第31章

第31章 

 

Ⅰ 11月29日

 

 某所、雪が降り積もる。一人の人間と一体の植物がぎこちなく会話をしている。

「…また人殺しでもしてきたのか」

「いや、戦いを見てました。ファレノプシスが負けました」

「問題はない。手元にはあれのDNAがある。再生はいつでも可能だ。…君の助言により創り出した最強のアレンジメント個体は?」

アルストロメリアを討ちました。素晴らしい出来です」

「しかしそのアルストロなんとかという強者のパーツは回収できなかったようだが」

「あの混沌状態ならば致し方ないかと。しかしアルストロメリアより強者はたくさんいます。特に私が目を付ける四大個体」

「四大個体」

「『灼熱のカランコエ』、『森林のドラセナ』、『電撃のサンダーソニア』、そして『撃鉄の蛇黒』。私の見つけたこの星のビッグフォーです。しかしどの個体も捕獲は困難。一個体のみで博士の兵士を全滅させ得る力を持ちます」

「蛇黒…。ただの殺人鬼じゃないのか?」

「まさか。歴とした開花者です」

「そうだったのか…」

「なにか」

「いや。…まあそれらの捕獲は第四の技術さえできてしまえば容易に遂行できるだろう」

「それはいつ」

「クラステル君よ。試作品を君に預けよう。暗躍は君の方が慣れている。データさえとってきてくれれば被験者は特に制限しない。君の選定で構わない」

「わかりました」

「君の私情に口は出さない。何度も言うが私は君に感謝をしている。君の能力の解明により私たちは第五の技術を手に入れ得るのだから」

「取るに足りません。薬師博士。では」

 クラステルは研究室を出る。出るやいなや、こわばった表情を解放しその場で腹を抱えて笑い跪いた。

「あの時のラナンキュラスの顔と言ったら傑作だった!次はあいつだ!あの男の絶望を見なければいけない!」

 

 Ⅱ 12月1日

 

「珍しい客だなあ。逃げるべきか?」 

 夜の港。潮風は冷たく。

 今日もコンテナに寄りかかり水面を眺めている一人の男。彼にまた来訪者が訪れる。

「ビールでいいか?」

 コンビニ袋を持った男が横に腰掛けた。

「…つまみは?」

イカと魚肉」

「いいね。…痩せたな。夏」

「半分はお前のせいだ」

「はは。よくここがわかったな」

「ちょっとした情報屋を抱えててな」

「そいつは警察よりも優秀なのか?」

「優秀かどうかはわからんが警察の百倍は働いてるな」

「で、ワッパでも掛けに?」 

「気が向いたらな」

「…一本恵んでくれ」

 夏焼が胸ポケットからタバコを取り出す。隣の男もそれを欲した。

 二人は煙を北風に流し、昔のことを思い出したりした。

「今何を追ってる?」

「指名手配犯に言えるか」

「お前はてっきりオレを追ってるのかと」

「御覧の通りお前なんかいつでも捕まえられるからな」

「違いないな」

「…どうやって脱獄した、蛇黒」

「それはお前の情報屋も知らなかったか?」

「そうだな。聞けば解るまで追ってくれるかもな」

「ハハハ」

 蛇黒は右手を夜空の月へと向けた。

「お前にムショにぶち込まれてすぐ中の下衆野郎を一人絞め殺した。したらすぐにオレは独房に入れられたよ。星の光も入らない。あるのは鋼鉄の分厚い扉だけ。まあ仕方ないんだよな。自業自得だし。って最初は思ってたんだけどさ。この扉の向こうにはさ。いるんだよな。俺たちが追ってた胸糞悪い外道共が。隣にも。その隣にも。おれ達は何人もの遺族の顔を見てきた。心の傷も癒えぬうちに無理して取り調べに応じてくれた人もいたじゃんか。その原因がいるんだよ。半径数メートルの間に何人も。おれは遂にこの扉を越えようとした。独房に何日もいたからさ。その時はちょっと頭おかしくなっててよ。何か鋼鉄の扉の声が聞こえるような気がしたんだ。来る日も来る日もこの右手を鋼鉄の扉にあてて心を澄ましてたんだ。したらさ。気付いたんだよ。人間の身体には血管が隅々まで張り巡らされてるだろ?そんで血液ってようは鉄だろ?んで鋼鉄の扉ももちろん鉄なわけだ。だからさ。あながち間違ってなかったんだよな。聞こえたんだよ。その時は!狂ってるよな?」

