エピローグ

エピローグ

 

 日は出ている。一つとは思えぬほどに。

 しかしこの大地はやけに冷える。カランコエは世界を覆う純白の世界に引かれた一本道を、抱きかかえた赤子が冷えぬよう、優しく包みながらひたすら歩いていた。

 ガベリアの案内で彼は雪上にポツンと佇む一軒の家に辿り着いた。

 カランコエはその家のインターフォンを律儀に押し軒先で反応を待った。

「!!」

 中から出てきた若い女カランコエの顔を見るや、若い人間の女特有の金切り声で叫んだ。

 すると似たような顔のまた若い女がドタドタと階段を駆け下り、こちらに顔を覗かせた。

 カランコエは面倒くさい事になる前にと、女らに用件を伝えた。

「雛菊という女性はいるか」  

「雛菊はあたしですけど…」

 二階から降りてきた女が表向きは冷静に答えた。

「菊江ひまわりからの遺言だ。『雛ちゃんは本当にすごいよ。何がすごいかというとね。ちょっと今は思いつかないけど。あたしの自慢の妹だよ。大好きだよ』とのことだ」

「は…?」

 雛菊の頭の中は音が聞こえるほどにグルグルと高速回転した。

 目の前にいるのは植物だ。テレビで見た。薬師博士が倒した奴らだ。それが何でこんなとこにいんの。何で赤ちゃん抱いてんの。てか遺言って何よ。何で姉さん死んでんのよ。何でそれをあんたが伝えにくんのよ。

「…」

 巡り巡った雛菊の頭が導き出した回答は沈黙だった。

「薊という女性はいますか」

「え!あたし薊!」

 先ほど金切り声をあげた女が一転健気に答えた。

「菊江ひまわりから遺言だ。『薊はね。すっごく可愛いよ。何かねリスみたい。大好きだよ』だそうだ」

「ひま姉死んじゃったの?」

 薊は目に涙を浮かべてカランコエに問うた。

 彼女たちはひまわりが薬師と戦ってたことを知らない。カランコエは彼女たちに何からどう話すべきかを悩んだ。

「どうなのガベリア」

「え」

 カランコエとガベリアは雛菊の問いに逆に言葉を失った。

「雛ちゃんウチのこと覚えてるの…?」

「うん。覚えてるよ。覚えてるけど…。何かわかんないけど、あなたを思い出そうとすると頭がズキズキすんのよ」

「そっか…。薬師は妖精の存在を知らないから彼女達からその記憶を消せなかったんだ…。その上に変に新しい記憶を植え付けられたから…」

 ガベリアが状況から仮説を立てた。さらに雛菊は眉間に皺を寄せて頭の中をグルグルと回した。薊は終始口を開けていた。

 雛菊はカランコエとガベリアに説明を求めた。カランコエが全てを話そうと口を開くと、薊は見るからに寒そうなカランコエを見てまずは彼らを家の中にあげてあげようと雛菊に言った。

 彼女たちの部屋に上がったカランコエとガベリアは改めてこの一年間の全てを話した。

 植物界が人間界由縁の疫病の危機に晒されていたこと。ガベリアら妖精がその作戦の為に人間界に駆り出されたこと。そしてひまわりを見つけたこと。その時雛菊たちと出会ったこと。ひまわりが戦士となったこと。植物界と人間界の戦争が始まったこと。薬師が虹橋を落としたこと。ひまわりが大聖木様の力を授かったこと。ひまわりが植物と恋人関係になったこと。世界が人間と植物の共存を望みだしたこと。ひまわりの恋人が薬師の仲間に殺されたこと。薬師が世界を凍らせたこと。ひまわりが最後まで薬師と戦った事。そして薬師に殺されたこと。彼女は最後まで彼女の戦い方を貫いたこと。薬師が人類に異なる記憶を植え付けたこと。それにより世界中が薬師のことを英雄だと思っていること。そして、ひまわりがこの子を世界に遺したこと。

 雛菊と薊は静かにカランコエとガベリアの話を聞いた。彼らの言葉に信じ難いことはひとつもなく、彼女たちは彼らの話を全て信用した。

「その子はどうするの」

「この子は希望だ。アルプローラのではなく、この星の。…ガベリアと私としてはこの子を君たちに育ててほしいと考えている。…雛菊、薊。この子を預かってくれるか?」

「うん。わかった」

 雛菊はあの時と同じように、それを即答した。ガベリアは彼女のそれが投げやりな解答ではなく強い芯によるものだと知っていた。

「ありがとう。君たちなら安心して預けられる。『その時』はは必ず来る。それまでこの子を頼む」

「うん。任せて」

 カランコエの顔が人間界に来て初めて柔らかくなった。

「あ、紫苑だ」

 階下の玄関戸が開閉し、薊はその主の名を言った。

「紫苑君か。彼にも遺言がある」

「そっか。薊、呼んできて」

「いや、いい。私が降りよう。ここに長居する訳にも行かない」

 カランコエは腰をあげ、階段を下り紫苑と対面した。紫苑は例によってカランコエの巨体を眼にするや腰を抜かした。

「紫苑君。菊江ひまわりからの遺言だ。『紫苑、家族みんなを守ってね。大好きだよ』だそうだ」

「は?」

「雛菊、薊、突然お邪魔して悪かった。あとは頼んだぞ」

「うん。気を付けてね」

カランコエ。ウチはここに残るよ。ひまの遺したこの子をここで見守る」

 カランコエはうなずき、菊江家をあとにした。背後では紫苑が姉二人に「今のやつは何だ」と喚いてるのが聞こえる。

「次は…阿久津農園の社長、阿久津さんか。これまた遠いな」

 カランコエはクシャクシャのレシートを胸元にしまい、再び日光が照らす雪原の一本道を歩きだした。

 世界の始まりのように眩しい。まるで天に太陽が二つあるかのようだ。

 

最終章

 Ⅰ 12月27日②

 

 早朝、普段は世話しない東京湾岸の市場は究極的に静まり返っている。

 生気のない港、人類の記憶と植物の意地を掛ける戦士達が集結する。

「お前も行くのか?」

「浅海遥!お供します!」

「止めはしない。勝手にしろ」

「勝手にします!私には植物とヒーローの皆さんが薬師から世界を救ったという事実を世界に遺す使命がありますんで!」 

「すばらしい!あなたも我々と同じく使命を持った使者なのだな!」

「その通りです!カランコエさん!」

「うむ!」

 浅海は空を見上げた。冷たい雪が顔に当たる。薬師。頭を覗いてるか。逃げるなよ。バーカ。

「現場での指揮はラナンとリリーエーデルワイスに託する。大聖木様の御霊とともに、アルプローラの誇りを見せつけてやれ」

 カランコエラナンキュラスカーネーションに深く礼をし、昨晩リリーとカランコエが調達してきた軍用の水陸両用車に乗り込んだ。

 ひまわりと浅海もそれに続いて勇む。誰の顔にも迷いや恐怖は見られない。

 全員の乗車を確認し最後にリリーが運転席に乗り込もうとしたその時、彼女の腕を牡丹が引っ張る。

「リリさん…。ひまちゃんをよろしくね」

 リリーは牡丹の今にも泣きだしそうな眼にそっと頷き、彼女の額にキスをした。

 両用車の扉をバタンと閉め、エンジンを掛ける。唸るアクセルとともに、水陸両用車は凍てつく海へと飛び込んだ。

「みんな…」

「祈るのは後でだ。こちらはこちらでやることをやるぞ」

 カーネーションは牡丹を引き連れて両用車が揺れる海を背にした。

 

 

 レーダーに従って本来は無人島であるはずの小鳥島へ向かう。小鳥島に近づくにつれ車内の温度は徐々に下がっていく。

 前方の視界はほぼない。フロントガラスに付着した海水は瞬時に凍り付き、カランコエが時折それを火炎で溶かしながら大洋を進む。

 車内前方ではリリーと浅海が何やら話しているが、後部座席のひまわりからは車がガリガリと氷を砕いて進む音しか耳に入らず、彼女は何も見えぬ窓から、何を見るでなく、何かを見ていた。

 出発から数時間。遂にレーダーが小鳥島の接近を知らせる。直後、車は前進をやめた。

 リリーが上部ハッチの氷をカランコエに溶かすよう依頼する。カランコエはそれを朝飯前に溶かし、リリーが外に顔を出す。

 両用車が進まぬわけである。リリーは目の前に広がる北極圏のような氷の大地に息を飲んだ。これが本当に伊豆諸島なのか。本来常夏であるはずの南国諸島は三百六十度白銀の『常冬島』に変わってしまっているではないか。

 リリーはラナンキュラスを車上にあげ、現状を見せた。

 どこからが島でどこからが氷か見分けがつかない。リリーは再び運転席に戻り車体を氷面に乗り上がらせ進んだ。

 約一時間氷上を進んだ後、ハッチから上体を出していたラナンキュラスがリリーに前進を止めさせる。

 ラナンキュラスは再びリリーを上にあげ、今度は彼がその光景を彼女に見せる。

「Oh...」

 リリーから漏れた息は瞬時に白く凍てついた。彼らの目の前に広がっていたのは、何百体という植物戦士達の屍が、雪原に刺された無数の十字架に磔にされ晒されている光景だった。

「ココカラ歩クデ」

 リリーが両用車のエンジンを切り、車外に出る。それに続き皆がそれぞれの装備を整え氷の大地に立った。

 ラナンキュラスは磔にされた同胞を眼にしたカランコエの体温が急激に上がっていくのを感じた

「気を確かに持て。カランコエ。敵の挑発だ」

「見くびるな。心配は無用だ」

 強く語ったカランコエは屍となった同胞一体一体に語り掛けるよう、それらと対話しながら氷上を進んだ。

 浅海は残虐な光景に珍しく足が竦んだ。しかし、それを目の当たりにしても、四人の戦士達はこの雪原を何の躊躇もなく進んでいく。

 彼らはまだ知らないんだ。薬師の恐ろしさを。

 もちろんHypoの物体と対峙してきた彼らはその脅威については身をもって知っているはずだ。しかし彼らは薬師本体とは対峙したことがない。

 冷酷や残虐とは違う。自らの利益のみを勘定に入れ動いている。殺人者なんかではない。わがままを貫く子供のような、話の出来るような相手ではない。

 きっと何かを仕掛けてくる。自分達の接近にもすでに気付いているはずだ。

 最初は好奇心とか興味とか、そういう類いの調査だった。しかし調べるにつれ、これがかなりの大事なんだと悟っていった。でももう引き下がれなかった。そしてついに目の前で人が殺された。

 浅海の心拍数が徐々に上がっていく。彼女の脳裏に、頭蓋を爆散された添田の顔が浮かぶ。

「マダ引キ返エセルヨ」

 リリーがもうすでに雪を被った車を指さし、青醒める浅海の顔を見て優しく告げる。

「絶対に逃げません!舐めないでください!」

「ソノ意気ヤデ」

 浅海が顔をあげる。葉を降ろした樹木は氷の膜を纏っている。新宿駅と同じくらいの面積の小さな島。島民はいない無人島。そこにあるはずのない不気味な黒い建物が一戸、雪原の高台に佇んでいるのが幽かに見える。

「準備ハエエカ」

 リリーが浅海に高そうな布袋に包まれた何かを手渡す。

「?」

 浅海が袋の中のものを取り出す。

「あ」

 中には彼女が初めて妖精とヒーローを目撃した時、何者かに奪われた一眼レフが入っていた。

「返シトクデ」

 片言の澄み渡る声色。仄かなシトラスの香り。そして突き付けられた冷たい銃口。彼女の中でまさに点と点が線になる。あの時の女性はリリーエーデルワイスだったのだ。

 彼女は手に持っていたカメラをリュックにしまい、リリーから受け取ったそれを首からぶら下げた。レンズカバーを開き、ファインダーを覗くとそこには凛々しいリリーの背中が見えた。

 

 

 先頭のひまわりの足が止まり何かを察する。ラナンキュラスも続いてそれを察した。

「雪崩れだ!」

 島上部から白い波のような巨大な雪崩が氷の草木を薙ぎ倒しながら音を立てて下ってくる。

「私の後ろに回れ!」

 カランコエが唸りをあげ、大寒波からカーネーションを救ったときのように、迫りくる雪崩れに火炎で真向に挑む。 

「!!!!!!」

 その時、カランコエの視界に磔にされた同胞達が目に入る。

カランコエ!」

 ラナンキュラスが名を叫ぶ。しかしカランコエはあろうことか発炎を休止する。

 迫りくる雪崩れにひまわりがビームを捻出するも、もはや間に合わない。

「ヒマワリ!」

 リリーもひまわりの名を叫ぶ。しかしそれは雪崩れによってかき消されてしまう。リリーは咄嗟に傍の浅海を庇った。

ドドドドドドドドドドドドドドドド・・・・!!

 雪崩は辺りに磔にされた戦士達を押し流しながら五人を襲い、彼らを分断した。

「!!」

 リリーは雪崩の中で浅海の腕が手から離れていくのを感じた。

 

 

 リリーは無垢な世界で気を戻した。天地の解せぬ世界で自身にのしかかった雪を掻き分け上を目指した。

 何とか彼女は雪面から手を出す。身動きは取れない。彼女は次第に身体の先から感覚がなくなっていくのを感じた。早く出なければ。頭の何処かで死を覚悟したその時、先ほどすり抜けた温もりが彼女の手を掴んだ。

 誰かが必死に辺りの雪を掘り散らかす音が幽かに聞こえる。浅海か。ひまわりか。彼女の視界の白が段々に温かさに染まっていく。リリーは安堵した。

 

 

 自分に圧しかかる雪が自身の体温により溶けていく。

 ひまわりはやがてスポリと雪面から頭を出し、辺りを見回した。

「…」

 カランコエがそこらを掘り散らかしているのが見える。

 ひまわりも自力で這い上がろうとするも、どうも掌を置いたところの雪が溶けてしまいうまく上がれない。

「お」

 カランコエがひまわりに気付き、すぐに彼女の手を取り引き上げる。

「ありがとうございます」

「礼はいらない」

「みんな大丈夫かな」

「どうだろうな。とりあえず私達は任務を全うしよう」

「うん。わかってるよ」

 そう言うとひまわりは黒い建物へと飄々と歩き出した。カランコエは勇ましい彼女の行動に一目の信頼に置いた。

 

「…サンダーソニアは、どんな最期を迎えた?」

 しばらく二人で歩いたのち、カランコエがひまわりに問うた。

「…うーん。忘れちゃった」

「そうか。私はな。もし出会う時代、出会う状況が違ければ、私とサンダーソニアは良き友人になれたと思っているんだ」

「そうなの?」

「彼と初めて会ったとき、君もいたな。あの時、私たちは君が帰った後も丸二日近くくだらない問答をし続けた。お互い意地っ張りというのかなんなのか。なによりあの時間は楽しかった。それに、私ならばきっと彼の最強ゆえの退屈を忘れさせれた」

「でもきっとソニアさんの方が強いよ」

「…違いないな。そのサンダーソニアという魅力的な植物が愛した君という人間はさぞ、魅力的な女性なんだと心から思う」

「どもありがとござます」

「…もう聞いたか?君のn

 

「さすがしぶといですね。本当に」

 

「!」

 声は聞こえる。しかし姿は見えない。

「しかしながら、数時間後にはアナタ方が凶悪テロリスト。今のうち逃亡先でも考えておいた方がいいのでは?あ、植物のカランコエ君は放っといても勝手に死んじゃうんでしたね笑」

 感動を覚えるほどに胸糞の悪い声明が次々と紡がれる。この声の主、紛れもなくクラステル。

「残念ながら薬師博士はもうこの島にはいませんよ。あなた達はこの何もない島にまんまと誘き寄せられたんです」

 コロコロコロン。

「…」

 カランコエの足元にペチュニアの首が転がってきた。カランコエはそれを優しく抱え、雪をかぶせた。

「薬師博士はすでに東京にいます。彼はあちらに残っているカーネーションと女をただちに抹殺するでしょう…もうし終わったかな?」

 ひまわりとカランコエは静かにその声を聴いた。感覚を研ぎ澄まし、その声の元を探った。

「もうじきにトランスプラントが始まります。…そこで!ゲームをしましょう」

 ひまわりとカランコエが高台にその姿を捉えた。忘れもしない胸糞悪い紅いシルエット。カランコエとひまわりは拳に力を込めようとそれを握る。しかし、両者はクラステルの両脇に見えたあるものによりそれを取りやめる。

 

ラナンキュラス!」「リリさん!」

 

 クラステルの両脇にはリリーとラナンキュラスが磔にされ寒空に晒されていた。

「さて、君たちはどうしますか?この二人を見捨てて本島へと戻り、薬師博士らによるの施術を止めますか?それともこの二人を助けて、あなた方をテロリストと認識して目覚めた世界へと凱旋しますか?もちろん何もできずに全員死んでしまう可能性もあるんですが」

 ズザザザザ!!

 クラステルの合図により、数百体の模造兵が雪の下より姿を現し、彼らを取り囲んだ。 

「さて、あなた方と違って熱源を持たないこの二人は氷点下でいったい何分堪えれるのでしょうか?同胞には手を出さない…なんていつまで言ってられますかね?では健闘を祈りますよ」

 クラステルはラナンキュラスとリリーの服を剥ぎ取り、自身に纏った。模造兵たちはクラステルの気色の悪い笑い声をBGMにひまわり達に襲い掛かった。

 ひまわりが右手に太陽を纏う。彼女から放出される高エネルギーが、多くの模造兵を亡きものと化すも、一人の力ではての殲滅には間に合わない。

 一方カランコエはなもおも模造兵との戦いを躊躇した。

カランコエ戦え!その覚悟がないならば、菊江ひまわりと一緒に本島へ戻れ!俺たちは見捨てろ!本島に戻るんだ!」

 ラナンキュラスが必死に叫ぶ。しかし彼らこちらへの進行を辞めない。

「いつまで意地を張るんですか笑」

「オレは死んでも同胞には手は出さん!そしてクラステル!お前は死んでもオレが殺す!」

「困ったものです」 

 クラステルがまた彼らを煽る。何故ならそれが、彼らの頭を覗くときの最高のスパイスとなるからだ。

カランコエさん。クラステルを殺すのはあたしです。邪魔しないで下さいね」

 ひまわりは自身の攻撃をカランコエの援護には一切向けず、そう言捨てた。

 カランコエもどんなに体を痛みつけられようとも、何の工夫もない前進を辞めなかった。

 ひまわりの太陽の力がいかに強力であると言っても、彼女はやはり戦闘の素人である。疲弊した彼女に、模造兵たちはさらに攻勢を強めていった。

「菊江ひまわり!カランコエを連れて逃げるんだ!君だけでも!君だけでも生き残らなきゃならない!」

 その声はひまわりに届いているのか。高台からはひまわりの姿が見えなくなる。ラナンキュラスは最後の力を振り絞りひまわりに叫ぶ。

「菊江ひまわり!!生き残るんだ!君のお腹の中には…!

