第35章
第35章
Ⅰ 12月25日②
「…もう!なんなのよ!」
「あらあら牡丹ちゃん大荒れでごじゃるな」
牡丹はドンぶりに残ったスープを一気に飲み干し、カウンダーに叩きつけた。
時刻は午前七時。日付は十二月二十五日。場所はいつもの『陽気なアコちゃん』。陽気な店主はまるで他人事。
牡丹にとって十七回目のメリークリスマス。今年のクリスマスも彼女は例によって夢を届ける側に周った。
小学生の時からアイドルを生業としている彼女が、家族とそれを過ごしたのは遠い過去の話。恋人とそれを…、などとはもはや口に出すことさえも憚れるおとぎ話だ。
そしてひまわり。あいつは昨日、作っていたケーキを放っぽりだして、突然外に飛び出していってしまった。それからひまわりは昨日は結局帰って来なかった。ムカついたからケーキは私が全部食べてやった。
「何でクリスマスの朝から一人でラーメンなんか食わなきゃなんないのよ!」
「あなたが頼んだからでしょーに」
「何でこんな時間から開けてんのよ!入っちゃうじゃん!!」
「いやーホテル帰りのカップルとかを狙ったんだけどねー。釣れたのは牡丹ちゃんだけでした」
「意味わかんない!」
牡丹は勘定を机に叩きつけ、全く開かない引き戸を蹴り上げ暖簾を潜っていった。
「いやー青春ですなあ」
ジングルベルが鳴り響く街。牡丹は地下鉄構内へと潜っていく。
地下鉄に揺られること六駅。二十三区の西端。三角形が特徴的なイベント会場にて。毎年恒例のクリスマスイベントが今夜も催される。
日中はその前哨戦。グループメンバーと触れ合うためにファンらが創った待機列。高揚と悲哀が漂うそれは、ある時突然流れを止めた。
牡丹が何事かと近くのアルバイト警備員に事の次第を尋ねる。
警備員は、無線から『植物がやって来た』という旨の情報が流れてきたことを彼女に伝えた。
会場に植物が。何で。約束したじゃんか。私の友達にはもう手を出させないって。夏の悲劇の傷はみんなまだ癒えていない。牡丹は騒ぎの方に走った。
…血の臭いはしない。牡丹が野次馬の壁を掻き分ける。そこにあったのは警備員らに抑え込まれる一体の植物の姿だった。
植物は抵抗する様子もなく、刀も所持していない。
「ねえどうしたの!」
牡丹が植物に尋ねる。
「オレはただアイドルを楽しみに来ただけなのにこいつらが不法に取り押さえるんだ!」
信じていいのか。暴徒やあいつだったらきっともうこの警備員の人たちは殺されているはず。それともまた私を狙って?
「…彼を離してあげてください。彼は大丈夫ですよ」
「しかし…」
警備員らは牡丹の大きな瞳に平伏し、植物を解放した。
「ありがとう」
「ううん。…はい!みんな戻った戻った!」
牡丹により騒ぎは治まり、彼女は再び自分のブースに戻った。
きっかけが欲しかった。自分の道がわからない。道しるべもない。だからあえて狭い道を選んでみた。これで何かが変わるなんて期待していない。でも少しでも前に進んでおきたかった。
荒んでいた牡丹の気持ちが少し鎮まった。かと思われた。が。
「あいつ!なんなのよ!助けて損した!」
いくら待てど、さっきの植物は彼女の元に現れなかった。助けてやった鶴が、幾晩越しても機を織りに来ないことに、シナリオと違うじゃないかと彼女は怒りを露わにした。
牡丹は次にやって来たファンが自分の正体を知る一人だとわかると、牡丹は何かを思いついたように、ポケットに入っていた紙切れに何かを書きなぐった。
「これさ、さっきの植物に渡してくれない?」
「…オッケー」
ファンは事が内密であることを察し、すぐにブースを出た。牡丹は彼の応用力にではなく、自らの教育力に自惚れた。
会場は小休止に入り、一時間後のクリスマスライブまで、演者、ファン共々しばしの自由時間を得た。
時代の移ろいによって使用されなくなった喫煙所の隅。独り座る鮮やかな赤と緑の植物体に牡丹が近づく。
「さっきはごめんね。みんなやっぱり植物怖いみたい」
「まあ仕方ないでしょ。植物界に人間がいても同じことになる。いやもっとひど
「んなことはどーでもいいんだけどさ。あんたいったい誰と握手したのよ!」
