第29章 -決死行編-

第29章 

 

Ⅰ 10月4日

 

 梅屋芍薬・リンドウアヤメら数名の人間らと植物界の一国家であるアルプローラ聖国との間に協定が締結された。

 協定締結に激しい反意を示していたリンドウも、その見返りとして提示しれた条件の前に、それを飲まざるを得なかった。

 その条件とはカランコエの攻撃により瀕死状態にある『リリーエーデルワイスの蘇生』であった。

 リンドウはそれを断れなかった。甘んじてアルプローラとの停戦を受け入れた彼だが共闘については最後まで同意しなかった。

 

 協定締結から数時間後、なおもリリーへの懸命な治療が続く深夜の某病院ICUに一体の植物体が訪れる。

 カトレアと名乗るその植物体は動揺する医師らに事の次第を伝えた。

 なおも警戒する医師らに、彼は自らの足を目の前で切り落とし、それをすぐに修復して見せた。

 医師らは驚き、恐怖はすぐに希望へと変わった。

 手術台へ通されたカトレアは焼け爛れたリリーの前に立った。

カランコエさんに身を任せておけばとっくに楽になれていたというのに。あんたらは妖精じゃなくて悪魔だな」

 カトレアはリリーの身体の上で必死に命をつなぎとめる三匹の妖精に言った。

 カトレアは一息つくと右腕の軍服をまくり、リリーの身体の上に乗せる。

 彼の右腕、そして彼女の身体がほのかな桃色に光り始めた。

 医師たちはその時、奇跡を目の当たりにした。到底説明できぬ事象。神のみぞ知る原理。「奇跡」という言葉があってよかった。これがなければこの体験を口外できないところだった。

 カトレアがリリーから掌を離し、捲った袖を元に戻す。

「…命を繋いだだけだ。今の俺の体力では完治に至らせることはできなかった。後はお前達でもできる仕事のはずだ」

 カトレアは医師らに残し、病院を去っていった。

 

 翌日、梅屋より牡丹とひまわりにも協定及びリリーの復活について告げられた。

「平和だねー」

「どこがだ!」

 呑気なひまわりと怒れる牡丹。ベランダからは今日も殺戮兵器の足跡が聞こえてくる。 

 

 Ⅱ 10月19日

 

 初めに飛び掛かった花陽隊戦士の身体は一瞬にして小間切れとなった。

 剣捌きを見れば巨大兵器から降り立った『アレ』が『ソレ』であることは明白だった。

 アルストロメリアが最前線に躍り出る。

「大口を叩いて。やはり口だけだったな」

 アルストロメリアは剣を握り、帰って来た『ソレ』に呟いた。返事が来ないことは知っていた。戦場にはすでに多数の物体が負傷兵の回収に出ている。とっとと仕留めなければ。

 アルストロメリアは団隊長の身ではありながら開花者ではない。

 冷静な状況判断能力と、磨き上げられた剣術の腕により、実力のみで隊長までのし上がった猛者である。故に潜ってきた窮地は隊長である誰よりも多い。

「量産される前に討つ!」

 アルストロメリアがその首に斬りかかったその時、彼を強い動悸が襲う。

「!」

 彼はその場に跪き激しく咳き込む。地面には自らの吐血された血が散乱している。

「…」

『ソレ』はアルストロメリアをただ見下し、兵器の中へと帰っていった。アルストロメリアは立ち上がり巨大兵器をただ茫然と見つめた。

 またいくらかの同胞を回収された。未だ慣れぬユーストマとの対峙。そして『アレ』。

 部下に悟られぬよう、地面に散った自らの血を軍靴で払う。彼の横眼。一体の植物が近寄るのが見える。

「…何の用だ。ラナンキュラス

「アルストロ。アレは」

ファレノプシスだったな。間違いなく」

「寝返ったのか?」

「そうじゃない。もっと複雑な」

「例の発明か」

「知っているなら聞くな。殺すぞ」

「開花能力はそのままか?」

「お前はクソガキか。ピーチクパーチク質問してきやがって。能力がそのままだったら私はすでに死んでいたとでも言いたいのか?…勅命を持たず呑気にウロチョロしているお前は正直目障りだ。今日だけは目を瞑る。しかし次に姿を見せたらまずはお前を殺す」

 アルストロメリアは手に持っていた刀をラナンキュラスの首に突き付けて言った。

 ラナンキュラスが無礼を詫びるとアルストロメリアは刀を鞘にしまい要塞へと戻っていった。

 

 Ⅲ 11月10日

 

 時はまたいたずらに過ぎた。

戦える人員は着実に減ってきている。加えて先月回収された同胞らが明日の敵になる可能性は高い。今まさに同胞達が薬師の汚れた手にかけられてるかと思うと恐怖と悲しみで体が震える。しかし我々はこの望まぬ戦いに勝たなければならない。