 

サンダーソニアとの子供が宿っている!」

 

「!」

ひまわりが立ち止まる。

「だから君は生き残らなくてはならないんだ!!人類と!植物の未来の為に!例えアルプローラが滅びても!その子だけは!その子は我々の意思を受け継ぐ子だ!だから生き残れ菊江ひまわり!」

「そっかあ…。だからかあ」

 

 バギバギバギバギイイイ!

 

「!?」

「な…!?あれは…!?」

 激しい雷鳴と閃光及びそれに伴う炎上。模造兵らは瞬時に燃えカスとなった。

 雪氷下の黒い大地は剥き出しとなり、その中心にひまわりが立っている。 

 

「護ってくれてたんだね。ソニアさん」

 

 辺りに焦げ臭い匂いが漂う。カランコエが彼女を見る。彼女の白かった右腕は黒く焼け焦げ、煙を上げている。

 カランコエの周りの模造兵も焼け死んでいる。しかし彼女はこちらを助太刀した訳じゃない。彼女はコントロールできてないんだ。サンダーソニアの強大な能力を。

 カランコエがひまわりの元へと駆け寄る。

「そ、その腕…」

「大丈夫。早く進も」

 カランコエがそれを気遣う。しかし彼女は気丈に振舞う。カランコエは彼女がそう何発と電撃を撃てぬことを悟る。

 しかしさらに迫りくる感情無き模造兵にひまわりはまたも己に電撃を貯める。

「やめろ!」

 カランコエがひまわりの腕を掴む。ひまわりがそれを振り解こうとするも、カランコエはそれを離さない。

「お腹の子諸共死んでしまうぞ!」

「大丈夫だよ。ソニアさんが護ってくれるから」

「いつまで死者の加護に頼っているんだ!」

「あなただっていつまでも死んだ仲間に固執してるじゃん」

「!!」

 カランコエは熱くなった自分を自戒した。

「…確かに君の言う通りだ」

 カランコエが朱色の軍服を脱ぎ捨てる。

「…ひまわり。君の使命を預からせてくれ。クラステルは私が必ず殺す。…だから君はその子を未来へ連れて行ってくれないか。その子を護れるのは君だけなんだ。私もその子の為に、考えを改める」

「…うん。わかった」

「さっさとアレを殺し、本島へ戻ろう」

 カランコエが拳に火炎を込める。そして。

「ウロアアアアアアアアアアアアア!」

 激しい咆哮。烈火の火炎。迫りくる模造兵、知る顔を持ったそれらの顔が焼かれていく。すまぬ同胞達よ。私は信念を曲げ、使命を全うする!

「あらら。同胞には手を出さ

「黙れ!!!!!!」

「!!」

 カランコエの覇気にクラステルが一歩退く。ひまわりの発電の瞬間も合わせればこれで二歩目である。

 カランコエの火炎はさらに燃え盛り、その熱は高台まで昇って来た。

 そして何よりも、カランコエとひまわりの良く手を阻む模造兵は順調に駆逐され、彼らも徐々にこちらに近づいてくる。

 

「どうした?逃げないのか?」

 

 ラナンキュラスがクラステルを煽る。

「逃げた方がいいんじゃないか?あいつらはお前を殺すまで追いかけてくるぞ?笑。殺すだけじゃすまないかもなあ」 

「なめた口を聴くな!」

 クラステルが感情を露わにラナンキュラスの身体を痛めつける。それを眼にしたカランコエらのスピードがさらに上がる。

 

 それは火の玉のように。燃え上がる魂の中でカランコエは死にゆく模造兵の顔を一体一体噛み締めた。

 もし涙が出ているならばそれはすでに蒸発している。あと数メートル。

 

 

「…………」

 ひまわりよりほんの少し早く、磔にされた二名の元にカランコエが辿り着いた。

 冷たい風が彼の熱を冷ます。カランコエはそれを直視できず来た道を振り返る。背後には黒ずみになった数百の模造兵が黒い大地を創っている。

 ひまわりもカランコエの元に辿り着く。ひまわりの顔が青褪める。ひまわりは太陽の掌でリリーの頬を触る。

「リリさん」

 リリーは白雪姫のように美しく眠っている。ひまわりが早く起きてとリリーを温める。カランコエはただ、ひまわりの肩に手を置く。

「ひまわり」

 リリーの頭頂部に積もった雪が天使の輪のように美しい。

「ひまわり」

 蒸発したはずの涙がひまわりの頬を伝う。

 カランコエはひまわりの肩から手を放し、ラナンキュラスの方へと歩む。

 カランコエラナンキュラスに巻かれた鎖を解き、痛めつけられた冷たい体を優しく地面に置いた。

 カランコエはまたひまわりに歩みよる。ひまわりはまだ、リリーの頬を撫でている。

「ひまわり…リリーエーデルワイスはもう…

 

「その顔だよ!その顔!絶望に打ちひしがれるその顔!それが君たちの頭の中で最高の調味料になるんだ!君たちの頭さえあれば!永遠のこの人生も退屈しない!ありがとう!」 

 

 もうそれを睨むこともできない。何でこんなことになるのだろうか。何でこんなことを平気でできるのだろうか。ひまわりはリリーの身体に泣きつくように跪いた。

 サンダーソニアを失ったとき、もうこれ以上の悲しみはないと思っていた。もう何が起きてもこの感情は揺れ動かないと思っていた。

 どうしてカランコエさんは平気な顔をしてるの。自分よりもっともっと沢山の仲間を失って来たはずなのに。何ですぐに敵を睨めるの。

 正直クラステルなんて今のあたしなら瞬殺できる。けどそれでいいのかな。きっとクラステルを殺してもあたしの気持ちは晴れない。でも殺したいよ。何百回も何億回もぶっ殺してやりたいよ。それでもあたしの心の闇はどうせ晴れない。あたしはきっと永遠に悲しいんだ。

 クラステルが死んだら、あたしと同じでどこかにそれを悲しむ人がいるのかな。

 カランコエが拳を握り熱をこめる。クラステルは余裕そうにそれを笑っている。

 あたしかカランコエさんが復讐の為にクラステルを殺す。そしたらクラステルの友達があたし達を殺す。そしてあたし達の復讐の為にまた誰かが。こんなんじゃ世界がぜーんぶ悲しいところになっちゃうよ。

 カランコエが怒りに白目を剥き雄叫びを上げている。

 あたしが死んだら。雛ちゃんとか悲しませるわけにはいかないよ。誰かが止めなきゃいけないよね。この復讐の連鎖をさ。誰かがさ。ああ。あたしこんな難しい言葉知ってたっけ。

 ひまわりが立ち上がり、強張ったカランコエの腕を優しく下げる。

「!」

 ひまわりがクラステルの目を見る。クラステルの心拍が一回、大きく脈を打つ。

 ひまわりはゆっくり、一歩ずつクラステルの方へと歩む。クラステルは究極的に優しい瞳をこちらに向けるひまわりの異質な雰囲気に、また思わず一歩退く。

「仲直りしよ」

 ひまわりがクラステルに問いかける。殺意は全く感じられない。

 彼の人生でこんなにも優しい瞳をかけられたことは記憶にない。だからこそ、クラステルにとってそれはかなりの恐怖であった。

 クラステルがひまわりにピストルの銃口を向ける。ピストルにはサンダーソニアを醜い姿に変えた注射が装填してある。

 しかしひまわりはそれに全く怯える様子なく、両腕を広げクラステルに歩み寄る。

「う撃つぞ!」

「うん。撃ちなよ。いいんだよ」

 クラステルの震えた銃口がひまわりの胸に当たる。

「ほら。大丈夫だよ。仲良くできるよ」

 ひまわりはクラステルを厚く抱擁した。何て温かいのだろうか。何て心地が良いのだろうか。これを独り占めしていたサンダーソニアが憎いほどに羨ましい。

 ピストルを握るクラステルの腕はすでに下を向いている。これまで他人の悲劇から快楽を得てきた。その顔が歪めば歪むほど我が欲求は満たされ絶頂を覚えてきた。

 しかしこの温もりに比べればそのどれもがこれに及ばない。魂の昇天を感じる。

 カランコエはクラステルを抱擁するひまわりの姿を見つめ深く考えた。この暖かさは何だ。大聖木様のそれに似通ってはいるがかなり異なる。

 人類は我々の敵。その殲滅こそ我が使命。しかし、私にこの女は殺せない。殺してはいけない。 

 アルプローラ市民を敵から護るために奪ってきた四十六万飛んで二十三の命。逆に失った仲間の数六百五十五人。私にのしかかるそれらの念が温もりと共に解放されていく。

 間違いない。ひまわりとその子供は、この表裏世界を一つにする力を持っている。

 カランコエがひまわりの温もりから崩れゆく世界に掛かる一筋の希望の光を見出したその時。

 

「何道草を食ってる。クラステル・アマリリス

 

 

 

 

 

 

 

 世界は、時と太陽を失った。

 

 

 

 

 

 

 クラステルを抱擁していたひまわりの身体は、クラステルを拒絶するように背後に倒れた。

 彼女の左胸は紅に染まっている。

 何が起きたのか、銃口から細い白煙をあげる拳銃を持った薬師を見ればそれは理解に容易かった。

 

「ひまわり!!!」

 

 カランコエは薬師の殺害よりもまずひまわりの救護を優先した。

「ひまわり!!!」

「…やり返しちゃだめだよ…カランコエさん…」

 ひまわりはカランコエの腕の中で力強く彼に言った。彼女の胸部からは呼吸をする度に血液が滲み出ている。

「彼を許してあげて…。お願いだよ…。誰かが止めなきゃダメ…。あなたは強いから…」

「ひまわり!もう喋るな!今傷口を塞ぐ!」

 カランコエが右手に熱を込め、ひまわりの傷口を焼く。ひまわりは顔こそ顰めたが、決して騒がずにそれに堪える。

「お前はまだ死なない!世界に君の太陽を照らすんだ!君だけは必ず

「しつこいぞ」

 

 ドギュンドギュンドギュン

 

「!?」

 ガベリアがその名を叫ぶ。しかしそれは新たに撃ち込まれた三発の銃声によってかき消された。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」

 

 カランコエが声にならぬ叫びととに瞬時に火炎を纏い薬師に襲い掛かる。 

 しかしカランコエの腕を衰弱するひまわりの指先が掴みそれを妨げた。

「ひまわり!離せ!こいつは殺さなければならない!」

 ひまわりはカランコエの眼をただ見つめ、首を横に振る。そして彼の手を彼女のお腹の上に乗せた。

「!!!!!!!!!!!」

 カランコエはその瞬間、彼女の中に宿る生命の体温を掌から全身に感じとった。カランコエは大粒の涙を流しながらその場に突っ伏した。

 ガベリアが咽び泣きながらひまわりの胸元に顔をうずめる。ひまわりはガベリアに太陽のように優しく温かい微笑みを見せたまま。ただ。

 

 

「ほら。やっぱり死んじゃったでしょ。私の言う通りだったでしょ」

「うん。死んじゃった!びっくりだよお。すごいねひまわりちゃんは。占い師だ!」

「占い師じゃないけどね。そうよすごいんだよ。あなたもね。ひまわり」

「ほんと?やったー。えへへ。髪伸びたねひまわりちゃん」

「ひまわりが切ったからね」

「そっか!ひまわりちゃんはあたしの裏だもんね!あたしが死んじゃったらからひまわりちゃんも死んじったの?」

「ううん。私は今生まれたの。あなたの裏だからね」

「そうなの!おめでとう!どこに生まれるの?」

「みんなの心の中にね。ずっと残るんだよ」

「そっか!やったね!」

「うん。私たちはこれからもずっと一緒」

「そっか!じゃあ寂しくないね!」

「次は私が髪伸ばそうかしら」

「うん!じゃああたしも伸ばすね!」

「じゃあ切る」

「じゃああたしもこのままにするね!」

「じゃあ伸ばす」

「じゃああたしも伸ばすね!」 

「うるさい!」

「あはは!」

「…そろそろいこうか」

「うん!どこに行くの?」

「ソニアさんのところ」

「何か。久しぶりだと照れちゃうな」

「たったの二日ぶりでしょ。ソニアさんも待ってるよ」

「でもあたし達のこと見たらソニアさんひまわりちゃんのことをあたしだと思っちゃうかな!」

「見た目はそうでも中身を知ったら気付くんじゃない?」

「そっか!じゃあいいや!あ!」

「何?」

「この子はどうしよう」

「連れて行くの?」

「お母さんとお父さんがいなくて上手く生きていけるのかなあ」

「大丈夫。私たちの子だもん」

「だから心配なの!雛ちゃんならともかくあたしは一人じゃ何もできないし」

「ひまわりはね、一人じゃ何もできないことを自分でわかってる。だからみんな助けてくれるんだよ。きっとあの子も」

「うーん。心配だなあ」

「とにかく。連れていくことはできないんだから。ソニアさんとずっと見守ってあげよう」

「うん。わかったよ。育ててあげれなくてごめんね。えーっと…名前決めてなかった!」

「それもきっと素敵な出会いがあの子にそれを授けるはずだよ」

「そっか。うん。じゃあまたね。元気でね。ご飯ちゃんと食べてね。雛ちゃんとかボタちゃんとかによろしくね!ありがとう!大好き!」

「じゃあいこっか」

「うん!」

 何層もの分厚い雲に一点の穴が開いた。そこから一閃の温かい日差しが地上に刺さり、それを中心に雲が細切れに散った。

 

 

 太陽の恩恵か、あるいは彼の怒りの業火によるものか。カランコエを囲む周辺数メートルの雪は溶けるどころか蒸発し、地面は徐々に干からびを始めているようにも見える。

「オレは…お前を許せるのか…?」

「知るか。自分で考えろ低能」

 カランコエの問いに薬師は無礙に答える。

 カランコエがひまわりの身体をそっと地面に寝かせる。

「確かに我々は人類を滅するためにこの地に来た。我々は互いに沢山の同胞達を失った。しかしながら、結果的に我々は互いの偉大なる過ちから共存の可能性に感じ始めた」

「おいおい本気で言ってるのか?植物が?お前如きが人間の何を知っているんだ?私たちはこの長い歴史上一度たりとも互いに共存できたことなどないんだぞ?全員人間にも関わらずだ!何が基準だったと思う?肌の色!考え方の違い!そんな下らないことで私たち人間は何前年と殺し合ってる!そんな愚かな私達がだ!君たちのような別種を受け入れられないのがどんな水晶よりも透き通って明確だ!そこでだ!私が人類全員の頭から差別や区別、そしてその黒歴史を取り除いてやると言っているんだ!お前たちはその必要悪となってもらう!どうせ滅びるんだ!世界平和の為に役に立ってくたばれ!その女のよう

!?」

次の瞬間、カランコエはすでに薬師の首根っこを掴んでいた。

「オレは…お前を許せるのか…?」 

「や、やめろ!」

 薬師の反撃、蛇黒から奪った鋼鉄の能力、ユーストマに付着したドラセナの細胞より摘出した森林の能力、それに体内に取り入れたありとあらゆる花陽隊隊員の能力はどれもカランコエの灼熱の前では余りにも無力だった。

 薬師は蛇黒に勝ったことで自惚れていた。自らが戦闘強者だと。しかしそんなことは全くなかった。自惚れから生まれた登壇。誤算だった。アルプローラの戦士とはこんなに強いのか。蛇黒の比ではない。蛇黒は結局ただの人間だった。全く歯が立たない。こ、殺される…!

 あと少し。あとほんの少しだけ力を加えれば薬師を殺せる。

「オレはお前を…許せるのか…!?」

 アルプローラの惨劇、花陽隊の使命、人類との戦い、改造された同胞達、デモ隊の行進、カーネーションへの忠誠、ひまわりの言葉、そして希望の子供。カランコエを取り巻く全ての条件が頭の中で何周も何周も渦巻いた。

「オレは!!!お前を!!!!!!許せるのか!!!!!!!!!!!!!!!」  

 

 2  

 

 警視庁、おかしな女が一人。女は浅海遥と名乗り、捜査二課の夏焼を出せと騒いでいる。

 何故この女がおかしな、と形容されているのか。それは簡単だ。捜査二課に夏焼などという名前の刑事など存在していないからだ。

 署員らはこの女から事件性でなく、俗にいうイカれた人物のそれを感じとり、彼女を即刻敷地内からつまみ出した。

 浅海は追い出された足で桜田門を潜り皇居内のベンチに座った。

 夏焼さんと二瓶さんの姿がさっぱり消えてしまった。姿どころかこの世に存在していたことさえも、皆の頭の中からすっかり消え失せてしまったのである。

 浅海は氷の上ではないが、北風により十分冷やされたベンチに座り、皇居の静けさに佇んだ。

 もうこの世で私の言う事を信じる者は一人もいないだろう。ある一人の若い女を除いて。

 小鳥島に向かう五人を見送った牡丹はカーネーションとともに凍てつく植物要塞へと向かった。

 あまりにも気まずい道のりに、牡丹は寒さを忘れた。

 要塞の中には氷漬けにされた植物戦士がざっと数百体並べられていた。

 昨夜のうちに要塞内に散らばった彼らをカランコエラナンキュラスとともにこの広間に運んできたのだとカーネーションは言った。

「これから冷凍された彼らを植物界に運ぶ」

 牡丹はもちろん、自分がそれをやるのかと問うた。カーネーションは問答無用でそれを肯定し、まず一人目の戦士を担いだ。

 牡丹はこの一年でかなり理不尽について耐性が付いた。数秒口をあんぐりした後、どうせやらなきゃなんないんだと自身に言い聞かせ、近くの戦士の上体を持ち上げた。

 カーネーションはそれを容易に持ち上げたように見えたが、この植物戦士達、一体一体は骨が折れるほどに重い。

 この先何度心が折れるだろうか。牡丹はぶつくさ文句を言いながら黙々と作業を続けた。

 作業も中盤、聖園には冷凍状態の植物戦士がずらりと並べられた。いつでも暖かな木漏れ日で染まる聖園にて、牡丹はカーネーションの眼を盗んで小休止を取った。

 牡丹はロッタやデルフィンらと他愛もない会話をしたりしなかったり、芝生の上で少し寝たり寝なかったりした。

 この作業に費やした正確な時間はわからないが、一日はすでに経過しただろうか。カーネーションはまるで休まず、戦士の運搬をし続けている。

 牡丹はもっと、人の上に立つ人物というのは、頭がよく、悪い言い方をすれば下の人間を使う人だと思っていた。

 しかしめちゃくちゃ働くカーネーションのそれは牡丹の概念をまるで覆した。牡丹は触発され、張る身体を起こした。

 

