最終章

 Ⅰ 12月27日②

 

 早朝、普段は世話しない東京湾岸の市場は究極的に静まり返っている。

 生気のない港、人類の記憶と植物の意地を掛ける戦士達が集結する。

「お前も行くのか?」

「浅海遥!お供します!」

「止めはしない。勝手にしろ」

「勝手にします!私には植物とヒーローの皆さんが薬師から世界を救ったという事実を世界に遺す使命がありますんで!」 

「すばらしい!あなたも我々と同じく使命を持った使者なのだな!」

「その通りです!カランコエさん!」

「うむ!」

 浅海は空を見上げた。冷たい雪が顔に当たる。薬師。頭を覗いてるか。逃げるなよ。バーカ。

「現場での指揮はラナンとリリーエーデルワイスに託する。大聖木様の御霊とともに、アルプローラの誇りを見せつけてやれ」

 カランコエラナンキュラスカーネーションに深く礼をし、昨晩リリーとカランコエが調達してきた軍用の水陸両用車に乗り込んだ。

 ひまわりと浅海もそれに続いて勇む。誰の顔にも迷いや恐怖は見られない。

 全員の乗車を確認し最後にリリーが運転席に乗り込もうとしたその時、彼女の腕を牡丹が引っ張る。

「リリさん…。ひまちゃんをよろしくね」

 リリーは牡丹の今にも泣きだしそうな眼にそっと頷き、彼女の額にキスをした。

 両用車の扉をバタンと閉め、エンジンを掛ける。唸るアクセルとともに、水陸両用車は凍てつく海へと飛び込んだ。

「みんな…」

「祈るのは後でだ。こちらはこちらでやることをやるぞ」

 カーネーションは牡丹を引き連れて両用車が揺れる海を背にした。

 

 

 レーダーに従って本来は無人島であるはずの小鳥島へ向かう。小鳥島に近づくにつれ車内の温度は徐々に下がっていく。

 前方の視界はほぼない。フロントガラスに付着した海水は瞬時に凍り付き、カランコエが時折それを火炎で溶かしながら大洋を進む。

 車内前方ではリリーと浅海が何やら話しているが、後部座席のひまわりからは車がガリガリと氷を砕いて進む音しか耳に入らず、彼女は何も見えぬ窓から、何を見るでなく、何かを見ていた。

 出発から数時間。遂にレーダーが小鳥島の接近を知らせる。直後、車は前進をやめた。

 リリーが上部ハッチの氷をカランコエに溶かすよう依頼する。カランコエはそれを朝飯前に溶かし、リリーが外に顔を出す。

 両用車が進まぬわけである。リリーは目の前に広がる北極圏のような氷の大地に息を飲んだ。これが本当に伊豆諸島なのか。本来常夏であるはずの南国諸島は三百六十度白銀の『常冬島』に変わってしまっているではないか。

 リリーはラナンキュラスを車上にあげ、現状を見せた。

 どこからが島でどこからが氷か見分けがつかない。リリーは再び運転席に戻り車体を氷面に乗り上がらせ進んだ。

 約一時間氷上を進んだ後、ハッチから上体を出していたラナンキュラスがリリーに前進を止めさせる。

 ラナンキュラスは再びリリーを上にあげ、今度は彼がその光景を彼女に見せる。

「Oh...」

 リリーから漏れた息は瞬時に白く凍てついた。彼らの目の前に広がっていたのは、何百体という植物戦士達の屍が、雪原に刺された無数の十字架に磔にされ晒されている光景だった。

「ココカラ歩クデ」

 リリーが両用車のエンジンを切り、車外に出る。それに続き皆がそれぞれの装備を整え氷の大地に立った。

 ラナンキュラスは磔にされた同胞を眼にしたカランコエの体温が急激に上がっていくのを感じた

「気を確かに持て。カランコエ。敵の挑発だ」

「見くびるな。心配は無用だ」

 強く語ったカランコエは屍となった同胞一体一体に語り掛けるよう、それらと対話しながら氷上を進んだ。

 浅海は残虐な光景に珍しく足が竦んだ。しかし、それを目の当たりにしても、四人の戦士達はこの雪原を何の躊躇もなく進んでいく。

 彼らはまだ知らないんだ。薬師の恐ろしさを。

 もちろんHypoの物体と対峙してきた彼らはその脅威については身をもって知っているはずだ。しかし彼らは薬師本体とは対峙したことがない。

 冷酷や残虐とは違う。自らの利益のみを勘定に入れ動いている。殺人者なんかではない。わがままを貫く子供のような、話の出来るような相手ではない。

 きっと何かを仕掛けてくる。自分達の接近にもすでに気付いているはずだ。

 最初は好奇心とか興味とか、そういう類いの調査だった。しかし調べるにつれ、これがかなりの大事なんだと悟っていった。でももう引き下がれなかった。そしてついに目の前で人が殺された。

 浅海の心拍数が徐々に上がっていく。彼女の脳裏に、頭蓋を爆散された添田の顔が浮かぶ。

「マダ引キ返エセルヨ」

 リリーがもうすでに雪を被った車を指さし、青醒める浅海の顔を見て優しく告げる。

「絶対に逃げません!舐めないでください!」

「ソノ意気ヤデ」

 浅海が顔をあげる。葉を降ろした樹木は氷の膜を纏っている。新宿駅と同じくらいの面積の小さな島。島民はいない無人島。そこにあるはずのない不気味な黒い建物が一戸、雪原の高台に佇んでいるのが幽かに見える。

「準備ハエエカ」

 リリーが浅海に高そうな布袋に包まれた何かを手渡す。

「?」

 浅海が袋の中のものを取り出す。

「あ」

 中には彼女が初めて妖精とヒーローを目撃した時、何者かに奪われた一眼レフが入っていた。

「返シトクデ」

 片言の澄み渡る声色。仄かなシトラスの香り。そして突き付けられた冷たい銃口。彼女の中でまさに点と点が線になる。あの時の女性はリリーエーデルワイスだったのだ。

 彼女は手に持っていたカメラをリュックにしまい、リリーから受け取ったそれを首からぶら下げた。レンズカバーを開き、ファインダーを覗くとそこには凛々しいリリーの背中が見えた。

