第25章 -再生編-

第25章

 

Ⅰ 9月2日 ②

 

 ヒーローは蘇った。長い沈黙を越えて。

 彼らが戦う理由はもう植物界ではない。彼ら自身の護るべきものの為である。

 

 

「大聖木様。戻りました」

「大儀じゃったな。ロージエ」

「大聖木様ご体調は」

「見ての通りじゃ」

 クリプトメリアの姿。日に日に衰弱し葉数も数えるほど。ロージエはもはや直視しかねた。

「デルフィンから事情は聞いた。…危ない事をしおって」

 クリプトメリアの言葉は老人の徘徊のようにゆっくり紡がれた。

「運よくリコリスが人間に敗北したため戻って来れました」

「こうなることはわかっていたのじゃろう?」

「そんな」

「お主はあの人間が必ずリコリスを倒すと信じて、彼の居場所をリコリスに教えたのじゃろう?」

「…」

「ロージエ。聖園を護り抜くことももちろん大切じゃ。しかしそこに己の信念がないのならそれはすべきではない。見失ってはいかん。己の信念を」

「僕の信念は大聖木様の栄華のみであります」

「私は見ての通りもう長くない。それよりも君は未来を…見つめるべきじゃ。そして私の前で虚は意味をなさぬぞ」

「大聖木様。今日はもうお休みになられてください」

 ロージエは深く頭を下げ、クリプトメリアの元を離れた。

 

 

…戦況は贔屓目に見ても良いとは言えない。いや。むしろ最悪の状況だ。我々はどこで誤ったのか。

『花粉症』自体は私が総帥に就任する遥か以前よりアルプローラ中枢内で考察されていた『来る人類侵攻』の為の軍事草案だった。我々は実際に人間界へ侵攻するにあたりこの草案の再考察を行った。

 しかし人間界への侵攻が可決された時にはすでに市民らの不信感情は最高潮に達しており、それは我々に十分な作戦構築の時間を与えなかった。

 

 取り急ぎ『花粉症』草案を取り纏め、人間界にハイドランジアを送った。

 ハイドランジアは『花粉症』に使え得る施設として金南清掃工場を第一候補にあげ、彼はさらに第四候補までを我々に示した。

 金南清掃工場に我々も異論はなく、そこでの『花粉症』を基盤として次に拠点となる聖木の挿し木を植樹する場所を議論した。

『人間界で最も目立つ場所に拠点を置く』。これは限りなく暴挙に近いものではあったが、あくまで最重要地点は金南清掃工場。この選択はそこへの眼を逸らすためには最適解だった。

 我々は要塞前ので戦いを敢えて均衡させ、秘密裏に金南清掃工場への地下脈を掘り進めた。

 しかし天は我々の味方ではなかった。我々の侵出と時を同じくして金南清掃工場へ架かる唯一の橋が何者かに落とされていたのだ。案の定、我々の作戦は人間に勘付かれ、結果的に『花粉症』は未遂に終わった。

 しかし私は思う。この作戦は初手で最大の悪手を打っていたということを。

 悪手とはつまり『妖精をつかったこと』に他ならない。

 彼らの『死の概念の無』は、非常に価値があるものだ。しかし妖精を利用するのには大きなリスクがある。それは私も何度も議題にあげてきた。

 最も根本的に言えば彼らは植物ではない。裏切るという以前に我々はまず同胞ではないのだ。死期が迫る我々とは違い彼らには余裕がある。

 彼らは我々の想像した最悪のシナリオ通り、課された使命を余所に大きく人間に肩入れした。その人間に『花粉症』を阻止されたというのだからもはや笑うしかない。この失策は有無を言わさず自分の蒔いた種である。

 さらに不運は重なった。『花粉症』が頓挫する可能性がある。それは橋が落とされたとわかった時点で懸念されていた。そこで我々は『花粉症』に代わるもう一つの作戦を考案した。古典的な水攻めである。

 水攻め。もちろん花粉症を可決した際も、このような大量殺戮は我々の騎士道に反していると、反意を唱えた者も多くいた。当たり前だが一体一になれば我々にしか分はない。しかしそれでは全人類滅ぼすのにあと何年かかるだろうか。