 戦士も大方運び終えた。さあもうひと踏ん張りと空洞を潜った先の要塞にて、カーネーションが牡丹を呼ぶ。

 牡丹がカーネーションの指さす方を見ると、そこにはあのインタビュアーが今にも凍えそうな顔で立っていた。牡丹は急いで螺旋階段を駆け下り、彼女の元へと向かった。

「無事だったんですね!」

「…はい。でも、私だけです」

「え」

ひまわりさんもリリーさんも」

「え…」

 牡丹は疲労もあってか、その報を聞いた瞬間その場に気を失った。

 …眼を覚ます。同時に牡丹は聖園の芝生の上で慌てて起き上がる。この景色、さっきも見たぞ。これはデジャブだ。さっきのは夢だったのか。冷や汗をかいた。

 しかし、奥でカーネーションとともに戦士を運ぶ浅海の姿を見て彼女は絶望する。 

「ひまちゃんとリリさんは…」

 牡丹が浅海に近付き、涙を我慢した震える声で尋ねた。カーネーションは気を遣い、二人で運んでいた戦士を一人で請負いその場を離れた。

「薬師に殺された…」

「うそ。なんでよ」

「詳しく伝えることもできる。それを聞くか聞かないかは牡丹ちゃんに任せる」

 牡丹は悩んだ挙句、それを聞いた。浅海は姿を隠しながら見たもの全てをを彼女に伝えた。牡丹は涙を隠さずそれを聞いた。

 全てを聞き終えた牡丹は人間界への空洞へ足音強く向かった。その前を往くカーネーションは牡丹にどこへ行くのか問うた。

「今から薬師を殺しに行く!私はあいつを許さない!この手で倒したい!今すぐに!」

 牡丹は美しい顔をボロボロにしながら語気を強めた。しかし浅海は牡丹の元へ駆け寄り彼女の両腕を掴み、ひまわりの最期の言葉を引用して諭した。

『誰かが許さなくてはいけない。誰かがこの連鎖を止めなければいけない』と。

「そんなの自分勝手すぎるよひまちゃん!許せるわけないじゃん…」

 その場に泣き崩れる牡丹に、カーネーションは自らの片膝をつき、静かに諭した。

「今は耐えるんだ桜田牡丹。ここにいる三人気持ちはまるで同じだ。例えお前らが人間で、私が植物であろうと」

 カーネーションは牡丹の肩に優しく掌を重ねた。カーネーションもまた、浅海により同胞の死を告げられた一人であった。

 

「ありがとう。感謝する」

 全ての戦士を運び終えた時、カーネーションは牡丹と浅海の眼を見て言った。それは彼女らの知る冷酷な総帥のイメージを完全に払拭した。

「この後はどうするんですか」

 未だに目を赤く腫れぼったくする牡丹がカーネーションに問うた。

「薬師はトランスプラントに矛盾、つまり記憶と季節の乖離がないように氷の融解を丁度一年ないしは二年後に行うだろう。いくら奴でも地球の自転までは変えれないだろう。とにかく一年、あるいはそれ以上の間、お前達はこちらで身を隠したほうがいい。衣食住は補償する」

「氷が溶けたら」

「薬師を討ち取るのか、あるいは薬師の理想の世界で今まで通りに暮すのか。それともこちらに残って妖精達と暮らすか。それはお前達に任せる」

カーネーション総帥は」

「私はその頃には死んでいる。私だけでなくアルプローラ市民の大半が滅しているだろう。しかし、この冷凍された戦士達は解凍しない限り疫病の進行は妨げられるはずだ。『その時』が来れば、何者かが彼らを解凍し、再びアルプローラの灯を燈すだろう」

「また人間界を攻めるんですか」

「それはわからない。『その時』が来るまではな」

 牡丹と浅海はアルプローラ政府に街の西側に宿を手配してもらった。一年間、あるいはそれ以上の長い彼女らの共同生活が始まった。

 街中に花の香が漂うアルプローラ市街。宿までは匿ってもらったし、部屋の前には近衛さんが常に見張っているが、やはり落ち着かない。

 明日、カーネーション総帥が民衆への演説後自ら街を案内してくれるらしい。楽しみではあるが、不安の方が大きい。

 初夜。浅海はアルプローラの名産であろう果実酒を一杯のグラスに注ぎ、牡丹にもそれを飲むかと問うた。

 日本の法律ではそれは禁じられている。そんなことはお互い承知の上だったが、牡丹はそれを要求した。

 甘い香りとスッキリした味わい。しかし舌の上に残るアルコールの感じが心地悪い。牡丹は例によってお酒よりも異国でグラスを揺らす自分に酔いしれた。

「牡丹ちゃん。私はいつか薬師を倒すよ」

「うん」

「けど、私はあなたを危険に晒したくない。それをひまわりさんが望んでないから。薬師は私に任せて、あなたは昔のように、可愛いアイドルに戻って」

「浅海さんは」

「大丈夫!危険も批判も慣れっこだから!それにひまわりさんとの約束は守る。薬師を殺すようなことはしない。できるかできないかはさておきね。だからあくまで法的に!ちゃんとした手順でヤツを地獄に叩き落とす」

「私も手伝うよ」

「ダメ!世間に私との関係がバレたらテレビどころかもう街歩けなくなるよ!牡丹ちゃんはあくまで普通のアイドル。『その時』が来るまではね」

「『その時』…」

 彼女の身体に初めて侵入したアルコールは浅海の言葉と松明の炎を歪めやがて闇の中に彼女を墜とした。

 約一年後。カーネーションの推測通り人間界を覆っていた氷が溶けたようだ。

 この一年間、牡丹と浅海はアルプローラで市民と同様の生活を送った。浅海は逐一それをビデオや写真に収めた。

 街を歩けば石を投げられることもあったし、暴漢に襲われたこともあった。しかし彼女たちはひまわりの教えを護り、決して反撃することはしなかった。一時期彼女たちの身体は、ワンパク小学生のように痣だらけだった。

 心分かち合える植物も数多くいた。最終的に彼女たちは多くの市民と交流し、多くの文化を学び、そして多くの市民の最期を看取った。

 カーネーションの最期、彼女達は特別に彼の側に寄り添った。カーネーションは一切の恨み言を人間へ遺さず、最後は国民への謝罪と感謝を述べ、その偉大なる生涯に幕を閉じた。 

 

「アルプローラは敗北した。しかし希望の光は未来に灯る。『その時』を待て」

 

 彼が国民に遺した言葉である。

 牡丹と浅海は身支度を整え、人間らしい格好でアルプローラを後にした。

 人間界に『帰る』というのに、それはまるで敵の根城に突入するような気持ちだった。牡丹は全く躊躇しない浅海に続き、人間界への空洞を潜った。

「…」

「…」

 寒い。当然寒いが、あの時に比べれば温かい。遠くで車の音が聞こえる。氷が溶けてから数日は経っているみたいだ。そして何より煙たい。こんなにもこの私たちの世界は煙たかったのか。彼女たちは思わず咳き込んだ。

 常に無鉄砲な浅海もこの時ばかりはアルプローラへの入り口が隠された、公園の人工林から出ることを少し躊躇した。

 この林を抜けたならば、また新たな戦いが始まる。もしかしたら世界中が敵となっているかもしれない。今ならまだアルプローラへ戻れる。

 二人は急に降り注いだ現実と想像に容易い恐ろしい未来に、その足を地面に釘差されたようにその場に留まった。

 

「来たか」

 

「!」

「!」

 その時二人に向けられた声。ひまわりとはまた違う熱を持ったあの声。

 二人が一斉に右方に目を向ける。するとそこには切られた木の幹の上で座禅を組むカランコエの姿があった。

「恥ずかしながら。アルプローラへの入り口を見失ってな」

カーネーション総帥が隠したんです」

「そうだったのか。さすが総帥だ」

「生きてたんですね」

 疫病は。薬師は。今までどこへ。実はひまわりとリリーも?。浅海と牡丹はカランコエに聞きたいことが山ほどあった。

 しかし彼女達はまず、カーネーション総帥の訃報からカランコエに伝えた。彼の最期の言葉と共に。

「そうか…」

 カランコエはそれだけ漏らし。噛み締めるように天を仰いだ。

「…総帥の仰っていた『希望の光』とは、きっとあの子ことだろう」

「あの子?」

「菊江ひまわりとサンダーソニアの子供だ」

 牡丹は文字通り口をあんぐりと開けた。ひまわりに赤ちゃんがいた。やっぱり先を越されていた。てゆうか何でそんな大切なことをこいつは言わなかったんだ。牡丹が浅海を睨む。浅海はしらんぷりしている。こいつ絶対に忘れていた。あとで何か奢ってもらおう。

「その子は今どこに?」

「とある場所に預けてきた。人間界のな。その子がこの大地に立ち上がる時こそ、総帥の言う『その時』だろう」

「そっか」

 牡丹は空を見上げ、木漏れ日の先から太陽を見た。

カランコエさん疫病は?」

 浅海がセンチメンタルな空気を読まずに次の議題へと移す。

「どうやら克服したようだ。身体だけは昔から丈夫だった」

 アルプローラにもこの一年間で疫病を克服した植物たちが何名かいた。数えるほどだったが。

「これからどうするの?」

「アルプローラに戻り、『その時』を待つ。君たちはどうする?」

「私達もこっちで『その時』を待ちます」

「うむ。アルプローラの入り口はじきに閉じる。『その時』に、また会おう。『その時』我々が敵か味方か、それは希望の子がこの世界をどう見るかに懸かっているな。…素晴らしき友人たちよ。さらばだ」

 カランコエは二人と熱い抱擁を交わし、植物界への空洞へと片足を入れたところでふと、立ち止まった。

「…桜田牡丹。菊江ひまわりから遺言だ。『ボタちゃん。家に泊めてくれてありがとう。大好きだよ』…とのことだ」

 カランコエはそれを伝えると、左手を軽く振り空洞へと潜っていった。

 カランコエを見送ったあと、牡丹を堰き止めてた何かが急に外れ、彼女は憚らず泣き喚いた。浅海は泣き崩れる彼女に胸を貸した。

 水中のようにぼやける視界の奥でひまわりの笑顔は一切曇ることなく鮮明に灯っていた。

 牡丹が全てを出し切った後、歩き出した彼女たちの足は枷を外したように軽かった。

 二人は全ての始まりとなった大木の前で立ち止まった。二人はもうすぐ赤の他人となる。

 二人は抱擁し合い互いの健闘を称え祈った。そして、二人はそれぞれの道へと別れ進んだ。絶対に消えぬ同じ気持ちをこの世界に隠し持って。

 

 

 いくつかの夜が越した。独りの部屋にも幾分か慣れた。もともと私一人の部屋だった訳だけれども。

 今日も今日とて私は『いつも通り』に仕事に向かう。

 いつも通りの駅までの道。いつも通りの長い信号。うるさい薬局のラジカセ。

 今日も後ろにはロッタがフラりと付いてきている。ロッタは人間界で暮すことに決めたらしい。理由は都会の遠距離恋愛に憧れたからだとか。少しこっちのドラマを見せ過ぎたようだ。

 あとカランコエさんによるとガベリアもこっちに残ってるらしい。ガベリアはひまちゃんの赤ちゃんを見護りたいとその場に残ったんだとか。まあ気持ちはわかる。

 先日高校の終業式があった。みんな私が一年余計に年老いたことには全く気付いていない。まあ私の美貌を考慮すれば仕方のない事だ。

 梅屋先生はただの先生に戻っていた。どうやら紅葉先生には愛想をつかされたようで、見るから落ち込んでいるようだ。ざまあみろ。

 この前Lindberghにも行ってみたが例によってリンドウさんは私のことを認識していなかった。

 あんだけ仲悪かった先生とリンドウさんだけど、今はもう赤の他人だ。何で争ってたのか、いや争っていたことすら二人はもはや覚えてもいない。二人の間には友情も軋轢も歴史も未来もない。未来はあるかもしんないけど。結局そう考えると人間同士の争いなんてのは『本質』ではないのだろう。思考を拗らせただけのただの勘違い。

 私はただ一本の白ユリと季節外れのひまわりだけを買って店を後にした。

 リリさんはこの前「植物の作戦を阻止した英雄」として何かアメリカのテレビで特集されてたのをネットで見た。それ関係の文章全てに、枕詞として『薬師の指揮により』がつけられるのが心底ムカついた。

 あとドラ君はきっと山で幸せに暮らしているだろうか。私達が再び出会うことももう二度とないだろう。

 出会うことがないと言えば浅海さんだ。浅海さんはここ数日めちゃくちゃテレビに出て、めちゃくちゃ叩かれている笑。

 ただ昨日の薬師との生対談での浅海さんの言葉にはかなり痺れた。

「あんた要塞で植物戦士達を見つけられなかったんでしょ?そうでしょ?残念でした!彼らはね、今もどこかで『その時』をずーっと待ち続けてんだから!あんたを殺すためにね!あんたが殺し損ねた希望の赤ちゃんが立ち上がる『その時』!彼らは確実にあんたを地獄に叩き落とす!あんたもそれに薄々勘付いてたんでしょ?だから毎日ビビってママに添い寝でもしてもらってたんでしょ?『その時』が来るまでババアの萎びたおっぱいでも吸って震えて眠りやがれ!」

 もう彼女を表舞台で見ることはないだろう笑。あの爽快さを味わえるのがこの世界で唯一私だけというのが優越感というか物悲しさというか。

 法的に捌くとかカッコつけてたくせに結局熱い気持ちが勝っちゃったみたいだ。まあ気持ちはわかる。浅海さんも大切な人を失ったらしいし。

 彼女の味方をしてやれるのはこの世界で私だけなんだが、彼女がそれを望んでいないとはいえ、具体的な手助けをしてやれないのはかなりもどかしい。

 今の私が浅海さんにこの世界の孤独を感じさせないためにできることは、なるべくたくさんのテレビに出て、なるべくたくさんもラジオで喋って、なるべくたくさんの雑誌に載って笑顔を見せること。大丈夫。私たちは独りじゃない。

 結局のところ、私達人間と植物アルプローラは共存することができなかった。

 最前線で見てきた私はもっと何かできなかったのだろうか。あの時あの瞬間私は何をすべきだったのだろうか。それすらもわからないのに、私の中のたくさんの後悔の念が私を嘲笑ってくる。何が正解かもわからないのに、だ。

 まあ道が二つに別れればどちらを選んでも後悔するのだろう。私とはつくづくめんどくさく欲深い生き物である。

 近い未来、希望の赤ちゃんは立ち上がり、その眼を開ける。その子が望むのは『共存』か『逆襲』か。

 そして『その時』、それは私自身にも問われる。

 幸いにも、今回の選択には多少時間に余裕がありそうだ。ただそれは見かけでは永遠のように長そうに見えるが実際はすぐそこにあったりする。

 何を言ってるか自分でもわからなくなってきたが、つまりそういう事だ。とにかく歩こう。立ち止まってる時間がもったいない。

 まるで天に太陽が二つあるかのように季節外れの快晴が私の道を照らしてくれている。ありがとう。大好きだよ。

 

 

第36章 -氷点編-

第36章 

 

 Ⅰ 12月26日

 

 寒い。凍えるように寒い朝だ。牡丹は鈍色の世界で目を覚ました。

 日差しはない。まだ太陽は遥か雲の上に隠れているようだ。

 ゆっくりと立ち上がり、カーテンを開ける。

 

「え…」

 

 牡丹は眼前の光景に言葉を失った。

 昨日まで踏みしめていた大地はいったいどこに消えてしまったのか。昨夜踝にも満たなかった積雪は今や公園のブランコをすっぽりと埋め、街路樹は枝先まで凍てつき、生物の声は聞こえない。

 牡丹はとりあえずリビングに出た。

「オハヨウ」

「リリさん」

 そういえば昨夜、リリーに連絡して来てもらっていたんだった。無論ひまわりの危険な状態を危惧してである。

 

「おはよう。ボタちゃん」

 

 ひまわりは昨夜と変わらず、炬燵にでなく椅子に座り、牡丹の起床を出迎えた。ひまわりの笑顔はまだ氷のように冷たい。

「おはよう…雪、すごいね」

 牡丹が未だ慣れぬひまわりの髪を気にしないように気にしながら、テレビのリモコンに手を掛ける。

「テレビ。ツカヘンデ」

 リリーが牡丹に今朝からの現状を教える。牡丹が言うことを利かずに点けたテレビは、リリーの言う通り砂嵐のみを映している。

 この悪天で電波がいかれたか。この三人で答えが出せるはずもなく、牡丹はそっとテレビの電源を落とした。

 牡丹は木製の器にシリアルと牛乳をいれ、ひまわりの横に座った。リンドウさんのお店は大丈夫かな、などとその場を取り繕うだけの微細も心配していない戯言をひまわりとリリーに投げかけたりした。

 リリーはひまわりに何があったのか聞けたのだろうか。今朝のシリアルはやけに味がしない。 

 

 

「これは攻撃か?」

 カーネーションは言葉を失う外界の光景に再びそれを言った。

 

 数分間の出来事だった。聖夜開けて二十六日深夜、カーネーションカランコエ、そしてラナンキュラスは、戦士達が寝床についた後も要塞屋根からデモ隊の光を眺め続けていた。

「何かが来る」。最初に異変を感じたのはカランコエだった。

 速い。風と言うべきか。波と言うべきか。それはこちらに迫ってくる。カランコエは拳に火炎をこめ、ラナンキュラスは鞘から剣を抜く。

 

!!

