目を睨むアルストロメリアに、二人の人間が近寄って来る。
二名はアルストロメリアの異様な妖気を察し、何も言わず、抱えたカランコエとラナンキュラスの身体をそれぞれその場に優しく寝かせた。
「待て」
その場をすぐに去ろうとした二人の人間に、アルストロメリアは自ら口を開き問うた。
「…何故こいつらを助けた」
「それh」
「お前はいい。お前だ。デルフィンのお前」
少し場面を戻す。ラナンキュラスがファレノプシスに瀕死の重傷を与えられた数十分後、物体の回収から、梅屋がラナンキュラスを、同様にリンドウが瀕死状態のカランコエをそれぞれその場から担ぎ上げ、その魔の手から命懸けで逃がした。この行動に対し、彼らはお互いに何の打ち合わせもしていなかったという。
「…放っておけばカランコエは息絶えていた。貴様らとしてはそちらの方が都合がよかったのではないか?」
アルストロメリアは複雑な事情を抜きにしてリンドウに率直に尋ねた。
「こいつに貸が一つあっただけだ。自惚れんな。こいつをぶっ飛ばすのはオレだ」
「…礼は敢えて言わんでおこう」
アルストロメリアはカランコエを担ぎ、加えて軍人でないラナンキュラスも特例で花陽隊要塞に搬送させた。
この地球史上に初めて、永遠に終わらぬ生命が生み出された。それをどう捉えるかは個人の倫理観に委ねられる。正解などない。ただ一つ言えるのは、永遠に続く命があったとしても、永遠に続く国などないということだ。
アルプローラ崩壊のカウントダウンはもう、あと僅かしか残っていない。
第28章
第28章
Ⅰ 10月3日
都内の寂れた立ち食い蕎麦屋。全体的に茶ずみ、引き戸はもはや閉まらない。しかしこの店の客足が途絶えたことは三十八年一度もない。
角に備え付けられたこれまた汚いブラウン管。伸びた蕎麦に箸を通したまま映し出された記者会見に齧り付く二人の刑事。夏焼と二瓶。
『薬師元博士記者会見』。画面右隅には赤く囲われた字でそう記してある。
薬師が表舞台に現れるのは春先に人工知能『Hypo』を発表した時以来。その数日後に『Hypo』の欠陥を部下に告発され彼は表舞台から姿を消した。
今、彼の言葉には報道的価値がある。何故なら彼の所属していた研究所の所員らが先日の原因不明の火災によりほとんどが命を落としたから。
何を語るのか。まさか罪を告白する気か。少々狭い宴会場には緊急の会見にも関わらず多数のマスメディアが駆け込んだ。
司会が薬師を登壇させる。薬師は堂々たる顔で光る革靴を鳴らした。
夏焼の持つ薬師のイメージと言えばあの肥溜めのようなワンルーム。しかし画面に映ったその男は肌につやとハリを兼ね備え、憎たらしい程に生命力を醸している。
薬師がマイクを顔に近付ける。夏焼の蕎麦はもう針金のように固い。
「本日はお忙しい中、突然の会見にも関わらず多くのメディアの方に調整して頂き誠に感謝します。ご紹介に預かりました薬師であります。本日は皆さまに二点、お話しなければならぬことがあります。私の叙述後、適宜質疑応答を取らせて頂きたいと存じますのでよろしくお願いします。…さて、まずは志半ばにこの世を去った仲間たちに哀悼の意を示すとともに、彼らがこの私に託した希望のお話をしなければなりません。本年一月、私と彼らは災害予期人工知能『Hypo』を開発しました。『Hypo』は完全でありました。Hypoは地震、台風のみならず、植物界の進軍をも予期しました。我々は早期にそれを皆様に発表しようと致しましたが、当時時点での我々やHypo、また植物界への皆様の理解が少なかったがために、我々はその発表が逆に市民の皆さまの不安を煽ってしまうと考え、Hypoの完成発表のみとさせて頂きました。しかし、Hypoの完全さに気付きそれを悪用しようとするものが現れました。私の研究室の研究員達、いや私の仲間達は私とHypoを護るために意図的に私を糾弾し私とHypoを表舞台から消し去ったのです。その後Hypoの予期通りに東京に植物界が進軍。Hypoと私は人知れずそれと戦いました。…もうお気付きの方が多いかと思いますが関東圏内で暗躍していた謎の物体、これは私とHypoによる無人兵器だったのです」
会場はざわついた。フラッシュが目を焼くほどに点滅する。薬師はしばらくそれを浴び、再び口を開いた。
「Hypoは正義です。我々の希望です。Hypoがいる限り我々の生活は保たれます。私はそれをどうしても皆さんに伝えたかった。しかし。御存じの通りHypoを共に創った仲間たちが何者かによって殺戮されてしまいました。Hypoも一時的に何者かの手中に落ちました。Hypoを狙う者がいます。平和を望まぬ者がいます。そしてその為に手段を択ばぬ者がいます。仲間たちを次々と殺戮していった男、全てを予期されては困る者、それは何を隠そう凶悪な脱獄囚、蛇黒正義であります。私は彼を決して許しません」
会場が再び騒めいた。二瓶は唖然とした。薬師が滑らかに紡ぐ御託は彼が知る真相とは全く異なるものだ。彼が頭上のテレビからふと左方の夏焼を見てやると、夏焼も同じタイミングでこちらを見てきた。
二人はただ見合ったのち、再びテレビへと視線を戻した。
「しかし安心してください。私はHypoを取り返すことに成功しました。弔い合戦…そのような言葉は好きません。ガンジー先生が仰ったように、目には目をでは世界はやがて盲目になってしまいます。それにHypoは復讐の道具ではありません。私は犯人探しをするつもりはありませんでした。しかし人間よりも人間味のあるこのHypoは犯人の証明をすぐにやってのけたのです。Hypoが蛇黒の居場所をつきとめるのも時間の問題でしょう。ただ。ただそれよりも、それよりも我々が今戦わねばらぬのは植物界の邪悪な侵略者達です。私の仲間たちが果たせなかった夢。命からがら私に託した夢。私とHypoは必ず、植物界から皆様の生活を護り抜きます。…蛇黒よ。Hypoが怖いのだろう。自分の居場所が知られてしまうのが恐ろしいのだろう。ならばHypoはくれてやる。ただし植物の脅威が去ってから。その後なら好きにすればいい。いくらでも献上する。だから少しだけ、それを待っていただきたい。市民の心に平穏が戻るまで。どうか少しだけ」
圧巻だった。薬師の眼は少しばかし潤いを得ているようにも見えた。この会場に彼の言葉を疑うものなどいなかった。言葉を変えればこの薬師は、完全だった。
「申し訳ありません。少々取り乱し感情的になってしまいました。さて私とHypoは強力な植物界を退ける為の技術を生み出しました」
同刻。植物要塞。カランコエが眠そうな目を擦り帰還した。怒れるカーネーションはユーストマ及び右腕の爆傷についてカランコエに今一度問うた。昨日聴取したクラステルの証言も交えて。
カランコエは堪忍し自らが眼にした巨大兵器とユーストマについて遂に白状した。
話の概要がだんだんと見え始めたと思った矢先、カランコエは突如説明を止め血相を変えてカーネーションに飛び掛かった。
ドッガーン!
激しい爆発に植物要塞が揺れた。その大振動と衝撃波は指令室の者達を自然に屈ませた。カランコエは早急にそれを察し、カーネーションを咄嗟に庇っていたのだ。
側近が急いで外を見る。そこには今まさにカランコエが話した巨大兵器がいた。
ファレノプシスら戦士達はカーネーションの指示を待たずして、その撃退に向かった。
一切の迷いなく剣を握った彼らであったが、目の前の光景には大いに困惑した。
「これはいったい…」
カランコエの説明は半ば作り話だと思っていた。もちろんカランコエが嘘をつけるような器用なヤツではないことは皆わかっている。しかしそうでも思わなければ『それ』を否定できなかった。
カランコエはやはり嘘などついていなかった。目の前にいるのは。自分達を迎え撃つのは、大量のユーストマだ。
薬師がスーツのポケットから小さなリモコンを取り出し、それを上部に翳す。頭上からスクリーンが降り、会場は次第に暗くなった。
「新技術『アーティフィシャル』は、既に実用段階にあります。この技術は植物体の強靭な身体組織構造をより強靭かつ安価な素材で再現し量産化、こちらの手駒とするものであります」
薬師がリモコンを押す度に、スクリーンにはイラストレーション図式が映し出される。
「現在第二、三の技術も実験開発段階であります。そして第四の技術、これが理論通りに働けば、それは謂わば革命であります。さて目には目を、先ほどガンジー先生の教えを説いた手前このような戦法は少々憚れますが、植物体の異常な生命力に対し、より強靭な植物体でもって迎え撃つのです。そして、これがそれら四つの発明を全て搭載した巨大兵器、『ハイポネクス』であります!」
薬師が右手を高らかにスクリーンに広げる。映し出されたのは黒く不気味な巨大兵器。記者連中が一斉にシャッターを切った。
「今まさに、ハイポネクスは植物要塞を襲撃しております。勝利の瞬間を是非ご覧ください」
先鋭なるアルプローラの戦士達、そして人間により造られたユーストマの模造品が植物要塞前に散らばった。
「彼らの前で戦う同種族の戦士こそがアーティフィシャルによって創り出された植物体の模造品戦士であります」
戦場の植物戦士達は彼らの戦いを人間達が観戦しているとは思いもしていないだろう。
同胞が向かってくる。それも誰もが尊敬してやまない四団隊隊長ユーストマがだ。戦士の中には最後までユーストマの体を成したそれに剣を振らなかった者もいた。
やがて巨大兵器は腹部から例の物体が繰り出され、戦闘不能となった兵士らの回収を始めた。
「倒した植物体は回収され、再び我々の戦士としての再生施術を受けることとなります」
アルストロメリアはそれを阻止すべく心を消し、友人ユーストマを斬り進んだ。
囚われれば最後、ユーストマ同様に同胞へと剣を向けることになる。そんなことは容易に想像がつく。
ドゴーン!
爆撃。複数方向から。不覚。敵はユーストマであってユーストマではない。騎士道もない。
爆撃で身体が言う事を聞かない。物体はすぐに行動不能のアルストロメリアに狙いを定め彼の身体を掴んだ。
物体がアルストロメリアを抱え巨大兵器の方へ歩みを進める。同胞に剣を振るうことになるくらいならば。アルストロメリアの中に自害の文字が浮かぶ。その時。
ー!