 鞘師山の巨大貯水槽の水に花粉を混入させる。人間は生活水の中から『花粉症』を発症させ滅に至る。机上の空論ではあったが、試す価値はあった。

 騎士道とは反する。それでも我々の使命はあくまでアルプローラ聖国の存続。我々もできることならしたくはなかったが我々はこれを強行した。

 しかし、視察へ赴いたアネモネが討たれる。またしても人間にだ。私はさすがに頭を抱えた。つくづく天に見放されている。何故鞘師山が人間に解り得た。内通者の存在。妖精か。

 私は妖精を軟禁した。しかし妖精は妖精だけの空洞をもっているようだ。もはや天に嘲笑われている気分だ。

 現在金南清掃工場をはじめとする煙突を有する施設はどこも人間によって包囲されている。鞘師ダムも同様である。

 対峙する人間。人間の兵器、謎の物体は特段脅威ではない。しかし物体は粉々に破壊したとしても二日以内には復活し目の前に現れる。日々消耗する我々と異なり絶え間なく補給される物体は徐々に脅威に成りつつある。

 次の一手が勝負を決める一手となる。

鈴虫が鳴く。

 

 

 鈴虫が鳴く。梅屋は聖木へと引き寄せられた。

 ここは危険だ。要塞から植物が景色を眺めているのが見える。行ってはいけない。しかし引き寄せられるように歩が止まらぬのだ。日中の出来事。誰かに伝えたい。妖精の力が戻ってきたのだ。

 要塞付近の地下鉄駅や道路は全て警察と軍によって封鎖され、無論一般人である梅屋がそのバリケードを越えることは叶わない。

 彼は閉ざされた中をどうにか覗けないかと背伸びをしたり飛び跳ねたりと色々試してみたが、しかしそんなことで中に潜れるわけもなく。梅屋がどうにかならぬかと辺りを探索していると、彼は突然異様な空気の流れを感じ取った。

「あそこから入れるな…」

 覗くだけではだめだ。中に入らなくては。恐怖に支配されていたこれまでの自分とは違う。

 梅屋は微細なバリケードの隙間発見し、彼は茂た草を掻き分けその隙間をするりと潜った。

 彼が顔をあげると眼前には巨大な植物要塞が聳え立っていた。

 梅屋はその偉大なる建造物に言葉を失った。意識が遠のくほどに圧倒的なオーラは彼の固めた覚悟を溶かし得るほどに強大だった。

 

「遅かったですね。リーダー」

 

 梅屋が声の方を振り向く。そこには以前に比べ少し大人の雰囲気を醸すひまわりの姿があった。

「ひまわり」

「もうみんな来てますよ」

 梅屋が見回すとヒーローと呼ばれる面々が続々と彼を囲むようにして姿を現した。

「遅い!」

「どれだけ待たせるんだ」

「やっと六人揃いましたね。リーダー」

 ひまわりが梅屋の到着を祝う。梅屋は牡丹の体調を気遣おうと彼女の顔を見たが、その横のどうも見慣れぬブロンドの女性が気になった。

「リリーエーデルワイスヤデ。ヨロシクヤデ」

「あ、梅屋芍薬です。おおきに」

 リリーは梅屋に手を差し伸べ二人は軽い握手を交わした。そして梅屋は皆に問うた。ここで何をしているのかと。

「お前と一緒さ。わけもなく、ここに導かれた。あの時と一緒さ」

 リンドウがそれを抽象的にまとめた。

 

「やあ、みんな。久しぶり」

 

 

 再会の感慨に浸る彼らの元に新たなゲストが訪れた。

「ロージエ」

「元気そうだね。さて、みんな集まったところでさっそくだけど今から君たちを招待したいんだ。場所はもちろん植物界アルプローラ。みんなをある方に会わせたいんだ」

 六人。正確にはドラセナを抜いた五人は驚いた。

「ある方って?」

「大聖木クリプトメリア様。植物界、いやこの世界で最も偉大なお方さ」

「何でオレたち人間を?」

「何でだと思う?来る?やめとく?まあ僕は一度君たちを裏切っているから強制はしないよ。ただ一つ言えるのは僕は君たちに来てほしい。人間界と植物界の為に」

 彼の言った通り妖精は一度人間を裏切っている。さらにここに来たのはロージエだけ。ロッタやデルフィン、ガベリアといった妖精がいたのなら、それは多少信用にたるが。

「行こう。みんな」

 梅屋は強い眼差しで皆に進言した。

「確かにな。このままじゃ寝れん日々が続く」

 リンドウが梅屋に乗った。その後すぐにリリーも賛同し残る三人もそれに異議を唱えなかった。

「ロージエ、案内してくれ」

「そうこなくっちゃ」

 ロージエは六人を要塞のそばへと導いた。彼は「見つかったら終わりだよー」などと笑いながら要塞付近を進んでいった。

 