 

 

 先頭のひまわりの足が止まり何かを察する。ラナンキュラスも続いてそれを察した。

「雪崩れだ!」

 島上部から白い波のような巨大な雪崩が氷の草木を薙ぎ倒しながら音を立てて下ってくる。

「私の後ろに回れ!」

 カランコエが唸りをあげ、大寒波からカーネーションを救ったときのように、迫りくる雪崩れに火炎で真向に挑む。 

「!!!!!!」

 その時、カランコエの視界に磔にされた同胞達が目に入る。

カランコエ!」

 ラナンキュラスが名を叫ぶ。しかしカランコエはあろうことか発炎を休止する。

 迫りくる雪崩れにひまわりがビームを捻出するも、もはや間に合わない。

「ヒマワリ!」

 リリーもひまわりの名を叫ぶ。しかしそれは雪崩れによってかき消されてしまう。リリーは咄嗟に傍の浅海を庇った。

ドドドドドドドドドドドドドドドド・・・・!!

 雪崩は辺りに磔にされた戦士達を押し流しながら五人を襲い、彼らを分断した。

「!!」

 リリーは雪崩の中で浅海の腕が手から離れていくのを感じた。

 

 

 リリーは無垢な世界で気を戻した。天地の解せぬ世界で自身にのしかかった雪を掻き分け上を目指した。

 何とか彼女は雪面から手を出す。身動きは取れない。彼女は次第に身体の先から感覚がなくなっていくのを感じた。早く出なければ。頭の何処かで死を覚悟したその時、先ほどすり抜けた温もりが彼女の手を掴んだ。

 誰かが必死に辺りの雪を掘り散らかす音が幽かに聞こえる。浅海か。ひまわりか。彼女の視界の白が段々に温かさに染まっていく。リリーは安堵した。

 

 

 自分に圧しかかる雪が自身の体温により溶けていく。

 ひまわりはやがてスポリと雪面から頭を出し、辺りを見回した。

「…」

 カランコエがそこらを掘り散らかしているのが見える。

 ひまわりも自力で這い上がろうとするも、どうも掌を置いたところの雪が溶けてしまいうまく上がれない。

「お」

 カランコエがひまわりに気付き、すぐに彼女の手を取り引き上げる。

「ありがとうございます」

「礼はいらない」

「みんな大丈夫かな」

「どうだろうな。とりあえず私達は任務を全うしよう」

「うん。わかってるよ」

 そう言うとひまわりは黒い建物へと飄々と歩き出した。カランコエは勇ましい彼女の行動に一目の信頼に置いた。

 

「…サンダーソニアは、どんな最期を迎えた?」

 しばらく二人で歩いたのち、カランコエがひまわりに問うた。

「…うーん。忘れちゃった」

「そうか。私はな。もし出会う時代、出会う状況が違ければ、私とサンダーソニアは良き友人になれたと思っているんだ」

「そうなの?」

「彼と初めて会ったとき、君もいたな。あの時、私たちは君が帰った後も丸二日近くくだらない問答をし続けた。お互い意地っ張りというのかなんなのか。なによりあの時間は楽しかった。それに、私ならばきっと彼の最強ゆえの退屈を忘れさせれた」

「でもきっとソニアさんの方が強いよ」

「…違いないな。そのサンダーソニアという魅力的な植物が愛した君という人間はさぞ、魅力的な女性なんだと心から思う」

「どもありがとござます」

「…もう聞いたか?君のn

 

「さすがしぶといですね。本当に」

 

「!」

 声は聞こえる。しかし姿は見えない。

「しかしながら、数時間後にはアナタ方が凶悪テロリスト。今のうち逃亡先でも考えておいた方がいいのでは?あ、植物のカランコエ君は放っといても勝手に死んじゃうんでしたね笑」

 感動を覚えるほどに胸糞の悪い声明が次々と紡がれる。この声の主、紛れもなくクラステル。

「残念ながら薬師博士はもうこの島にはいませんよ。あなた達はこの何もない島にまんまと誘き寄せられたんです」

 コロコロコロン。

「…」

 カランコエの足元にペチュニアの首が転がってきた。カランコエはそれを優しく抱え、雪をかぶせた。

「薬師博士はすでに東京にいます。彼はあちらに残っているカーネーションと女をただちに抹殺するでしょう…もうし終わったかな?」

 ひまわりとカランコエは静かにその声を聴いた。感覚を研ぎ澄まし、その声の元を探った。

「もうじきにトランスプラントが始まります。…そこで!ゲームをしましょう」

 ひまわりとカランコエが高台にその姿を捉えた。忘れもしない胸糞悪い紅いシルエット。カランコエとひまわりは拳に力を込めようとそれを握る。しかし、両者はクラステルの両脇に見えたあるものによりそれを取りやめる。

 

ラナンキュラス!」「リリさん!」

 

 クラステルの両脇にはリリーとラナンキュラスが磔にされ寒空に晒されていた。

「さて、君たちはどうしますか?この二人を見捨てて本島へと戻り、薬師博士らによるの施術を止めますか?それともこの二人を助けて、あなた方をテロリストと認識して目覚めた世界へと凱旋しますか?もちろん何もできずに全員死んでしまう可能性もあるんですが」

 ズザザザザ!!