ファレノプシスが物体を切り落とした。
音がなかった。これがファレノプシスの太刀筋。その一閃が語る圧倒的実力。今のは私を助けるための剣ではない。自身の力を示すための剣。普段対峙することのない騎士隊隊長の実力、アルストロメリアはまざまざと見せつけられた。
兵器内からは二体目三体目の物体が、感謝を述べる間も与えずに出てくる。
アルストロメリアは立ち上がり、剣を握る。物体は他の同胞達に眼も暮れずこちらを狙ってくる。
あの物体に植物個体の優劣がわかるというのか。確かにこの戦場で最たる手練れはこのファレノプシス。彼を敵に渡してはいけない。もしファレノプシスがユーストマのように量産されれば最後、アルプローラの終焉。
「アルストロ」
ファレノプシスがアルストロメリアに小さく口を開く。一つの案。
アルストロメリアはそれを制止する。あまりにも危険。ファレノプシスは戦果を深追いしている。
「必ず戻る」
「ファレノプシス!」
ファレノプシスはアルストロメリアの肯定を得ずして、自ら兵器内部へと侵入していった。内部潜入、情報取得、及び敵壊。いくらファレノプシスだとしても。
完全体のファレノプシスを腹に入れた巨大兵器はそれで満足したのか、他の負傷兵の回収を済まさずにその場を去って行った。
「…」
巨大兵器の大地を揺らす足音はもう聞こえない。しかし要塞を取り囲む人間共の攻撃は一向に止みそうもない。
それどころか何か手応えでも感じたのか。いつもより激しい重火器の雨を降らせている。
花陽隊隊員らはそれらを完全に無視し、負傷兵を担ぎ要塞内へと戻った。
指令室に直行したアルストロメリアは今眼前で起きた全てをカーネーションに話した。
「…種が消し去られれば史に敗北者として恥名を遺すこともなくなるな」
カーネーションは辞世の句に似た何かを残し、指令室を発った。
ハイポネクスが固定カメラから姿を消すと会場には再び灯りが灯る。司会が会見を質疑応答へと進める。
「では最前列の女性の方。お名前と所属を名乗ってからご質問ください」
「警視庁の浅海です」。
「!」
夏焼と二瓶は茹でなおしてもらった二杯目の蕎麦をやっと口に運んだ矢先に思わず吹き出した。
「薬師博士は先ほど博士の人工知能が植物界進軍を予期していたと仰られていました。さて植物界は予てから虹橋の破壊を否定しています。それを踏まえて考えると、博士の人工知能が植物界進軍阻止を邪魔されないよう、その陽動にて虹橋を落とし都内から警察の頭数を減らしたと考えると、妙に辻褄が合います。博士これに関してはどうお考えになられますか?」
会場からシャッターの音が止み、そこは文字通りざわついた。二瓶はとにかく店主に頭を下げながら、それでもテレビに注視する夏焼に謝罪を促した。
「…あなたが浅海さんですか。随分私についてあることない事書いて頂いてているようで」
「あることしか書いてませんよ」
「どうしても私を殺人犯にしたいようですね」
「本当はどうなんですか?」
「私とHypoは人類の味方であります。そのような事実は一切ありません」
浅海は背中に心地よくない視線を多数感じた。此処にいるマスコミはさておき、あるいはテレビ越しの国民らは既に薬師に何かしらの情を抱いてしまっている。
「ありがとうございました」
浅海は頭を下げ着席した。司会が再び質疑応答を順次再開する。薬師はそれに彼の中で完璧に構築された決して矛盾のないストーリーの中から抽出して答えを導き出した。
一時間を超える質疑応答の末会見は終了した。浅海は引き続き嫌な視線を方々から浴び、会場をあとにした。
そんな彼女を一台の車が会場となったホテルから少し歩いた先の炉端で出迎えた。
車の助手席のウィンドウが下がり、蕎麦つゆまみれのシャツを着たよく見る顔が皮肉めいたアクセントで訪ねてきた。
「成果は?」
「…私の名前が日本中からキチガイインタビュアーとして轟いた以外何も」
浅海は助手席の夏焼に自虐を交えて言った。
「これでお前が死ねばあいつはクロだな」
夏焼が笑って言った。浅海と二瓶も一緒になって笑った。
夏焼は親指で後部座席を指し、浅海は後部扉から何だか蕎麦臭い車内に乗り込んだ。
二瓶がタイヤを走らせ、夏焼は後部を振り向かずに浅海に尋ねた。
「…薬師が虹橋を落としたウラは?」
「まだありません。ただ全く脈がないわけでは」
「そうか」
浅海には、夏焼の肩が少し切なげに下がったように見えた。確か以前、蛇黒死刑囚が夏焼さんの同期であるということを二瓶さんから聞いた。
きっと薬師が蛇黒に着せた濡れ衣に相当腹を立ててたのだろう。浅海はその背中から勝手に考察した。
日は沈む。薬師の会見はヒーローの面々にも順々に目に入った。
Lindberghでリンドウの帰りを待つ梅屋。三つ葉の淹れたコーヒーに震える身体を温めながらその会見に見入った。
震える身体。決して寒さからではない。迫りくるカランコエの恐怖。
リンドウは今外出中。三つ葉によれば、リンドウは従業員に自らが置かれている状況を全て話したのだという。
自分がヒーローである限り、従業員の皆にいつ命の危険が訪れてもおかしくない。だからいつ誰がここを去っても彼は決してそれを咎めないと伝えたという。
そして今日もFlorist Lindberghは欠勤者はゼロ。彼の信念と彼の集める信頼に梅屋は憧憬の念を抱いた。
やがてリンドウが用事を済ませ店に帰って来た。リンドウは梅屋の顔をちらりと見て、プイと無視する。三つ葉はその姿が喧嘩した後の弟そっくりで思わず笑ってしまった。
芽実高校に進学した友達から梅屋先生の噂は聞いた。梅屋先生も社長もそこら辺の男子と変わんないなあ。これだから男は。三つ葉が鼻歌でも歌いながらリンドウへのコーヒーを淹れる。しかし彼女の鼻歌はすぐに恐怖の悲鳴へと変わった。
「ひぃ!社、社長…!」
リンドウと梅屋はすぐに彼女の目線の方を見る。
「!?」
花陽隊。暴徒植物。クラステル。ダリア。そしてカランコエ。そのどれよりも威光を放つ紅い植物体。敵は既に入店している。それどころか三つ葉を射程圏内に入れている。
リンドウが戦闘態勢に入る。すると紅い植物体はそれを抑えるように静かな口調で口を開いた。
「逸るな。私は戦士ではない」
そう言うと植物体は梅屋の対面に座り、三つ葉に梅屋と同じものを注文した。
店内の客衆と従業員の幹谷、枝島の両者が息を殺すように店外へ逃げ出す。店内には梅屋、リンドウ、赤い植物体、そして震えながらコーヒーを淹れる三つ葉のみとなった。
「どうした、掛けないのか」
植物体がリンドウに向けて座することを促す。リンドウが逆らわずに持っていた黒いバケツとスタンドを適当に下し、梅屋と植物体、どちらとも接しない、所謂お誕生日席に腰を掛けた。
「突然の訪問をお詫びする。私はアルプローラ聖国花陽隊総帥ドラクロワ=カーネーションだ。この前はカランコエがご無礼をはたらき申し訳なかった」
「そ総帥!」
三つ葉は実はその正体を知っていた。この紅い植物体、人類に宣戦布告をした超有名植物体だ。
「総帥ってことはお前があれを寄越したんだろう?」
「…まあその通りだな」
「形だけの謝罪ならいらん。トップが護衛もつけず何しに来た」
「私一人の方が捗る場合もある。殺し合いをしに来たわけではない。私たちが…」
「…」
「あ、そこに置いといてくれるかい。どうもありがとう」
カーネーションは立ち竦んでいた三つ葉に気を駆け、。コーヒーを机に置かせた。それをズズズと一口含み、話の続きを紡いだ。
「さて、大聖木様より大形伺っただろうが、この土地は元々我々の土地だ。ここを貴様らにくれてやってから早数千年。長らくそれを甘んじて受け入れてきたが、我々を堰き止めていた何かはついに決壊し、先の宣戦布告に至った。しかしながら私の指揮に誤りがあり、作戦は失策に終わった。 …正直に言えば我々は人類に敗北した」
「!!」
「…そんなこと我々に話していいんですか!」
「…我々には美学と騎士道がある。それを犯した者は生命としての一切の価値を失う。我々は不格好な足掻きはしない…お嬢さん。これは素晴らしい香味だ。あなた若いのに相当な腕前ですね」
「あ、ありがとうござます!」
「我々にあの巨大兵器と戦う体力はもうない。加えて今日、奴は我らの誇り高き戦士を何らかの方法で増産し、利用してきた。我々は同胞の騎士道を踏みにじったあの薬師という外道を決して許すわけにはいかない。我々アルプローラの最期の使命はあの薬師をぶち殺すことだ。しかし、繰り返しになるが我々にはもうあれと戦う体力は残っていない」
「…つまり?」
「恥を忍び、頭を下げる。大聖木様の御力を我々に貸して欲しい」
「!?」
梅屋とリンドウは頭を下げた敵将に動揺した。
「我々はもう君たち大聖木様の御力を宿した六名の人間たち及びその友人に一切の刃を向けぬことを誓おう。だからそのアルプローラの力を、アルプローラの誇りの為に捧げて頂きたい」
敵将の敗北宣言。そして共闘依頼。無駄な足掻きをしない、それが彼らの美学であると言った。しかしし将は恥を忍び頭を下げた。つまり彼らは今、その美学を越えてでも仲間、そして母国の誇りを果たそうとしている。
身体の中の黄金の力が蠢いている。
世界が寒空に包まれ、大きな世界が一点に収縮していく。
第27章 -決死行編-
第27章
Ⅰ 9月30日
植物が人間により鞘師山から退けられた。しかし人間の軍備は依然ダム周辺に設置され続けている。
落ち着かない日々。ドラセナはもうここにはいない。ドラセナはもう我々の知っているドラセナではなくなってしまったのか。
戦いの一部始終を見届けた猿長老は語った。黄金の光に包まれたドラセナの姿はまさに救世主であったと。
人間の勝利。人間の一強状態が続く。あるいは植物の逆襲。世界が原始の姿に還る。どちらにせよ、猿らにはあまり変化のない話である。
梅屋は自身の携帯電話に入った急報を眼にし、言及された都内病院に向かった。
牡丹の時と似た感覚を覚えたが、そこにいたリンドウはあの時の牡丹の両親のそれとはまるで違った。
この前の言い争いがあった手前、リンドウに話しかけるのが多少憚れたが、梅屋は彼に問いかけた。
「リリーさんの様態は?」
「…最悪さ」
あまりにも気まずい雰囲気の漂う巨大病院内一階のベンチ。同じフロアなのかより上なのかは定かではないが、今も尚リリーが医師たちにより懸命な救護活動を受けている。
「…これでも戦わないってのか?」
「それは…」
「お前がいくら戦わねーって言っても奴らはオレたちを狙ってる。大聖木の力を得たからだ。やつらからしためでたく場所もわかるようになったてか?それでもお前はただでやられるってのか」
リンドウは静かに怒っていた。理由は先述の彼の言葉の通りである。彼は梅屋の不戦宣言の薄っぺらさ、再現性のなさに憤怒した。
「…タバコ吸ってくる」
リンドウは柱に備え付けられたフロアの地図を見て、院内に喫煙室がないことを悟ると正面出入り口を潜った。梅屋は少し俯いた後、リンドウの後に続いた。
「…なんだよ」
そう遠くないところにて喫煙所を見つけたリンドウはタバコに火をつけ、ライターをタバコの紙箱にしまったリンドウが梅屋に漏らした。
「このまま不和のままだとよくないと思いまして」
「いいか!いい加減目を覚ませ!お前は植物じゃない。人間なんだよ」
「でもどっちも同じ生き物です!」
その時、二人はお互いの理解しがたい主張にではなく、背後のから感じた灼熱の殺意にお互いを見つめ合ったまま黙りこくった。
二人は同時に殺意のする方へと顔を向ける。そこにはとてつもないオーラと紅蓮のコートを肩にかける植物体がこちらを睨んでいた。
すぐに戦闘になる、リンドウは臨戦態勢に体を仕向ける。梅屋もそれを感じたがリンドウに対して自分が発した言葉が足枷となり戦闘態勢には入れなかった。
「…大聖木様の御力を宿した人間だな?」
「だったらなんだ」
「もし、君たちが私に勝ったらドラクロワ=カーネーション総帥にこう伝えてくれ。『あなたに仕えれて幸せだった』、と」
「あ?」
想像もしていなかった植物体の言葉に二人は言葉を失った。いきなり自らの敗北を前提に話しかけてくるとは。
「君たちは何か誰かに伝えておくことはあるか?」
「あ?」
「死んでからじゃ恩人に感謝の一つも伝えられないだろう?」
二人がその言葉への返答を怠っていると植物体は右拳を強く握りしめた。
「なければゆくぞ!」
植物体の握りしめた右拳を取り巻く空気が次第に歪み始める。それが高熱によるものだと二人はすぐに察した。二人はその光景に見覚えがあった。
あの時。初めて二人が出会ったあの日。あの時も謎の物体の右腕が熱で空気を歪めていた。
「ウロォアアアアアアアアアアア!」
「!!」
青白く纏われた赤い灼熱の炎が唸りをあげ植物体の右腕から放射した。こちらに向かってくる炎はまるで虎のように牙を剥いて駆けてくる。
リンドウが右に避けようと目線を動かしたその瞳の端、全く回避の準備を整えていない梅屋の姿が映り込んだ。リンドウは急遽左足にプレッシャーをかけ、梅屋の身体を掴んで飛び転がった。
「バカヤロウ!テメーはマジで死ぬ気…
唖然と見つめる一点。広がる地獄のような光景。
「なんだこれは」
喫煙所は炭となり、辺りの鉄筋は溶かされ、もはや跡形もなく。
ドッゴン!!