 

 次の瞬間。それは草木、デモ隊、人間軍隊、全てを凍らせて三者に襲いかかってきた。

 カランコエが迫りくるそれに雄叫びとともに火炎をぶつけた。

『それ』との数分間にも及ぶ攻防の末、『それ』はやがて三者の元を過ぎ去った。

 カランコエが火炎の放出をやめる。カーネーションラナンキュラスは頭をあげ辺りを見回した。

 

「…」

 

 世界は一瞬で変わってしまった。

 彼らが変えることのできなかったこの世界。

 世界は氷と雪に包まれた。目下の要塞は凍り付き、要塞を囲んでいた軍、さらに軍を囲んでいたデモ隊は一瞬にして凍り付けとなった。

 それはまるで氷の津波だった。それに触れたものは全て一瞬にして凍り付いた。

 階下の戦士達は凍え死んだか。カランコエはすぐに凍り付いた要塞の解雪にまわった。

 カランコエが溶かし進んだ穴にカーネーションらも潜る。

「…」

 階下に下るや同胞が埋まる氷壁に手を付けた。

「裏切り者が出ている以上、同胞であろうと簡単に信用するのはもはや愚か者だが。…ペチュニアを信用する愚かな私を信じてくれるか?」

 ラナンキュラスは小さく頷いた。

 

 

「ケータイも全然繋がんないんだけど!」

 牡丹は夕時になろうとも依然繋がらぬ身の回りの情報機器共に苛立ちを露わにした。

 外の情報が全くわからない。リリーもそれを欲していたが、ひまわりへの心配が勝り未だその場に留まっていた。 

 

「みんな…やばいのが来る」

 

 ロッタが声を震わせて三人に知らせる。当然のように牡丹が詳細を尋ねる。 

 

 ピンポーン

 

 インターホンが鳴った。敵が律儀にチャイムを鳴らして来るものか。牡丹がモニターを覗く。そこに映ったのは紛れもなく。

「総帥だ…」

 ロッタが零す。鮮赤色の植物が総帥のカーネーション。加えて画面にはあと二体の植物も見える。

桜田牡丹。いるなら応答しろ。いないならドアを蹴破り中に入る」

 今は停戦協定中のはずだ。戦うことはない。理不尽な二択に牡丹は敢えて答えた。

「…いますけど」

「話がある。中に入っても?」

「イヤですよ。部屋着ですから」

「すまない。レディに対する礼儀に欠いた。五分待つ。身嗜みを整えてくれ」

「短いんだけど!てか入れるって言ってないんだけど!」

「五分が限界だ。それ以上この外気に晒されれば私たちは凍死する」

「…はいはい」 

 牡丹は不貞腐れながらリリーとひまわりにその旨を伝え、夕時まで着っぱなしだった寝間着を脱いだ。

 部屋干ししている洗濯物や散らばった衣類等ををとりあえず牡丹の部屋に全てつっこみ、彼女らは七分二十三秒でカーネーションらを迎えた。

「…どうぞー」

「すまない」

 思ったよりも大きくない、しかしさすがの威厳。

 カーネーションが牡丹に突然の訪問を詫びる。その後ろに続いて、軍服を身に纏った二体の戦士が牡丹に会釈をし部屋の中へと入ってきた。

 リビングへと入室したカーネーションらにひまわりは温かい紅茶を給仕した。リリーはただ彼らを鋭い眼光で睨んでいた。

 リリーは複雑だった。リリーは軍人として植物打倒派を貫いてきた。ハイドランジアとの激闘で仲間を失い、その意識はさらに強まっている。

 しかし、彼女はカランコエの圧倒的な火力の前に敗れ死の淵を見た。その彼女の命を救ったのもまた植物であるカトレアだった。

 そして彼女が昏睡状態の時、梅屋らとアルプローラとの間に協定が結ばれた。

 軍は依然、植物との戦線に立つ。リリーも軍に所属する以上その任務を背負っているが、この命を救ったのは梅屋の契約であり植物だ。

 彼女はそれを破り、軍人として仲間の仇の為に植物を攻撃するのか、あるいは恩義と忠義を持ち、植物への攻撃を避けるのか。

 彼女の選択は後者だった。彼女は究極の選択肢を与えた神に毎晩問うた。

 今、目の前には敵軍の大将と、自身を死の淵に追いやった因縁がいる。彼女はまだ、自分が選択肢の途中にいることに気付かされた。彼女の右手は常に、ジャケットの中に仕込んであるホルスターに掛かっている。

 ひまわりは位置を探るカーネーションに対し自身が座る隣の椅子に座することを勧めた。カーネーションはそれに素直に応じ、一息ついた後、静かな口調で現状を語り始めた。

「アルプローラの市民として生まれたからには、例え絶滅の結果が見えていようとも、我々は最後まで国家の為に戦い続ける。それが例えお前達から見て愚かであろうともな」

 重苦しい入りだった。しかしながらそれは三人の人間を聴く態勢にするには効果覿面だった。

「外には出たか?」

「いえ。今日はずっと部屋にいました」

「そうか。現状を言おう。今世界にはここにいる六名しか残されていない」

 牡丹らは文字通り言葉を失った。こんなに理解が難しい話は高一の数学以来だ。

「明朝の大寒波はおそらく薬師による攻撃だ。ここにいる六名いや、七名以外の生物は全て氷漬けにされた」

「七名?…てかちょっと待って。全然話が見えてこないんだけど!明朝の大寒波って?」

「簡単に説明しよう。明朝に大寒波が来た。お前たち以外の人間は全て凍った。そういうことだ」

「説明する気ないでしょ!全てってどの全て?先生たちとかってこと?それともホントに全世界?」

「後者だ。無論。我々の同胞達もな。ここに来る前に例の花屋に寄って来た。梅屋芍薬が雪掻きしたまま凍ってたよ」

「何で私達だけ無事なの?」

「我々三人はカランコエの火炎によって大寒波から耐え得た。君たちが生き残った理由はわからないが、おそらく菊江ひまわりの太陽の能力のおかげだろう」

「ひまちゃんの」

「彼女の太陽が君たちを冷凍寒波から守ったと仮定すれば説明がつかなくはない。原因はどうであれ君たちは生き残ったというのは事実だ」

 ひまわりの顔が少し緩んだ気がした。リリーは依然硬い表情でカーネーションに話の続きを求めた。

「我々は薬師にスパイを送っていた。ペチュニアという戦士だ。ペチュニアは自身の『差し芽』をあらゆる場所に植え付け、彼は彼の差し芽を彼の五感とすることができる開花能力を有していた。スパイには持ってこいの能力だ。あちらが我々の戦力を摘まんでいくという性質上、潜入自体は容易だった。しかしあちらには頭の中を覗くリコリスという外道がいる。このスパイ任務が成功する見込みは低かった。しかしペチュニアは勇敢だった。その勇敢さが疑わしくもあったのだが。ペチュニアがこれまでに寄越した情報はたったの一つ。ここまで四つの技術で我々を蹂躙してきたクソッタレがさらに第五の革命『トランスプラント』を発明したという胸糞悪い報告だ」

「transplant...?」

「簡単に言えば『記憶の植え付け』らしい。我が国家の恥部であるクラステル・アマリリスの能力構造を理解した薬師がそれを応用し、個体に史実と異なる記憶を植え付ける技術を開発したそうだ」

「テロリストトサレタ薬師ガ人々ノ記憶ヲ改竄シヨウトシテル?」

「そう。クソッタレがこの世界の英雄であるという気色の悪いシナリオを人類の頭に植え付ける気らしい」

「そんなことができるんですか」

「その為のこの大寒波だろう。戦士の中にスノーフレークという冷凍能力を持った者がいた。スノーフレークの冷凍能力は手に触れたモノを凍らせる程度だったが、薬師はその能力構造も利用しこの大寒波を生み出したのだろう。クソッタレは御覧の通り世界を凍らせ、全ての人類を冷凍保存した上で、一個体一個体律儀に頭を開けてく御寸法だ」

「そんな」

ペチュニアは寒波については語っていなかった。しかしそう考えるのが筋だろう。とにかく。時間がない。ネジネジ考察などしてる暇もないだろう。じきに薬師はこちらに施術班を寄越す。それが我々の模造兵なのか機械なのかは知らないが」

「私たちはどうすれば」

「そこが問題だ。我々は薬師の潜伏先もまだ突き止めていない。そこで人間軍であるリリー・エーデルワイスならばそれを知り得るかと思いここに尋ねに来た」

「ナルホド。シカシワシニモソレハワカラン」

 

「小鳥島です」

 

「!」

 ベランダから一人の女が部屋に入って来た。カーネーションが初めに言った『七人目』の生存者である。

「あ、誰だっけ。えーっと」

「名乗るほどの者じゃございやせんので!」

「そりゃそうでしょ。調子乗んないでよ」

「すみません。浅海です」

「そうだ。あん時の失礼インタビュアーだ。なんでここにいんのよ」

「牡丹ちゃんつけてたら運よく生き残っちまいました」

「ずっとそこいたの!?こわ!訴えるぞ!」

「ざんねーん。もう裁判所も警察署もみんな凍ってまーす!やってませーん!」

「うざー!」

「…済んだか?女、小鳥島と聞こえたが」

「あ、はい。小鳥島です。伊豆諸島の無人島。そこに薬師がいます。確かな情報です」

「そうか。繰り返しになるが我々に考えてる暇はない。明日の夜明けとともに我々は薬師の潜伏する小鳥島に攻撃を仕掛ける。お前たちはどうする」

「その島にクラステルもいるんですよね」

 カーネーションの問いかけにいの一番に応えたのはひまわりだった。

「そう考えてまず間違いない」

「行きます」

「ひまちゃん!」

 牡丹が立ち上がってひまわりの肩を握った。

「大丈夫だよボタちゃん。私はボタちゃんやリーダーより強いから」

「ひまちゃん…」

 牡丹は言葉が出なかった。決してひまわりが言うはずのない冷たい言葉に。

「うむ。リリー・エーデルワイス。君はどうする」

「of cource.ワシモ行クデ」

「では明日の夜明けとともに小鳥島に攻撃開始。以上」

 カーネーションが立ち上がる。リリーの顔が引き締まる。

「あのー…私はどうすれば」

 牡丹がカーネーションに物申す。

「薬師の施術部隊がいつこちらに来るかわからない。お前は私とともにこちらに残り、花陽隊員達の蘇生だ。もちろん戦いにも備えろ」

 花陽隊一同が席を立ち、厚手のコートを羽織る。

「これは我々の死に様の証明でもある。我々三名の身体はすでに疫病にょって蝕まれはじめている。お前達の共存を訴える行進には聊か感じるものもあったが、遅かった。残念だがな。しかしアルプローラが歩めなかった未来はお前たち四人に懸かっている。その使命を慶べ」

 カーネーションが突然の訪問を再び詫び、リビングから出た。決して長くない廊下を歩き扉の外の氷河の世界へと消えていった。 

 牡丹が怒涛の展開にへたり込んだ。

「明日かあ。準備しなきゃ。お土産買ってくるね。何が有名なのかなあ」

「みんな凍っちゃってるんじゃないですか?」

「そっかあ。浅海さん賢いね」

「まあ。大卒ですから」

 ひまわりは浅海とバカ同士健気に話しをしていたが、その目は決して笑っていなかった。

「デ、ジブンハドウスンネン?」

「私ですか?私はどうしよっかな。とりあえず私もここで寝泊りしますかね」

「はあ!何でそうなんのよ!」

「牡丹ちゃんはこのか弱い女性が凍死してもいいって言うの?グスン泣」

「ウソ泣きすんな!…ああもう好きにして!」

「さすが牡丹ちゃん!美少女!」

 大寒波から丸一日が経とうとしている。世界は再び闇と雪に包まれ、氷漬けのデモ隊が握るカラフルなペンライトは依然雪の下で光り続けている。

 

 2 十二月二十七日

 

 深夜。牡丹は喉に妙な渇きを感じ眼を醒ました。

 重ねた布団とともに起き上がり、洗面所に向かう。

 蛇口を捻る。水が出てこない。そうか。水道が凍ってしまったんだ。ひまわりが夜言ってた。北海道ではそれが普通らしい。鏡を見る。寝起き姿も中々可愛い。

 仕方がないからキッチンの冷蔵庫をあける。オレンジジュースをコップに汲み一気に飲み込む。喉が潤った。

 リビングを通って部屋に帰る。リビングではバカと外国人が炬燵に入って鼾をかいてる。バカはともかく、リリーは本当に顔に似合わず、何というか逞しい。

 ひまわりは寝ているだろうか。ひまわりの顔を覗く。髪が無くなったおかげで顔がよく見える。綺麗な寝顔だ。彼女は今どんな夢を見ているのだろうか。

 彼女の思考を考える度に頭の中がどす黒い闇に覆われる。何が彼女を闇に落としてしまったのか。牡丹は思わずひまわりの布団に潜り込んだ。

 

「ぼたちゃん…寝れないの?」

 

 牡丹はひまわりの問いかけを、無理のある寝たふりで流した。

 ひまわりは牡丹の頭を撫でる。何故か流れてくる涙を隠すように牡丹はひまわりの胸に顔を埋めた。

 

第35章

第35章

 

Ⅰ 12月25日②

 

「…もう!なんなのよ!」

「あらあら牡丹ちゃん大荒れでごじゃるな」

 牡丹はドンぶりに残ったスープを一気に飲み干し、カウンダーに叩きつけた。

 

 時刻は午前七時。日付は十二月二十五日。場所はいつもの『陽気なアコちゃん』。陽気な店主はまるで他人事。

 牡丹にとって十七回目のメリークリスマス。今年のクリスマスも彼女は例によって夢を届ける側に周った。

 小学生の時からアイドルを生業としている彼女が、家族とそれを過ごしたのは遠い過去の話。恋人とそれを…、などとはもはや口に出すことさえも憚れるおとぎ話だ。

 そしてひまわり。あいつは昨日、作っていたケーキを放っぽりだして、突然外に飛び出していってしまった。それからひまわりは昨日は結局帰って来なかった。ムカついたからケーキは私が全部食べてやった。

「何でクリスマスの朝から一人でラーメンなんか食わなきゃなんないのよ!」

「あなたが頼んだからでしょーに」

「何でこんな時間から開けてんのよ!入っちゃうじゃん!!」

「いやーホテル帰りのカップルとかを狙ったんだけどねー。釣れたのは牡丹ちゃんだけでした」

「意味わかんない!」 

 牡丹は勘定を机に叩きつけ、全く開かない引き戸を蹴り上げ暖簾を潜っていった。

「いやー青春ですなあ」

 

 ジングルベルが鳴り響く街。牡丹は地下鉄構内へと潜っていく。

 地下鉄に揺られること六駅。二十三区の西端。三角形が特徴的なイベント会場にて。毎年恒例のクリスマスイベントが今夜も催される。

 日中はその前哨戦。グループメンバーと触れ合うためにファンらが創った待機列。高揚と悲哀が漂うそれは、ある時突然流れを止めた。 

 牡丹が何事かと近くのアルバイト警備員に事の次第を尋ねる。

 警備員は、無線から『植物がやって来た』という旨の情報が流れてきたことを彼女に伝えた。

 会場に植物が。何で。約束したじゃんか。私の友達にはもう手を出させないって。夏の悲劇の傷はみんなまだ癒えていない。牡丹は騒ぎの方に走った。

 …血の臭いはしない。牡丹が野次馬の壁を掻き分ける。そこにあったのは警備員らに抑え込まれる一体の植物の姿だった。

 植物は抵抗する様子もなく、刀も所持していない。

「ねえどうしたの!」

 牡丹が植物に尋ねる。

「オレはただアイドルを楽しみに来ただけなのにこいつらが不法に取り押さえるんだ!」

 信じていいのか。暴徒やあいつだったらきっともうこの警備員の人たちは殺されているはず。それともまた私を狙って?

「…彼を離してあげてください。彼は大丈夫ですよ」

「しかし…」

 警備員らは牡丹の大きな瞳に平伏し、植物を解放した。

「ありがとう」

「ううん。…はい!みんな戻った戻った!」

 牡丹により騒ぎは治まり、彼女は再び自分のブースに戻った。

 きっかけが欲しかった。自分の道がわからない。道しるべもない。だからあえて狭い道を選んでみた。これで何かが変わるなんて期待していない。でも少しでも前に進んでおきたかった。

 荒んでいた牡丹の気持ちが少し鎮まった。かと思われた。が。

 

「あいつ!なんなのよ!助けて損した!」

 いくら待てど、さっきの植物は彼女の元に現れなかった。助けてやった鶴が、幾晩越しても機を織りに来ないことに、シナリオと違うじゃないかと彼女は怒りを露わにした。

 牡丹は次にやって来たファンが自分の正体を知る一人だとわかると、牡丹は何かを思いついたように、ポケットに入っていた紙切れに何かを書きなぐった。

「これさ、さっきの植物に渡してくれない?」

「…オッケー」

 ファンは事が内密であることを察し、すぐにブースを出た。牡丹は彼の応用力にではなく、自らの教育力に自惚れた。

 

 会場は小休止に入り、一時間後のクリスマスライブまで、演者、ファン共々しばしの自由時間を得た。

 時代の移ろいによって使用されなくなった喫煙所の隅。独り座る鮮やかな赤と緑の植物体に牡丹が近づく。

「さっきはごめんね。みんなやっぱり植物怖いみたい」

「まあ仕方ないでしょ。植物界に人間がいても同じことになる。いやもっとひど

「んなことはどーでもいいんだけどさ。あんたいったい誰と握手したのよ!」

「…モモちゃんだ」

「信じらんないんだけど!あんた誰のおかげで助かったと思ってんの?見捨てればよかった!」

「何でだ!それとこれとは話はべ

「まあいいや。それよりあんた花陽隊でしょ?こんなとこでさぼってて怒られないの?」 

「そうやって人の話を食い気味で遮るのは人間の文化なのか?」

「あんた人じゃないでしょ」

「お前すごいな」

「何がよ。で、怒られないのって聞いてんの」

「オレは『元』花陽隊だ。総帥が大聖木様に不敬を働いたタイミングでやめた」

「へえ。そうなんだ。何で?」

「別にそれに怒った訳じゃないんだけど、何か戦うのが嫌になったんだよね」

「へえ何でまた」

「まあ正直言うとこっちでたまたま見つけたモモちゃんに魅せられた。だから人間相手に戦うのはやめた。モモちゃんみたいなかわいい子はアルプローラにはいないからね」

「まあ私が一番だけどね」

「まあそういうやつもいるな」

「ふーん。そっかあ。あーもう言うわ。言っちゃうわ。ロッタ出ておいで」

 ロッタが牡丹の懐からひらりと現れる。

「妖精…」

「ハロー。えーっと」

ポインセチアだ」

「まあつまりこの私がこの子に導かれて大聖木さんの力を貰った人間なのさ」

「!?…そうだったのか…」

「うん。でもどうすればいいのか全然わかんないのよ」

「なにが?」

「自分が何をすればいいのか。人間として植物をやっつけるべきなのか。それとも植物の味方するべきなのか。全然わかんない」

「それが普通でしょ。自分が何をすべきかはっきりわかってる方がおかしいんだって。オレだって御国の為なんてカッコつけてたけどさ、入隊したのも何となくだし、その流れでこっち来で、そして何となく辞めた。まあ実際人間はムカつくけどさ」

「でもっさー」

「人と植物の感覚は違うだろうけど、多分牡丹もオレも若手でしょ?むりむり。ほとんどの大人ですらきっと惰性で生きてるだろうに、やりたいこと見つけろなんて無理なのよ。はなから。だからさ今を全力で楽しむのさ。死ぬまでの毎分、毎秒を全部楽しんじゃえばいいの。そしたら必然的に死ぬまでずっとハッピーじゃんか」

「そんなもんなのかなー」

「そんなもんよ。それで死んだらそれが運命。俺たちはなーんも悪くない。全部社会のせいにしちゃえばいいのよ」

「そっか。なーんかスッキリしたかも。ありがと!」

 牡丹は立ち上がり天に伸びた。

「ライブも見てくっしょ?」

「もちろん。元取らなきゃ」

「どうやってチケット買ったの?」

「弾き語り」

「どこで」

「調布」

「へえ」

 二人は立ち上がり、それぞれの導びかれる方へと別れた。

 若者が止まることは決して許されない。その道が正しいのか、行ってみなければわからないにもかかわらず。

 

 

 ライブが終わり、帰路につく牡丹らを白い道が出迎えた。

『しんしん』とはよく言ったもので、聞こえてくるはずのないそんな擬音が確かに聞こえてくるような気がした。

 電球の点滅毎に色を変える世界は牡丹の心を荒廃から解き放ちかけた。しかし戦争中とは思えないほどに浮かれる街に牡丹の心に再び龍が降りてきた。

 牡丹が駅出口の地図の前で恋人か何かを待つ赤いコートの女を睨む。牡丹はふとその色からポインセチアの事を思い出した。

 ポインセチアはいったいどこに帰ったのだろうか。無事に寝床につけたのだろうか。

 何の義理もない植物の事を心配しながら歩く彼女の背中。妙に騒がしいような気がする。

 彼女は立ち止まった。今日がもし雪天でなかったら、あるいはクリスマスではなかったら、彼女は迷わず地下鉄構内への階段に足を沈めていただろう。

 彼女は振り返り、騒がしい方へと進んでいった。

 駅入口から道を一本渡った先の国道。蝋燭を持った大勢の老若男女が列をなしている。

 デモ行進。テレビでは見たことあったが生では初めて見た。牡丹はデモ隊の握る尊い灯に心を囚われた。

 彼らは『人花共存』を訴えているようだ。植物界との共存社会を実現するため。政府のアルプローラへの攻撃を中止する事、そして市民への排気ガス削減、彼らは声を上げ訴えている。