 クラステルの合図により、数百体の模造兵が雪の下より姿を現し、彼らを取り囲んだ。 

「さて、あなた方と違って熱源を持たないこの二人は氷点下でいったい何分堪えれるのでしょうか?同胞には手を出さない…なんていつまで言ってられますかね?では健闘を祈りますよ」

 クラステルはラナンキュラスとリリーの服を剥ぎ取り、自身に纏った。模造兵たちはクラステルの気色の悪い笑い声をBGMにひまわり達に襲い掛かった。

 ひまわりが右手に太陽を纏う。彼女から放出される高エネルギーが、多くの模造兵を亡きものと化すも、一人の力ではての殲滅には間に合わない。

 一方カランコエはなもおも模造兵との戦いを躊躇した。

カランコエ戦え!その覚悟がないならば、菊江ひまわりと一緒に本島へ戻れ!俺たちは見捨てろ!本島に戻るんだ!」

 ラナンキュラスが必死に叫ぶ。しかし彼らこちらへの進行を辞めない。

「いつまで意地を張るんですか笑」

「オレは死んでも同胞には手は出さん!そしてクラステル!お前は死んでもオレが殺す!」

「困ったものです」 

 クラステルがまた彼らを煽る。何故ならそれが、彼らの頭を覗くときの最高のスパイスとなるからだ。

カランコエさん。クラステルを殺すのはあたしです。邪魔しないで下さいね」

 ひまわりは自身の攻撃をカランコエの援護には一切向けず、そう言捨てた。

 カランコエもどんなに体を痛みつけられようとも、何の工夫もない前進を辞めなかった。

 ひまわりの太陽の力がいかに強力であると言っても、彼女はやはり戦闘の素人である。疲弊した彼女に、模造兵たちはさらに攻勢を強めていった。

「菊江ひまわり!カランコエを連れて逃げるんだ!君だけでも!君だけでも生き残らなきゃならない!」

 その声はひまわりに届いているのか。高台からはひまわりの姿が見えなくなる。ラナンキュラスは最後の力を振り絞りひまわりに叫ぶ。

「菊江ひまわり!!生き残るんだ!君のお腹の中には…!

 

サンダーソニアとの子供が宿っている!」

 

「!」

ひまわりが立ち止まる。

「だから君は生き残らなくてはならないんだ!!人類と!植物の未来の為に!例えアルプローラが滅びても!その子だけは!その子は我々の意思を受け継ぐ子だ!だから生き残れ菊江ひまわり!」

「そっかあ…。だからかあ」

 

 バギバギバギバギイイイ!

 

「!?」

「な…!?あれは…!?」

 激しい雷鳴と閃光及びそれに伴う炎上。模造兵らは瞬時に燃えカスとなった。

 雪氷下の黒い大地は剥き出しとなり、その中心にひまわりが立っている。 

 

「護ってくれてたんだね。ソニアさん」

 

 辺りに焦げ臭い匂いが漂う。カランコエが彼女を見る。彼女の白かった右腕は黒く焼け焦げ、煙を上げている。

 カランコエの周りの模造兵も焼け死んでいる。しかし彼女はこちらを助太刀した訳じゃない。彼女はコントロールできてないんだ。サンダーソニアの強大な能力を。

 カランコエがひまわりの元へと駆け寄る。

「そ、その腕…」

「大丈夫。早く進も」

 カランコエがそれを気遣う。しかし彼女は気丈に振舞う。カランコエは彼女がそう何発と電撃を撃てぬことを悟る。

 しかしさらに迫りくる感情無き模造兵にひまわりはまたも己に電撃を貯める。

「やめろ!」

 カランコエがひまわりの腕を掴む。ひまわりがそれを振り解こうとするも、カランコエはそれを離さない。

「お腹の子諸共死んでしまうぞ!」

「大丈夫だよ。ソニアさんが護ってくれるから」

「いつまで死者の加護に頼っているんだ!」

「あなただっていつまでも死んだ仲間に固執してるじゃん」

「!!」

 カランコエは熱くなった自分を自戒した。

「…確かに君の言う通りだ」

 カランコエが朱色の軍服を脱ぎ捨てる。

「…ひまわり。君の使命を預からせてくれ。クラステルは私が必ず殺す。…だから君はその子を未来へ連れて行ってくれないか。その子を護れるのは君だけなんだ。私もその子の為に、考えを改める」

「…うん。わかった」

「さっさとアレを殺し、本島へ戻ろう」

 カランコエが拳に火炎を込める。そして。

「ウロアアアアアアアアアアアアア!」

 激しい咆哮。烈火の火炎。迫りくる模造兵、知る顔を持ったそれらの顔が焼かれていく。すまぬ同胞達よ。私は信念を曲げ、使命を全うする!

「あらら。同胞には手を出さ

「黙れ!!!!!!」

「!!」

 カランコエの覇気にクラステルが一歩退く。ひまわりの発電の瞬間も合わせればこれで二歩目である。

 カランコエの火炎はさらに燃え盛り、その熱は高台まで昇って来た。

 そして何よりも、カランコエとひまわりの良く手を阻む模造兵は順調に駆逐され、彼らも徐々にこちらに近づいてくる。

 

「どうした?逃げないのか?」

 

 ラナンキュラスがクラステルを煽る。

「逃げた方がいいんじゃないか?あいつらはお前を殺すまで追いかけてくるぞ?笑。殺すだけじゃすまないかもなあ」 

「なめた口を聴くな!」

 クラステルが感情を露わにラナンキュラスの身体を痛めつける。それを眼にしたカランコエらのスピードがさらに上がる。

 

 それは火の玉のように。燃え上がる魂の中でカランコエは死にゆく模造兵の顔を一体一体噛み締めた。

 もし涙が出ているならばそれはすでに蒸発している。あと数メートル。

 

 

「…………」

 ひまわりよりほんの少し早く、磔にされた二名の元にカランコエが辿り着いた。

 冷たい風が彼の熱を冷ます。カランコエはそれを直視できず来た道を振り返る。背後には黒ずみになった数百の模造兵が黒い大地を創っている。

 ひまわりもカランコエの元に辿り着く。ひまわりの顔が青褪める。ひまわりは太陽の掌でリリーの頬を触る。

「リリさん」

 リリーは白雪姫のように美しく眠っている。ひまわりが早く起きてとリリーを温める。カランコエはただ、ひまわりの肩に手を置く。

「ひまわり」

 リリーの頭頂部に積もった雪が天使の輪のように美しい。

「ひまわり」

 蒸発したはずの涙がひまわりの頬を伝う。

 カランコエはひまわりの肩から手を放し、ラナンキュラスの方へと歩む。

 カランコエラナンキュラスに巻かれた鎖を解き、痛めつけられた冷たい体を優しく地面に置いた。

 カランコエはまたひまわりに歩みよる。ひまわりはまだ、リリーの頬を撫でている。

「ひまわり…リリーエーデルワイスはもう…

 