 …これは何色と形容するべきか。一見黒く禍々しいが、少し角度を変えれば黄色く見える。赤いと断言してしまっては嘘になるが、それは確かに赤かった。緑色と桃色の丁度中間といったその穴は、見る人によっては青いかもしれない。ただ、ところどころ白く光っていたり、透明だったりした。

「これが、アルプローラに通ずる空洞だよ」

 ロージエが要塞の奥に佇む不気味な空洞を六人に説明した。

「じゃあ行くよ」

 ロージエは空洞に潜った。

「…行こう」

 梅屋が先陣を切った。その次に牡丹、リリー、ひまわり、ドラセナと続き、最後にリンドウが空洞に足を踏み込んだ。

 アニメで見たタイムマシンや、それに似た異世界への移動とは異なりその間には『中間』の空間は存在しておらず、踏み込んだ足はすでに異世界の地面を踏んでいた。

 各々が勇んで顔面を空洞に入れる。

 

「これが、植物界…」

 

 輝く世界。色とりどりの花々が優しい匂いを薫らせて。穏やかな風は草木を揺らす。そして妖精達は幸せそうに歌い踊る。まさに植物界。最上に美しい世界。

 六人はその光景に息を飲んだ。

「ここはアルプローラでも『聖園』と言われる区域で、普通の植物は立ち入ることさえもできない特別な場所だよ」

 ロージエが道なき道を真っすぐ確かに目的地を目指しながら解説をした。

 六人が通ると辺りの妖精たちは嫌な顔でこちらを見たり逃げたりした。

「まあ悪く思わないでくれよ。やっぱりみんな人間が憎いんだ。でも妖精は優しいよ。もし彼らが植物だったら君たちは一瞬で彼らにぶち殺しにくるだろうからね」

 人間の生活が植物界を脅かしている。聞いてはいたが妖精たちの反応を見るにやはりそれは真実だったのだと改めて悟った。

「さあ、ここから不敬は禁物だよ」

 ロージエのその言葉は今までのお茶らけたものとは違った。各人は息を飲み、先頭を歩いていた牡丹がロージエに続き茂みの中へと潜って行く。

 茂みを掻き分けしばらく奥に進んでいくと突然視界が開けた。そこには彼らの中にある『植物』という概念を全て覆すほどに荘厳なるオーラを纏った偉大な超大木が鎮座していた。

 

「来たか…人間たちよ…」

 

 樹齢何年だろうか。いやそんな単位では計りきれなさそうだ。その外周は成人男性何人でやっと囲えるだろうか。そもそもこれは物理的な問題ではない。この超大木が醸し出す威厳、歴史の重み、温もり、直視さえも禁忌なのではなかろうか。六人は重たくのしかかる大聖木の迫力に自然と跪いた。

 しかしなぜこんなにも後ろめたい。それはこの大木がお世辞にも美しいとは言えないからか。戴冠した葉は腐りはて幹の表皮は黒ずんでいる。

 

Ⅱ 9月3日

 

 朝。いつものように生徒たちが続々と登校してくる。しかし正門にのそれはいつも通りではなさそうだ。

「すげーな。梅屋。有名人だ」

「これはヒーロー出勤か」

「あいつも人の子だな」

 正門の前に集まったマスコミ連中、野次馬連中を二年B組の面々は窓から眺め各々にそれを形容した。

 彼らは自分たちの担任がその群衆の真ん中をモーゼのように割って歩いてくるのを待った。しかし梅屋はいつまでたってもその姿を現さなかった。

 過去に梅屋の欠勤は記憶にない。マメで知られる梅屋だが欠勤及び遅刻の連絡も来ていない。さらにこちらからの連絡は全て圏外という始末。

 梅屋の身に何かが起きた。彼の正体を知った者達の想像は悪い方へと捗った。

「ヒーローは身を隠すのが常だからな。もうあいつは現れないだろう」

「あるいは消されたか…」

 この街でその行方を案じられているのは梅屋芍薬だけではない。『Florist Lindbergh』では定時になっても店に姿を見せないリンドウアヤメの業務を大怪我から復帰した病み上がりの芝浦藤乃が文句一つ言わずにこなしていた。やす子はその姿を見てまた勝手に何かを妄想した。