「…だいぶいってるな」

「そんでな。こっからは説明が難しいんだけどさ。鋼鉄の扉を血液に、血液を鋼鉄にすればいいって気付いたんだ」

「あ?」

 その時。

 

「!?」

 

「できたんだ。実際に」

 月光に照らされた男の右手が拳銃へと変った。

「お前…。身体気持ち悪」

「そりゃオレが一番信じられないよ。未だに夢だと思ってる。まあ夢だとしてもそれが醒めるまではこの力でオレの正義を貫くさ」

 蛇黒正義は全身の血液を鋼鉄に変えそれを自在に造形することに成功した。彼にとって鋼鉄の扉は血液であり、全身を巡る血液は拳銃となった。

 もうこの時代では『常識』など死語だ。何が起きてもおかしくない。

「それはどんな形にでもなるのか」

「いや。構造がわからなきゃどんなに外身を似せてもただのおもちゃだな。だからこれはお前の腰にも掛かってるニューナンブだ。ちなみに銃弾も作れない。火薬は体内にないからな」

「上はお前を狂った奇人だと言ってる。警察の恥だと。俺もはじめて上と意見があった」

「ははは。まあそう言うなよ。こっちは知らないおっさんから変な濡れ衣もプレゼントされて参ってんだ」

 夏焼は蛇黒の話尾からふと薬師とHypoの融合についてを思い出し、それを蛇黒に語った。

「…それもまたイカれた話だな」

「おれ達では手も足も、姿さえ見ることができなかった。お前がヤツをしょっ引け。濡れ衣を返上しろ」

「まあ気が向いたらな」

「…じゃあこれでどうだ」

 夏焼は自らの魚肉ソーセージを蛇黒に差し出した。

「…酔ってんのか?」

「…」

「酔ってんじゃねーか。…まあ考えとくよ。同期のよしみだ」

 蛇黒は受け取った魚肉ソーセージの赤いビニールをピリっと剥き、顔を赤らめた夏焼の口に咥えさせた。

 蛇黒はその場から立ち去り、夏焼はそれを追わず、魚肉ソーセージをつまみに、缶に入ったビールの残りを啜った。

 眼前では大型旅客船がまたどこかへ航海を始めた。

 

 Ⅲ 12月3日

 

 寒い。今日も北風が身に染みる、書物によれば今月より来月。来月より再来月はさらに寒さが増すらしい。

 サンダーソニアは山中に築いた寝床をそろそろ捨て、風を避けれて、できれば温かいところを探さねばと齷齪していた。

 サンダーソニアは人間界に来て多くの賢智を書物や地域の人々の口伝えにて増やした。しかし彼には依然理解できない一つの問題があった。

 はじめの内はついに自分も流行り病に罹ってしまったかと疑った。ただどうも違う。すぐに気が付いた。理解はできないが、原因が判明したのである。

 あの女だ。あの女を思い出す度、どういう訳か胸が、全身が、苦しくなるのだ。

 外は身を凍らせるほど寒いはずなのに、あの女の笑顔を思い出すと蕩けるように、それはもう何も他のことは考えれらなくなるほど熱くなり、それは次第に苦しみへとかわる。

 サンダーソニアは図書館で顔なじみとなった老婦人の中元さんの見解を伺った。すると中元さんはくしゃりと顔を緩め、瞬時に答えを教示してくれた。

「ソニアさん。それはね、『恋』ですよ」

「恋…」

 優しい口調から放たれた心地良いその言葉。サンダーソニアはすぐに辞書を引いた。しかし、それはこれまで直面したどの言葉よりも難解であり、解釈し難いものであった。

 一通り調べ上げたサンダーソニアは再び中元さんの見解を伺った。

「恋は解釈するものではないんです。感じるものですよ。…人類はあらゆるものを科学で証明してきました。しかし『恋心』については、未だに解明できていません。きっとこの先も、ね」