「!?」
リンドウの身体が、植物体の重すぎる殴打によって吹き飛ばされる。
一撃はどの物体、どの植物体のパンチよりも重い。この植物体は特殊能力にかまけた者ではない。それを抜きにしても圧倒的に強い。
「リンドウさん!」
植物体はもう梅屋に狙いを定めている。
拳が梅屋の顔面に当たるか当たらないか。その瞬間。
「あの!ちょっといいですか!」
植物体の拳がピタリと止まる。
「なんだ。どうした!」
植物体は意外にも梅屋の話に聞く耳を持った。
「あの世に行く前に勇敢なる貴方様の御名前を伺いたいのですが…!」
「そうか!まずは名乗るべきだったな!これは失敬だった!」
植物体はそう言うと、膝を下ろし梅屋の前に胡坐をかいた。
「私の名前はカランコエ。堅苦しい役職をつけて言うならば、花陽隊第二団隊副長…いや先日隊長に昇格したのだった!私の上官のブーゲンビアリア様が一団に昇格してな。いやはや実に誇らしい…」
「わ、私は梅屋芍薬と申します。役職をつけるならば都立芽実高等学校生物学教諭二年B組担任の梅屋芍薬です!」
「そうか梅屋さん。すまなかった。私の不手際でお手を煩わしてしまった。では、戦いの続きを始めよう!」
「ちょ、ちょ!あの!もう二三聞きたいことが!」
「お、なんだ?私でよければ何でも聞いてくれ」
梅屋はこのカランコエという植物体が本当に底が知れないほど純粋な性格の持ち主なのか、あるいはいつでも殺せるこちらをおちょくっているのか、疑念を抱きながらも、次の延命措置となる質問を捻りだした。
「あ、ドラクロワ=カーネーション総帥についてなんですけど!」
「お、総帥についてか?うむ。あの方はとても慈愛溢れる素晴らしいお方だ」
「…そうでしょう!ですから部下のカランコエさんもこんなに素晴らしい軍人であられるわけですね!」
「貴様、見る目があるな!」
梅屋の延命措置は続いた。カランコエは信じられないほど無垢にそれに付き合った。
「何故カランコエさんは他の植物と異なり剣術を使わないのですか?」
「うむ、私は元々頭も悪く加えて剣術もできない。まさに志だけの落ちこぼれだった。しかし、当時の上官だったカーネーション総帥は私を見捨てず、私に助言を下さったのだ。私は総帥の為に、あるいはアルプローラの為に、と必死に己を磨いた。すると大聖木様の御力か、私のような出来損ないが、火炎の能力を開花させたのだ」
「開花っつーのは誰でもできるのか?」
リンドウが鳩尾を抑えカランコエに問うた。
リンドウは焦っていた。あの時、梅屋は開花していたように見えた。ひまわりも、言わずもがなドラセナも。
チーム結成当初、チームの最強と言えば今と変わらずドラセナで満場一致であったが、そのナンバーツーと言えば、それはおそらくリンドウだったはずだ。
しかしぶっちぎり最下位だと思われていたひまわりが能力を開花。彼女は突如ドラセナとのトップ争いに名乗りを上げた。
さらに戦闘のプロであるリリーの加入や梅屋の開花。リンドウの序列はもはや下に女子高生の牡丹を残すのみとなっていた。
「誰でも…というわk
時代とは。小説のように急激に章変わりするものだろうか。歴史の教科書を一ページめくれば時の指導者は数代先まで飛び移り、王政は民主主義となる。
しかしながらその時代に実際生活していた人間が、そのような明確な『時代の変換点』を感じながら生きた、ということは決してなかっただろう。
時代はじわりじわりと人間にそれを悟られぬように、その姿を変えていくのだ。定石では。
カランコエが能力の開花について自らの見解を述べようとしたその時、三人を大きな影が覆った。
雲にしては厚すぎるだろう。日差しのほとんどを遮った何か。確認するため、三人は目線をあげる。
「なんだあれは…」
太陽と三人の間。巨大な…ロボットと言うべきか。あるいはもっと簡単に言えば、あの謎の物体をより大きくしたそれ。そこに佇んでいる。
「あれは、植物界の…ですか?」
梅屋が、そうではないと理解しながらもカランコエに問うた。
「残念ながら、違う…」
三人は首、そろそろいわされるぞという頃合い、突如イヤな機械音が巨大物体が唸りだした。
巨大物体の腹部が開き、中からは背の丈彼らと同じくらいの、また新たな物体が地上にひらりと降り立った。
「ユーストマ…」
カランコエがその名を零す。梅屋らからみても、その姿は植物体のそれであった。
中から植物体が出てきた。ならばあの物体も植物界のものだと考えるのが合理的であろう。しかしながら、先ほどのカランコエの表情、そして現在のソレ、どちらをとっても、彼自身が最も、中から同胞が姿を現したことに動揺している様だった。
カランコエがユーストマと呼んだその生命体、彼が戦場に常に携帯する『毒蕾砲』をカランコエに向ける。
「避けろ!」
カランコエが叫ぶ。次の瞬間。激しい発射音とともに弾頭が射出され、それは煙を上げ一直線に三人へと向かってきた。
カランコエは判断の遅れたリンドウと梅屋の身体を抱え、右方へ飛び込んだ。
ドゴーーーーン!!
後方へ反れた弾頭はビルの壁で爆裂し、その壁に大きな穴をあけた。
三人が再び正面に顔を向ける。ユーストマは次の弾頭を装填し終えている。
逃げきれない。そう考えた時にはもう。
「カランコエさん!」
バジーーーーーーン!
「…」
「!?」
爆音。爆炎。まっすぐに伸ばしたカランコエの右腕。肩までが真っ黒に焼け焦げている。
あろうことかカランコエはビルをも破壊する弾頭を片手一本で受け止めた。その場を一歩も退かずに。
強すぎる。カランコエも、それと対峙するあの植物体も。
「梅屋!今のうちに逃げるぞ!」
リンドウは戸惑う梅屋を連れて仁王に立ち同胞を睨むカランコエのから逃げ去った。
カランコエに襲撃を受けたのがまるで昨日一昨日のように遠く感じた。
Ⅱ 10月1日
翌日。植物要塞。カーネーションの御前に立つ黒焦げのカランコエ。何食わぬ顔。
カランコエはこの日、カーネーションのいかなる質問にも「記憶がない」と答えた。
カーネーションは五体が無事ならばとそれ以上を問いたださなかった。が、爆傷を負わされたカランコエ、そして未だ帰らぬユーストマ。彼にのしかかる大いなる心労の種は升ばかりである。
しかしながら状況を好転し得る出来事もある。本国より騎士隊隊長ファレノプシスが前線に加勢したのだ。
ファレノプシスは戦果に飢えているようだ。ファレノプシスは暴徒放出の責任を取る必要があるとカーネーションに懇願した。確かに人類との前線はそれを果たすためにはもってこいの『危険地域』である。
ただそれは建前に思える。彼の本音はおそらく戦果を挙げ、現在の花陽隊一強状態を打破したいというところだろう。ファレノプシスの瞳の中ですでに反旗が翻っているようにも見える。
ただ前線も前線で戦力の枯渇は著しい。つまりこれはファレノプシスの意思とカーネーションの思惑が珍しく合致しての決定だったということが言える。
普段は決して混ざり合わぬ犬猿の二者。彼らがすれ違うだけで要塞内には嫌な緊張感が走った。
Ⅲ 10月2日
屈辱とはこういうことを言うのか。
これまでに味わったあれらは屈辱でも何でもなかった。これこそが屈辱。
明朝、花陽隊要塞の前にポトリと置かれていたのはユーストマの首だった。
「手厚く弔ってやれ」
カーネーションは冷静な仮面の下から、火山のような憤怒を隠しきれていなかった。
側近が冷たくなった首を高価な布で包む。その時。
「その頭を地下牢のクラステルに読み取らせてみればどうだ」
部屋の隅でファレノプシスが言った。
悔しいがそれはこの状況の模範解答だ。彼らは指令室を立ち、要塞地下に設けられた収容所へと下った。
「あー!えーっとねー。痛そうな名前だったんだよなあ。なんだっけなあ」
女は図書館から出てきたサンダーソニアの顔を見るや、難しそうに腕を組んだ。
とても長い時間が過ぎた。と思っていたが、どうやらそれは誤解らしい。奥に見える時計の針は、図書館の退館時間午後六時からたったの七分しか経過していない。
サンダーソニアはそんなことでも考えながら、いきなりつっかかってきたこの女が出そうとしてる何かしらの回答をしばらく待った。
やがて女はもう一度こちらを見て、ついに口を開いた。
「あのーお名前何でしたっけ??」
よくもこんなしょうもないことにこれだけの時間を惜しみなく使えたものだなとサンダーソニアは感心した。
第一この女に見覚えはないし名乗った覚えもない。サンダーソニアは自らの素性をべらべらと語るのを嫌ったが、この女に限ってはとっとと名乗って帰ってしまおうと、自らの名を名乗ることにした。
「サンダーソニア」
「そうだ!サンダーソニアさんだ!痛そうな名前だあ!」
不覚にも。不覚にもサンダーソニアはこの女の笑顔に引き込まれた。頭の中から今日覚えた漢字がふわふわと消えていった。
「…会ったことあったか?」
「ないよ!でも前に見たよ!なんかねえ女の子に信号で怒られてた!あはは!」
こっちの世界にはこんな生き物がいるのか。この靨の前では全てがどうでもよくなりそうだ。
「御取込み中失礼!…同胞か。花陽隊ではないな。貴様ならず者の暴徒か」
サンダーソニアを呼び戻す、戦闘潮流の声色。
「…」
「まあいい。私は勅令によりその人間を仕留めなければならない。そこをどくんだ」
出兵経歴のあるサンダーソニアはこの植物体が羽織る紅蓮のコートの意味を知っていた。この植物体、花陽隊幹部クラスの戦士。
サンダーソニアは面倒くさいことに巻き込まれるのはごめんだった。彼は何も言わずその場を離れた。
「達者で。同胞よ。さてお嬢さん。もし私があなたに敗れたら要塞におられるドラクロワ=カーネーション総帥にこう伝えて頂きたい。『あなたに仕えれて幸せだった』と」
「うん。わかったよ!」
「お嬢さんは誰かに遺す言葉はあるか?責任をもってお預かりする」
「えー!そうだなあ。誰にしようかなあ。やっぱり雛ちゃんかなあ。薊と紫苑よりは雛ちゃんだよなあ。あ、でもお母さんにも色々伝えなきゃなあ。あーでもボタちゃんにもいっぱい助けてもらったしなあ。あ!社長もいたよお」
「うむ。全て聞くぞ!恩深い素晴らしいお嬢さんだ!」
ひまわりは一通りの感謝を数分間述べた。植物体はそれを繰り返し口に出して覚えた。
「何かに書けば?」
「そうか!賢いな!」
「これ使っていーよー」
「すまぬ!助かる」
植物体はひまわりから薬局のレシートを受け取ると、それにひまわりの遺言を丁寧に、一言一句メモを取っていき、不明瞭なところは聞き直したりもした。
「よかった!これで全部伝えれたね!」
「そうだな!清々しいな!では行くぞ!!」
植物体は右拳を握り締め、その腕を強烈に発熱させた。
「ウロァアアアアアアアアアア!」
激しい咆哮とともに灼熱の火炎がひまわりに迫る。
ドッギャバギバギバギィィィィン!!!ドッガォオオオオオオオオオン!