 遂に逃げ出した。男と駆け落ちした。阿久津農園の三バカはひまわりの行方についてどんどんでっちあげた。阿久津はそれを完全に無視し農作業を続けた。

 鞘師山の猿たちは例によって帰って来ないドラセナを案じた。また多くの猿達は先日ドラセナが突如緑色に光り、三体の植物体を撃破した瞬間を目撃した。ドラセナはいったい誰の味方なのか。そして我々はどちらの味方に付くべきなのか。

 牡丹の正体を知ったファン達は今日もそれぞれの生活を生き抜いていた。彼女のイベントを除く時間は全て身を粉にして銭を稼ぐ。そして得た金は全て彼女に尽くす。彼らは日々泥水を啜りながらも、惚れた女性の為にあらゆる罵倒に耐えて生きている。

 彼らは牡丹のプライベートなど知らない。もちろん知りたいという欲もあった。しかしそれに抵触してしまえば自分はもはやファンでなくなってしまう。そのラインを弁えている者こそが牡丹に認められたファンとなり、延いては牡丹の正体に気付き得た者達であると言える。

 彼らは今彼女がこの世界に存在していないことに気付いているのか。ライン作業に勤しむとあるファンはこの日珍しくミスを量産した。それとこれとに因果関係があるかはわからないが、それは実際に起こった出来事である。

 リリーが失踪した。しかし現在軍に彼女を捜索する人員の余裕はない。軍は今日も植物の脅威と戦っている。多くの仲間を目の前で失った彼女を攻める者は誰一人いない。隊員らは彼女が無事に帰ってくることをトリガーを握りながら願った。

 世界は今も彼らなしで動いている。依然何の問題もなく。

 

 

 時を同じくして夏焼は吸い殻でいっぱいになったコーヒーの空き缶にまたひとつそれをねじ込んだ。薬師は一体どこに姿を晦ましたのか。そして奴は何を企んでいるのか。

 薬師宅捜索後、夏焼は恥を捨てて浅海と頻繁に情報を交換し合った。口には出さぬが夏焼はすでに浅海を信頼出来得る情報源として認めていた。

 浅海は必ず薬師が部下達に何かしらの復讐を仕掛けるはずであると考察していた。

 問題はその方法であるが、薬師の部屋に残された殴り書きのメモ、あるいは彼のコンピューターを解析するにそれは身の毛もよだつほどに恐ろしいもので、もしそれを薬師が成し遂げたのであればそれは植物界と同等以上の脅威に成り得る。

 夏焼と浅海は各地に隠された廃棄物集合物体生産現場を張り込んだがその姿は現れず。しかし止まる事を苦手とする二人は足を動かし続けた。

 その時二人はそれぞれの調査先で最も恐れていた速報を聞く。

 

 

「みんなの御前に在らせられる御方が大聖木クリプトメリア様だよ。植物界で一番偉大なるお方さ」

 各人は説明されずとも生物としてその偉大さには頭を垂れざるを得なかった。

「楽にしなさい」

 大聖木の声だ。なんと心地よいのだろうか。心臓の表皮に染み渡り血液をサラサラにしてくれる。胃腸の内部は浄化され中の遺物は消え失せる。できることならばいつまでもそばで聞いていたい。