 花陽隊戦士は痺れを切らしていた。模造兵の準備でもしているのか、敵の攻撃は憎たらしいほどに不定期だ。

 ならばこちらから攻めに行こうにも、鬱陶しい人間軍共が邪魔をする。我々の土中進軍も人間が要塞周囲に埋め込んだ鉄板により防がれた。

 こうしている間にも、祖国の市民は次々に息絶えている。 

 雪辱に燃えるカランコエ。冷静なるアルストロメリア。先陣に立ち、焦る戦士達を何とか宥め、その襲来を待ち続ける。

 

 ドシン。ドシン。

 

 ついに来た。巨大兵器の足音。戦士達は剣を抜き、眼前の人間軍に眼も暮れず遠くから姿を現す巨大兵器に全集中力を向けた。

 巨大兵器が人間軍の前線を越えて立ち止まる。兵器腹部がキュラキュラと不気味な音をたててゆっくりと開く。

 奥に光る大量の瞳。その数、目算で三十余体はいるだろうか。先頭の一体が地上に向けて滑空を始めとそれに続き、それらが続々と地上目掛けて飛び降りてくる。

 

「薬師…どこまでも…どこまでも外道…!」

 

 アルストロメリアの堪忍袋は爆裂した。

 ショーのように花陽隊の前に並び立ったのは、これまでに回収された花陽隊員らの四肢や胴体、頭部をバラバラに切り離し、それを不細工につなぎ合わせたモノたちだった。 

 あの右腕は。左腕は。腰は。頭部は…。見覚えのある同胞達の各部位が無礼に、残酷に、卑劣につなぎ合わせられている。

「ふざけるな!ここまでする必要が何故ある!ただ滅ぼせばそれでいいだろう!お前らの目的は何だ!」

 アルストロメリは珍しく声を荒げた。アルストロメリアの問いに兵器が答えるはずもなく、繋ぎ合わせの兵士たちは花陽隊へと刃を向けた。

 ユーストマの時は。動揺から剣を抜けぬ者もいたし、抜いたはいいがそれを偉大なるユーストマに対して降れぬ者もいた。

 しかし今回においては隊員皆がすぐに剣を抜いた。楽にしてやらねばならない。彼らは同胞の無残な姿に、揃ってそう思った。

 何故我々は今、同胞と戦っている?あまりにも酷ではないか。この同胞等がどんな思いで国を背負い、剣を握ってきたと思っているのか。どれほど大きな覚悟を持って、時空を跨いでやって来たと思っているのか。あまりにも酷じゃないか。酷過ぎるではないか。何故名誉の内に死なせてやってくれぬのだ。何故死して屍になってもなお、我々に向かってこさせるのか。あまりに酷。酷過ぎるじゃないか。

 戦士達は感情を露わにし、目には涙を浮かべ、向かってくる同胞だったものに剣を振った。

 このあまりに残酷な光景に周りを囲む自衛隊員及び米軍隊員らも思わず目を伏せた。

 この地獄はもはや直視を許されない。人の道を大きく踏み外している。これはやりすぎだ。

 味方を守ることも、敵を斬ることも、また敵に斬られることも、この戦場で起こり得る全ての結果は『味方を失う』という結果のみである。

 あちこちで隊員の断末魔が響く。アルストロメリアが血反吐を吐きそれらを斬る。ブーゲンビリアも。カレンデュラも。グロリオーサも。皆がそれぞれに隊員たちとの歴史を回想し、この残酷な運命と戦っている。

 しかし。カランコエだけは巨大兵器を睨み一切その場から動かなかった。

 例え繋ぎ合わせ兵士がカランコエに刃を振ってきたとしても、彼は仁王に立ち続け、その運命に歯向かい続けた。

 それに気付いたアルストロメリアカランコエに振られた太刀を受ける。その兵士を斬り捨て、アルストロメリアカランコエの肩をどんと殴り彼に怒鳴った。

「戦え!」

「オレは同胞には手を出さん」

「あれはもう同胞じゃない!眼を覚ませ!」

「あれがもう同胞ではなかろうと!オレは同胞に一切手を出さん!」

「…勝手にしろ!バカ野郎!」

 アルストロメリアカランコエに失望し再び激戦地に戻った。

 不気味な機械音が再びなり兵器から物体が現れる。負傷兵の回収が始まったのだ。

「物体を優先的にやれ!負傷兵の回収をさせるな!また地獄が繰り返されるぞ!」

 アルストロメリアが存命の隊員たちに叫ぶ。彼も剣を一時止め、負傷兵の救護に当たる。その時。

アルストロメリア隊長!」

「!?」

 またしても不覚。いや違う。こいつだ。いつのまに。

 ファレノプシスだったモノ。背後からアルストロメリアに剣を振る。

 

 ジャッキン! 