火炎は空中で何かとぶつかった。火球は爆音を轟かせ辺り一面を焼け野原にした。
爆炎が晴れる、女の前には先ほどの植物体が仁王に立っていた。両者とも無傷にて。
「貴様」
「…」
「そこをどいてくれ」
「断る」
「それは困る。オレはどんなことがあっても同胞には手をあげないと決めている」
「じゃあ今日は諦めろよ」
「それも困る。任務は遂行せねばならない」
「じゃあオレを倒せばいいだろう」
「できぬ!オレは同胞には手を出さん!」
「じゃあ諦めろって」
「できぬ!任務は遂行せねばならん!」
「じゃあオレを倒せ」
「できぬ!オレは同胞には手を出さん!」
頑固な二人の問答は小一時間続いた。
「ねーもう帰るよー」
ひまわりが退屈そうに二体の植物に投げかけた。
「じゃあまたねーサンダーさんと…何さん?」
「カランコエだ!」
「バイバイカランチョエさん!」
「いや待て!」
カランコエがひまわりを仕留める為再び拳に熱を込める。サンダーソニアもそれを見て腕に電撃を貯める。
「…貴様その雷。蝶蜂戦の時の」
「…」
「ダンデライオン副長を討ったのは貴様だな」
「だったらオレと」
「オレは同胞には手を出さないんだ!」
「じゃああの人間は諦めな」
「できぬ!」
「じゃあオレと戦え!」
「できぬ!」
二人の問答は朝まで続いた。二人の問答が終わった頃にはひまわりはすでに眠りから目覚めせっせと畑へ向かっていた。
「やっぱみんな仲良しなんだなあ」
ひまわりは昨日の二体の植物体のやり取りを思い出してほっこりした。
格子で閉ざされた二畳ほどの空間に囚われた一体の植物。カーネーションはそれに自ら声を掛けた。
「この首の記憶を読み取ってほしいんだ。クラステル・アマリリス」
側近が丁重に包まれたユーストマの頭部をクラステルの眼前に晒した。
「…こいつは?」
「四団隊隊長ユーストマだ。お前のイカれた癖にはもってこいの大物だろう」
クラステル・アマリリスの能力、それは『死者の記憶を読み取る』能力。彼はこの能力により、息絶えた者の頭に手を翳すことでその者の人生を閲覧することが可能となった。
異常快楽殺人者であるクラステルは、狙いを定めた者を殺す前に十二分に甚振り苛めつける。そして殺した後に死体の記憶を読み取り、自分の拷問に恐怖し嘆く姿に再び興奮を覚える。まさにアルプローラが生んだ史上最悪の生物である。
「なんで御大が私にそんな?」
「いつどこでどのように、そして誰に彼は敗北したのか、その詳細を貴様に読み取ってもらいたい」
「…見返りは!ここから出せ!読み取ったらここから出してくれるか!?何でも命令聞くから!」
光合成と土中成分を主な栄養源とする植物にとって地下牢での生活は劣悪であり、クラステルは見違えるほどに痩せ細っていた。おまけに身体には人間の茨が依然巻き付いる。
彼は心身ともに疲弊し、以前のような取り繕った礼儀の良さはすっかりメッキが剥がれてしまったようだ。
「うむ…いいだろう。ではこちらの要求を遂行した際には、貴様をアルプローラへ解放してやる。衣食住付きで国賓級に手厚く迎えさせよう」
「へっへへ!!約束だぞ!」
「ああ約束だ。ただ、虚偽の報告をひとつでもしてみろ。ただの拷問じゃ済まさない。お前が思いつかなかったような拷問を死ぬまで続ける」
「嘘なんかつかないさ!さあその頭をこちらに寄越せ!」
側近がユーストマの頭を鉄格子の前に差し出すと、クラステルはそれに乱暴に手を置いた。
その所作は無礼極まりなかった。しかしカーネーションは咎めはしなかった。
「さあ、見えたもの全て正直に」
「ふーそうだなあ。お花畑と言ったところか。ゴキブリのように茶黒い花がたくさん咲いてい
ザグ
「ぎゃあああああああ」
カトレアの鋭い刃がクラステルの左足小指を切り落とし、地下牢内にはクラステルの汚い悲鳴が反響した。
「嘘はつくなと言ったはずだ」
カーネーションがクラステルの頭を掴み、握りつぶすほどに力を入れて忠告した。
「斬る指がなくなってもそれを何度でも再生させ、地獄は永久に続くぞ」
カーネーションの左カトレア。つまり彼の指は切られても切られても無限に修復され、拷問は真実を言うまで終わることがない。
明け方まで続いた尋問という名の拷問により、ユーストマに起きたであろう事象の実態が徐々に明らかとなった。
クラステルは憔悴しきったその口で、ユーストマが要塞を出てから死の瞬間までを詳細に再現した。
ユーストマはあの日、カーネーションからの特命を受け大聖木の力を宿した人間の抹殺に出た。
数時間後、さっそくユーストマは一人の人間の青年をそれだと特定し、彼らはすぐに戦闘状態に落ちた。
青年はあまりにも強かった。純粋な個体としての強さに加え、自身の開花能力と大聖木の黄金の力。ユーストマも最初は苦戦したもののそこは流石にカーネーションの信頼を勝ち取った団隊長の一人。ユーストマも全く青年に引けを取らなかった。
青年はユーストマの毒撃に苦しんだ。ユーストマの毒は神経毒である。人間や植物体を死に至らしめるほどの猛毒ではないにしても、敵を麻痺させる彼の毒劇は戦場において勝負を有利に進める有効な特殊能力である。
ユーストマはこの毒を小型ミサイル『毒蕾砲』の弾頭に注入し使用する。弾頭は敵前線で爆散し、敵の懐に毒を撒き散らす。奇襲、初手、劣勢。あらゆる場面に効果的な飛び道具である。
しかし青年の身体はすぐにその免疫をつくり出した。圧倒的生命力。間違いなく人間を超越した存在。戦いはついに肉弾戦となった。
肉弾戦では青年に分があった。ユーストマはついに青年に敗れ、青年は彼の視界から消えていった。
クラステルの証言はここで終わらなかった。ユーストマは毒を自らに盛ることで自身を仮死状態にしていた。それにより野性的な青年に物理的なトドメを刺させなかったのだ。
体内で自ら解毒し、瀕死の状態で蘇ったユーストマはが再び立ち上がろとしたその時、彼は背後に巨大な気配を感じ取った。
クラステルの透視はここで途切れ、彼の命がここで終わったことを示した。
謎の巨大な気配…。そのビジョンはクラステスのみ見えており、彼らはそれをクラステルの拙い語彙力で紡がれた説明に寄り想像する外なかった。
カーネーションは部下に持たせていた軍服を羽織り、地上への階段に足を掛けた。
「おい!!待てよ!!ここから出せよ!約束だろ!!」
「ああ。何でも命令を聞くんだろ?じゃあ命令だ。お前はそこで腐り晒せ」
「ふざけるなああああああ」
植物要塞地下牢に汚らしい悲鳴が響き渡る。その声は近くを走る地下鉄車内でも聞こえてきたという。
クラステルを嗜めるファレノプシスをおいてカーネーションらは指令室に戻った。
一向に好転しない状況にカーネーションは額に血管を浮かばせた。
第26章
第26章
Ⅰ 9月3日②
大聖木クリプトメリアの力を宿した六人の人間により花陽隊精鋭部隊は殲滅された。
戦場の植物達は一斉に後退をはじめ、人類は首都防衛を成し遂げたと歓喜した。
「何してたんだ」
「ちと取材を…薬師は現れましたか?」
「半分な」
「半分?」
「研究所は俺たちの目の前で突然発火した。消防が来た時にはもう中の人間は全員丸焦げで誰が誰だかわからなかった」
「丸焦げ…」
「ああ。原因はまだ判明してない。してないが…薬師がやったとすれば、と考える方が今の俺たちにとってはむしろ筋が通ってる」
「ヒーローは?」
「現れたみたいだな。ダムに」
「ああ!よかったあ。やっぱりヒーローは来たんですね!」
「Hypoと融合した薬師は目的を果たした。次にやつは何をする?人類のために戦うか?」
「必ず捕まえましょう。薬師を」
「…最初に死ぬのはお前だな」
「なんてこと言うんですか!でも現場で死ねれば本望です!」
夏焼と浅海。そして二瓶を乗せた車は当てもなく首都高をぐるぐると周る。
Ⅱ 9月4日
アルプローラ聖国。大聖木崩御の知らせは誰かがそれを声にせずとも市民らの心に届いた。
国家中が深い悲しみと人間に対する激しい憎悪で溢れている。
この最悪の戦況下で全戦士を戦場から引かせるというのは半ば敗北を認めたようなものであるが、カーネーションは花陽隊全戦士をアルプローラに戻し、偉大なる大聖木クリプトメリアの大国葬に出席させた。
「思えば我が歴史に幾多の勝利あれど、それらのほとんどは防衛戦争だった。侵略戦争は数えるほど。我々の騎士道気質は侵略という非人道的な戦争に向いてないのかもしれないな。さてアルストロ、戦況をどう見る」
「最悪ですね」
「ユーストマは」
「私も同意見です」
「妖精の力を宿した人間共はついに大聖木様の御力まで手に入れた。私たちの意思を大聖木様がお裏切りになられたのか。あるいはそもそも私達が誤っていたのか。どちらにせよ。大聖木様は私達に滅して欲しいと願っていたようだな」
「…」
「あの人間達はもはや大聖木様の化身だ。それに剣を向けるのか?それともこのまま引き下がり皆揃って死ぬか?」
「総帥…」
「兵士を集めろ。一人残らずだ。カランコエの二団も招集しろ」
「…最悪だ」
アルプローラ花陽隊本部。総勢数十万を超える花陽隊戦士が集結しカーネーションの言葉に全神経を捧げた。
「最悪。状況は極めて最悪だ。人間界に出陣した戦士達は大気が汚染された厳しい状況下の人間界でも活動でき得る花陽隊でも優れた力を有する選ばれし者達だった。しかし彼らは悉く人間達の前に敗れ去り我々が制すべき重要拠点の占拠も失策に終わった。それも。それもだ。大聖木クリプトメリア様は召される際あろうことか人間に力を与えた。我々が恨む人間にだ。…解せぬ。断じて解せぬ。我々はこの身この魂を大聖木様に捧げてきた。にも拘らず御大が選び錫たのは人間達だった。我々が人間界に戻った先に待っているのは大聖木様の化身だ…それに剣を向けれるのか貴様らは!」
「…」
「我々は誤っていたようだ。大聖木様の為にと短い生命を燃やし尽くしてきた。それは今日この時で終わりだ!我々が護るべきは大聖木への忠誠ではなくアルプローラ市民の生活だ!アルプローラの誇りだ!私は宣言する!花陽隊は今この時より大聖木信仰と決別をする!」