「ロージエ、大儀じゃった。…選ばれし人間達よ。見ての通り私はもう長くは生きられん。少しばかり、年寄の話を聞いてくれるか」

 六人は言葉なしに頷いた。

「…まだ若木だった私がアルプローラの大聖木になったのはだいたい十七億年前のことじゃ。あの時は…これではただの昔話じゃな…。単刀直入に言おう。君たちの住む人間界は、元々我々の世界じゃった。何千年前位じゃったかのお…君たちの祖先がやって来たのは…。我々と君たちの祖先はうまくやっていたんじゃ…。はじめのうちは…な…。互いに援助し合い…我々は共存していた…。しかし…人類は驚異的な速度で進化していった…。人類は…何故か急に裸体に羞恥を抱くようになり…衣類を纏い出した…。今となっては…君たちは…生まれたままの姿では…夏も冬も越せず…前者では蕩け…後者では凍え死ぬ惨めな体を手に入れた…。しかし…それと…引き換えに…君たちは…圧倒的な想像力と…、創造力を得た…。その頭で何を…考えたのか…、人類は…君たちの祖先は…大地を汚し始めた。それは…大戦争の幕開けとなる…はずだった…、が…私の指導により…、我々アルプローラの植物は…人類に屈し…た。…彼らを地上最高の生物と崇め…全てに…従った…。ある時…その…支配に耐えきれなくなった…植物達が…私のところへ…懇願しにきた…。…見かねた私は…世界の裏側を…創造した…。そして…植物達は…、そこへ逃げ込んだ…。それがこの…植物界だ…。…このアルプローラの裏側には…、君たちで言うところの『トーキョー』が…確かに存在している…。…アルプローラと東京は…、表裏一体なのじゃ…。」

 クリプトメリアによって語られた真実が六人に衝撃と動揺を与えた。

 

 

『物体が一斉に活動を停止させました』

 

 謎の物体が一斉に活動を弱めた。その報は各方面に至急言い渡された。

 僥倖。今ならば鞘師ダムを落とせる。カーネーションはすぐに要塞前での戦闘を指揮していたアルストロメリアに鞘師ダムへの派遣を言い渡した。

 謎の物体による要塞への執拗な攻撃により多くの兵を鞘師ダムへ割けなかった植物が、この好機についに大地奪還のためダムに巨大な戦力を投下した。

 しかし。その進軍に腰を折るように一体の植物体がカーネーションに進言する。

「総帥、この進軍私に指揮を執らせててください」

「ダリア。何故ここにいる」

「この任務、一団隊長の私が指揮を執るべきかと」

「ダリア、お前はまだ手負いだ。お前には任せられない。それにお前はもう隊長ではない」

「いいえ。本来ならば私の役目。私はすでに万全であります。私が行くべきです」

「アルストロ。お前が行け。この機を逃すわけにはいかん。ダリア、ここまでの失言は目を瞑るが、この先は軍法会議ものだぞ」

「お言葉ですが総帥。私は貴方様が総帥の座に就く以前から栄誉ある花陽隊の一団隊を任されております。それがこの一大決戦にて指揮を獲らせて頂けないなど屈辱の極み。貴方様の決断は歴代の総帥殿、いやそれだけでなく、私の盾として死んでいった数々の同胞たちの亡骸を踏みにじる究極的に侮辱的な行為であると存じます」

「ダリア様。口を慎んでください」

「ダリア、お前を除隊とする。アルストロ。こいつを地下牢に幽閉後兵を連れてただちにダムへ迎え」

「何たる愚の骨頂。正気の沙汰ではない」

「お前は敗北者だダリア。お前は信用できない。行けアルストロ」

「お任せください」

 アルストロメリアが一礼し退出後、ダリアを連れて地下牢への階段を下った。

 

「アルストロ。私に行かせろ」

「私に決定権はありません。総帥にもう一度土下座でもしてきたらいかがですか」

「お前は震えているだろう。自分が指揮を執り種族の命運が懸かる機を逃してしまったらどうしようかと」

「あなたの脅しも戯言も私には何も響きませんよ。さあ少しの辛抱です。お入りください」

シュ!

「!」

 ダリアは剣を抜き背後のアルストロメリアに振った。

「アルストロ。お前が私に勝てるのであればお前はすでに一団を任されていたはずだ」

「やめてください。ハラワタの裂けたあなたに何ができるんですか。ソーセージでも作りますか」

「それこそがお前が一団じゃない理由だアルストロ。総帥もわかっている。お前は全てにおいて私を下回っている。私は生死の狭間で気付いてしまった。総帥殿が何故私とダンデライオンをクーデターの先鋒に置いたのか。その真実が。総帥は自分が就任する以前から一団を任されていた私たちが邪魔だったのだ。前総帥のあるいはその前の総帥殿の意思を受け継いでいる私達が。総帥殿は二から四団の幹部らに自分の息のかかった兵を積極的に配置した。しかし一団に関してはその名声から市民の反対を恐れ自ら再配置を言い出せなかったのだ。だからあの時私達を先鋒においた。聖会側にあの二者が出てくると知ってな」