「その顔だよ!その顔!絶望に打ちひしがれるその顔!それが君たちの頭の中で最高の調味料になるんだ!君たちの頭さえあれば!永遠のこの人生も退屈しない!ありがとう!」 

 

 もうそれを睨むこともできない。何でこんなことになるのだろうか。何でこんなことを平気でできるのだろうか。ひまわりはリリーの身体に泣きつくように跪いた。

 サンダーソニアを失ったとき、もうこれ以上の悲しみはないと思っていた。もう何が起きてもこの感情は揺れ動かないと思っていた。

 どうしてカランコエさんは平気な顔をしてるの。自分よりもっともっと沢山の仲間を失って来たはずなのに。何ですぐに敵を睨めるの。

 正直クラステルなんて今のあたしなら瞬殺できる。けどそれでいいのかな。きっとクラステルを殺してもあたしの気持ちは晴れない。でも殺したいよ。何百回も何億回もぶっ殺してやりたいよ。それでもあたしの心の闇はどうせ晴れない。あたしはきっと永遠に悲しいんだ。

 クラステルが死んだら、あたしと同じでどこかにそれを悲しむ人がいるのかな。

 カランコエが拳を握り熱をこめる。クラステルは余裕そうにそれを笑っている。

 あたしかカランコエさんが復讐の為にクラステルを殺す。そしたらクラステルの友達があたし達を殺す。そしてあたし達の復讐の為にまた誰かが。こんなんじゃ世界がぜーんぶ悲しいところになっちゃうよ。

 カランコエが怒りに白目を剥き雄叫びを上げている。

 あたしが死んだら。雛ちゃんとか悲しませるわけにはいかないよ。誰かが止めなきゃいけないよね。この復讐の連鎖をさ。誰かがさ。ああ。あたしこんな難しい言葉知ってたっけ。

 ひまわりが立ち上がり、強張ったカランコエの腕を優しく下げる。

「!」

 ひまわりがクラステルの目を見る。クラステルの心拍が一回、大きく脈を打つ。

 ひまわりはゆっくり、一歩ずつクラステルの方へと歩む。クラステルは究極的に優しい瞳をこちらに向けるひまわりの異質な雰囲気に、また思わず一歩退く。

「仲直りしよ」

 ひまわりがクラステルに問いかける。殺意は全く感じられない。

 彼の人生でこんなにも優しい瞳をかけられたことは記憶にない。だからこそ、クラステルにとってそれはかなりの恐怖であった。

 クラステルがひまわりにピストルの銃口を向ける。ピストルにはサンダーソニアを醜い姿に変えた注射が装填してある。

 しかしひまわりはそれに全く怯える様子なく、両腕を広げクラステルに歩み寄る。

「う撃つぞ!」

「うん。撃ちなよ。いいんだよ」

 クラステルの震えた銃口がひまわりの胸に当たる。

「ほら。大丈夫だよ。仲良くできるよ」

 ひまわりはクラステルを厚く抱擁した。何て温かいのだろうか。何て心地が良いのだろうか。これを独り占めしていたサンダーソニアが憎いほどに羨ましい。

 ピストルを握るクラステルの腕はすでに下を向いている。これまで他人の悲劇から快楽を得てきた。その顔が歪めば歪むほど我が欲求は満たされ絶頂を覚えてきた。

 しかしこの温もりに比べればそのどれもがこれに及ばない。魂の昇天を感じる。

 カランコエはクラステルを抱擁するひまわりの姿を見つめ深く考えた。この暖かさは何だ。大聖木様のそれに似通ってはいるがかなり異なる。

 人類は我々の敵。その殲滅こそ我が使命。しかし、私にこの女は殺せない。殺してはいけない。 

 アルプローラ市民を敵から護るために奪ってきた四十六万飛んで二十三の命。逆に失った仲間の数六百五十五人。私にのしかかるそれらの念が温もりと共に解放されていく。

 間違いない。ひまわりとその子供は、この表裏世界を一つにする力を持っている。

 カランコエがひまわりの温もりから崩れゆく世界に掛かる一筋の希望の光を見出したその時。

 

「何道草を食ってる。クラステル・アマリリス

 

 

 

 

 

 

 

 世界は、時と太陽を失った。

 

 

 

 

 

 

 クラステルを抱擁していたひまわりの身体は、クラステルを拒絶するように背後に倒れた。

 彼女の左胸は紅に染まっている。

 何が起きたのか、銃口から細い白煙をあげる拳銃を持った薬師を見ればそれは理解に容易かった。

 

「ひまわり!!!」

 

 カランコエは薬師の殺害よりもまずひまわりの救護を優先した。

「ひまわり!!!」

「…やり返しちゃだめだよ…カランコエさん…」

 ひまわりはカランコエの腕の中で力強く彼に言った。彼女の胸部からは呼吸をする度に血液が滲み出ている。

「彼を許してあげて…。お願いだよ…。誰かが止めなきゃダメ…。あなたは強いから…」

「ひまわり!もう喋るな!今傷口を塞ぐ!」

 カランコエが右手に熱を込め、ひまわりの傷口を焼く。ひまわりは顔こそ顰めたが、決して騒がずにそれに堪える。

「お前はまだ死なない!世界に君の太陽を照らすんだ!君だけは必ず

「しつこいぞ」

 

 ドギュンドギュンドギュン

 

「!?」

 ガベリアがその名を叫ぶ。しかしそれは新たに撃ち込まれた三発の銃声によってかき消された。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」

 