 みんな、自分ができることをしている。世界を変える為に藻掻いている。一人一人は非力だが、大通りを闊歩する偉大なうねりは多くの人々の足を止めていた。

 これは自分の問題だ。自分は当事者なんだ。牡丹の中の黄金の光が疼いた。

 黄金の光は共鳴する。牡丹がふと隣を見てやると、黒いフードを深く被った背丈からして男性の懐も確かに黄金に光った。

 牡丹がしばらく彼のその優しい黄金の光を見ていると、その男性も何かを察し牡丹の方へ首を向けた。

 あ。二人は互いに声を合せた。深く被ったそのフードの中身は偶然にもポインセチアだった。

「何してんの」

「こっちの聖祭と聞いてさ。散策して

「危ないじゃん。また捕まるよ」

「危ないか?」

「!! ちょっとなにしてんのよ!」

 ポインセチアはフードを脱ぎ捨て、デモ行進する民衆へと突っ込んだ。当然、辺りは騒然とした。

「ほら。大丈夫だ!」

 いくらかの野次馬は悲鳴をあげていた。デモ隊の中にもそれをあげた人がいたのには、牡丹も少しほくそ笑んでしまった。ただしかし、それは彼女が想像した混乱とは全く程遠く、現場は戸惑いこそあったものの彼らはポインセチアを温かく迎え入れた。 

「これどうぞ」

 小学生程の女の子がポインセチアに蝋燭を渡す。ポインセチアはお礼を言い、彼らと一緒に歩き出した。決して忍ばず、植物として。胸を張って。

「牡丹も来いよ!」

 ポインセチアは牡丹の方に再び駆け寄り彼女の手を引いた。ポインセチアとは対照的に、牡丹は忍びに忍んだ姿で彼の横を仕方なく歩いた。

 彼らはどこに向かっているのだろうか。辿り着いた先に理想郷はあるのだろうか。彼女は歩き慣れた街をキョロキョロと首を振り歩いた。

「あ」

 牡丹は気付いた。ポインセチアだけでなく、いつのまにかたくさんの植物がこの行進に混ざっている。

 

 

 

 警視庁からもデモ隊の動向はよく見えた。

「クリスマスだってのに夏焼さんもよく働きますねえ」

 浅海が人気の少ない二課のデスクに我が物顔で足を乗せポッキーを食べながら言った。

「二瓶さんって奥さんいたんですねーあんなちゃらいのにー」

 夏焼はそれをまったく無視して慣れぬパソコン操作に奮闘していた。

「夏焼さんも早く結婚したらいーのにー」

「ここか?」

 夏焼がパソコン内の地図を示す。

「そうそう。小鳥島。ここです」

「明日の朝。出るぞ」

「はいはーい。そういうとこは強引なんですけどねーもっと女の子にもガツガツいったらどうですかー」

 浅海が椅子をくるくる回しながら夏焼に言う。

「そういうお前はどうなんだ」

「私って高嶺の花じゃないですか?そんじょそこらの男じゃ手が出ないってゆーか」

「低すぎて誰にも見つかってないんじゃないか?」

灯台下暗しですね!大切なものは身近にあるって言いますもんね!」

「逞しいな。明日は早いぞ。とっとと帰って寝ろ」

「夏焼さん」

「あ?」

「…乙女を聖夜に一人で寝かせる気ですか?」

「あ?」

「…」

「…」

「…ぷ!冗談ですよ!何ムスコ大きくしちゃってるんですか!」

「…お前マジで刑務所ぶち込むぞ」

「ふふふ。夏焼さんがいき遅れたら私が貰ってあげますよ!」

「来世でな」

「メリークリスマス!ミスターナーツヤキ!」

 浅海が顔をぶら下げ二課をあとにする。誰もいない室内を見渡す夏焼とデモ隊の声、そしてえ心拍音の余韻が残った。

 

「梅屋さん。もう大丈夫ですよ」

「いやいや。雪もどんどん強くなってきたんで!」

 Flowrist Lindbergh。店舗入り口の雪を掻く梅屋芍薬。それを寒そうに、気まずそうに見守る芝浦藤乃。

 梅屋はリンドウの危篤、そしてその原因を藤乃に伝えた。

 藤乃はそれに怒らず、落ち込む梅屋を慰めた。

 リンドウがヒーローだとわかった時から、藤乃はこの店がどんなことになろうとそれを受け止めようと決めていた。

 ただ、罪滅ぼしなのか、延々と雪かきを続けるこの男に関しては正直そろそろ目障りだ。

 早く帰ってくれないかなあ。今年はとんでもないクリスマスになったなあ。

 来年はどんな一年になるだろうか。

 

「できるさ。牡丹」

「え?」

「共存さ。そうだろ?」

「…うん」  

 

 しばらく歩いた。デモ隊の流れが突然鈍くなり、隊は自然と散会しだした。

 これで終わり?そんなもん?

 道路の真ん中に取り残された牡丹とポインセチアは少し語らった後、それぞれの帰路についた。

 牡丹はポインセチアが街灯のない裏道に消えるのを見送ると、牡丹もどこでもいいからと駅を探した。

 地下鉄駅はすぐに見つかった。便利だなあ、そう考えると東京の地下は穴だらけだなあ。などと下らない照れ隠しを頭に浮かべながら彼女は地下鉄に揺られた。

 その頃、彼女が散会したと考えたデモ隊は、実は起点にて二手に別れており、それぞれの隊が目的地に向け未だ行進を続けていた。

 彼らの目的地は植物要塞前の戦線最前線と首相官邸。順次到着した彼らはさらに高らかに抗議の意思を示し続けた。

 

 花陽隊戦士達はぞろぞろと要塞外に出てその屋根から騒がしいデモ隊を眺めた。 

 「これは攻撃か?笑」。カーネーションは内容こそこちらの味方であろうが、延々と紡がれる騒音に思わず笑った。

 テレビではこっちの歌手がギター片手に人花共存を歌っている。人間の世論がこちらに傾きだしているということか。薬師が世界共通の敵となり、やつの人体実験にも似た非人道的な攻撃を非難する声も多く見受けられるようになった。

 花陽隊員らはそれらについて敢えて何も語らわなかった。彼らはそれが明日の戦いに影響を及ぼすことを彼らは知っていた。

今夜は聖夜だという。肌を撫でる粉雪が、何か天からの便りにも思える。

 

 

 再び地上に舞い戻り、都心より気持ち深く積もった雪を踏みしめ歩く牡丹。

 下から見るに自身の部屋の明かりがついている。どうやらひまわりが帰って来ているらしい。

 昨日たっぷりと恋人と過ごしたから今日はもうお腹いっぱいってか?うるせえ。こちとら腹でケーキとラーメンが暴れとるぞ。こうなったら今夜は宴会じゃ。ピザじゃピザ。ピザをとるぞ。くそったれ。

 牡丹がカギの掛からぬドアノブを回す。妙に静かだ。いつもの腑抜けた出迎えがない。

 四歩半の廊下を抜け部屋に入る。

 

「おかえ

「ひまちゃん!?どうしたのその髪!?」

 

 牡丹は部屋に入るやいなや、荷物を投げ下ろし髪がバッサリと切られたひまわりの元へと駆け寄った。

「ひまちゃん何かあったの!?彼氏に何かされたの!?」 

 牡丹がひまわりの両肩を揺すり詰め寄る。

「何もないよ」

「どうしたのよこれ…」

 近くで見るとひまわりの髪は見るも無残に千切れていた。いや、焦げていたというべきか。とにかくこれは誰がどう見ても美容師の技ではない。

「ちょっとね。ホントにどうってことないんだよ。ありがとボタちゃん」

 ひまわりは牡丹が何を聞こうと、笑顔でそれを受け流した。その笑顔に今までの温かさはなく、氷のように冷たかった。

「とりあえずこれでいいかな」

 牡丹はひまわりを浴室にぶち込み、無残な彼女の髪を応急的に整えた。

「ありがと。ボタちゃん」

 ひまわりに何かがあったことは明白だ。しかし、彼女がそれを話してくれない限り、彼女に何があったのかはわからない。

 ひまわりは自分を全く信頼していなかった。自分は相談相手にすら定められていなかった。牡丹を暗黒の不安が襲った。

 今夜は聖夜だという。聖夜の寝床はとても厳しく、寒い夜だった。

 

 

第34章

第34章 

 

Ⅰ 12月15日

 

 月夜が照らす都内某公園。時計はすでに十二時を回り。

 ドラセナは冷え込む外気にも何のその、山のソレに比べれば街の冬はどうというものではない。

 山村を脅かす者はもういない。しかし彼の戦いはまだ終わっていない。あの雷。あれを倒さねば山へは帰れぬ。

 距離にして一キロメートル。まだ遠いが一体の植物がこちらに近づいて来ている。しかしあれは弱すぎる。雷ではない。

 植物がドラセナ住まう立派な木の下に辿り着く。

「    」

 その紅い植物は上を見上げ、ドラセナに何かを言っている。ドラセナがそれ無視せざるを得ないともしらずに。

やがて植物は担いできた大きな麻袋を木の根元にドさりと放り投げ、その場を去っていった。

 まんまとその中身が気になったドラセナは、地上に飛び降りその麻袋を開封した。

「!!」

 そこに入っていたのは、無残に切り刻まれた彼の実弟蔦雅だった。

 ドラセナはすぐに先ほどの紅い植物目掛けて噛みつくように闇に飛び込んだ。

「!」

 闇の先で彼を待っていたのは、全く同じ顔をした数十体の紅い植物だった。

 怒れるドラセナはそれらを瞬殺し、蔦雅の元へと戻った。

 ドラセナは見つけ得る限りの花を周辺で摘み、遺体の周りに飾り自分と似た顔のソレを弔った。

 今夜の寒さはいつもに比べ何だか身に染みた。

 

「…やはり強い。桁違いですね。挑んでいたら危なかったですよ」

 

Ⅱ 12月23日

 

「ただい」

 その後に続くはずの最後の一文字は、いつもならば開いているはずのドアノブによって発声を阻まれた。

 自分の家に自分が帰るのだからそれが閉まっているのは至極当然のことなのだが、牡丹には固いドアノブがもはや懐かしかった。

 玄関の電気をつけリビングに入る。こんな時間になっても帰ってきていない。冷めた炬燵を温め、ひまわりが本当に彼氏を作ってしまったのだと悟る。

 

 数十分後。牡丹はリリーと中級のイタリアンレストランで静かなディナーテーブルについていた。

「ヒマワリハ?」

「ヒマちゃんはデート」

「Oh!」

 リリーは日本人の想像する典型的なアメリカ人のリアクションで驚いた。

「でもね」

 牡丹は続けてひまわりのボーイフレンドが植物であることをリリーに告げた。

「Oh...」

 リリーが打倒植物派であることは牡丹も周知している。だからこそ牡丹は今のうちにリリーにこの事実を伝えておくべきだと考えたが、それを聞いた後、リリーがとても悲しそうな顔を創ったのを見て、牡丹は少し後悔した。

 梅屋先生は植物と人間の共存を望んでる。リンドウさんとリリさんはそれを拒んだ。そんで先生とリンドウさんは戦って先生がリンドウさんを殺した。ひまちゃんはもう戦うことはないだろうし、ドラくんは何を考えてるのかよくわからん。

 じゃあ自分は?自分は何をどうするべき?植物との停戦共闘協定が結ばれたとて、明確な道しるべが現れたわけでもない。みんな私を置いて先に進んでいく。

 だから今日。私はリリさんとご飯に来た。ひまちゃんの事を伝える、なんてのは建前。リリさん、いやもはや誰でもいいから。私を行くべき方へと導いてよ。

 

 

 柔らかいベッドの上。逞しいサンダーソニアの腕がひまわりを包み込む。

 サンダーソニアはひまわりにアルプローラの死様の美学を話す。

「…」

 ひまわりはすでに寝ている。まるで無防備に。サンダーソニはそれを知りながら語り続けた。

 この女は何かを考えて生きているのだろうか。寝顔はただただ無垢。しかしこれ以上に魅力的な造形は存在しない。言い切れる。

 全てがちっぽけだ。『恋』に比べたら。死に様などどうでもいい。今はこの女こそが我が存在の証明、サンダーソニアの意味である。

 

Ⅲ 12月24日

 

 翌朝、ひまわりはサンダーソニアの横で大きな乳房に下着をかぶせ、ニットの表裏を眠そうな目を垂らして確認した。

 サンダーソニアがしばらく朝日に掛かるそのシルエットを眺めていると、ひまわりはついにそれを諦め、サンダーソニアの懐へと寝ころんだ。

「ソニアさん」

「?」

「幸せだね」

 ひまわりは決して笑っていなかった。彼女はその事実をただ真剣に、心から噛みしめているように見えた。

 二者は吸い込まれるように一つになった。サンダーソニアの全てが蕩けて消えた。

 彼は彼女の体温から生を感じ、幸福の芽生えを実感した。死に場所を探していた彼は、ついにこの幸福に永遠を望んだ。

 特別冷え込んだ朝だったという。しかし、すぐ横の太陽はサンダーソニアにそれを全く感じさせなかった。

 

 寝床を発つ。外では強い朝日が街のイルミネーションを差す。人々はなんだか世話しない様子だ。

「今日はクリスマスイヴかー」

「クリスマスイヴ?」

「うん。クリスマスの前の日だよ!」

「クリスマスとは」

「クリスマスはね、恋人とかと過ごす日だよ!多分!」

「そうか。じゃあ明日は一緒に過ごそう。しかしなんで前日の今日がこんなに盛り上がるんだ」

「そうだね!わかんないね!あ、でもね今夜はサンタさんが来る日なんだよ!」

「誰だそれは」

「誰だろう!会った事ないからわかんない!」

「不審者か」

「いい子にしてるとプレゼントくれるんだよ!私はもう大人だから来ないけど!あとほんとはお父さんだよ!」

「ひまわりのお父さんは不審者なのか」

「あはは!違うけどちょっと不審者っぽいかも!」

 ひまわりとの会話は、情報量が極端に少ない。しかしどんな書籍よりも遥かに得るものが多い。

 

「ソニアさん。もう死にたいだなんて言っちゃだめだよ。あたしソニアさんがいなくなっちゃやだよ」

 

 彼女は太陽だ。彼女はほんの些細な幸せでも、それをプリズムのように乱反射させ、皆に幸せを分け与えている。

 では彼女が悲しみに暮れたらどうなるだろうか。きっとそれも同様に皆を日陰に沈め、世界はやがて闇に落ちるだろう。

 彼女を悲しませてはいけない。

「ああ。もう死ぬのを諦めた」

「うん!絶対その方がいいよ!」

「そうだな」

 サンダーソニアは胸を張った。眼前には青天の世界が広がっていた。

「ソニアさんしたらねー!」

「図書館行かないのか」

「うん!おうちですることあるのー!」

「そうか」

 ひまわりとサンダーソニアは駅で別れ、ひまわりは牡丹宅へ、サンダーソニアは図書館へとそれぞれ向かった。

 ひまわりが手を振っている。サンダーソニアは赤面してそこを早歩きで後にした。

 

 サンダーソニアは遂に中元さんからの問いに答えを導き出した。それをいち早く伝える為、彼は図書館に早い歩調で向かった。

 開館直後の図書館。自動ガラス戸が開きいつも通り司書らに会釈する。適当な小説を一冊取り出し、読むわけでなくただ中元さんの来館を待った。

 一時間、二時間、時計の短針がいくら回っても中元さんは姿を見せない。図書館内の頭数だけがいたずらに増えていく。

 今日は中元さんは来ない。それはサンダーソニアも早々に悟っていた。じゃあ明日伝えるか。いや明日はだめだ。明日は恋人と過ごす日だ。

 サンダーソニアが何かを思いつく。サンダーソニアは司書に尋ね、司書はそれを快く了承する。

 

 しばらくした後、サンダーソニアは昼前に図書館をあとにした。

 彼はもう、いつものように閉館時間まで書物を読み漁らなかった。何故か。それは非常に簡単なことだ。彼はもうすでに、この世の全てを手に入れてしまったのだから。

 どんなにぶ厚い書物でも、もう彼にとってはしょうもない事の羅列。何も得るもののないただの紙切れの集合物と成り下がった。

 サンダーソニアの満ち溢れた表情。司書らは彼の背中を笑顔で見送った。

 

 サンダーソニアはあてもなく、明日までの約十二時間をどう潰すか考えていた。

 街を歩けば未だに人間達は自分の姿を見て悲鳴をあげて逃げていく。数分後には警察が現れ…。

 しかしそんなこと。たった一人の人間にさえ認めてもらえればそれでいい。サンダーソニアは天にも昇りそうなくらいに軽やかな足取りで堂々と街を往った。

「…」

 サンダーソニアの足が急に止まる。人間のそれでない、もっと嫌な視線が見ている。

「…」

 茂みの奥に立っている。紅い植物が一体。

「サンダーソニア。あなたの強さを見込んで。こちらに来ませんか?」

「花陽隊か。すまんが招集は断る」

「いいえ。私は花陽隊ではありません。クラステル・アマリリス…と言えばお判りになられますか?」

「いいや。知らん」

「そうですか…。では薬師博士はご存じで?」

「知らん」

「謎の物体は?」

「知らん」

「呆れました。本当に無知のおバカさんなんですね。いいでしょう。では簡単にご説明致しまし

「いや、いい」

「とにかく。あなたの能力は残す価値がある。ですんで一緒に来て頂けますか」

「いや、いい」

「そうですか。残念です。では」

 紅い植物体が鞘から刀を抜く。よく見れば同じ姿をした植物体が数体、ヤツの後ろに。

「!」

 紅い植物体の群れが一斉にサンダーソニアに襲い掛かる。

 しかし次の瞬間にはもう、それらは黒焦げになりサンダーソニアの足元に転がっていた。

「体に触れることすら…。そうですか。お見事です。こうはしたくはありませんでしたが…仕方ないです」

 

 プス!