 まさか科学でも証明できないことがまだこの世にあったなんて。人類の科学力に心酔しきっていたサンダーソニアは、また世界の大きさを知った。

「ソニアさん。もし『恋』が何かわかったら、お話ししてくださいね」

 中元さんは読んでいた小説に栞をはさむと、満足そうに図書館をあとにした。去り行く中元さんは、なんだかいつもより若返って見えた。

 サンダーソニアはその後、閉館時間まで『恋』について記載のある書物を読み漁った。ティーン雑誌で。恋愛小説で。ラブコメで。エロ本で。

 しかし不思議なことに、それらひとつひとつはまるで異なる結論を導き出し、そしてそのどれもが、サンダーソニアの今の心境を投影するに値しないものばかりであった。

 結局この日、サンダーソニアは『恋』とは何かを理解できずに図書館をあとにした。

「ついに恋のラビリンスに足を踏み入れてしまったのね…」

 噂を聞きつけた図書館司書らはにやけた顔で彼をからかった。

「みなさんは『恋』を知っているんですか」

「そりゃ私も若いころは『武蔵村山の恋愛ケルベロス』と呼ばれてましたからねえ」

「『恋愛ケルベロス』」

「私は『高知の恋愛レボリューション21』と」

「『恋愛レボリューション21』」

 サンダーソニアの謎はさらに深まった。

 

 図書館の自動ドアを抜け、すっかり寂しくなった枝の先の暗闇をぼーっと眺めていると、また阿保の声が遠くから聞こえてきた。

 サンダーソニアの身体はすぐに沸騰し、彼の巨体を支える両足は腰の付け根から離れ、プカプカと宙に浮いているような感覚を覚えた。

 ここから立ち去ろう。このままあの女と対面してしまったら自分はついにイカれてしまう。サンダーソニアは恐怖した。

 最強であると自他ともに認められてきた。自らの存在を否定的に装ってきたことはあったが、正直最強としての自覚はあった。

 他の生物なんて気にしたことがなかった。ただ唯我独尊であろうとした。

 …しかしなぜだ。なぜこんなにも。なぜこんなにもオレは今、あの女に自分がどう見られているかが気になっているのだ。

 これが『恋』なのか?ならば多くの書物に記載されていた「『恋』とは幸福の感情」というのは嘘じゃないか。こんなにも惨めで、屈辱的な思いは今までに覚えがないぞ。これが『恋』ならば、『恋』とはもはや苦行じゃないか。

 ならばやはりこれは『恋』ではないのか。病だ。病に違いない。罹ったのだ。ついに疫病に。

 おい。ついに目が合ってしまうぞ。気付くな。通り過ぎてしまえ。ただ、少しで良い。見たい。その顔。

「!!」

「あー!えっとねーサンダーソニアさん!」

「…」

「あれ、また間違った?」

「…いや合ってる」

「えっへん!」

 何なんだこの可愛すぎる生命体は。全く勝てる気がしない。この女を殺すイメージが微塵も想像がつかない。闇一つない笑顔、それはどんな傷でも癒してしまいそうだ。加えてそのはりぼったい唇から発せられる阿保らしい声。体に染み渡る。どんな温泉よりも効果的で、あらゆる病も滅びるだろう…。そして丸みを帯びたこのずんぐりむっくりな身体。大そう柔らかいんだろう。普通の人間の女よりはふくよかだ。それこそ中元さんや司書さんらに比べたら肥えているといってもいいだろう。だがオレに比べればこんな体一捻りだ。なのに想像がつかない。この女が形を変えて血反吐を吐く姿が。護らなければならない。このオレが。

 …何故オレが護らなければならない?

 サンダーソニアの思考は、未来の科学、リニアモーターカーよりも速く彼の右脳と左脳を往復した。

「ソニアさんは図書館で毎日何してるの?」

 それからどんな会話をしたか。事細かく思い出せる。ああ言えばよかった。あれは悪い印象を与えてしまったか。もっと最強という事を誇示するべきだったか。彼はそんな後悔の念を毎秒積もらせた。

 魔法に掛けられたような体の異常、やはりこれはこの女によるもののようだ。ならば、この女ならば、その解決方法がわかるはずだ。

「『恋』って知ってるか」

「『恋』?うーん。よくわかんないなあ。そういうのは雛ちゃんとかリンドウさんに聞かなきゃ」

「オレはどうやらお前に恋しているらしいんだ」

「えー!なんでー!」

「お前のことを考えると病のように苦しいんだ」

「そうなんだ。ソニアさん…。何か、恥ずかしいなあ」

「身体が熱いか?」

「うん。なんか照れちゃうよ」

「そうか、ならばきっとお前もオレに恋をしているんだ」

「えーそうなの?」

「中元さんが言っていた。『恋』は理解するんじゃなくて、感じるんだと。感じるんだろう?オレが感じている熱いものを」

「うん。そっかー。じゃああたしもソニアさんに恋してるんだね」

 これが『恋』なのか。それは誰にもわからない。

 ただ一つ言えること。それは、この日から二人は、冬の寒さを忘れる温かい関係となった。