 カランコエが声にならぬ叫びととに瞬時に火炎を纏い薬師に襲い掛かる。 

 しかしカランコエの腕を衰弱するひまわりの指先が掴みそれを妨げた。

「ひまわり!離せ!こいつは殺さなければならない!」

 ひまわりはカランコエの眼をただ見つめ、首を横に振る。そして彼の手を彼女のお腹の上に乗せた。

「!!!!!!!!!!!」

 カランコエはその瞬間、彼女の中に宿る生命の体温を掌から全身に感じとった。カランコエは大粒の涙を流しながらその場に突っ伏した。

 ガベリアが咽び泣きながらひまわりの胸元に顔をうずめる。ひまわりはガベリアに太陽のように優しく温かい微笑みを見せたまま。ただ。

 

 

「ほら。やっぱり死んじゃったでしょ。私の言う通りだったでしょ」

「うん。死んじゃった!びっくりだよお。すごいねひまわりちゃんは。占い師だ!」

「占い師じゃないけどね。そうよすごいんだよ。あなたもね。ひまわり」

「ほんと?やったー。えへへ。髪伸びたねひまわりちゃん」

「ひまわりが切ったからね」

「そっか!ひまわりちゃんはあたしの裏だもんね!あたしが死んじゃったらからひまわりちゃんも死んじったの?」

「ううん。私は今生まれたの。あなたの裏だからね」

「そうなの!おめでとう!どこに生まれるの?」

「みんなの心の中にね。ずっと残るんだよ」

「そっか!やったね!」

「うん。私たちはこれからもずっと一緒」

「そっか!じゃあ寂しくないね!」

「次は私が髪伸ばそうかしら」

「うん!じゃああたしも伸ばすね!」

「じゃあ切る」

「じゃああたしもこのままにするね!」

「じゃあ伸ばす」

「じゃああたしも伸ばすね!」 

「うるさい!」

「あはは!」

「…そろそろいこうか」

「うん!どこに行くの?」

「ソニアさんのところ」

「何か。久しぶりだと照れちゃうな」

「たったの二日ぶりでしょ。ソニアさんも待ってるよ」

「でもあたし達のこと見たらソニアさんひまわりちゃんのことをあたしだと思っちゃうかな!」

「見た目はそうでも中身を知ったら気付くんじゃない?」

「そっか!じゃあいいや!あ!」

「何?」

「この子はどうしよう」

「連れて行くの?」

「お母さんとお父さんがいなくて上手く生きていけるのかなあ」

「大丈夫。私たちの子だもん」

「だから心配なの!雛ちゃんならともかくあたしは一人じゃ何もできないし」

「ひまわりはね、一人じゃ何もできないことを自分でわかってる。だからみんな助けてくれるんだよ。きっとあの子も」

「うーん。心配だなあ」

「とにかく。連れていくことはできないんだから。ソニアさんとずっと見守ってあげよう」

「うん。わかったよ。育ててあげれなくてごめんね。えーっと…名前決めてなかった!」

「それもきっと素敵な出会いがあの子にそれを授けるはずだよ」

「そっか。うん。じゃあまたね。元気でね。ご飯ちゃんと食べてね。雛ちゃんとかボタちゃんとかによろしくね!ありがとう!大好き!」

「じゃあいこっか」

「うん!」

 何層もの分厚い雲に一点の穴が開いた。そこから一閃の温かい日差しが地上に刺さり、それを中心に雲が細切れに散った。

 

 

 太陽の恩恵か、あるいは彼の怒りの業火によるものか。カランコエを囲む周辺数メートルの雪は溶けるどころか蒸発し、地面は徐々に干からびを始めているようにも見える。

「オレは…お前を許せるのか…?」

「知るか。自分で考えろ低能」

 カランコエの問いに薬師は無礙に答える。

 カランコエがひまわりの身体をそっと地面に寝かせる。

「確かに我々は人類を滅するためにこの地に来た。我々は互いに沢山の同胞達を失った。しかしながら、結果的に我々は互いの偉大なる過ちから共存の可能性に感じ始めた」

「おいおい本気で言ってるのか?植物が?お前如きが人間の何を知っているんだ?私たちはこの長い歴史上一度たりとも互いに共存できたことなどないんだぞ?全員人間にも関わらずだ!何が基準だったと思う?肌の色!考え方の違い!そんな下らないことで私たち人間は何前年と殺し合ってる!そんな愚かな私達がだ!君たちのような別種を受け入れられないのがどんな水晶よりも透き通って明確だ!そこでだ!私が人類全員の頭から差別や区別、そしてその黒歴史を取り除いてやると言っているんだ!お前たちはその必要悪となってもらう!どうせ滅びるんだ!世界平和の為に役に立ってくたばれ!その女のよう

!?」

次の瞬間、カランコエはすでに薬師の首根っこを掴んでいた。

「オレは…お前を許せるのか…?」 

「や、やめろ!」

 薬師の反撃、蛇黒から奪った鋼鉄の能力、ユーストマに付着したドラセナの細胞より摘出した森林の能力、それに体内に取り入れたありとあらゆる花陽隊隊員の能力はどれもカランコエの灼熱の前では余りにも無力だった。

 薬師は蛇黒に勝ったことで自惚れていた。自らが戦闘強者だと。しかしそんなことは全くなかった。自惚れから生まれた登壇。誤算だった。アルプローラの戦士とはこんなに強いのか。蛇黒の比ではない。蛇黒は結局ただの人間だった。全く歯が立たない。こ、殺される…!