「…モモちゃんだ」
「信じらんないんだけど!あんた誰のおかげで助かったと思ってんの?見捨てればよかった!」
「何でだ!それとこれとは話はべ
「まあいいや。それよりあんた花陽隊でしょ?こんなとこでさぼってて怒られないの?」
「そうやって人の話を食い気味で遮るのは人間の文化なのか?」
「あんた人じゃないでしょ」
「お前すごいな」
「何がよ。で、怒られないのって聞いてんの」
「オレは『元』花陽隊だ。総帥が大聖木様に不敬を働いたタイミングでやめた」
「へえ。そうなんだ。何で?」
「別にそれに怒った訳じゃないんだけど、何か戦うのが嫌になったんだよね」
「へえ何でまた」
「まあ正直言うとこっちでたまたま見つけたモモちゃんに魅せられた。だから人間相手に戦うのはやめた。モモちゃんみたいなかわいい子はアルプローラにはいないからね」
「まあ私が一番だけどね」
「まあそういうやつもいるな」
「ふーん。そっかあ。あーもう言うわ。言っちゃうわ。ロッタ出ておいで」
ロッタが牡丹の懐からひらりと現れる。
「妖精…」
「ハロー。えーっと」
「ポインセチアだ」
「まあつまりこの私がこの子に導かれて大聖木さんの力を貰った人間なのさ」
「!?…そうだったのか…」
「うん。でもどうすればいいのか全然わかんないのよ」
「なにが?」
「自分が何をすればいいのか。人間として植物をやっつけるべきなのか。それとも植物の味方するべきなのか。全然わかんない」
「それが普通でしょ。自分が何をすべきかはっきりわかってる方がおかしいんだって。オレだって御国の為なんてカッコつけてたけどさ、入隊したのも何となくだし、その流れでこっち来で、そして何となく辞めた。まあ実際人間はムカつくけどさ」
「でもっさー」
「人と植物の感覚は違うだろうけど、多分牡丹もオレも若手でしょ?むりむり。ほとんどの大人ですらきっと惰性で生きてるだろうに、やりたいこと見つけろなんて無理なのよ。はなから。だからさ今を全力で楽しむのさ。死ぬまでの毎分、毎秒を全部楽しんじゃえばいいの。そしたら必然的に死ぬまでずっとハッピーじゃんか」
「そんなもんなのかなー」
「そんなもんよ。それで死んだらそれが運命。俺たちはなーんも悪くない。全部社会のせいにしちゃえばいいのよ」
「そっか。なーんかスッキリしたかも。ありがと!」
牡丹は立ち上がり天に伸びた。
「ライブも見てくっしょ?」
「もちろん。元取らなきゃ」
「どうやってチケット買ったの?」
「弾き語り」
「どこで」
「調布」
「へえ」
二人は立ち上がり、それぞれの導びかれる方へと別れた。
若者が止まることは決して許されない。その道が正しいのか、行ってみなければわからないにもかかわらず。
ライブが終わり、帰路につく牡丹らを白い道が出迎えた。
『しんしん』とはよく言ったもので、聞こえてくるはずのないそんな擬音が確かに聞こえてくるような気がした。
電球の点滅毎に色を変える世界は牡丹の心を荒廃から解き放ちかけた。しかし戦争中とは思えないほどに浮かれる街に牡丹の心に再び龍が降りてきた。
牡丹が駅出口の地図の前で恋人か何かを待つ赤いコートの女を睨む。牡丹はふとその色からポインセチアの事を思い出した。
ポインセチアはいったいどこに帰ったのだろうか。無事に寝床につけたのだろうか。
何の義理もない植物の事を心配しながら歩く彼女の背中。妙に騒がしいような気がする。
彼女は立ち止まった。今日がもし雪天でなかったら、あるいはクリスマスではなかったら、彼女は迷わず地下鉄構内への階段に足を沈めていただろう。
彼女は振り返り、騒がしい方へと進んでいった。
駅入口から道を一本渡った先の国道。蝋燭を持った大勢の老若男女が列をなしている。
デモ行進。テレビでは見たことあったが生では初めて見た。牡丹はデモ隊の握る尊い灯に心を囚われた。
彼らは『人花共存』を訴えているようだ。植物界との共存社会を実現するため。政府のアルプローラへの攻撃を中止する事、そして市民への排気ガス削減、彼らは声を上げ訴えている。
みんな、自分ができることをしている。世界を変える為に藻掻いている。一人一人は非力だが、大通りを闊歩する偉大なうねりは多くの人々の足を止めていた。