 

「!?」

 何かが太腿のウラに刺さった。何故気付かなかった。

 サンダーソニアはこの時、遅ばせながらにして自身の戦士としての感覚が衰えていたことを悟った。

 由縁はただひとつ。ひまわりとの甘い時間。強さが意味を持たぬあの空間が最強のこの身体を鈍らせた。

 太腿に刺さった注射器を抜き、ソレを踏みつぶす。

…何か。気色の悪い動悸が身体を巡る。気のせいか。

 視界が歪んでいく。やはり気のせいではない。あの紅いカスの能力か。

 サンダーソニアの思考が失せ征く。体が言うことを聞かない。サンダーソニアの意識は遂に暗黒に落ちた。

 

「ひまわり…!」

 

 サンダーソニアはすぐに目を開けた。太陽は先ほどから位置を変えていない。時はそれほど経っていないようだ。もう大丈夫。耐えた。単なる一時的な眩暈だったようだ。

 サンダーソニアは起き上がり、腰をあげ膝をついた。

「!?」

 膝がバランスをとれない。身体が地面に引き戻された。

 おかしい。何かがおかしい。やはり身体がうまく言うことを聞かない。

 そういえば前に本で見た。これは風邪だ。風邪は染ると書いてあった。ひまわりから伝染ったのだろう。あいつはよく自分の身体を脆弱にする。

 そういえばあの本には対処法も書いてあった。『最強だった』あの頃、そんなのは読み飛ばした。まさかそれに縋る日が来るとは。人生とはわからぬものだ。

 サンダーソニアは一転、不自由な身体に鞭を撃ちもう一度図書館に向かった。

 数分での帰館という事もあり、サンダーソニアは司書らに気持ち浅めの会釈をする。すると司書らは瞬時に顔を青褪まし、昼時の図書館は悲鳴で満ちた。

 なにがどうなってしまったのか。サンダーソニアは困惑した。

 ふと窓の外を見る。反射した窓ガラスに映った自分の姿。それはなんと、あの紅い植物そっくりになっているではないか。

 見れば見るほどに気色の悪い体を自分が動かしている。サンダーソニアは窓際に近づきその姿に凝視した。

 弱弱しい四肢、ドブよりも汚い眼。自身を見つめている。風邪などではない。あいつの能力だ。あいつに身体を変えられた。

 これ以上平和な図書館を損えぬ。サンダーソニアはすぐにその場から去った。誰よりもそこを愛していたが故に。

 まずは紅い植物を見つけなくては。しかしあれは殺したはずだ。どうすればいい。

 

「…」

 

 サンダーソニアは立ち止まり、ふと、我に返った。

 本当に身体を元に戻す必要があるだろうか。

 サンダーソニアとはサンダーソニアであり、つまり自分は自分だ。この身体ではもう電撃は出せぬが、電撃こそがサンダーソニアではない。

 自分の本質はそこではない。容姿や能力など関係ない。むしろ忌み嫌っていた最強とやっとおさらばできたと考えられる。

 そうか。これでよかったのか。

 サンダーソニアは笑った。なんて自分は幸福なんだ。何故なら自分にはたった一人。容姿がどんなに醜く変わろうとも、自分を自分と認めてくれ得る人がいるのだから。

 サンダーソニアは慣れぬ足で地面を蹴った。一直線に。ひまわりのいる方へ。

 

 サンダーソニアの視界に牡丹のマンションが入った。

「ひまわり」

 思わずその名を口に出してしまう。もうこの身体では有り余る幸福が溢れてしまったようだ。しかし。

「ひ…」

 一人の青年がサンダーソニアの行く手を阻んだ。

 日本の警察や軍隊ではない。何故俺にそのような殺意を向ける。オレはもうサンダーソニアではない。

 刹那、青年は目にも留まらぬ速さでサンダーソニアの首目掛けて飛びついた。咄嗟に防御したサンダーソニアの身体は簡単に吹っ飛ばされ、感じたことのない浮遊感の中で彼は何かを思い出した。

 この野性的な青年、会ったことがある。こちらに来た直後。雨の日。深夜。襲い掛かって来た非力な人間の青年。しかしあの時よりも何倍に強い。

 青年はすでに二の手をこちらに向けている。あの時と同じだ。こいつに聞く耳はない。これは避けれぬ戦い。

 数万分の一秒の世界。サンダーソニアの中に残存していた『最強』の勘が、青年の攻撃に一瞬の隙を見出す。

 ドゴン!

「!!」

 微力なサンダーソニアの殴打に全く怯まぬ青年。青年がサンダーソニアに追い打ちをかける。青年の連打にサンダーソニアの身体組織が破壊されていく。

 

「なめるなよ…」

 

 サンダーソニアが強く拳を握る。すると握った拳が帯電を始めた。

 

 ビギリリリギギギギリイイイィイ!

 

 サンダーソニアは雷を纏った拳をドラセナに打ち込んだ。

 シュウという音が流れ、横たわるドラセナから白煙が巻き上がる。

 サンダーソニアの右半身も同様に、自身の放電に耐え切れず黒く焼け爛れている。

 この身体でのこれ以上の電撃は命に係わる。もう起き上がるな。お前じゃ俺には勝てない。いい加減に悟ってくれ。頼む。起き上がらないでくれ。ひまわりに逢わせてくれ。

 しかし、青年は立ち上がる。

 次の一撃で殺すしかない。サンダーソニアが再び電撃をこめる。青年もこちらに飛び込んでくる。

 

 バッギバギィギィイイイイイイイ!

 

「…」

「…」

 サンダーソニアが口から白煙を吐き、白目を剥く。

 煙の中。無数の蔦を地面に張らし、電撃を地球に受け流している青年の姿。絶望か。初めての感覚だ。

 この青年、もといドラセナは、サンダーソニアの『容姿が変わった自分をサンダーソニアだと認めてくれるのはひまわり一人のみ』という考察の例外としてカウントされるだろうか。

 ドラセナには『もともとのサンダーソニア』を倒す理由がある。しかし同 時に彼は弟を殺した『現在のサンダーソニアが体を成す紅い植物体』に対しても十二分に抹殺する理由を持つ。

 彼は今、いったいどちらを狩るためにサンダーソニアの目の前に立ちはだかっているのだろうか。彼に聞いても答えは帰って来ないだろうし、彼自身もそんな論理的に動いていないだろう。

 この身が滅ぶのが先か、ヤツをぶちのめすのが先か。皮肉にも、これはサンダーソニアが長年追い求めた命を懸けた死闘である。

 

「ソニアさんってイチゴ食べれるのかな?共食いかな?」

「食べれるんじゃない?知らないけど。つーかもっと早く掻き混ぜれないの?永遠にクリーム出来ないよ」

「えー」

 

 薬師博士第四の技術『マニュピレーション』。それは遺伝子操作である。それを受けた生物は、遺伝子レベルでその存在を書き換えられてしまう。

 サンダーソニアの容姿編纂、そして梅屋、藤乃あるいはクラステルの複製は言わずもがなこの技術により生み出された産物である。

 そんなことを知る由もない二人の死闘。紅い植物もといクラステルがビルの屋上より観察する。

 魂と魂のぶつかり合い。先に気力が途切れた方が死ぬ。辺りはすでに人も寄り付かぬ焼け野原へと姿を変えた。

 ドラセナは雷を攻略したわけではなく、感電を最小限に抑えただけに過ぎない。通電のダメージは確実に彼の中に蓄積されている。

 しかしそれはサンダーソニアも同様だ。電撃を放つたびにこの貧弱な身体はどんどん破壊されていく。

 そしてその度に、彼の中でマニュピレーションに抗う眠れる『サンダーソニア』の遺伝子が呼び覚まされていく。

「…」

 サンダーソニアは体中に電撃の帯電を始めた。ついに彼の遺伝子が完全に思い出したのだ。自身が、最強のサンダーソニアであったことを。これが最後。最後の一撃。強烈な最強の一撃。プスプスと細胞が壊れていく音が鳴る。節々からは煙が上がる。

 次が最後の一撃。ドラセナもそれを悟っている。

 サンダーソニアの身体はやがて雷雲に包まれ、轟音と閃光により時空は歪み世界がひしゃげる。

 ドラセナは命いっぱい膝を曲げ、空高く飛び上がった。

 大地から無数の樹木を引き出し、それらはひとつの大木の如く折り重なりドラセナを包み込んだ。

 

「「オラアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!」」

 

 サンダーソニアが放った電撃、それはまるで虎の如く。ドラセナを包み込んだの大木、それはまるで龍の如く。互いに敵に向かって一直線に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドッッッッッッッツツツツツツツゴオオオオオオオオン!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その衝撃波は近辺の世界からあらゆる事象を消し去り、光と轟音は数秒後に遅れて轟いた。

「「オラアアアアアアアアアアアアアアア!!!」」

 尚も空中で均衡する龍と虎。

 サンダーソニアは決死の咆哮をあげ電力をさらに供給する。サンダーソニアの立つ半径数百メートルはすでに先何十年と生物が住めぬほどに焼け爛れ、漆黒に陥没している。

 やがてサンダーソニアの身体が発火を始めた。この身体の限界。しかしまだ遺伝子は諦めていない。雷は無数に重なった大木の繊維を焼き払っていく。しかし、いくら焼き払ってもドラセナ本体に辿り着けない。

 バッギィイ!

 遂にドラセナの龍頭が二つに割れる。サンダーソニアがその隙間に勝機を睨む

 しかし二股に割れた龍頭はそれぞれがまた新たな龍頭として再生し、焼かれても焼かれてもそれらがまた分裂を繰り替す。そして遂にドラセナの龍頭は数百にも増した。

 

「「グオラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」」

 

 ドラセナが数百の龍頭を一斉にドラセナに叩き落とす。サンダーソニアは放電をしつつ、迫りくるそれを最後は自らの拳で叩き割る。しかし。

 

 だめだ。焼ききれない。

 

ドゴドドゴドゴドゴゴゴドゴドッゴドゴドゴドゴゴゴゴドゴ!!

 

 ドラセナの龍がサンダーソニアの虎を押し潰す。

 これが。敗北。待ち望んでいたはずの瞬間。しかし今は。ただ悔しい。

 

「ソニアさん!」

 

 この気の抜けた声。なんと心地よいのだろう。サンダーソニアの魂が黄泉の世界から引き戻される。

「ソニアさん!どうしちゃったんだよお」

 声でわかる。彼女は悲しんでいる。悲しませたのは自分だ。

 ドサ

 羽織のような樹木が収束され、ドラセナが宙から地面に落下する。

 しかしひまわりは他のものには一切の眼も暮れず、変わり果てたサンダーソニアの元に跪き、彼の頭を膝の上に乗せた。

 ひまわりが『これ』をサンダーソニアだと認知できたことはもはや、二人にとっては当たり前のことだ。

「ひまわり。この死に様は、美しいか?」

「美しくなんかないよ。死んじゃうとか言わないでよ。死んじゃったら美しくも何ともないよ」

「ひまわり…これがきっとひまわりを守ってくれる」

 サンダーソニアは懐から自身の球根を取り出し、ひまわりに差し出した。

「いらないよお。ソニアさんが守ってよお」

「ありがとうひまわり。君は死ぬ意味ではなく、生きる意味を教えてくれた。しかし…オレはサンダーソニアだった。…ありがとう。メリークリスマス」

「やだよ。そんなのやだよ。ソニアさあん」

「さあ捕獲です!」

「!!」

 サンダーソニアの胸元で泣き崩れるひまわりの耳に、ビルの上から下品な笑い声が落ちてきた。ひまわりはぐちゃぐちゃの顔でそれを睨む。

 ビルの縁には紅い植物。その傍らにはグチャグチャに繋ぎ合わせた何か。それは主の指令に従い、サンダーソニアとドラセナの捕獲に動く。

「そこをどいてください。採取の邪魔ですよ」

「・・・・・」

「?何言ってるか全然聞こえませんよ?」

 ひまわりが何かぶつぶつと口を動かしているのはビルの屋上からでも見えた。しかしクラステルにはたったの一文字も聞き取れなかった。

 彼女とサンダーソニアの元に剣を抜いた『アレンジメント最高傑作』が歩みよる。しかしひまわりは依然ぶつぶつと口を動かしている。

「・・・・・・・」

「もういい!もういいから!そこをとっと

 

「てめーだけは絶対許さねえって言ってんだよこのゴミムシ野郎が!!!!」

 

「!?」

 ひまわりが左手に持っていたサンダーソニアの球根を一気に飲み込む。ひまわりはもはやひまわりが知るひまわりではなかった。

「ちょ調子に乗るなよ子娘が!とっとと殺してしまえ!」

 

!!

 

「!?」

 刹那、強烈な火球がひまわりの身体を覆い、彼女に刀を振りかざした『最高傑作』は一瞬にして灰となった。

「な、な!?」

 クラステルは腰を抜かしに尿を垂らした。アルストロメリアをも落とした『最高傑作』が!一撃で!いや一瞬で!

 クラステルは同様しながらもマニュピレーション注射器をピストルに装填し、その銃口をひまわりに向け発射した。しかし。

 ガシッ!!!!

「!?」

 ひまわりは発射されたそれを目にも留まらぬ速さで掴み取り、握りつぶした。

「あな、な!?」

 ひまわりが睨む。クラステルは思わず逃亡した。彼は死に物狂いで走り去った。何が四大個体だ。最強はあいつ!世界はあいつ一強!あれに勝てる生物など存在しない!

 ひまわりはそれを追わず、サンダーソニアの亡骸に再び泣きついた。

 

「ソニアさあん。なんでだよお」

 

 彼女の髪は自身を覆った火球により黒く焦げ落ち、肩まであった彼女の髪は、耳が見えるほどに短くなった。

 恋人の胸で泣き喚くひまわりの元に駆け寄ったのは、同じくボロボロのドラセナだった。

「ヒマーリ、ヒマーリ」

 ドラセナがひまわりの肩をさする。ドラセナが心配してくれているのを背で感じ、ひまわりはまた、その場に泣き崩れた。

 

Ⅳ 12月25日

 

 昨日の植物襲来を受けて、図書館には多くの警官が配置された。

 いつもの静寂な空間が失われたにも関わらず、中元さんは「これではソニアさんも来れませんね」と笑っていた。

 司書は館内から外に並ぶ警官らを眺める中元さんにあるものを渡した。

「これは」

「サンダーソニアさんからのお手紙です」

「まあ」

「全部おひとりで書かれたんですよ」

 中元さんは優しく便箋封筒を開き、手紙を一字一字丁寧に目を通した。誤字脱字はあれど、こんなに素敵な手紙をもらったのは覚えがなかった。

 手紙を読了した彼女はそっと便箋を封筒に戻し、いつものように小説の世界へと入っていった。

 ソニアさん。残念。それはね、恋ではなく。愛なんですよ。うふふ。まだまだ学ぶべきことはたくさんありますね。

 空に雲はなく。しかし太陽もない。何とも不思議な空模様だった。

 

第33章

第33章 

 

Ⅰ 12月4日

 

「ただいまー」

「おかえりボタちゃん!」

「今日も疲れたー」

「お疲れ様!焼き芋たくさん持ってきたよ!」

「もう焼き芋食べ飽きた」

「えー美味しいのにー」

 牡丹がひまわりの言葉を適当に流して着替えを済まし、ひまわりが潜る炬燵に足を入れる。

 炬燵に腰まで浸かるひまわりは最近みるみる肥えていっているように見える。冬ごもりの為だろうか。まるで牛のように丸くなった彼女を牡丹はクッションのように使った。

「焼き芋のバイトは楽しい?」

「うん!いろんな人と話せて楽しいよ!」

 畑は大方の収穫を終えた。また無職に逆戻りしたひまわりに阿久津は冬限定の焼き芋販売アルバイトを当てがった。

「そっかよかったね」

 自分で話題を振っといてあっけない返事をした。これがひまわりじゃなかったらきっと怒られているだろう。

「ボタちゃん」

「何?」

「恋って何だと思う?」

「!」

 牡丹は口に含んでいた焼き芋をマンガのように吹き出した。その単語は、ひまわりから最も掛け離れた言葉である。

「そんなのひまちゃんにはまだ早い!」

「えー」

「え、待って、ひまちゃん恋してんの?」

「うん。そうみたいだよー。恋人もできちゃったし」

「!?」

 絶対に。例え大地が裂け空が唸り、地球が終わりを迎えたとしても、これだけは絶対にひまわりに先を越されることはなかったはずのそれ。いったい何が起きたというのか。どこの誰が。どういう経緯で。

 超絶美少女の私がぬけぬけとアイドルなんてやっているうちに。まさにウサギと亀。亀のようにこののろまのひまわりにウサギの私が追い抜かれた。そんなことがあっていいのか。これは夢だ。悪い夢なのだ…。

「ぼたちゃーん。おーい」

 牡丹はそのまま思考停止し、彼女が朝まで目覚めることはなかった。

 

 

「…」

 ファレノプシスが死んだ。深く布を被ったラナンキュラスは図書館で勉強するサンダーソニアの隣に座りそれを伝えた。

 サンダーソニアが返事に渋っていると、ラナンキュラスは一枚の紙を彼に手渡した。

 それは花陽隊総帥ドラクロワカーネーションからの召集令状であった。

「総力戦だ」

 ラナンキュラスはそれだけ伝え、その場をすぐに去った。

 到底死にそうになかったファレノプシスという猛者でも。それにラナンキュラスの右腕もなかった。そんなに強いのか人間は。

 しかしながら、これまで幾度となくそれを期待すればするほど、自分自身の強さに絶望してきた。サンダーソニアのペンはしばらくの間止まっていた。

 …いや、いいんだ。俺にはひまわりがいる。もう最強など。どうでもいいのだ。

 サンダーソニアのペンがまた軽快に走り出した。彼の顔は笑っていた。

 

 Ⅱ 12月9日②

 

 ここ数ヶ月で何度病院の廊下に居座っただろうか。よく考えてみればいつでも、自分だけは無事だった。梅屋は今まで通り、その重苦しい空気に耐え切れず病院の外に出た。

 リンドウは一命を取り止めた。梅屋によって斬られたハラワタは、梅屋の茨によって閉じられた。

「リンドウはこの先、生かされてどうするんだ?一生芍薬に負かされたことを惨めに背負いながら生きるのか?死ぬよりも地獄じゃないか。君があいつを助けたのは薄汚い君のエゴだ」

 デルフィンが梅屋を糾弾した。

「そうさ!エゴさ!僕が目指すのは人植共存!誰に何と言われようとそんなの関係ない!僕がリンドウさんを殺してしまえば、それはもう僕ではない!僕はもう何があろうと、絶対に自分の決めた信念を揺らげない!リンドウさんが目覚めた後、彼が納得するまで必ず話し合ってみせる!」

「言葉だけなら誰だって言えるさ!時代も世界もお前なんかの戯言には眼中にない!」

「最初からそのつもりさ!」

 睨み合うデルフィンと梅屋をロージエが見つめる。

 あの戦い。デルフィンは咄嗟に彼らの姿を消した。

 理由はよくわからないが、妖精の力を纏った彼らの姿を人々は見ることが敵わないのに対し、大聖木様の力を纏った時の彼らは誰の眼にも映るみたいだ。

 さておき、繰り返しになるがデルフィンはあの時咄嗟に二人の姿を消した。彼の力を彼らに注ぐことで。これは彼の優しさだろう。

 リンドウ。そして芍薬。君らは勘違いしている。芍薬は開花なんてしていない。あれはただの僕の能力だ。

 もう手助けはしないよ。僕も忙しいんだ。じゃあみんな達者でね。

 梅屋とデルフィンが再び病院に戻っていく。ロージエはそれに続かず、聖園へと帰っていった。

 

 Ⅲ 12月10日

 