 あと少し。あとほんの少しだけ力を加えれば薬師を殺せる。

「オレはお前を…許せるのか…!?」

 アルプローラの惨劇、花陽隊の使命、人類との戦い、改造された同胞達、デモ隊の行進、カーネーションへの忠誠、ひまわりの言葉、そして希望の子供。カランコエを取り巻く全ての条件が頭の中で何周も何周も渦巻いた。

「オレは!!!お前を!!!!!!許せるのか!!!!!!!!!!!!!!!」  

 

 2  

 

 警視庁、おかしな女が一人。女は浅海遥と名乗り、捜査二課の夏焼を出せと騒いでいる。

 何故この女がおかしな、と形容されているのか。それは簡単だ。捜査二課に夏焼などという名前の刑事など存在していないからだ。

 署員らはこの女から事件性でなく、俗にいうイカれた人物のそれを感じとり、彼女を即刻敷地内からつまみ出した。

 浅海は追い出された足で桜田門を潜り皇居内のベンチに座った。

 夏焼さんと二瓶さんの姿がさっぱり消えてしまった。姿どころかこの世に存在していたことさえも、皆の頭の中からすっかり消え失せてしまったのである。

 浅海は氷の上ではないが、北風により十分冷やされたベンチに座り、皇居の静けさに佇んだ。

 もうこの世で私の言う事を信じる者は一人もいないだろう。ある一人の若い女を除いて。

 小鳥島に向かう五人を見送った牡丹はカーネーションとともに凍てつく植物要塞へと向かった。

 あまりにも気まずい道のりに、牡丹は寒さを忘れた。

 要塞の中には氷漬けにされた植物戦士がざっと数百体並べられていた。

 昨夜のうちに要塞内に散らばった彼らをカランコエラナンキュラスとともにこの広間に運んできたのだとカーネーションは言った。

「これから冷凍された彼らを植物界に運ぶ」

 牡丹はもちろん、自分がそれをやるのかと問うた。カーネーションは問答無用でそれを肯定し、まず一人目の戦士を担いだ。

 牡丹はこの一年でかなり理不尽について耐性が付いた。数秒口をあんぐりした後、どうせやらなきゃなんないんだと自身に言い聞かせ、近くの戦士の上体を持ち上げた。

 カーネーションはそれを容易に持ち上げたように見えたが、この植物戦士達、一体一体は骨が折れるほどに重い。

 この先何度心が折れるだろうか。牡丹はぶつくさ文句を言いながら黙々と作業を続けた。

 作業も中盤、聖園には冷凍状態の植物戦士がずらりと並べられた。いつでも暖かな木漏れ日で染まる聖園にて、牡丹はカーネーションの眼を盗んで小休止を取った。

 牡丹はロッタやデルフィンらと他愛もない会話をしたりしなかったり、芝生の上で少し寝たり寝なかったりした。

 この作業に費やした正確な時間はわからないが、一日はすでに経過しただろうか。カーネーションはまるで休まず、戦士の運搬をし続けている。

 牡丹はもっと、人の上に立つ人物というのは、頭がよく、悪い言い方をすれば下の人間を使う人だと思っていた。

 しかしめちゃくちゃ働くカーネーションのそれは牡丹の概念をまるで覆した。牡丹は触発され、張る身体を起こした。

 

 戦士も大方運び終えた。さあもうひと踏ん張りと空洞を潜った先の要塞にて、カーネーションが牡丹を呼ぶ。

 牡丹がカーネーションの指さす方を見ると、そこにはあのインタビュアーが今にも凍えそうな顔で立っていた。牡丹は急いで螺旋階段を駆け下り、彼女の元へと向かった。

「無事だったんですね!」

「…はい。でも、私だけです」

「え」

ひまわりさんもリリーさんも」

「え…」

 牡丹は疲労もあってか、その報を聞いた瞬間その場に気を失った。

 …眼を覚ます。同時に牡丹は聖園の芝生の上で慌てて起き上がる。この景色、さっきも見たぞ。これはデジャブだ。さっきのは夢だったのか。冷や汗をかいた。

 しかし、奥でカーネーションとともに戦士を運ぶ浅海の姿を見て彼女は絶望する。 

「ひまちゃんとリリさんは…」

 牡丹が浅海に近付き、涙を我慢した震える声で尋ねた。カーネーションは気を遣い、二人で運んでいた戦士を一人で請負いその場を離れた。

「薬師に殺された…」

「うそ。なんでよ」

「詳しく伝えることもできる。それを聞くか聞かないかは牡丹ちゃんに任せる」

 牡丹は悩んだ挙句、それを聞いた。浅海は姿を隠しながら見たもの全てをを彼女に伝えた。牡丹は涙を隠さずそれを聞いた。

 全てを聞き終えた牡丹は人間界への空洞へ足音強く向かった。その前を往くカーネーションは牡丹にどこへ行くのか問うた。

「今から薬師を殺しに行く!私はあいつを許さない!この手で倒したい!今すぐに!」

 牡丹は美しい顔をボロボロにしながら語気を強めた。しかし浅海は牡丹の元へ駆け寄り彼女の両腕を掴み、ひまわりの最期の言葉を引用して諭した。

『誰かが許さなくてはいけない。誰かがこの連鎖を止めなければいけない』と。

「そんなの自分勝手すぎるよひまちゃん!許せるわけないじゃん…」

 その場に泣き崩れる牡丹に、カーネーションは自らの片膝をつき、静かに諭した。

「今は耐えるんだ桜田牡丹。ここにいる三人気持ちはまるで同じだ。例えお前らが人間で、私が植物であろうと」

 カーネーションは牡丹の肩に優しく掌を重ねた。カーネーションもまた、浅海により同胞の死を告げられた一人であった。

 

「ありがとう。感謝する」

 全ての戦士を運び終えた時、カーネーションは牡丹と浅海の眼を見て言った。それは彼女らの知る冷酷な総帥のイメージを完全に払拭した。

「この後はどうするんですか」

 未だに目を赤く腫れぼったくする牡丹がカーネーションに問うた。

「薬師はトランスプラントに矛盾、つまり記憶と季節の乖離がないように氷の融解を丁度一年ないしは二年後に行うだろう。いくら奴でも地球の自転までは変えれないだろう。とにかく一年、あるいはそれ以上の間、お前達はこちらで身を隠したほうがいい。衣食住は補償する」

「氷が溶けたら」

「薬師を討ち取るのか、あるいは薬師の理想の世界で今まで通りに暮すのか。それともこちらに残って妖精達と暮らすか。それはお前達に任せる」

カーネーション総帥は」

「私はその頃には死んでいる。私だけでなくアルプローラ市民の大半が滅しているだろう。しかし、この冷凍された戦士達は解凍しない限り疫病の進行は妨げられるはずだ。『その時』が来れば、何者かが彼らを解凍し、再びアルプローラの灯を燈すだろう」