花陽隊が揺れる。
「もし貴様らの中に私を刺したい者がいれば刺しに来るがいい!もしそれでアルプローラ市民の生活が戻ってくるならば!思う存分刺せ!」
カーネーションによる大聖木決別宣言に花陽隊戦士達は動揺した。アルプローラ市民にとって大聖木を侮辱する行為は禁忌中の禁忌であり厳罰の対象である。
カーネーションはあえてそれを声を大にして言った。下がった戦士達の士気を再び奮い立たせるために。
「行くぞ戦士達よ!市民の為に!市民だけの為に!人間を殲滅せよ!」
「「「「オオオオ!!!!」」」」」
全ての戦士がカーネーションに従ったわけではなかった。その場に剣を置いた者もいた。それほど大聖木という存在は彼らにとって大きな存在であった。
一つ言えること。それは人類と植物の戦争はまだ終わっていない。
Ⅲ 9月25日
植物界が前線を退いてからすぐ、彼らは再び東京に舞い戻った。人類もそれを迎え撃った。
リリーはもちろんとして、リンドウも軍隊と共に植物界との戦いに参戦した。牡丹もそれに参加したりしなかったりした。梅屋、ひまわり、ドラセナの三人は大聖木の力を得てから一度もこの前線に姿を現さなかった。
リンドウは三者に痺れを切らし、面々を閉店後のLindberghに呼びつけた。
何の後ろめたさもなくノコノコとやってきた梅屋とひまわりにリンドウはお茶菓子でも出しつつ物申す。
「何でお前たちは戦わない?」
どちらに向けて、ということはなかったがリンドウの目線は確かに梅屋を見ていた。それを察して梅屋がリンドウの問いに答えた。
「僕はもう植物と戦うという事はしません」
「何を言ってるんだお前は」
「僕たちは戦うべきではないんです」
「俺たちが戦わなけりゃ人類は滅びるんだぞ?」
「でも暴力で殴り合うのは絶対に間違っています!」
「綺麗ごとばかり言ってんじゃねーぞ。岩手から出てきた田舎もんのお前にはわからないだろうがな、ここが首都とかどうとか関係ない。ここはオレの生まれ育った街だ。もし植物が岩手に現れても同じことを言えんのか?」
「でもここは元々植物の土地だった!それに譲るんじゃない!僕たちは共存できると言ってるんです!その為に大聖木さんは僕たちに力を宿したんです!この力は戦うための強さじゃない!理想を叶えるための力なんです!」
「じゃあどうするんだ?戦意剥き出しで向かってくるやつらを言葉で説得するのか?戦場にも来ないお前が夢ばっかり語ってるんじゃねーぞ」
「まあまあ二人ともおちついて」
「一緒に考えましょう!それをみんなで考える為にここに来たんです!」
「…もういい、話にならない。帰れ」
「話し合いましょう!この店にもたくさんの花がいる!リンドウさんも本当はそれを願っているはずです!」
「勝手に決めつけんな!人の意見を勝手に決めつけておいて何が共存だ!お前がお前の理想を押し付けてるだけじゃねーか!俺一人言いくるめられないで人間でもないあいつらと共存だ?笑わせるな!甘いんだよ!お前は全てにおいて!」
「それはごめんなさい!でも今のでまたお互いの事をわかり合えました!その繰り返しです!」
「俺も植物もお前とおしゃべりしてる暇はないんだ。オレはオレの地元を犯す奴らを倒す。そうだろう?リリー」
「ワシモ人類ノ為ニ戦ウ。ソレガワシノ職務ヤデ」
「…お前はどうなんだ。ひまわり」
「あたしはー…もう戦いたくないかなあ。あはは…」
「…そうか。じゃあ梅屋を連れて出て行ってくれ」
「どうしてこうなっちゃたんですかねえ…。リンドウさん」
「…すまんな。帰ってくれるか」
「今日は帰ります。でも諦めませんからね!」
梅屋はひまわりを連れて店を後にした。
扉が閉まり鈴の音が止む。リンドウは牡丹に問う。
「お前はどうする。牡丹」
「私は…わかりません…ごめんなさい」
「牡丹チャン。心配センデエエ。牡丹チャンハマダ若イカラ。戦ウ必要ハナイデ」
「でも…人間が滅びるのはヤです…。でも植物の言い分もわかります…。だから…どうすればいいのかわかりません」
「牡丹。自分で考えろ。どう生きるか。どう死ぬかじゃない。そしてこれはお前だけの問題じゃない。世界の問題だ」
「そんなこと言われたってわかんないですよ」
そう言って牡丹もキャップを深く被りとぼとぼと店を後にした。リリーも花瓶の花を一本頂戴しそれに続いた。
リンドウが椅子に座り血の上った頭を冷やす。週の末でスカスカになった店内の花桶が眼に入った。
大聖木は彼らに力と歴史を授けた。それにより彼らの中の正義は著しくそれぞれの方向に成長し、彼らを仲違いさせた。これがクリプトメリアの望んだ未来だったか。それはクリプトメリアのみぞ知る。
天に召された大聖木クリプトメリアは世界に偉大なるその名といくつかの蟠りを残したようだ。
Ⅳ 9月26日
昼下がりの河川敷。川音を聞くには一枚薄手の羽織物があればなお良いだろう。
蒸し暑い朝から何も考えずに半袖で出勤した梅屋は、秋風に少し鳥肌を立てながら沈むのを少し躊躇している太陽に照らされていた。
自分の信念は間違っていない、自分に言い聞かせ浮かび上がるリンドウの顔を消しては思い出し、消しては思い出したりした。
「また会った」
梅屋の後ろから何者かが声を掛ける。大きな布で顔を隠したそれは彼の隣に座った。
「あなたは…たしかラナンキュラスさん」
「妖精に名前を聞いたんですか?まあいいや。何か酷く悩んでいるように見受けられますが」
「ラナンキュラスさん…。僕は『人花共存』こそが、この戦いの終わり方だと思ってます。しかしそれはただの理想でしかない」
「『人花共存』…。なぜそのような考え方に至ったので?」
「大聖木様にお会いしました」
「まさか」
「本当です」
「…それで?」
「大聖木様はあえて答えをお出しになられませんでした。我々に力を託し、天に召されました。大聖木様から人間と植物の歴史を伺い、僕はそのような答えを導き出したんですが、植物はともかく人間にもその考えに賛同する人はあまりいなくて…。ラナンキュラスさんは何しに人間界へ来られたんですか?戦士ではないんですよね?」
「…教え子を探しに」
「教え子?」
「ちょっと前、花陽隊でない暴徒と化した植物がこっちで暴れまわったでしょう?あの中に私の教え子がいたんです。そいつを探しに」
「見つかったんですか?」
「いいや。死体すら見つかっていません」
「そうでしたか」
「…教育とはつくづく難しいもので。子供たちに与える教示が自分自身のエゴになってしまってはいけない。しかし、彼らを道から逸らしてもいけない」
「仰る通りです」
「何が正しいか。そこに胸を張って彼らを導かなければならない。私たちの仕事には責任しかない」
「はい」
「今のあなたは生徒たちを胸を張って案内してやれてますか?自信を持つこと、自分の決めた信念に。あなたがふらふらしていたら生徒たちは道しるべを簡単に見失ってしまいますよ。私が言えたもんじゃないですけどね」
ラナンキュラスの言葉はやけに胸に響いた。彼の言葉を引用するならば梅屋はラナンキュラスによって導かれた…のかもしれない。
梅屋は途端に立ち上がりラナンキュラスにお辞儀をして走りだした。どこに行くでもない。嬉しかったのだろう。『河川敷を、あてもなく』。これが典型的日本人が行う理想に向かう時のポージングなのだから仕方がない。
リンドウが、リリーが、ドラセナがどう思おうがいいではないか。自分は自分自身が導き出した『人花共存』実現に向かって邁進するだけなのだ。この川のように、どちらに走っていったとしてもいつか終わりは来るのだ。
「理想を押し付けるな!」
リンドウの言葉を思い出した。梅屋は立ち止まった。忙しい男である。
しかし、立ち止まっていてはこの川は永遠に目の前を流れていくだけだ。その間にいくつの木片が目の前を通過した?手足のない木片は自分より先にいる。だったら走ればいい。自分くらい自分を信じてやらなくてどうするのだ。
梅屋はまた走り出した。川の端を目指し日が沈むまで駆け抜けて迎えた夜。今にも落ちてきそうな神秘的な満月の下で。
満月の夜。ひまわりも珍しくそわそわしていた。家の近所をフラフラと歩き、近くの小さい公園のブランコに臀部を少しだけ乗せて座り、丸い月を眺めていた。
護るべきもののために戦う。ちょっと前、そんな事を考えていたはず。でも大聖木さんの話を聞いた。植物のみんなもそれぞれの護るべきもののために戦っているんだ。私はそれを邪魔できない。だから私は戦わない。
なーんて大人っぽく言ってみたけど。みんなとっとと仲良くすればいいのに。ホントはそう思ってる。何でみんなそんな簡単なことが出来ないんだろう。
ギィギィと鎖が軋む。やがてその音は鈴虫の歌声、草木の揺れる音と重なる。壮大なオーケストラとなり公園をオーディトリウムに変えた。
風がやみ、ブランコの音が主旋律となるとひまわりはある事に気が付いた。もうひとつ鳴っている。
ひまわりが左のブランコに目をやる。そこにはひまわりと同じ背丈、ショートカットの女性が一方のブランコに座っていた。
「あなたは誰?」
ひまわりが訪ねた。すると女性がこちらを向く。ひまわりは唖然とした。目の前に座っている女性。紛れもなく自分自身だ。
「私はもう一人のあなただよ」
「もう一人のあたし?」
「うん。大聖木さんも言ってたでしょ?この世界の裏側には植物界があるって。それと同じ。あなたの裏には私がいて、私の裏にはあなたがいるの」
「そうなんだ。じゃああなたもひまわりちゃん?」
「うん」
「ひまわりちゃんは何でショートカットなの?」
「これはあなたが死ぬときの髪型だよ」
「そうなの?」
「うん。あなたはもうすぐ死ぬの。これはその時の髪型」
「そうなんだ!じゃあもしもあたしが死んじゃったらひまわりちゃんも死んじゃうの?」
「うん」
「そっか!じゃああたしがひまわりちゃんを護るね!ひまわりちゃんもあたしの大切なものだから!」
「…怖くないの?」
「何が?」
「死ぬのが」
「うん!だって死なないもん!」
「いや、死ぬのよ」
「死なないよ!」