これは自分の問題だ。自分は当事者なんだ。牡丹の中の黄金の光が疼いた。
黄金の光は共鳴する。牡丹がふと隣を見てやると、黒いフードを深く被った背丈からして男性の懐も確かに黄金に光った。
牡丹がしばらく彼のその優しい黄金の光を見ていると、その男性も何かを察し牡丹の方へ首を向けた。
あ。二人は互いに声を合せた。深く被ったそのフードの中身は偶然にもポインセチアだった。
「何してんの」
「こっちの聖祭と聞いてさ。散策して
「危ないじゃん。また捕まるよ」
「危ないか?」
「!! ちょっとなにしてんのよ!」
ポインセチアはフードを脱ぎ捨て、デモ行進する民衆へと突っ込んだ。当然、辺りは騒然とした。
「ほら。大丈夫だ!」
いくらかの野次馬は悲鳴をあげていた。デモ隊の中にもそれをあげた人がいたのには、牡丹も少しほくそ笑んでしまった。ただしかし、それは彼女が想像した混乱とは全く程遠く、現場は戸惑いこそあったものの彼らはポインセチアを温かく迎え入れた。
「これどうぞ」
小学生程の女の子がポインセチアに蝋燭を渡す。ポインセチアはお礼を言い、彼らと一緒に歩き出した。決して忍ばず、植物として。胸を張って。
「牡丹も来いよ!」
ポインセチアは牡丹の方に再び駆け寄り彼女の手を引いた。ポインセチアとは対照的に、牡丹は忍びに忍んだ姿で彼の横を仕方なく歩いた。
彼らはどこに向かっているのだろうか。辿り着いた先に理想郷はあるのだろうか。彼女は歩き慣れた街をキョロキョロと首を振り歩いた。
「あ」
牡丹は気付いた。ポインセチアだけでなく、いつのまにかたくさんの植物がこの行進に混ざっている。
警視庁からもデモ隊の動向はよく見えた。
「クリスマスだってのに夏焼さんもよく働きますねえ」
浅海が人気の少ない二課のデスクに我が物顔で足を乗せポッキーを食べながら言った。
「二瓶さんって奥さんいたんですねーあんなちゃらいのにー」
夏焼はそれをまったく無視して慣れぬパソコン操作に奮闘していた。
「夏焼さんも早く結婚したらいーのにー」
「ここか?」
夏焼がパソコン内の地図を示す。
「そうそう。小鳥島。ここです」
「明日の朝。出るぞ」
「はいはーい。そういうとこは強引なんですけどねーもっと女の子にもガツガツいったらどうですかー」
浅海が椅子をくるくる回しながら夏焼に言う。
「そういうお前はどうなんだ」
「私って高嶺の花じゃないですか?そんじょそこらの男じゃ手が出ないってゆーか」
「低すぎて誰にも見つかってないんじゃないか?」
「灯台下暗しですね!大切なものは身近にあるって言いますもんね!」
「逞しいな。明日は早いぞ。とっとと帰って寝ろ」
「夏焼さん」
「あ?」
「…乙女を聖夜に一人で寝かせる気ですか?」
「あ?」
「…」
「…」
「…ぷ!冗談ですよ!何ムスコ大きくしちゃってるんですか!」
「…お前マジで刑務所ぶち込むぞ」
「ふふふ。夏焼さんがいき遅れたら私が貰ってあげますよ!」
「来世でな」
「メリークリスマス!ミスターナーツヤキ!」
浅海が顔をぶら下げ二課をあとにする。誰もいない室内を見渡す夏焼とデモ隊の声、そしてえ心拍音の余韻が残った。
「梅屋さん。もう大丈夫ですよ」
「いやいや。雪もどんどん強くなってきたんで!」
Flowrist Lindbergh。店舗入り口の雪を掻く梅屋芍薬。それを寒そうに、気まずそうに見守る芝浦藤乃。
梅屋はリンドウの危篤、そしてその原因を藤乃に伝えた。
藤乃はそれに怒らず、落ち込む梅屋を慰めた。
リンドウがヒーローだとわかった時から、藤乃はこの店がどんなことになろうとそれを受け止めようと決めていた。
ただ、罪滅ぼしなのか、延々と雪かきを続けるこの男に関しては正直そろそろ目障りだ。
早く帰ってくれないかなあ。今年はとんでもないクリスマスになったなあ。
来年はどんな一年になるだろうか。
「できるさ。牡丹」
「え?」
「共存さ。そうだろ?」
「…うん」
しばらく歩いた。デモ隊の流れが突然鈍くなり、隊は自然と散会しだした。
これで終わり?そんなもん?