「また人間界を攻めるんですか」

「それはわからない。『その時』が来るまではな」

 牡丹と浅海はアルプローラ政府に街の西側に宿を手配してもらった。一年間、あるいはそれ以上の長い彼女らの共同生活が始まった。

 街中に花の香が漂うアルプローラ市街。宿までは匿ってもらったし、部屋の前には近衛さんが常に見張っているが、やはり落ち着かない。

 明日、カーネーション総帥が民衆への演説後自ら街を案内してくれるらしい。楽しみではあるが、不安の方が大きい。

 初夜。浅海はアルプローラの名産であろう果実酒を一杯のグラスに注ぎ、牡丹にもそれを飲むかと問うた。

 日本の法律ではそれは禁じられている。そんなことはお互い承知の上だったが、牡丹はそれを要求した。

 甘い香りとスッキリした味わい。しかし舌の上に残るアルコールの感じが心地悪い。牡丹は例によってお酒よりも異国でグラスを揺らす自分に酔いしれた。

「牡丹ちゃん。私はいつか薬師を倒すよ」

「うん」

「けど、私はあなたを危険に晒したくない。それをひまわりさんが望んでないから。薬師は私に任せて、あなたは昔のように、可愛いアイドルに戻って」

「浅海さんは」

「大丈夫!危険も批判も慣れっこだから!それにひまわりさんとの約束は守る。薬師を殺すようなことはしない。できるかできないかはさておきね。だからあくまで法的に!ちゃんとした手順でヤツを地獄に叩き落とす」

「私も手伝うよ」

「ダメ!世間に私との関係がバレたらテレビどころかもう街歩けなくなるよ!牡丹ちゃんはあくまで普通のアイドル。『その時』が来るまではね」

「『その時』…」

 彼女の身体に初めて侵入したアルコールは浅海の言葉と松明の炎を歪めやがて闇の中に彼女を墜とした。

 約一年後。カーネーションの推測通り人間界を覆っていた氷が溶けたようだ。

 この一年間、牡丹と浅海はアルプローラで市民と同様の生活を送った。浅海は逐一それをビデオや写真に収めた。

 街を歩けば石を投げられることもあったし、暴漢に襲われたこともあった。しかし彼女たちはひまわりの教えを護り、決して反撃することはしなかった。一時期彼女たちの身体は、ワンパク小学生のように痣だらけだった。

 心分かち合える植物も数多くいた。最終的に彼女たちは多くの市民と交流し、多くの文化を学び、そして多くの市民の最期を看取った。

 カーネーションの最期、彼女達は特別に彼の側に寄り添った。カーネーションは一切の恨み言を人間へ遺さず、最後は国民への謝罪と感謝を述べ、その偉大なる生涯に幕を閉じた。 

 

「アルプローラは敗北した。しかし希望の光は未来に灯る。『その時』を待て」

 

 彼が国民に遺した言葉である。

 牡丹と浅海は身支度を整え、人間らしい格好でアルプローラを後にした。

 人間界に『帰る』というのに、それはまるで敵の根城に突入するような気持ちだった。牡丹は全く躊躇しない浅海に続き、人間界への空洞を潜った。

「…」

「…」

 寒い。当然寒いが、あの時に比べれば温かい。遠くで車の音が聞こえる。氷が溶けてから数日は経っているみたいだ。そして何より煙たい。こんなにもこの私たちの世界は煙たかったのか。彼女たちは思わず咳き込んだ。

 常に無鉄砲な浅海もこの時ばかりはアルプローラへの入り口が隠された、公園の人工林から出ることを少し躊躇した。

 この林を抜けたならば、また新たな戦いが始まる。もしかしたら世界中が敵となっているかもしれない。今ならまだアルプローラへ戻れる。

 二人は急に降り注いだ現実と想像に容易い恐ろしい未来に、その足を地面に釘差されたようにその場に留まった。

 

「来たか」

 

「!」

「!」

 その時二人に向けられた声。ひまわりとはまた違う熱を持ったあの声。

 二人が一斉に右方に目を向ける。するとそこには切られた木の幹の上で座禅を組むカランコエの姿があった。

「恥ずかしながら。アルプローラへの入り口を見失ってな」

カーネーション総帥が隠したんです」

「そうだったのか。さすが総帥だ」

「生きてたんですね」

 疫病は。薬師は。今までどこへ。実はひまわりとリリーも?。浅海と牡丹はカランコエに聞きたいことが山ほどあった。

 しかし彼女達はまず、カーネーション総帥の訃報からカランコエに伝えた。彼の最期の言葉と共に。

「そうか…」

 カランコエはそれだけ漏らし。噛み締めるように天を仰いだ。

「…総帥の仰っていた『希望の光』とは、きっとあの子ことだろう」

「あの子?」

「菊江ひまわりとサンダーソニアの子供だ」

 牡丹は文字通り口をあんぐりと開けた。ひまわりに赤ちゃんがいた。やっぱり先を越されていた。てゆうか何でそんな大切なことをこいつは言わなかったんだ。牡丹が浅海を睨む。浅海はしらんぷりしている。こいつ絶対に忘れていた。あとで何か奢ってもらおう。

「その子は今どこに?」

「とある場所に預けてきた。人間界のな。その子がこの大地に立ち上がる時こそ、総帥の言う『その時』だろう」

「そっか」

 牡丹は空を見上げ、木漏れ日の先から太陽を見た。

カランコエさん疫病は?」

 浅海がセンチメンタルな空気を読まずに次の議題へと移す。

「どうやら克服したようだ。身体だけは昔から丈夫だった」

 アルプローラにもこの一年間で疫病を克服した植物たちが何名かいた。数えるほどだったが。

「これからどうするの?」

「アルプローラに戻り、『その時』を待つ。君たちはどうする?」

「私達もこっちで『その時』を待ちます」

「うむ。アルプローラの入り口はじきに閉じる。『その時』に、また会おう。『その時』我々が敵か味方か、それは希望の子がこの世界をどう見るかに懸かっているな。…素晴らしき友人たちよ。さらばだ」