「死ぬの!」
「死なないよ!それに髪も切らないよ!」
「死ぬの!切るの!」
「死なないよ!切らないよ!」
「もういい!」
「あはは!」
ひまわりはついさっきまで悩んでいたことなどすっかり忘れ、もう一人の自分との問答を楽しんだ。
「ひまわりちゃんはビーム出せるの?」
「出せるよ」
「そうなんだ!同じだね!」
「でも私のビームはあなたと反対で夜だけ出せるの」
「おお!かっこいい!!それでひまわりちゃんもひまわりちゃんの大切な人を護るの?」
「そうだよ」
「すごーい!一緒だね!二人が一緒になれたら一日中ビーム出せるのにね!」
「私達はいつも一緒だよ。死ぬまでも。死んでからも。私の裏にあなたがいて、あなたの裏にわたしがいる。私たちは表裏一体の一心同体だから」
「あたしそんな難しい言葉わかんないよ!ほんとうにひまわりちゃんなの?」
「あなたがおバカだから反対に言葉をよく知ってるの」
「あ!そっか!じゃあ一緒だ!」
「…じゃあ私はもう行くね」
「うん!どこに帰るの?」
「あなたの裏側に」
「そっか!裏側ね!またね!」
「うん。…気を付けてね。ひまわり」
「任せなさーい!」
ひまわりは笑顔で部屋へと戻っていった。神秘的な満月の夜の話。
黄昏の花陽隊要塞。戦況は顕著に好ましくない。カーネーションはついに灼熱の戦士を植物界から呼び寄せる。
「頼むぞ。カランコエ」
「お任せください」
第25章 -再生編-
第25章
Ⅰ 9月2日 ②
ヒーローは蘇った。長い沈黙を越えて。
彼らが戦う理由はもう植物界ではない。彼ら自身の護るべきものの為である。
「大聖木様。戻りました」
「大儀じゃったな。ロージエ」
「大聖木様ご体調は」
「見ての通りじゃ」
クリプトメリアの姿。日に日に衰弱し葉数も数えるほど。ロージエはもはや直視しかねた。
「デルフィンから事情は聞いた。…危ない事をしおって」
クリプトメリアの言葉は老人の徘徊のようにゆっくり紡がれた。
「運よくリコリスが人間に敗北したため戻って来れました」
「こうなることはわかっていたのじゃろう?」
「そんな」
「お主はあの人間が必ずリコリスを倒すと信じて、彼の居場所をリコリスに教えたのじゃろう?」
「…」
「ロージエ。聖園を護り抜くことももちろん大切じゃ。しかしそこに己の信念がないのならそれはすべきではない。見失ってはいかん。己の信念を」
「僕の信念は大聖木様の栄華のみであります」
「私は見ての通りもう長くない。それよりも君は未来を…見つめるべきじゃ。そして私の前で虚は意味をなさぬぞ」
「大聖木様。今日はもうお休みになられてください」
ロージエは深く頭を下げ、クリプトメリアの元を離れた。
…戦況は贔屓目に見ても良いとは言えない。いや。むしろ最悪の状況だ。我々はどこで誤ったのか。
『花粉症』自体は私が総帥に就任する遥か以前よりアルプローラ中枢内で考察されていた『来る人類侵攻』の為の軍事草案だった。我々は実際に人間界へ侵攻するにあたりこの草案の再考察を行った。
しかし人間界への侵攻が可決された時にはすでに市民らの不信感情は最高潮に達しており、それは我々に十分な作戦構築の時間を与えなかった。
取り急ぎ『花粉症』草案を取り纏め、人間界にハイドランジアを送った。
ハイドランジアは『花粉症』に使え得る施設として金南清掃工場を第一候補にあげ、彼はさらに第四候補までを我々に示した。
金南清掃工場に我々も異論はなく、そこでの『花粉症』を基盤として次に拠点となる聖木の挿し木を植樹する場所を議論した。
『人間界で最も目立つ場所に拠点を置く』。これは限りなく暴挙に近いものではあったが、あくまで最重要地点は金南清掃工場。この選択はそこへの眼を逸らすためには最適解だった。
我々は要塞前ので戦いを敢えて均衡させ、秘密裏に金南清掃工場への地下脈を掘り進めた。
しかし天は我々の味方ではなかった。我々の侵出と時を同じくして金南清掃工場へ架かる唯一の橋が何者かに落とされていたのだ。案の定、我々の作戦は人間に勘付かれ、結果的に『花粉症』は未遂に終わった。
しかし私は思う。この作戦は初手で最大の悪手を打っていたということを。
悪手とはつまり『妖精をつかったこと』に他ならない。
彼らの『死の概念の無』は、非常に価値があるものだ。しかし妖精を利用するのには大きなリスクがある。それは私も何度も議題にあげてきた。
最も根本的に言えば彼らは植物ではない。裏切るという以前に我々はまず同胞ではないのだ。死期が迫る我々とは違い彼らには余裕がある。
彼らは我々の想像した最悪のシナリオ通り、課された使命を余所に大きく人間に肩入れした。その人間に『花粉症』を阻止されたというのだからもはや笑うしかない。この失策は有無を言わさず自分の蒔いた種である。
さらに不運は重なった。『花粉症』が頓挫する可能性がある。それは橋が落とされたとわかった時点で懸念されていた。そこで我々は『花粉症』に代わるもう一つの作戦を考案した。古典的な水攻めである。
水攻め。もちろん花粉症を可決した際も、このような大量殺戮は我々の騎士道に反していると、反意を唱えた者も多くいた。当たり前だが一体一になれば我々にしか分はない。しかしそれでは全人類滅ぼすのにあと何年かかるだろうか。
鞘師山の巨大貯水槽の水に花粉を混入させる。人間は生活水の中から『花粉症』を発症させ滅に至る。机上の空論ではあったが、試す価値はあった。
騎士道とは反する。それでも我々の使命はあくまでアルプローラ聖国の存続。我々もできることならしたくはなかったが我々はこれを強行した。
しかし、視察へ赴いたアネモネが討たれる。またしても人間にだ。私はさすがに頭を抱えた。つくづく天に見放されている。何故鞘師山が人間に解り得た。内通者の存在。妖精か。
私は妖精を軟禁した。しかし妖精は妖精だけの空洞をもっているようだ。もはや天に嘲笑われている気分だ。
現在金南清掃工場をはじめとする煙突を有する施設はどこも人間によって包囲されている。鞘師ダムも同様である。
対峙する人間。人間の兵器、謎の物体は特段脅威ではない。しかし物体は粉々に破壊したとしても二日以内には復活し目の前に現れる。日々消耗する我々と異なり絶え間なく補給される物体は徐々に脅威に成りつつある。
次の一手が勝負を決める一手となる。
鈴虫が鳴く。
鈴虫が鳴く。梅屋は聖木へと引き寄せられた。
ここは危険だ。要塞から植物が景色を眺めているのが見える。行ってはいけない。しかし引き寄せられるように歩が止まらぬのだ。日中の出来事。誰かに伝えたい。妖精の力が戻ってきたのだ。
要塞付近の地下鉄駅や道路は全て警察と軍によって封鎖され、無論一般人である梅屋がそのバリケードを越えることは叶わない。
彼は閉ざされた中をどうにか覗けないかと背伸びをしたり飛び跳ねたりと色々試してみたが、しかしそんなことで中に潜れるわけもなく。梅屋がどうにかならぬかと辺りを探索していると、彼は突然異様な空気の流れを感じ取った。
「あそこから入れるな…」
覗くだけではだめだ。中に入らなくては。恐怖に支配されていたこれまでの自分とは違う。
梅屋は微細なバリケードの隙間発見し、彼は茂た草を掻き分けその隙間をするりと潜った。
彼が顔をあげると眼前には巨大な植物要塞が聳え立っていた。
梅屋はその偉大なる建造物に言葉を失った。意識が遠のくほどに圧倒的なオーラは彼の固めた覚悟を溶かし得るほどに強大だった。
「遅かったですね。リーダー」
梅屋が声の方を振り向く。そこには以前に比べ少し大人の雰囲気を醸すひまわりの姿があった。
「ひまわり」
「もうみんな来てますよ」
梅屋が見回すとヒーローと呼ばれる面々が続々と彼を囲むようにして姿を現した。
「遅い!」
「どれだけ待たせるんだ」
「やっと六人揃いましたね。リーダー」
ひまわりが梅屋の到着を祝う。梅屋は牡丹の体調を気遣おうと彼女の顔を見たが、その横のどうも見慣れぬブロンドの女性が気になった。
「リリーエーデルワイスヤデ。ヨロシクヤデ」
「あ、梅屋芍薬です。おおきに」
リリーは梅屋に手を差し伸べ二人は軽い握手を交わした。そして梅屋は皆に問うた。ここで何をしているのかと。
「お前と一緒さ。わけもなく、ここに導かれた。あの時と一緒さ」
リンドウがそれを抽象的にまとめた。
「やあ、みんな。久しぶり」
再会の感慨に浸る彼らの元に新たなゲストが訪れた。
「ロージエ」
「元気そうだね。さて、みんな集まったところでさっそくだけど今から君たちを招待したいんだ。場所はもちろん植物界アルプローラ。みんなをある方に会わせたいんだ」
六人。正確にはドラセナを抜いた五人は驚いた。
「ある方って?」
「大聖木クリプトメリア様。植物界、いやこの世界で最も偉大なお方さ」
「何でオレたち人間を?」
「何でだと思う?来る?やめとく?まあ僕は一度君たちを裏切っているから強制はしないよ。ただ一つ言えるのは僕は君たちに来てほしい。人間界と植物界の為に」
彼の言った通り妖精は一度人間を裏切っている。さらにここに来たのはロージエだけ。ロッタやデルフィン、ガベリアといった妖精がいたのなら、それは多少信用にたるが。
「行こう。みんな」
梅屋は強い眼差しで皆に進言した。
「確かにな。このままじゃ寝れん日々が続く」
リンドウが梅屋に乗った。その後すぐにリリーも賛同し残る三人もそれに異議を唱えなかった。
「ロージエ、案内してくれ」
「そうこなくっちゃ」
ロージエは六人を要塞のそばへと導いた。彼は「見つかったら終わりだよー」などと笑いながら要塞付近を進んでいった。
…これは何色と形容するべきか。一見黒く禍々しいが、少し角度を変えれば黄色く見える。赤いと断言してしまっては嘘になるが、それは確かに赤かった。緑色と桃色の丁度中間といったその穴は、見る人によっては青いかもしれない。ただ、ところどころ白く光っていたり、透明だったりした。
「これが、アルプローラに通ずる空洞だよ」
ロージエが要塞の奥に佇む不気味な空洞を六人に説明した。
「じゃあ行くよ」
ロージエは空洞に潜った。
「…行こう」