「結局勝てなかったあなたでしょう。いいかげんな妄想。そういう病気あるらし

 アルストロメリアは自身を囲むダリアの部下たちを確認し、鞘に収まる柄を持つ手を上にあげた。

「悪いなアルストロ。賢い判断に感謝する。私はこの戦いで汚名を返上しカーネーションの座を奪う。その時はお前を引き続き幹部にしてやろう」

 ダリアの部下らはアルストロメリアを縛り上げ地下牢に監禁した。ダリア率いる一団の精鋭達は剣を取り花陽隊を引き連れダムへと向かった。

 

 

「薬師が動いた…」

 夏焼は物体停止の報を研究所前に張り込んでいてた車内の無線で、少し遅れてラジオで周知した。

 薬師はもうすぐここに現れる。復讐の為に。しかし自分達にそれが止められるだろうか。謎の物体と植物の前に腰に下げたピストルをホルスターから出すことさえできなかった。暴徒植物の前には何人もの警官が殉職した。

 そんな自分達が『人工知能Hypoと同化した薬師』を止められるだろうか。

 薬師宅に残された自身とHypoを融合同化させるというメモやデータの痕跡。筆跡は意外にも汚くなくそれを読むのは簡単だった。しかし信頼のおける科学班でもその理解は敵わなかった。それどころかそれが可能か不可能なのかも判断でき得なかった。

 しかし物体が停止したという今、薬師がそれを成し遂げたということなのか。

 やつはやってくる。必ず。どんな姿でやってくるのか。それは人の体を成しているのか。

 

 

 ダリア率いる花陽隊は鞘師ダムへと地下脈を進んだ。ダリアの側近以外はダリアが軍規律を違反違反してその先頭に立っているとは知る由もない。

 ダリア一行が長い道のりを辿り、遂にダム前線へと辿り着く。物体は報告通りその場に停止し余りにも邪魔なオブジェクトと化している。

 ダムに基地を敷いていた日米合同軍は多勢の植物軍の進軍に驚愕した。いったいどこから現れた。この辺りに抜け道がなかったことは調査済みではなかったのか。軍人たちは大急ぎで武器を取った。

 ダリアは不敵に笑った。

 

「さあ!猿共に文明の重みを叩き付けてやれ!」

 人類と植物最大の戦いの火蓋がここに落とされた。

 

 

 三十八分。あらゆる科学兵器を要した日米合同軍がダリア登壇から耐え得た時間である。奇襲。軍備不足。物体の沈黙。あらゆる条件が整っていなかったというのもあるが、一番の要因は覇気を纏ったダリアの強さであった。

 たったの三十八分しか耐えれなかった。しかしこの三十八分は後に『最も偉大な三十八分間』として語り継がれることとなる。

 沈黙した人間を越え、ダリア一行は遂にダムの水に花粉の混入を始めた。

「この壁を壊せば全ては緑に還る…。さすれば私の天下」

 ダリアが高らかに笑う。が、その笑みはすぐに解ける。

「待ちやがれバカ野郎!」

「…?」

 背後に強い戦いの意思を感じたダリアがゆっくりと後方を振り返る。そこには総勢五十余名の老若男女様々な人間と数十匹の猿がこちらに向かって立っていた。

「…何だお前らは丸腰で。気でも狂ってるのか?」

「…みんな!行くぞ!」

「「「「「おーーー!」」」」」

 

 高らかに勝鬨を上げた人間ら。話に聞いていた妖精共に導かれた人間ではなさそうだ。ただの生身の人間と猿。

 芽実高校二年B組生徒三十五名。芝浦藤乃率いる『Lindbergh』の従業員全六名。阿久津社長を筆頭とした阿久津農園の農夫達四名。鞘師山の若猿達三十五匹。桜田牡丹のファン精鋭二十三名。米軍金南清掃工場作戦の生存者三名。ダリアが知る由もないただの人間と猿である。

 彼らはどのようにしてここに辿り着いたのか。それは誰にもわからない。よくわからない現象を人は奇跡と言って片づける。一つ言えるのは、日米合同軍が稼いだ黄金の三十八分間が彼らをここに辿り着かせたということ。