 カランコエは二人と熱い抱擁を交わし、植物界への空洞へと片足を入れたところでふと、立ち止まった。

「…桜田牡丹。菊江ひまわりから遺言だ。『ボタちゃん。家に泊めてくれてありがとう。大好きだよ』…とのことだ」

 カランコエはそれを伝えると、左手を軽く振り空洞へと潜っていった。

 カランコエを見送ったあと、牡丹を堰き止めてた何かが急に外れ、彼女は憚らず泣き喚いた。浅海は泣き崩れる彼女に胸を貸した。

 水中のようにぼやける視界の奥でひまわりの笑顔は一切曇ることなく鮮明に灯っていた。

 牡丹が全てを出し切った後、歩き出した彼女たちの足は枷を外したように軽かった。

 二人は全ての始まりとなった大木の前で立ち止まった。二人はもうすぐ赤の他人となる。

 二人は抱擁し合い互いの健闘を称え祈った。そして、二人はそれぞれの道へと別れ進んだ。絶対に消えぬ同じ気持ちをこの世界に隠し持って。

 

 

 いくつかの夜が越した。独りの部屋にも幾分か慣れた。もともと私一人の部屋だった訳だけれども。

 今日も今日とて私は『いつも通り』に仕事に向かう。

 いつも通りの駅までの道。いつも通りの長い信号。うるさい薬局のラジカセ。

 今日も後ろにはロッタがフラりと付いてきている。ロッタは人間界で暮すことに決めたらしい。理由は都会の遠距離恋愛に憧れたからだとか。少しこっちのドラマを見せ過ぎたようだ。

 あとカランコエさんによるとガベリアもこっちに残ってるらしい。ガベリアはひまちゃんの赤ちゃんを見護りたいとその場に残ったんだとか。まあ気持ちはわかる。

 先日高校の終業式があった。みんな私が一年余計に年老いたことには全く気付いていない。まあ私の美貌を考慮すれば仕方のない事だ。

 梅屋先生はただの先生に戻っていた。どうやら紅葉先生には愛想をつかされたようで、見るから落ち込んでいるようだ。ざまあみろ。

 この前Lindberghにも行ってみたが例によってリンドウさんは私のことを認識していなかった。

 あんだけ仲悪かった先生とリンドウさんだけど、今はもう赤の他人だ。何で争ってたのか、いや争っていたことすら二人はもはや覚えてもいない。二人の間には友情も軋轢も歴史も未来もない。未来はあるかもしんないけど。結局そう考えると人間同士の争いなんてのは『本質』ではないのだろう。思考を拗らせただけのただの勘違い。

 私はただ一本の白ユリと季節外れのひまわりだけを買って店を後にした。

 リリさんはこの前「植物の作戦を阻止した英雄」として何かアメリカのテレビで特集されてたのをネットで見た。それ関係の文章全てに、枕詞として『薬師の指揮により』がつけられるのが心底ムカついた。

 あとドラ君はきっと山で幸せに暮らしているだろうか。私達が再び出会うことももう二度とないだろう。

 出会うことがないと言えば浅海さんだ。浅海さんはここ数日めちゃくちゃテレビに出て、めちゃくちゃ叩かれている笑。

 ただ昨日の薬師との生対談での浅海さんの言葉にはかなり痺れた。

「あんた要塞で植物戦士達を見つけられなかったんでしょ?そうでしょ?残念でした!彼らはね、今もどこかで『その時』をずーっと待ち続けてんだから!あんたを殺すためにね!あんたが殺し損ねた希望の赤ちゃんが立ち上がる『その時』!彼らは確実にあんたを地獄に叩き落とす!あんたもそれに薄々勘付いてたんでしょ?だから毎日ビビってママに添い寝でもしてもらってたんでしょ?『その時』が来るまでババアの萎びたおっぱいでも吸って震えて眠りやがれ!」

 もう彼女を表舞台で見ることはないだろう笑。あの爽快さを味わえるのがこの世界で唯一私だけというのが優越感というか物悲しさというか。

 法的に捌くとかカッコつけてたくせに結局熱い気持ちが勝っちゃったみたいだ。まあ気持ちはわかる。浅海さんも大切な人を失ったらしいし。

 彼女の味方をしてやれるのはこの世界で私だけなんだが、彼女がそれを望んでいないとはいえ、具体的な手助けをしてやれないのはかなりもどかしい。

 今の私が浅海さんにこの世界の孤独を感じさせないためにできることは、なるべくたくさんのテレビに出て、なるべくたくさんもラジオで喋って、なるべくたくさんの雑誌に載って笑顔を見せること。大丈夫。私たちは独りじゃない。

 結局のところ、私達人間と植物アルプローラは共存することができなかった。

 最前線で見てきた私はもっと何かできなかったのだろうか。あの時あの瞬間私は何をすべきだったのだろうか。それすらもわからないのに、私の中のたくさんの後悔の念が私を嘲笑ってくる。何が正解かもわからないのに、だ。

 まあ道が二つに別れればどちらを選んでも後悔するのだろう。私とはつくづくめんどくさく欲深い生き物である。

 近い未来、希望の赤ちゃんは立ち上がり、その眼を開ける。その子が望むのは『共存』か『逆襲』か。

 そして『その時』、それは私自身にも問われる。

 幸いにも、今回の選択には多少時間に余裕がありそうだ。ただそれは見かけでは永遠のように長そうに見えるが実際はすぐそこにあったりする。

 何を言ってるか自分でもわからなくなってきたが、つまりそういう事だ。とにかく歩こう。立ち止まってる時間がもったいない。

 まるで天に太陽が二つあるかのように季節外れの快晴が私の道を照らしてくれている。ありがとう。大好きだよ。