 師走もまだ初め。秩父の奥はすでに白銀の世界だった。

 夏焼と二瓶は薄手のコートを羽織って来たことに後悔しながら、先頭を闊歩する浅海の後ろに続いて歩いた。

秩父の山林に虹橋爆破の真実について握る男が潜伏している』。浅海がこの情報を持ってきたのは今朝のことだった。

 彼らは浅海のナビで埼玉方面へと車を走らせ、秩父の山林、鬱蒼とする竹藪の前に車を停めた。

 浅海は車から降りるとプリントアウトした地図を片手に竹藪へと入っていった。

 夏焼と二瓶は仕方がなくそれに従い、踝まで雪の積もる凍てつく竹藪を掻き分けた。

 今何時でここがどこなのか。空に日差しはなく、方角すらもわからない。というのも浅海は二人に対し、一切の電子機器の所持を許さなかったのだ。

 彼女は「これから会う男の居場所がHypoを取り込んだ薬師に突き止められないように」と二名に説明した。二人は仕方がなくそれにしたがった。

 鼻先を赤くし、道なき竹藪を進む三人。

 遂には竹藪を抜けた。

 竹藪の先にはブランコだけを備えたこじんまりとした公園。奥にはそれに沿って道路が敷かれているのが見える。

「…」

 つまりは三人が竹藪など通る必要がなかったということを表しているのだが、ともあれ凍える二人にはすでに彼女を咎める体力など残っておらず、視界の先の朽ちたベンチへと無言で歩を進めた。

「ここが男との待ち合わせ場所です」

 浅海が息を凍らせて言う。三人は自分達が不用心につけた雪上の足跡を見返した。

 しばらくの時間が経った。指定の時間はもう過ぎている。三人の記した足跡はすでに雪によって上書きされている。

「誰か来ます」

 カチ。二瓶が何かを察知し腰のホルターに手を掛けた。 

 サクサクと雪の下の凍った芝生を踏みつける音が近づいてくる。遠巻きに見るにそれは薬師ではない。

「…携帯は」

「持って来てませんよ」

「無線は。時計は」

「全部置いてきました。ご安心ください」

「身体検査でもしますか?」

「いや、結構です」

 男は三人に近づくなり、情報機器への警戒を優先させた。

 男は深く被ったカーキ色のフードを脱ぎその顔を露わにした。

 薬師の部下を全て記録済みであった浅海は、男性がその名を名乗るその前に、この男が薬師の元研究員添田であることを解した。

添田さんですね。焼き殺されたものだと」

「あの日Hypoの挙動がおかしかった。科学に従事する者としてこんなことは言いたくないが、所謂第六感というものです」

 そう言うと添田は一枚のディスクを手渡した。

「これは?」

「この中にHypoが虹橋を破壊した履歴が記録されている。私にできるのはこれまでです」

「これを世間に公開すれば薬師は」

「ただ気をつけて下さい。これをネットの繋がった媒体で閲覧したが最後。薬師はそれを光よりも早く抹消するでしょう。あいつはすでに人間を越えました」

 男が一切の情報機器の持ち込みを禁じた訳を何となくだが理解した。

 二瓶がディスクを受け取る。

「どうやってこれを」

「Hypoの製作者は半分私ですから。それでアイツを地獄に落として下さい。さあ話は終わりです。もう行ってください。あなたたちは情報の匂いが強い。どこであいつがその臭いを嗅ぎつけるかわからな

 

「確かにそうだな添田君」

 

「!?」

 添田はどこからともなく聞こえてきたその声に対し絵に描いたように動揺している。一生忘れることがないであろうその声調。

「お、お前ら!」

 添田は当然三名を疑った。しかし夏焼はそれを必死に否定した。二瓶の指はすでにトリガーに掛かっている。

「死体が足りなかったからおかしいとは思っていたが。こんなところで何をしているんだ…添田君」

 添田の顔が見る見るうちに恐怖に青褪めていく。

「二瓶。浅海と先に行け」

「はい」

 夏焼が浅海と二瓶をこの場から立ち去らせる。

 一体どこから聞こえてくる。鼓膜からではなく、脳に直接語り掛けられているような気持ち悪い感覚。

「情報を遮断するというのは中々鋭い着眼点だったが…。残念ながら彼らはそれぞれひとつずつ、電子機器を置いて来るのを忘れたようだ」

「お前ら!やはり!信じるべきではなかった!」

添田さん。落ち着いてください。自分たちは本当に何も持って来てません」

「じゃあなんでやはここをしって」

添田さん。まずは落ち着いて!とりあえず私達もここから離れましょう」

 夏焼が添田を浅海らが再び潜っていった竹藪と反対方向へと誘導する。

添田君。違う。違うよ。『ここ』のことだよ」

 

 ガシ!!

 

「!?」

 突然。添田の頭頂部が何者かによって掴まれる。もちろんそれが何者か、夏焼はすでにわかっている。

「手を降ろせ薬師!」

 夏焼が銃口を向けその名を叫ぶ。

「脳髄は各部位へと微弱な電気信号により指令を送っている。電子機器以外の何物でもない」

 添田の頭を掴む薬師の握力が次第に強くなっていく。添田の気はすでに狂っている。

「左手のマイクロチップはもしもの時の為の複製か?…なんだ違うのか?それにしても君を殺すのは惜しい。実に推しい優秀な頭脳だ。本当にもったいないと思っている」

 添田が顔中の体液を垂れ流し、もはや言語の体を成していない何かを叫び延命を懇願する。その時。

 

 ブッシュァアア!

 

「!?」

 薬師が添田の頭部を握りつぶした。爆散した脳髄や鮮血、あるいは眼球だったものが夏焼のコートに付着する。もちろん薬師にも。

「…」

「…撃たないのか?夏焼刑事」

 薬師は鮮血に染まった自身の顔を、また鮮血で染まった自身の甲で拭い問うた。

「君とさっき逃げた二人。君たちを殺せば今真っ先に疑われるのは私だな?警視庁のお二人に関しては行方不明にしたところで同じ。…お互い賢い選択をしよう。君たちはあのディスクをこちらに渡す。私は君たちに一切の危害を加えない。これでどうだろうか」

 何故こいつはこんなにも余裕なのか。こちらには拳銃。自分が要求できる境遇にないことは小学生でもわかるはず。

「断る。お前のHypoはあの爆破で数百の命を奪った。罪を償え」

「夏焼さん。そんなカッコいいこと言っても失われた命は帰って来ないんですよ」

 薬師が夏焼に一歩近づく。その時。

 

 バシュューーーーーーーーン!

 

「!?」

 鋭い銃声とともに薬師の右腕が弾け飛んだ。自分は撃っていない。では誰が。

「ふざけるなああ!」

 薬師が白目を剥き見えざる敵に叫ぶ。薬師は懐からピストルを取り出し夏焼に向ける。夏焼も咄嗟にトリガーを引く。

 

 ズギュューーーーーーーーン!

 

 再びの銃声。雪天の竹林に溶けて消える。貫かれたのはまたも薬師の右肩。

「やってるな。夏」

「蛇黒…!」

「夏。ここはオレが受け持つ。お前に殺しはまだ早い。二瓶君とお姉ちゃんを護衛してやって」

 二人にこれ以上の会話はいらなかった。夏焼は蛇黒にこの場を任せ、浅海らが走った方へと駆けだした。

「…」

「蛇黒…正義」

「さて。博士。随分と大層な濡れ衣を着させてくれたみたいで。まあいいけど」

「…やめてくれ!殺さないでくれええ!」

「!」

 不格好に頭を雪に埋め命乞いする薬師の姿に少々戸惑った。それは記者会見で見せていた彼のソレとはまるで違った。

「まあとにかく。あんたはここでくたばらずちゃんと法の下で裁かれるべきだな。ここであんたを殺したら誰かさん達の努力が全部水の泡になるしさ」

 蛇黒が少し長めの文章を言い終わった頃。彼はいつの間にか薬師が静かになっていることにようやく気が付いた。

「三言ほど…余計だったな」

 薬師の声色は劇的に移り変わった。薬師は顔を地に向けたまま徐に腰をあげその場に腰を曲げ立ち上がった。

「お前や植物共を見ていると本当に腹が立つ…。お前たちのイカれた特殊能力は人類が積み上げてきた科学の定義を根こそぎ亡きモノにしていく。…貴様が私に打ち込んだ弾丸。極微ながら貴様の細胞が付着していた。貴様が無駄口をせっせと語っている間、私とHypoはその細胞組成あるいはそれによる非科学的能力の発動現象について解読を進め、そしてすでに、その全てを私は完全に理解した」

「…もっと簡単に説明してくんなきゃわかんねえよ」

「失敬。バカにもわかるように説明しよう。つまりはこういうことだ」

「!?」

 薬師の右腕は悪魔的なマシンガンに、左腕は畏怖的なドリルに、さらに両足はホッピングの如くバネ状に形を変えた。これは紛れもなく、蛇黒の能力。

「君の事。もっと知りたいとずっと思っていたのだよ。蛇黒さん」

 

 ビッシュウウウウン!

 

 次の瞬間、薬師はバネによって得た超越的な推進力により蛇黒に襲い掛かった。

 ガッシュイイン!

 激しい金属と金属の衝突音が人気のない公園に唯一佇む電球を割る。

「近くで見るとこんな顔をしてるのか。中々整っているじゃないか」

「ぐ!」

 ギュラガガガガッガガ!

 左腕のドリルは激しく回転し、蛇黒をハラワタに迫る。

「私は君を殺す気はない。君があの三人を放棄してくれれば私も君を殺さなくて済むんだが…」

「断る以外の選択肢が思いつかん!」

「残念」

 ギュルギギギギギギ!

「!!」

 鋼鉄と化した蛇黒の身体組織が火花をあげて辺りに散らばった。血飛沫こそ上がらなかったが、蛇黒の身体は確実に削られていった。

 ドギュン!ドギュンドギュドギュン!

 蛇黒が薬師の頭部にマグナムを撃ち抜く。しかし、その全ては虚しくも雪上に音もたてず落下する。 

「この鋼の能力、たしかに発明者は君だ。しかし。どうやら特許はがら空きだったようだ。…私の頭には人類がこれまでに積み上げてきた科学の設計図のほとんどが記憶されている。君にできないことはたくさんあるが、君にできて私にできないことはひとつもない。…それにしても鋼の身体にこの気温は随分堪えるな。さあ。あの世で君が裁いた下衆共が君を待ってるぞ!」

 ギュイィィィィン!

 薬師の腕部ドリルが火花をあげてさらに激しく回転を始める。蛇黒にはそれがいったい何を動力に動いているのか理解すらできなかった。薬師の言う通り、薬師はこの能力を自分よりも遥かに使いこなしている。

 熱を帯びた金属片が雪の層を溶かしながら沈んでいく。それは次第に紅色の血液へと融解して。

 

 ドリルの回転が治まる。

 薬師の右腕が蛇黒の胴体から抜かれる。蛇黒のハラワタは向こう側が見えるほどに、ぽっかりと削り取られ、蛇黒はそのまま機械よりも冷たい雪の上に倒れた。

「…」

 薬師は俯せに倒れる蛇黒の身体を弄り、コートの裏からマグナムの弾丸を抜き取る。薬師はそれを済ますと、蛇黒の顔をしばらく見た後夏焼が遺した足跡を追跡した。

 

 すでにこの眼は三名の姿を捉えている。最も空気抵抗の少ない形。自身を変形させ竹藪を薙ぎ倒し突き進む。

「!」

 夏焼はそれを察した。蛇黒は負けたのか。二瓶と浅海はもう竹藪を抜けたか。少しでも足止めしなければ。夏焼は薬師を迎え討った。

 彼のその無駄な抵抗に、すでに人間を超越した薬師は同情した。 

 ハンターが死に損なった鹿の脳天を丁寧に狙うように。変形させた左腕のマグナムに先ほど蛇黒からくすねた弾丸を装填する。

 あれは蛇黒の能力。やはり蛇黒は負けたのか。どうやってあれ止める。考えろ。神に祈るのはまだ早い。

 …いや、もう無理だ。夏焼が歯を食いしばる。その時。

 

「!!」

 

 二者の間に降り立った男。その名を薬師が再び叫ぶ。

「蛇黒おおおおお」

「夏、何分堪えればいい」

「少なく見積もっても四十分…!」

「骨が折れ

 ガシュィン!

 薬師の攻撃は蛇黒がそれを言い終わる前に遂行された。夏焼はまた竹藪を走りだす。もう背後を振り返ることない。

「…添田の死体で穴を塞いだのか蛇黒お!」

 薬師が弾丸全てを蛇黒に撃ち込む。蛇黒はそれを鋼鉄の身体で防ぐ。

 薬師が再び両脚を変形させ、高速で蛇黒を仕留めに掛かる。薬師の身体が蛇黒に触れるかというその瞬間。

「なめんなよ…」

「!?」

 蛇黒が咆哮をあげ両腕を引き揚げる。するとそれと同調するように地上より鋼鉄の壁が隆起し、薬師の進撃を阻んだ。

「蛇黒!これは何だ!」

 あいつの能力は体内中の鉄分を自在に結合分離させそれを自在に形成させる能力!しかし今!あいつは自らの体内中だけでなく!土中!あるいは空気中!もしくは他個体中のそれすらも自在に操れるようになったというのか!

 …だから添田はここを取引場所に選んだ!ここは秩父鉱山!未だ地中に豊富な鉄鉱石を蓄えている土地!あのクソッタレ!

 能力をより使いこなす為にはあらゆる知識が必要。そして今、それをより多く有しているのは薬師の方。

 しかし、蛇黒はこの状況を覆すほどの圧倒的な、薬師が永久に手に入れることができない圧倒的な才能がある。この窮地。世界は再び彼に新たな能力を開花させた。

 何故だ!私の脳はとっくにあいつの脳へのジャックを開始している!開始しているのに一向にあいつの脳にアクセスできない!

 これもクソ添田の仕業なのか!あのマイクロチップ!蛇黒が自身の身体を取り込むことを見越して!上擦らにしょうもないデータを仕込みくさりやがって!私を欺き!本命は奥底に隠された蛇黒の脳をプロテクトするプログラム!仕込んでいやがった!あいつはこうなることを全て見越して!おのれ添田添田添田添田添田添田添田添田

 蛇黒は憤死しかける薬師に構わず突撃する。鋼鉄の一撃が同じく鋼鉄で纏われた薬師の頭部のそれを融解し、薬師の顔面を雪積る竹林に叩きつける。

「…お前の助手から伝言だ。これは所員の復讐の鉄槌!」

「!!!!!!!!!」

「つい昨日まで引きこもりのモヤシ野郎だったお前をたった四十分だけ止めるなんてのはな、朝飯前のクソ前のセックス前くらいちょろいんだよアンポンタン」

 蛇黒の頭蓋を粉砕するほどの殴打。鉄と鉄とがぶつかる音。竹林に騒めく。

 薬師の脳が蛇黒の脳に掛けられたプロテクトの突破を試みる。しかし薬師は蛇黒の執拗な攻撃にそれに集中することができない。

 

 浅海と二瓶は竹藪に再入後すぐに二手に分かれた。一か八か、五割の確率で追跡の時間を稼ぐため。ディスクを持ったのは二瓶。

 二瓶はすでに車を走らせ遂に首都高を降りた。都内某レンタルスペースのインターフォンを鳴らす。

「ディスクを持ってくるのは浅海さんでは…!?」

「んなことはどうでもいい!早く始めろ!」

 事前の打ち合わせでは浅海がレンタルスペースに来る予定。夏焼と二瓶はもしもの為の囮。サイバー課の男性は段取りと異なる状況に少し戸惑った。

 二瓶はまだ夏焼ほど浅海を信用していなかった。二瓶は逃走中、浅海に事前に用意していた偽のディスクを手渡した。

 浅海は今頃車が無くて困っているだろうがそんなことは知らん。二瓶は男にディスクの読み取りを急かす。

 

 薬師の頭はマグマのように熱くなっている。蛇黒と戦いながら蛇黒の脳内を解読する。

 頭脳にHypoを有する薬師にとってもそれはオーバーヒートで命を落としかねないほどの難儀。しかし時計の針は重い重い一秒を積み重ねていく。

 

 ディスクの読み取りが始まらない。ロックが掛けられている。サイバー課の男の額も熱を帯びだす。

 

 蛇黒の右足が吹っ飛ばされる。爆撃だ。薬師があの弾丸内の火薬からそれを作り出した。

 

 二瓶が男を急かす。

 

 薬師がついに蛇黒の脳に掛けられたパスコードを解読する。薬師はすぐに覚醒した蛇黒の能力の解析を始める。

 

 男の頭が閃く。

 

 薬師の鋭利な右腕が蛇黒の喉に掛かる。

「…終わりだな。もうお前に未練はない。お前の全てを知った。蛇黒」

「…ちょうど、四十分だな」

「!」

 蛇黒がニやりと笑う。

 

 ブッシュウアア!

 

 薬師がその顔面を破壊した。

「!?」

 薬師の脳が何か感じ取る。出処不明のHypoによる虹橋爆破の記録、そして薬師による研究所放火記録が世界中に発信されたのだ。

「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 薬師が蛇黒の身体を跡形が無くなる粉微塵に破壊する。

 

 

 数十分後。薬師はモノの数十分で永田町政府関係者の元へと急行した。

「どけ!上を出せ!!!」

 彼は警備の制止を振り切り、政府要人らに流出した情報は全て何者かの陰謀であり、根も葉もない嘘だと主張した。

 しかし、国の上層部らはそれに全く聞く耳を持たず、彼を汚物を見るような眼で眺め、彼を取り押さえるように警備に伝える。

「貴様ら!誰がこれまでこの国を護って来たと思っている!」

 上層部を護るように並んだ警官らは彼に銃を向ける。

「薬師博士。詳しくは然るべきところの判断を仰いでください」

 薬師に自首の姿勢が見られないとみるや、警官らは合図により薬師の確保に乗り出した。

 ブァッスイン!