梅屋が先陣を切った。その次に牡丹、リリー、ひまわり、ドラセナと続き、最後にリンドウが空洞に足を踏み込んだ。
アニメで見たタイムマシンや、それに似た異世界への移動とは異なりその間には『中間』の空間は存在しておらず、踏み込んだ足はすでに異世界の地面を踏んでいた。
各々が勇んで顔面を空洞に入れる。
「これが、植物界…」
輝く世界。色とりどりの花々が優しい匂いを薫らせて。穏やかな風は草木を揺らす。そして妖精達は幸せそうに歌い踊る。まさに植物界。最上に美しい世界。
六人はその光景に息を飲んだ。
「ここはアルプローラでも『聖園』と言われる区域で、普通の植物は立ち入ることさえもできない特別な場所だよ」
ロージエが道なき道を真っすぐ確かに目的地を目指しながら解説をした。
六人が通ると辺りの妖精たちは嫌な顔でこちらを見たり逃げたりした。
「まあ悪く思わないでくれよ。やっぱりみんな人間が憎いんだ。でも妖精は優しいよ。もし彼らが植物だったら君たちは一瞬で彼らにぶち殺しにくるだろうからね」
人間の生活が植物界を脅かしている。聞いてはいたが妖精たちの反応を見るにやはりそれは真実だったのだと改めて悟った。
「さあ、ここから不敬は禁物だよ」
ロージエのその言葉は今までのお茶らけたものとは違った。各人は息を飲み、先頭を歩いていた牡丹がロージエに続き茂みの中へと潜って行く。
茂みを掻き分けしばらく奥に進んでいくと突然視界が開けた。そこには彼らの中にある『植物』という概念を全て覆すほどに荘厳なるオーラを纏った偉大な超大木が鎮座していた。
「来たか…人間たちよ…」
樹齢何年だろうか。いやそんな単位では計りきれなさそうだ。その外周は成人男性何人でやっと囲えるだろうか。そもそもこれは物理的な問題ではない。この超大木が醸し出す威厳、歴史の重み、温もり、直視さえも禁忌なのではなかろうか。六人は重たくのしかかる大聖木の迫力に自然と跪いた。
しかしなぜこんなにも後ろめたい。それはこの大木がお世辞にも美しいとは言えないからか。戴冠した葉は腐りはて幹の表皮は黒ずんでいる。
Ⅱ 9月3日
朝。いつものように生徒たちが続々と登校してくる。しかし正門にのそれはいつも通りではなさそうだ。
「すげーな。梅屋。有名人だ」
「これはヒーロー出勤か」
「あいつも人の子だな」
正門の前に集まったマスコミ連中、野次馬連中を二年B組の面々は窓から眺め各々にそれを形容した。
彼らは自分たちの担任がその群衆の真ん中をモーゼのように割って歩いてくるのを待った。しかし梅屋はいつまでたってもその姿を現さなかった。
過去に梅屋の欠勤は記憶にない。マメで知られる梅屋だが欠勤及び遅刻の連絡も来ていない。さらにこちらからの連絡は全て圏外という始末。
梅屋の身に何かが起きた。彼の正体を知った者達の想像は悪い方へと捗った。
「ヒーローは身を隠すのが常だからな。もうあいつは現れないだろう」
「あるいは消されたか…」
この街でその行方を案じられているのは梅屋芍薬だけではない。『Florist Lindbergh』では定時になっても店に姿を見せないリンドウアヤメの業務を大怪我から復帰した病み上がりの芝浦藤乃が文句一つ言わずにこなしていた。やす子はその姿を見てまた勝手に何かを妄想した。
遂に逃げ出した。男と駆け落ちした。阿久津農園の三バカはひまわりの行方についてどんどんでっちあげた。阿久津はそれを完全に無視し農作業を続けた。
鞘師山の猿たちは例によって帰って来ないドラセナを案じた。また多くの猿達は先日ドラセナが突如緑色に光り、三体の植物体を撃破した瞬間を目撃した。ドラセナはいったい誰の味方なのか。そして我々はどちらの味方に付くべきなのか。
牡丹の正体を知ったファン達は今日もそれぞれの生活を生き抜いていた。彼女のイベントを除く時間は全て身を粉にして銭を稼ぐ。そして得た金は全て彼女に尽くす。彼らは日々泥水を啜りながらも、惚れた女性の為にあらゆる罵倒に耐えて生きている。
彼らは牡丹のプライベートなど知らない。もちろん知りたいという欲もあった。しかしそれに抵触してしまえば自分はもはやファンでなくなってしまう。そのラインを弁えている者こそが牡丹に認められたファンとなり、延いては牡丹の正体に気付き得た者達であると言える。
彼らは今彼女がこの世界に存在していないことに気付いているのか。ライン作業に勤しむとあるファンはこの日珍しくミスを量産した。それとこれとに因果関係があるかはわからないが、それは実際に起こった出来事である。
リリーが失踪した。しかし現在軍に彼女を捜索する人員の余裕はない。軍は今日も植物の脅威と戦っている。多くの仲間を目の前で失った彼女を攻める者は誰一人いない。隊員らは彼女が無事に帰ってくることをトリガーを握りながら願った。
世界は今も彼らなしで動いている。依然何の問題もなく。
時を同じくして夏焼は吸い殻でいっぱいになったコーヒーの空き缶にまたひとつそれをねじ込んだ。薬師は一体どこに姿を晦ましたのか。そして奴は何を企んでいるのか。
薬師宅捜索後、夏焼は恥を捨てて浅海と頻繁に情報を交換し合った。口には出さぬが夏焼はすでに浅海を信頼出来得る情報源として認めていた。
浅海は必ず薬師が部下達に何かしらの復讐を仕掛けるはずであると考察していた。
問題はその方法であるが、薬師の部屋に残された殴り書きのメモ、あるいは彼のコンピューターを解析するにそれは身の毛もよだつほどに恐ろしいもので、もしそれを薬師が成し遂げたのであればそれは植物界と同等以上の脅威に成り得る。
夏焼と浅海は各地に隠された廃棄物集合物体生産現場を張り込んだがその姿は現れず。しかし止まる事を苦手とする二人は足を動かし続けた。
その時二人はそれぞれの調査先で最も恐れていた速報を聞く。
「みんなの御前に在らせられる御方が大聖木クリプトメリア様だよ。植物界で一番偉大なるお方さ」
各人は説明されずとも生物としてその偉大さには頭を垂れざるを得なかった。
「楽にしなさい」
大聖木の声だ。なんと心地よいのだろうか。心臓の表皮に染み渡り血液をサラサラにしてくれる。胃腸の内部は浄化され中の遺物は消え失せる。できることならばいつまでもそばで聞いていたい。
「ロージエ、大儀じゃった。…選ばれし人間達よ。見ての通り私はもう長くは生きられん。少しばかり、年寄の話を聞いてくれるか」
六人は言葉なしに頷いた。
「…まだ若木だった私がアルプローラの大聖木になったのはだいたい十七億年前のことじゃ。あの時は…これではただの昔話じゃな…。単刀直入に言おう。君たちの住む人間界は、元々我々の世界じゃった。何千年前位じゃったかのお…君たちの祖先がやって来たのは…。我々と君たちの祖先はうまくやっていたんじゃ…。はじめのうちは…な…。互いに援助し合い…我々は共存していた…。しかし…人類は驚異的な速度で進化していった…。人類は…何故か急に裸体に羞恥を抱くようになり…衣類を纏い出した…。今となっては…君たちは…生まれたままの姿では…夏も冬も越せず…前者では蕩け…後者では凍え死ぬ惨めな体を手に入れた…。しかし…それと…引き換えに…君たちは…圧倒的な想像力と…、創造力を得た…。その頭で何を…考えたのか…、人類は…君たちの祖先は…大地を汚し始めた。それは…大戦争の幕開けとなる…はずだった…、が…私の指導により…、我々アルプローラの植物は…人類に屈し…た。…彼らを地上最高の生物と崇め…全てに…従った…。ある時…その…支配に耐えきれなくなった…植物達が…私のところへ…懇願しにきた…。…見かねた私は…世界の裏側を…創造した…。そして…植物達は…、そこへ逃げ込んだ…。それがこの…植物界だ…。…このアルプローラの裏側には…、君たちで言うところの『トーキョー』が…確かに存在している…。…アルプローラと東京は…、表裏一体なのじゃ…。」
クリプトメリアによって語られた真実が六人に衝撃と動揺を与えた。
『物体が一斉に活動を停止させました』
謎の物体が一斉に活動を弱めた。その報は各方面に至急言い渡された。
僥倖。今ならば鞘師ダムを落とせる。カーネーションはすぐに要塞前での戦闘を指揮していたアルストロメリアに鞘師ダムへの派遣を言い渡した。
謎の物体による要塞への執拗な攻撃により多くの兵を鞘師ダムへ割けなかった植物が、この好機についに大地奪還のためダムに巨大な戦力を投下した。
しかし。その進軍に腰を折るように一体の植物体がカーネーションに進言する。
「総帥、この進軍私に指揮を執らせててください」
「ダリア。何故ここにいる」
「この任務、一団隊長の私が指揮を執るべきかと」
「ダリア、お前はまだ手負いだ。お前には任せられない。それにお前はもう隊長ではない」
「いいえ。本来ならば私の役目。私はすでに万全であります。私が行くべきです」
「アルストロ。お前が行け。この機を逃すわけにはいかん。ダリア、ここまでの失言は目を瞑るが、この先は軍法会議ものだぞ」
「お言葉ですが総帥。私は貴方様が総帥の座に就く以前から栄誉ある花陽隊の一団隊を任されております。それがこの一大決戦にて指揮を獲らせて頂けないなど屈辱の極み。貴方様の決断は歴代の総帥殿、いやそれだけでなく、私の盾として死んでいった数々の同胞たちの亡骸を踏みにじる究極的に侮辱的な行為であると存じます」
「ダリア様。口を慎んでください」
「ダリア、お前を除隊とする。アルストロ。こいつを地下牢に幽閉後兵を連れてただちにダムへ迎え」
「何たる愚の骨頂。正気の沙汰ではない」
「お前は敗北者だダリア。お前は信用できない。行けアルストロ」
「お任せください」
アルストロメリアが一礼し退出後、ダリアを連れて地下牢への階段を下った。
「アルストロ。私に行かせろ」
「私に決定権はありません。総帥にもう一度土下座でもしてきたらいかがですか」
「お前は震えているだろう。自分が指揮を執り種族の命運が懸かる機を逃してしまったらどうしようかと」
「あなたの脅しも戯言も私には何も響きませんよ。さあ少しの辛抱です。お入りください」
シュ!