「梅屋のバカがどこほっつき歩いてんのか知らねえが、俺達がこいつらを食い止めるんだ!」

「当たり前だ!仕切んなバカ!」

「藤乃ちゃん!これって何なの!」

「やす子さん。何かここに突き刺さるでしょ。ここにさ」

「阿久さん!血が上って死んじまいますよ!」

「死んでたまるか!こんなやつらに二度もやられん!」

「ウキウッキ」

「ウキキ」

「ウッキーーー!」

「俺達が牡丹ちゃんの為にできること」

「これは恩返し。自殺じゃない…」

「みんな足が震えてるぞ!」

「お前もじゃないか!」

「リリー。お前にはまだこんなにも頼りになる仲間がたくさんいる。どれだけ時間をかけてもいい。待ってるぞ」

「ハッハッハ!面白い!殺すのがもったいない程愉快だ!うむ。実に愉快だ!…そうだ全員生け捕りにしてアルプローラで見世物小屋を開こう!どうです隊長?これで退役後も安泰d

 バシュ!

 ダリアが人間を嘲笑う一隊員を殴る。

「口を慎めポピー。節操がないぞ」

「…取り乱しました。申し訳ありませんでした」

「騎士道のない奴はここで首を落とせ。誠心誠意。それが花陽隊の戦士だ!」

「お前らだけでぶつぶつぶつぶつうるせーんだよ!」

「みんな!行くぞ!!」

「「「「「おおおおおお!!!!!」」」」」」

 人類と植物の最大の決戦、第二ラウンドが始まる。

 

 

 時代は動く。表も裏も。激しい音を立てて。

「東京が植物界だったなんてそんなことは聞いたこともありませんが…」

「君たちは…『歴史』を…信じるかね…。…他人を…信じ切れるかね…。…君たちが…あちらで言い伝えられた…『歴史』が…すべて…作り話だと…したら…」

「隠蔽」

「君たちにとって…、さきほどの私の話が…真実とも…限らないではないか…?…しかし…先ほど話した話は…、私が…実際に体験した…、…『私にとって真実の歴史』…だ…」

「…」

「君たちは…何を…信じるか…。誰の言い伝えを…信じるか…。…そんな…ちっぽけなことに…捕らわれては…いけな…い。目で…見た事…こそ…真実なの…だ…。君たちに…とっての…歴史なの…だ…。…歴史は…創造で…きる…。君たちに…重要なの…は…、誰が…どう…生きてきた…か…では…ない…。…これ…から…君が…どう…生きる…か…だ」

「これから…」

「人間達よ……。君た…ちに…、私の…力を…授ける…。世界を…変えて…み…よ…」

 その瞬間、クリプトメリアの身体が黄金に光った。

 僅かに残っていた大聖木の葉が黒く腐りはじめる。幹という幹は萎れ、生命の鼓動、潮流が止んでいく。やがて大聖木を纏っていた黄金の光は、その表皮から離れ、六人の人間の中に入っていった。

 心臓が燃えるように熱く。氷のように冷静だ。血流は新幹線のように体中を巡り、渡し船のようにゆっくり流れる。母親のように優しく、父親のように厳しい。喜怒哀楽、神羅万象がひとつになったその感情は、彼らを宇宙の果てまで連れていき、釘を刺したようにその場に留めた。

 

「大聖木様…何故…」

 ファレノプシスは自らが命を捧げて忠誠を誓った大聖木が、その力を憎き人間に授け与えた理由を探した。しかしそれは一切見つからない。萎れた巨木からは何も聞こえない。

 終わった。大聖木クリプトメリアという偉大なる生命が。その場に居合わせた数千、数万、数億、数兆という色とりどりの妖精達がその場に跪き、感謝と労いの礼を示した。

 

 

「ふ…」

 ダリアが肩で息をつく。

 辺りには瀕死の人間達が散らばる。彼らの額から滴る血液が、瞳から流れる涙が、ダムの端を固めたアスファルトを濡らした。

 もしも裏の世界があるのならば、そこは今頃彼らの血液と涙粒によって雨が降りはじめているだろう。

「…待てよ」

 有田がダリアの足を掴む。

「…お前たちを殺す気はない。お前たちは戦士ではないからな。私の騎士道に反する。それでもなお今死にたいのなら」

「フフフ」

 有田が不気味な笑みを浮かべる。

「…人類の滅亡がそんなに可笑しいか?」

「可笑しいね。来ちまったからな」

「あ?」

「来たね」

「ああ来た」

「遅ーよ」

「来た来た」

「ウキ」

 ダリアは一斉に笑い出す瀕死の人間達に恐怖した。死の淵で気が狂ってしまった。いやそんなことではない。こいつらは自身に溢れている。登場からこの瞬間まで。こいつらはただの市民にも関わらず。一貫して…。