 薬師はそれらの頭を一斉に爆砕した。政府上層部らはそれを見て文字通り腰を抜かした。  

 薬師は半分以上聞き取れぬ怒号を遺し、その場から消え失せた。すぐに薬師は最悪のテロリストとして全世界で指名手配された。

 

 蛇黒の被った濡れ衣も、誰が謝罪するわけでもなくいつの日か自然と風化された。それから、何者かによる犯罪者への私刑はぴったりと止んだ。

 

 夏焼、浅海、二瓶らの長い戦いは終わったのか。蛇黒は今どこで何をしているのか。自分はこのあとどうするのか。夏焼は黒い車が目の前を走り去る度にそれを考えた。

 数日後。秩父山地の竹林の真ん中には何者かによって美しい花と、一本の魚肉ソーセージが供えられたという。

 

第32章

第32章 

 

 Ⅰ 

 

「何故アルストロメリアは開花していないのに場を仕切ってる」

 いつかの戦場。リンドウはラナンキュラスに問うた。

「何で、と言われれば総帥が彼を指名したからとしか言えないが、何で総帥が彼を指名したかと言えば…それはわからんな」

 リンドウは期待外れな回答に黙りこくった。

「…開花できなくて焦っているんだろう?梅屋が開花してしまった手前」

「別に」

「開花だけがすべてじゃない。戦い方は無限にある。私はアルストロメリア以上に自らに努力を課した生命体を知らない」

 そんな綺麗事をを並べたお説教など聞きたくなかった。

 人生でこんなにも自身を追い込んだことがあっただろうか。リンドウは寝る間も惜しんで身体を鍛え抜いた。本当に死んでしまうのではないかというほどに死ぬほど努力を積み重ねた。しかし。

 

 Ⅱ 12月8日

 

 こんなご時世でも、人々は今年もやってくるクリスマスに浮かれていた。花卉業界も最後の繁忙期を迎え、リンドウは自身のブランドを落とさぬよう、身を粉にしその職務を全うした。

 すっかり憎くなってしまった植物を商売道具として愛でる。異常であることは百も承知だが、彼は良い意味でそこの線引きができていた。

 イタリアンカフェでのブライダル装飾。この国の平和ボケには本当に頭が下がる。明日にはこの国がなくなっているやもしれぬというのに、人々は性懲りもなく今日も愛を紡いでいる。

 軽バンに乗せたブーケと装飾花を搬入し、サポートとして連れてきた三つ葉を助手席に乗せ、店舗へと戻る。

「何だこの曲」

「店長知らないんですかー?アフタヌーンですよ!アイドルです!変じゃないです!怜奈ちゃんとか、知沙希ちゃんとか、牡丹ちゃんとか…」

「牡丹って桜田牡丹か」

「牡丹ちゃん知ってるんですか!さすがですね!」

「ちょっとな」

 三つ葉はこの二年間で本当によく成長した。ただのコーヒーも淹れれなかった少女が、今では巨大なスタンド装飾花を一人で作れるまでに成長した。そしてそのセンスたるや、正直自分や藤乃を遥かに凌駕している。

 神様は不公平だ。いや、皆に公平に不公平なのかもしれない。『努力は必ず報われる』。どこの無責任なバカが言ったのか知らないが、この言葉だけが今は心の支えだ。

 

「あ、藤乃さん」

 信号待ち。助手席の三つ葉が外を見て言った。リンドウも左方に首を向ける。

「見ない方がよかったのかもしれない」。もしそう思っているのならば、おそらく見ていなかった場合に「見ればよかった」と大概後悔するものである。

 リンドウと三つ葉が見た。それは男と親密にベンチに座る藤乃の姿だった。

 後続車のクラクションで信号が変わったこと知る。リンドウは急いで視線を前方に戻しアクセルを踏む。

 よくは見えなかったが背丈からして隣にいた男性は婚約相手の亀井先輩ではなかった。

 休日の藤乃が、いや従業員が休日に何をしようが勝手だが。プライベートの詮索はよくない。リンドウは運転に集中しろよと自分に言い聞かせた。

「あの人…」

 三つ葉が藤乃の横の男に見覚えがあるような口を効いた。誰だ。いややめよう。関係ないのだ。自分はこの店のオーナーだ。そして世界を護るヒーローなのだ。そんな細かい事は、どうでもいいのだ。

 

 Ⅲ 12月9日

 

 リンドウはこの日、よりによって藤乃と作業をともにしなければならなかった。

 リンドウの頭には、聞くか、聞くまいかの二つしかない。否、聞きたい、を入れれば三つだ。結論から言えば、リンドウはそれを聞いた。

 藤乃はそれを否定した。リンドウは聞いてしまった手前、食い下がった。

 何故新婚の自分が他の男と会おうというのか。何の嫌がらせなのかと藤乃は珍しく怒りを隠さなかった。

 だがリンドウには逆にそれが何かを隠しているように思えた。すれ違う二人を乗せた車は険悪な雰囲気を帯びたまま店舗へと帰っていった。

 二人の雰囲気が悪いことは見ればわかった。三つ葉はリンドウがあの件を聞いてしまったのだとすぐに察した。

 店舗の裏で独りタバコを吸うリンドウに三つ葉が近づく。

「社長、まさか聞いたんですか?」

「ああ、勢いでな」

「何やってんですか。デリケートな問題ですよ。私でもわかります」

「ああ、言わなきゃよかったよ」

「…でね、社長。ここから先はそれも踏まえて聞くか聞かないかを社長にお任せしますけど。どうします?」

「あ?」

「あの時、藤乃さんと…藤乃さんらしき人とイチャイチャしていた男の人、絶対にあの人です」

「誰だ」

「絶対に言わないって約束します?」

「もちろんだ」

「指切り」

「…」

「しないなら言いません」

「わかったよ」

 リンドウがイヤイヤ小指を伸ばす。

「嘘ついたら針千本飲ーます。ゆびきった!」

「はい。で、誰だ」

「梅屋先生です」

「!!」

 リンドウに衝撃が走った。

 何故あいつはオレを逆撫でする事ばかりしてくる。なぜオレの求めたものばかり掻っ攫っていく。

 怒りの炎はすでに赤色を超え青白く。三つ葉がいつ横からいなくなったのかさえも全く記憶にない。タバコの火元はじりじりと、それを挟んむ指先に近づいている。

 リンドウは誰とも口を利かず、業務に戻った。周りの人間は腫物を扱うようにリンドウから遠ざかった。

 業務中。リンドウは自然と黄金に輝いていく自身の指先を見た。彼は不敵に笑いながらアレンジメント装花を創り続けた。

 再びの配達。車では行けぬ狭い路地。仕方がなく車を停め、花を担ぎ遊歩道を征く。

「…」

 これは思し召しか。目の前から歩いてきたのは梅屋と紅葉だった。リンドウはそっと装飾花を地面に置き、道の真ん中に立った。そして、梅屋がこちらに気付くやいなや、その顔面に飛びつき、ぶん殴った。

 

「!!」

 

 黄金を乗せた彼の拳は梅屋の身体を簡単に弾き飛ばした。

「いきなり何するんですか!」

 紅葉が梅屋を庇い、リンドウに向かい叱咤する。梅屋がそれを制し、自らリンドウに尋ねる。

「何をするんですかリンドウさん!」

 リンドウは話を聞かず、再び黄金の拳を梅屋に向ける。

「リンドウさん!何があったんですか!落ち着いてくださいよ!」

 リンドウの拳が止まる。するとリンドウは紅葉の方を見て口を開く。

「お姉さん。あのね。こいつは浮気をしてるクズ野郎ですよ」

「は?私達恋人でも何でもないんですけど。たまたま一緒に歩いてただけで恋人ってあなた童貞ですか?何なんですかいきなり。かっこいいつもりですか?」

「紅葉先生やめてください!でもリンドウさん、何でそんな嘘を言うんですか!」

「嘘?目撃者はオレの他にもう一人いるんだぞ」

「もうどっか行ってくれません?気分悪いんですけど」

 その時、三人の前に藤乃が現れる。

「ほら。噂をすれば浮気相手の御出ましだぞ」

 睨む紅葉。表情一つ変えない藤乃。困惑する梅屋。

 一吹きの北風が四名の前髪を揺らした直後。藤乃はあろうことか梅屋の手を引き、リンドウと紅葉を置いて茂みを飛び越え裏手に消えた。

「!!」

「!!」

「藤乃!」

 リンドウが追いかける。植木を飛び越え、さらに裏手へ。住宅街まで。

 しかし、見失う。

 

「リンドウさん」

 リンドウの背後、梅屋がノコノコと姿を見せた。梅屋と藤乃は互いに手を結び、こちらを見ていた。

「…幸せそうで何よ

「リンドウさん。あなた目障りなんですよ。平和が一番に決まってるじゃないですか。なのにこの女ね、あなたに感化されたのかしらないですけど、侵略者はここから追い出すべきだって言うんですよ。おかしいですよね。元々僕たち人間が侵略者だったのに」

「梅屋。お前マジで殺すぞ」

「開花もしてないあなたに?僕がですか?笑」 

 リンドウの頭が怒りを感じた時にはもう、その拳は梅屋に向けて握られていた。

 

 バシ!

 

「!?」

 梅屋が藤乃と繋いでいた右手を放し、その拳を掴んだ。

「リンドウさん。あなたってあの薬師って博士とやってること同じですよね。お花を自分の都合で切っては挿して切っては挿して。美しかったら何でもいいんですか?お花を殺してもいいんですか?僕は良いと思いますよ。リンドウさんに賛成です。だからね、リンドウさん。ボクも自分の理想に邪魔な美しくない考えを持っている者は切っていくことにしたんです」

 ドン!

 梅屋がリンドウの横腹を蹴り飛ばし、続けて藤乃をリンドウの方へと押し倒した。

 竜胆は懐に飛び込んできた藤乃の両肩を咄嗟に掴んだ。

 

 ブシュウウウ!

 

「!?」

 血飛沫が音を上げ吹き出しリンドウの顔を赤く染めた。

 眼前の藤乃の身体はたすき掛けのように肩から腰へ真二つに斬り裂かれ、その上体は崩れ落ち、リンドウ手からすり抜け視界から消えた。

 目の前には、日本刀に付着した赤黒い血液を振り落とす梅屋の姿。

 リンドウは梅屋に襲い掛かった。しかし足元の藤乃によってそれは妨げられる。梅屋は怒り狂うリンドウを尻目にまたその場から逃走した。

 リンドウは足元で転がる藤乃の死体を踏みつけ、猪突猛進に梅屋を追った。

 数百メートルいった先の角を梅屋が左に曲がった。リンドウももちろんその角を左に曲がる。

 

 ゴン!

 

 衝突音が弾ける。頭を何かにぶつけた。視界が狂う。すぐさま視界を前に戻さねば。

 視界を戻した先、自分と同様に頭を抑える男。梅屋だ。何故この角をこちらに戻ってきた。リンドウはすぐに梅屋の胸倉を掴んだ。

「リ、リンドウさん!やめてください!自分はリンドウさんと戦いたくありません!」

 リンドウは梅屋に耳を傾けず、ついに梅屋の首を締めに掛かった。

 

 ビッシュウウ!

 

 茨がリンドウの身体に巻き付いた。梅屋の首元が解放される。

「リンドウさん聞いてください!僕はリンドウさんと戦いたくないし、戦う理由もありません!」

 リンドウは茨に巻かれた身体でクスリと笑った。

「お前はどれだけ努力した?」

「何のことですか!」

「この能力を開花させるのにどれだけの努力をしたかと聞いてるんだ」

 リンドウは静かに問うた。しかし梅屋はその質問に答えることができなかった。どう答えたとしても、その先の展開が読めてしまったからだ。

「…だよな。努力なんてしてないよな。全くな…。ふざけるな!」

「!」

 リンドウの気迫に梅屋は思わず一歩退いた。

「共存だと?力も人望も女も何もかも手に入れたお前は世界に満足してるやがるからそんな阿保面を下げて和平だなんだとヌカせるんだ!平和主義なんて言ってんのはな、テレビの前のバカだけだ!現実を見ろ!現場を見ろ!そんな空想広げる間もない地獄が日常だ!平和なんて口が裂けても言えねえ!明日のわが身を、食料を確保するための殺るか殺られるかの世界だ!お前みたいな平和ボケの理想語りはキモいし腹が立って仕方がない!」

 

 ブシャアア!

 

「!!」

 リンドウの身体に纏わりついていた茨が弾け飛んだ。

「オレがどれだけ努力したと思ってる?寝る間も惜しんで!誰よりも働いて!誰よりもこの街を護ろうとしている俺が何故開花せずお前やひまわりのようなバカが開花する?」

「リンドウさん!落ち着いてください!」

「でももういい!オレはすでに開花していた!オレの開花は『怒り』だった!『怒り』が俺を強くする!惨めさが!劣等感が!羞恥心が俺を開花させた!ゴミのような人生!数々の屈辱!全てが身体の真ん中で黄金に輝いている!」

 ドゴーーン!

 避ける間もなく飛んできたリンドウの肉弾攻撃により梅屋は数十メートル離れた団地の一階ベランダへと吹っ飛ばされた。

 リンドウはコツコツと一歩ずつ噛み締めるように、梅屋が埋まるベランダの柵へと歩みを進める。

「ちょっと待って!何で二人が争う必要があるんだ!」

 リンドウの動線に割って入ったのはロージエだった。しかしリンドウはその声を完全に無視し、一歩、さらに一歩と歩を進めた。

「デルフィン!いったいどうなっているんだ!」

「聞きたいのはオレの方だ!何故芍薬はあんな事をしたんだ!」

 二匹の妖精はお互いの話が噛み合わないことをすぐに疑問に思い、状況の整理を共に急いだ。リンドウはすでに、梅屋の目の前に辿り着いている。

 リンドウは道中拾ったビニール傘を黄金に染め、その先を梅屋の額に当てた。状況を把握した二匹の妖精が大至急リンドウの視界の前に割り込む。

「待ってリンドウ!二人は本当に争う必要がないんだ!」

 デルフィンがリンドウを制止させる。ロージエも間髪入れずに状況の説明を始める。

「藤乃を殺した芍薬は偽物だったんだ!ほら、わかんないけどユーストマを大量生産したように!薬師がきっと創り出したんだよ!何故かわかんないけどあいつは二人を争わせようとしてるんだ!」

 リンドウが耳を貸した。

「…そうか。あれは偽物だったのか。通りで言ってることがおかしいと思ったんだ」

「そうさ!だから二人は戦う必要はないんだ。敵は

「この際。これまでのどのお前が本物でどのお前が偽物かなんてのはどうでもいい。重要なのは未来の話だ。お前は人間と植物の共存を望む。オレはこの街の防衛を望む。どちらが正しいか、今決めてしまおう」

 梅屋が額に当てられたビニール傘を掴み、立ち上がる。

「…だからあなたと戦う気はないって言ってるでしょう」

「甘ったれるなよ。そんな覚悟で共存などかなえられると思うな。オレ以外にどれだけの人間が反対すると思っている。人間だけじゃない、お前に殺意剥き出しの植物達を説得できるのか。植物に家族を、あるいは人間に友人を殺された奴らを全員相手にできんのか?」

 リンドウが梅屋に鬼気迫る。

「オレはお前を倒し、この存在を証明する!」

 リンドウが再び梅屋を殴り飛ばす。梅屋の身体は窓ガラスを破り、団地の一室内へと放り込まれた。

 リンドウがビニール傘を捨て、ベランダの金属柵を一本圧し折りまた黄金に染める。

 侵入者に泣き喚く幼児の頭を撫で、梅屋が再び立ち上がる。

 顔を上げた彼の面持ちは、先ほどまでとは全くの別物であった。

「…すみませんリンドウさん。目が覚めました。理想を勝ち取るためには、あなたを倒さなければならないってことですね…。わかりました。ロージエ、デルフィン。ありがとう。でもね、ちょっと下がっててくれるかい」

 梅屋は室内に飾られたクリスマスツリーを根元から持ち上げ、同じく黄金に染めた。

「勝負だ…。勝負だ梅屋芍薬!」

 

「おらああああああああ!」

 

 ガッキン!

 

 二者の咆哮により二つの黄金がぶつかり合う。

 梅屋のクリスマスツリーががリンドウを弾き飛ばした。追い打ちをかける梅屋を今度はリンドウが叩き付ける。すぐに立ち上がる梅屋、茨を出現させリンドウに巻き付ける。しかしリンドウはそれを読んでたかのように鉄片で叩き千切る。

 梅屋とリンドウの力は余りにも均衡していた。人間同士の争いとは思えぬ覇気を垂れ流し、この戦い、まさに死闘。

 ロージエとデルフィンは悟った。もう誰にも止められない。もし止まることがあるとした、それはどちらかが死ぬ時だ。

 二人の脳は、視界から相手以外の事象を完全に排除させた。こいつを殺す。彼らはもう叡智を得た人間から程遠い何かに退化していた。

 ブシュウウ!

 リンドウの鉄方が梅屋の右肩部に突き刺さる。リンドウはすぐにそれを抜き、さらに追い打ちをかける。

 ビュルリリリン!

 梅屋の茨がついにリンドウの鉄片を捉えた。隙を見た梅屋は、もうボロボロになり枝のほとんどが折れ落ちたクリスマスツリーをリンドウの首に振る。このツリーはもはやただのインテリアではない。ロージエ、クリプトメリアの力が籠った鋭い刃。それをリンドウの首に振った。この行動こそが、梅屋の覚悟を表している。

 リンドウはコンマの世界で鉄片を破棄する選択をとる。腰を落とし、それを握る右手を開き、大腿筋の解放から、リンドウは梅屋の背後に周った。

 梅屋のツリーに空を切らせ、刹那に梅屋の背後をとったリンドウは、最後は残った自らの肉体で梅屋の首を絞めた。

 梅屋もツリーを破棄し、背後に回ったリンドウを背負い投げで体から引き剥がす。

 少し間合いが、お互いの足元に相手の『剣』が転がっているのを見つけさせる。梅屋は鉄片を拾い、リンドウの懐に踏み込む。

「!?」

 しかし。リンドウは梅屋のツリーを取らなかった。梅屋がそれを躊躇した時にはもう丸腰のリンドウの腹は血飛沫をあげ上下に裂けていた。

 梅屋はリンドウのハラワタがどろどろと落ちていくのを見た。中途半端に躊躇したことにより、傷口が血死に至らぬそれとなった。何故リンドウはツリーを取らなかった。仏教徒だからか。そんなことを言っている場合か。

 

 リンドウは薄れゆく意識と視界の中で、ある言葉を空に呟いた。

 

「神様は公平に不公平だ」

 

 リンドウの真っ青な花弁が徐々に彩度を失っていく。それは遂に青白く、生気を失い頭を垂れた。

 リンドウさんは貫いていたんだ。それを取るという事が僕に屈することだと考えて。最後まで僕のそれには応じないと、強い意志を貫いた。

 勝ったんだよな。間違いなく。勝ったというのに何だこの感情は。そこはかとない虚無感。この感情にまだ名前はないだろう。いやなくていい。こんな感情なんか。永久に。

 

「気分はどうでしょう?梅屋芍薬さん」

 

「!!」

 梅屋はその声の主を覚えていた。名前は咄嗟に出てこなかった。あいつだ。学校を襲撃したあの紅い植物。

「もっとあなたのお顔を見せてください!あなたの絶望した顔を見てるとですね…バッキバキに興奮するんだあ!もっと見せてくれよ!…これは失敬!見せてください!お顔を!」

 何が起きている。意味がわからない。デルフィンが何か言っている。こいつが復讐の為に自分とリンドウさんを戦わせたらしい。

 なんでこんなことをする。いやしたのは自分か。原因はあいつ。しかし結果を導いたのは自分。悪いのは誰だ。

「良いデータも取れた!あなたの絶望した顔も見れた!だがまだ復讐は終わってはいませんよ!あなたをこれから絶望の絶頂に導いて差し上げます!」

 昼なのか夜なのかわからない曇り空の下。クラステルの遠ざかる声。呻きをあげるリンドウ。ただ茫然と、梅屋。

 

 夜のLindbergh。藤乃は明日のブーケでも造りながら一人、リンドウの帰りを待っていた。

「なぜだかけんかしたーああだいすきなあのひととーまたこーちがさきにあやまるのーしかたのないこーとーねー」

 店内には彼女の鼻歌と閉店間際のデパ地下で買った一包みのチョコレートがぽつり、間接照明の光を浴びて、温かい体温に溶かされるのを待っている。