「!」
ダリアは剣を抜き背後のアルストロメリアに振った。
「アルストロ。お前が私に勝てるのであればお前はすでに一団を任されていたはずだ」
「やめてください。ハラワタの裂けたあなたに何ができるんですか。ソーセージでも作りますか」
「それこそがお前が一団じゃない理由だアルストロ。総帥もわかっている。お前は全てにおいて私を下回っている。私は生死の狭間で気付いてしまった。総帥殿が何故私とダンデライオンをクーデターの先鋒に置いたのか。その真実が。総帥は自分が就任する以前から一団を任されていた私たちが邪魔だったのだ。前総帥のあるいはその前の総帥殿の意思を受け継いでいる私達が。総帥殿は二から四団の幹部らに自分の息のかかった兵を積極的に配置した。しかし一団に関してはその名声から市民の反対を恐れ自ら再配置を言い出せなかったのだ。だからあの時私達を先鋒においた。聖会側にあの二者が出てくると知ってな」
「結局勝てなかったあなたでしょう。いいかげんな妄想。そういう病気あるらし
アルストロメリアは自身を囲むダリアの部下たちを確認し、鞘に収まる柄を持つ手を上にあげた。
「悪いなアルストロ。賢い判断に感謝する。私はこの戦いで汚名を返上しカーネーションの座を奪う。その時はお前を引き続き幹部にしてやろう」
ダリアの部下らはアルストロメリアを縛り上げ地下牢に監禁した。ダリア率いる一団の精鋭達は剣を取り花陽隊を引き連れダムへと向かった。
「薬師が動いた…」
夏焼は物体停止の報を研究所前に張り込んでいてた車内の無線で、少し遅れてラジオで周知した。
薬師はもうすぐここに現れる。復讐の為に。しかし自分達にそれが止められるだろうか。謎の物体と植物の前に腰に下げたピストルをホルスターから出すことさえできなかった。暴徒植物の前には何人もの警官が殉職した。
そんな自分達が『人工知能Hypoと同化した薬師』を止められるだろうか。
薬師宅に残された自身とHypoを融合同化させるというメモやデータの痕跡。筆跡は意外にも汚くなくそれを読むのは簡単だった。しかし信頼のおける科学班でもその理解は敵わなかった。それどころかそれが可能か不可能なのかも判断でき得なかった。
しかし物体が停止したという今、薬師がそれを成し遂げたということなのか。
やつはやってくる。必ず。どんな姿でやってくるのか。それは人の体を成しているのか。
ダリア率いる花陽隊は鞘師ダムへと地下脈を進んだ。ダリアの側近以外はダリアが軍規律を違反違反してその先頭に立っているとは知る由もない。
ダリア一行が長い道のりを辿り、遂にダム前線へと辿り着く。物体は報告通りその場に停止し余りにも邪魔なオブジェクトと化している。
ダムに基地を敷いていた日米合同軍は多勢の植物軍の進軍に驚愕した。いったいどこから現れた。この辺りに抜け道がなかったことは調査済みではなかったのか。軍人たちは大急ぎで武器を取った。
ダリアは不敵に笑った。
「さあ!猿共に文明の重みを叩き付けてやれ!」
人類と植物最大の戦いの火蓋がここに落とされた。
三十八分。あらゆる科学兵器を要した日米合同軍がダリア登壇から耐え得た時間である。奇襲。軍備不足。物体の沈黙。あらゆる条件が整っていなかったというのもあるが、一番の要因は覇気を纏ったダリアの強さであった。
たったの三十八分しか耐えれなかった。しかしこの三十八分は後に『最も偉大な三十八分間』として語り継がれることとなる。
沈黙した人間を越え、ダリア一行は遂にダムの水に花粉の混入を始めた。
「この壁を壊せば全ては緑に還る…。さすれば私の天下」
ダリアが高らかに笑う。が、その笑みはすぐに解ける。
「待ちやがれバカ野郎!」
「…?」
背後に強い戦いの意思を感じたダリアがゆっくりと後方を振り返る。そこには総勢五十余名の老若男女様々な人間と数十匹の猿がこちらに向かって立っていた。
「…何だお前らは丸腰で。気でも狂ってるのか?」
「…みんな!行くぞ!」
「「「「「おーーー!」」」」」
高らかに勝鬨を上げた人間ら。話に聞いていた妖精共に導かれた人間ではなさそうだ。ただの生身の人間と猿。
芽実高校二年B組生徒三十五名。芝浦藤乃率いる『Lindbergh』の従業員全六名。阿久津社長を筆頭とした阿久津農園の農夫達四名。鞘師山の若猿達三十五匹。桜田牡丹のファン精鋭二十三名。米軍金南清掃工場作戦の生存者三名。ダリアが知る由もないただの人間と猿である。
彼らはどのようにしてここに辿り着いたのか。それは誰にもわからない。よくわからない現象を人は奇跡と言って片づける。一つ言えるのは、日米合同軍が稼いだ黄金の三十八分間が彼らをここに辿り着かせたということ。
「梅屋のバカがどこほっつき歩いてんのか知らねえが、俺達がこいつらを食い止めるんだ!」
「当たり前だ!仕切んなバカ!」
「藤乃ちゃん!これって何なの!」
「やす子さん。何かここに突き刺さるでしょ。ここにさ」
「阿久さん!血が上って死んじまいますよ!」
「死んでたまるか!こんなやつらに二度もやられん!」
「ウキウッキ」
「ウキキ」
「ウッキーーー!」
「俺達が牡丹ちゃんの為にできること」
「これは恩返し。自殺じゃない…」
「みんな足が震えてるぞ!」
「お前もじゃないか!」
「リリー。お前にはまだこんなにも頼りになる仲間がたくさんいる。どれだけ時間をかけてもいい。待ってるぞ」
「ハッハッハ!面白い!殺すのがもったいない程愉快だ!うむ。実に愉快だ!…そうだ全員生け捕りにしてアルプローラで見世物小屋を開こう!どうです隊長?これで退役後も安泰d
バシュ!
ダリアが人間を嘲笑う一隊員を殴る。
「口を慎めポピー。節操がないぞ」
「…取り乱しました。申し訳ありませんでした」
「騎士道のない奴はここで首を落とせ。誠心誠意。それが花陽隊の戦士だ!」
「お前らだけでぶつぶつぶつぶつうるせーんだよ!」
「みんな!行くぞ!!」
「「「「「おおおおおお!!!!!」」」」」」
人類と植物の最大の決戦、第二ラウンドが始まる。
時代は動く。表も裏も。激しい音を立てて。
「東京が植物界だったなんてそんなことは聞いたこともありませんが…」
「君たちは…『歴史』を…信じるかね…。…他人を…信じ切れるかね…。…君たちが…あちらで言い伝えられた…『歴史』が…すべて…作り話だと…したら…」
「隠蔽」
「君たちにとって…、さきほどの私の話が…真実とも…限らないではないか…?…しかし…先ほど話した話は…、私が…実際に体験した…、…『私にとって真実の歴史』…だ…」
「…」
「君たちは…何を…信じるか…。誰の言い伝えを…信じるか…。…そんな…ちっぽけなことに…捕らわれては…いけな…い。目で…見た事…こそ…真実なの…だ…。君たちに…とっての…歴史なの…だ…。…歴史は…創造で…きる…。君たちに…重要なの…は…、誰が…どう…生きてきた…か…では…ない…。…これ…から…君が…どう…生きる…か…だ」
「これから…」
「人間達よ……。君た…ちに…、私の…力を…授ける…。世界を…変えて…み…よ…」
その瞬間、クリプトメリアの身体が黄金に光った。
僅かに残っていた大聖木の葉が黒く腐りはじめる。幹という幹は萎れ、生命の鼓動、潮流が止んでいく。やがて大聖木を纏っていた黄金の光は、その表皮から離れ、六人の人間の中に入っていった。
心臓が燃えるように熱く。氷のように冷静だ。血流は新幹線のように体中を巡り、渡し船のようにゆっくり流れる。母親のように優しく、父親のように厳しい。喜怒哀楽、神羅万象がひとつになったその感情は、彼らを宇宙の果てまで連れていき、釘を刺したようにその場に留めた。
「大聖木様…何故…」
ファレノプシスは自らが命を捧げて忠誠を誓った大聖木が、その力を憎き人間に授け与えた理由を探した。しかしそれは一切見つからない。萎れた巨木からは何も聞こえない。
終わった。大聖木クリプトメリアという偉大なる生命が。その場に居合わせた数千、数万、数億、数兆という色とりどりの妖精達がその場に跪き、感謝と労いの礼を示した。
「ふ…」
ダリアが肩で息をつく。
辺りには瀕死の人間達が散らばる。彼らの額から滴る血液が、瞳から流れる涙が、ダムの端を固めたアスファルトを濡らした。
もしも裏の世界があるのならば、そこは今頃彼らの血液と涙粒によって雨が降りはじめているだろう。
「…待てよ」
有田がダリアの足を掴む。
「…お前たちを殺す気はない。お前たちは戦士ではないからな。私の騎士道に反する。それでもなお今死にたいのなら」
「フフフ」
有田が不気味な笑みを浮かべる。
「…人類の滅亡がそんなに可笑しいか?」
「可笑しいね。来ちまったからな」
「あ?」
「来たね」
「ああ来た」
「遅ーよ」
「来た来た」
「ウキ」
ダリアは一斉に笑い出す瀕死の人間達に恐怖した。死の淵で気が狂ってしまった。いやそんなことではない。こいつらは自身に溢れている。登場からこの瞬間まで。こいつらはただの市民にも関わらず。一貫して…。
人間の顔が徐々に黄金に灯っていく。夕日か。いや違う。これは黄金だ。生命の黄金。そして輝いているのはこいつらの顔ではない。背後だ。私の背後から発せられる強烈な黄金の光によって照らされているんだ。
ダリアは恐る恐る振り返った。生命の灯のように燃える夕日の中に明らかに異様な黄金の光が見える。
感じる。恐れ多い。偉大。荘厳。直視できない。生命として圧倒的に格上。人間じゃない。人間なのか。覇気。あの中にいる。あの光の中に。驚異的な強者が!
「何だ貴様らはー!」
「…俺たちは…ヒーローだ!!」
妖精の力。護るべきもの為に呼び覚ました力。そして大聖木クリプトメリアの黄金の力。三つの力を心に灯らせた黄金のヒーローがここに推参した。
「そうか。妖精に導かれた人間達か。いいだろう。貴様らの首は多少価値がある。カーネーションへの手土産だ」
ダリアの合図で花陽隊は彼らに襲い掛かった。人類と植物、第三ラウンドのゴングが鳴る。
黄金の力。それは理想を現実にする力。戦える。あの時圧倒された植物戦士に。
俊敏。強烈。鉄壁。その強さはもはや人間と形容する方が難しい。これがヒーロー。やってきたのだ。本当に。
リリーの弾丸が。ひまわりのビームが。牡丹のキックが。ドラセナのパワーが。リンドウのサーベルがそれぞれの護るべきものの為に輝いた。花陽隊の精鋭たちが沈んでいく。自身の信頼を置く最強の側近たちも苦戦している。大変認めがたい光景。
ダリアは目が合った。一人剣を抜かぬ黄金の中に燃ゆる赤い鼓動を灯した男と。二者は戦火の中をこつこつと互いに歩み、対峙した。ダリアは梅屋に剣先を向け、問うた。
「…何が起きている」
「クリプトメリア様に会った」
「なんだと!?」
何という事だ。大聖木様の御姿など私でも見たことがない!それどころか私は聖園に足を踏み入れたことすらない!何故人間如きが!何故です大聖木様!何で私にこんな仕打ちを下すのですか!この身を全て捧げてきた私を!…カーネーション!まさかカーネーション!小癪な!こうなることがわかっていたというのか!カーネーション!そして!つまり!今!眼前に在らせられるのは!
「その黄金は大聖木様の御力ということか」
「はい」
「…そうでしたか。これまでのご無礼をお許しください。大聖木様」
ダリアは剣を鞘にしまい梅屋の前に跪き頭を垂れた。
「!!」
ダリアは、その場で自らの首を落とした。
「ダリア様…」
数体の花陽隊の動きが止まった。状況が理解し得たのか、ダリアに続いた者も何名かいた。
それから人類による花陽隊の鎮圧にはさほどの時間を要さなかった。二度の絶望的状況から人類は奇跡的な勝利を挙げた。
ヒーロー達は光をほどき、自分を信じて待ってくれた護るべきもののところへと歩み寄った。
黄金の力。それは世界を変える力。護るべきものの笑顔を変えぬ力。
「アルストロ隊長」
「カトレア…」
カトレアがアルストロメリアに巻かれた縄を解いた。
「すまない。カトレア」
「いえ」
「ダリア様は」
「…敗れました」
「そうか」
「・・・邪魔者が消えましたね」
「…何が言いたい。カトレア」
「ダリア隊長がいなくなった今、アルストロ隊長が次期総帥に最も近づいたということですよ」
「…私がわざと捕まったと?」
「いえ、ただその方が、次期騎士隊隊長候補の私にとっても都合がいい…というだけです」
「カトレア、我々の使命はまず種族の存亡だ。そのような」
アルストロメリアは急に込み上げてきた咳込みに屈し、言葉の全てを紡げなかった。カトレアは察し、ご無礼をお許しくださいと頭を下げアルストロメリアの前から去った。
カトレアの姿が見えなくなった頃合いを見て、アルストロメリアは咳き込みを抑えた掌にふと目をやった。そこには鮮やかな血痕がべたりと付着していた。
ついに来たか、とアルストロメリアは天を仰いだ。