 人間の顔が徐々に黄金に灯っていく。夕日か。いや違う。これは黄金だ。生命の黄金。そして輝いているのはこいつらの顔ではない。背後だ。私の背後から発せられる強烈な黄金の光によって照らされているんだ。

 ダリアは恐る恐る振り返った。生命の灯のように燃える夕日の中に明らかに異様な黄金の光が見える。

 感じる。恐れ多い。偉大。荘厳。直視できない。生命として圧倒的に格上。人間じゃない。人間なのか。覇気。あの中にいる。あの光の中に。驚異的な強者が!

「何だ貴様らはー!」

 

「…俺たちは…ヒーローだ!!」

 

 妖精の力。護るべきもの為に呼び覚ました力。そして大聖木クリプトメリアの黄金の力。三つの力を心に灯らせた黄金のヒーローがここに推参した。

「そうか。妖精に導かれた人間達か。いいだろう。貴様らの首は多少価値がある。カーネーションへの手土産だ」

 ダリアの合図で花陽隊は彼らに襲い掛かった。人類と植物、第三ラウンドのゴングが鳴る。

 

 黄金の力。それは理想を現実にする力。戦える。あの時圧倒された植物戦士に。

 俊敏。強烈。鉄壁。その強さはもはや人間と形容する方が難しい。これがヒーロー。やってきたのだ。本当に。

 

 リリーの弾丸が。ひまわりのビームが。牡丹のキックが。ドラセナのパワーが。リンドウのサーベルがそれぞれの護るべきものの為に輝いた。花陽隊の精鋭たちが沈んでいく。自身の信頼を置く最強の側近たちも苦戦している。大変認めがたい光景。

 ダリアは目が合った。一人剣を抜かぬ黄金の中に燃ゆる赤い鼓動を灯した男と。二者は戦火の中をこつこつと互いに歩み、対峙した。ダリアは梅屋に剣先を向け、問うた。

「…何が起きている」

「クリプトメリア様に会った」

「なんだと!?」

 何という事だ。大聖木様の御姿など私でも見たことがない!それどころか私は聖園に足を踏み入れたことすらない!何故人間如きが!何故です大聖木様!何で私にこんな仕打ちを下すのですか!この身を全て捧げてきた私を!…カーネーション!まさかカーネーション!小癪な!こうなることがわかっていたというのか!カーネーション!そして!つまり!今!眼前に在らせられるのは!

「その黄金は大聖木様の御力ということか」

「はい」

「…そうでしたか。これまでのご無礼をお許しください。大聖木様」

 ダリアは剣を鞘にしまい梅屋の前に跪き頭を垂れた。

 

「!!」

 

 ダリアは、その場で自らの首を落とした。

「ダリア様…」

 数体の花陽隊の動きが止まった。状況が理解し得たのか、ダリアに続いた者も何名かいた。

 それから人類による花陽隊の鎮圧にはさほどの時間を要さなかった。二度の絶望的状況から人類は奇跡的な勝利を挙げた。

 ヒーロー達は光をほどき、自分を信じて待ってくれた護るべきもののところへと歩み寄った。

 黄金の力。それは世界を変える力。護るべきものの笑顔を変えぬ力。

 

 

「アルストロ隊長」

「カトレア…」

 カトレアがアルストロメリアに巻かれた縄を解いた。

「すまない。カトレア」

「いえ」

「ダリア様は」

「…敗れました」

「そうか」

「・・・邪魔者が消えましたね」

「…何が言いたい。カトレア」

「ダリア隊長がいなくなった今、アルストロ隊長が次期総帥に最も近づいたということですよ」

「…私がわざと捕まったと?」

「いえ、ただその方が、次期騎士隊隊長候補の私にとっても都合がいい…というだけです」

「カトレア、我々の使命はまず種族の存亡だ。そのような」

 アルストロメリアは急に込み上げてきた咳込みに屈し、言葉の全てを紡げなかった。カトレアは察し、ご無礼をお許しくださいと頭を下げアルストロメリアの前から去った。

 カトレアの姿が見えなくなった頃合いを見て、アルストロメリアは咳き込みを抑えた掌にふと目をやった。そこには鮮やかな血痕がべたりと付着していた。

 ついに来たか、とアルストロメリアは天を仰いだ。