道路の真ん中に取り残された牡丹とポインセチアは少し語らった後、それぞれの帰路についた。
牡丹はポインセチアが街灯のない裏道に消えるのを見送ると、牡丹もどこでもいいからと駅を探した。
地下鉄駅はすぐに見つかった。便利だなあ、そう考えると東京の地下は穴だらけだなあ。などと下らない照れ隠しを頭に浮かべながら彼女は地下鉄に揺られた。
その頃、彼女が散会したと考えたデモ隊は、実は起点にて二手に別れており、それぞれの隊が目的地に向け未だ行進を続けていた。
彼らの目的地は植物要塞前の戦線最前線と首相官邸。順次到着した彼らはさらに高らかに抗議の意思を示し続けた。
花陽隊戦士達はぞろぞろと要塞外に出てその屋根から騒がしいデモ隊を眺めた。
「これは攻撃か?笑」。カーネーションは内容こそこちらの味方であろうが、延々と紡がれる騒音に思わず笑った。
テレビではこっちの歌手がギター片手に人花共存を歌っている。人間の世論がこちらに傾きだしているということか。薬師が世界共通の敵となり、やつの人体実験にも似た非人道的な攻撃を非難する声も多く見受けられるようになった。
花陽隊員らはそれらについて敢えて何も語らわなかった。彼らはそれが明日の戦いに影響を及ぼすことを彼らは知っていた。
今夜は聖夜だという。肌を撫でる粉雪が、何か天からの便りにも思える。
再び地上に舞い戻り、都心より気持ち深く積もった雪を踏みしめ歩く牡丹。
下から見るに自身の部屋の明かりがついている。どうやらひまわりが帰って来ているらしい。
昨日たっぷりと恋人と過ごしたから今日はもうお腹いっぱいってか?うるせえ。こちとら腹でケーキとラーメンが暴れとるぞ。こうなったら今夜は宴会じゃ。ピザじゃピザ。ピザをとるぞ。くそったれ。
牡丹がカギの掛からぬドアノブを回す。妙に静かだ。いつもの腑抜けた出迎えがない。
四歩半の廊下を抜け部屋に入る。
「おかえ
「ひまちゃん!?どうしたのその髪!?」
牡丹は部屋に入るやいなや、荷物を投げ下ろし髪がバッサリと切られたひまわりの元へと駆け寄った。
「ひまちゃん何かあったの!?彼氏に何かされたの!?」
牡丹がひまわりの両肩を揺すり詰め寄る。
「何もないよ」
「どうしたのよこれ…」
近くで見るとひまわりの髪は見るも無残に千切れていた。いや、焦げていたというべきか。とにかくこれは誰がどう見ても美容師の技ではない。
「ちょっとね。ホントにどうってことないんだよ。ありがとボタちゃん」
ひまわりは牡丹が何を聞こうと、笑顔でそれを受け流した。その笑顔に今までの温かさはなく、氷のように冷たかった。
「とりあえずこれでいいかな」
牡丹はひまわりを浴室にぶち込み、無残な彼女の髪を応急的に整えた。
「ありがと。ボタちゃん」
ひまわりに何かがあったことは明白だ。しかし、彼女がそれを話してくれない限り、彼女に何があったのかはわからない。
ひまわりは自分を全く信頼していなかった。自分は相談相手にすら定められていなかった。牡丹を暗黒の不安が襲った。
今夜は聖夜だという。聖夜の寝床はとても厳しく、寒い夜だった。