 

「…ラナンキュラス!」

「悪いが殺すのは後でにしてくれ…!」

 その太刀を受けたのはラナンキュラス。忠告を無視しまた眼前に現れた。

 この手を痺れさす衝撃、刃と刃がぶつかる金属音。懐かしい。

「ファレノ…」 

 目の前の植物体。いや、元植物体というべきか。決して言葉を返す様子のない相手。かつての親友ファレノプシス。魂はすでに死したか。

 

 ジャッキン!

 

 繊細なる二つの豪鉄がぶつかり合い、天空が割れる。

 この戦いには引き分けがある。どちらかが死に果てるまで続く死闘ではない。負傷兵の回収が終わればこいつは兵器内へと帰っていく。

 ラナンキュラスは相手に息をつく暇を与えずファレノプシスの懐に踏み込んだ。喉を裂くよう弧を描いた太刀、ファレノプシスはあろうことかそれを右下腕で防御した。

「何!?」

 

 

 !!

 

 

 ラナンキュラスの瞳は綺麗な青空を映した。あまりにも綺麗だった。黄泉の国だろうか。いや。綺麗な青空だが視界の端には汚らしい黒い怒号がまだ響いている。

 右腕の感覚がない。同じく上体も痛みがない程に血飛沫をあげている。斬られた。ただ生きている。にもかかわらずあいつは次の太刀を振って来ない。そうか。あとは回収させるだけなのだ。殺せば鮮度が落ちるという事か?

 そうか。お前はまだ使えたのか。アレを。

 

 アルストロメリアは絶望した。

 彼は先日カーネーションにこう伝えた。「敵駒になる過程で同胞たちから開花能力が失われている」と。

 敵のユーストマ兵は全く毒撃を繰り出してこない。もちろん先日対峙したファレノプシスも同様に。そのことから彼は上述の結論を導き出した。

 しかし。あのファレノプシス。確かに彼の開花能力を使用し、ラナンキュラスを斬り裂いた。

『閃光のファレノプシス』。ファレノプシスの開花能力は『光撃』である。

 彼は自らの身体を光源とし、並みの哺乳類であれば失明させてしまうほどの強烈な光を解き放つことができる。

 さきほどの太陽が落ちてきたかのような強烈な光。まさしくファレノプシスの能力。

 アルストロメリアの考察は誤っていたのだ。

 物体はラナンキュラスの回収に取り掛かった。やはりあれはわかっている。今採るべき個体がどれかというのを。

 阻止しきれぬ。実態の掴めぬ敵にはユーストマの毒撃が有効だった。こちらの最大戦力であるカランコエは使い物にならない。さらに無駄に勇んだラナンキュラスは敵の戦力をいたずらに上げそうだ。おまけにファレノプシスは自分たちの前に完全体として君臨している。

 アルストロメリアの中で何かが壊れた。

「…」

 繋ぎ合わせ兵が兵器へと帰艦していく中、ファレノプシスアルストロメリアの方へと歩んできた。アルストロメリアはただ無意識に再び剣を握る拳を固くした。

 

「どうしたアルストロメリア。顔が死んでるぞ」

「!?」

 

 ファレノプシスが喋った。敵に魔改造され、すでに口利けぬ身となったはずのファレノプシスが。

「…貴様はまだファレノプシスなのか」

「まだ?私は永遠にファレノプシスだ。永遠にな」

「…何故裏切った」

「そのボロボロの身体でお前は祖国の為にあと何ができる?」

「ボロボロはお互い様だろうが」

 ファレノプシスはその質問を笑った。ファレノプシスの右腕は依然、ラナンキュラスに斬られたまま、文字通り皮一枚のみでぶらりと右肩に繋がっている。 

「もうこれ以上人間と戦う必要などないのだよアルストロ。我らが永遠の命を手に入れれば解決するんだ」

「永遠の命があればな。ただそんなものは存在しない。頭の悪さは今まで通りだな」 

「ハッハッハ!あったんだよ。あそこには」

 ファレノプシスは自らの右腕を引き千切りその場に投げ捨てた。

「薬師は私の身体に第二の技術『プリザーブド』を施した。私にはもう痛みも死もない。ついでにあいつにもな」

 ファレノプシスが兵器の腹部を指さす。顔を覗かせる一体の植物体。

「ク、クラステル」

「…アルストロよ。お前もこっちに来ないか?疫病なき永遠の世界へ」

「ふざけるな。永遠の命など騎士道の美学を侮辱している!」

「美学か。私の美学と言えば大聖木様にこの身を捧げることだった。しかし。信じ仕えた大聖木様が最期に選んだのは誰だった?…人間さ。裏切られたんだ。人生を尽くした大聖木に。その人生を否定されたんだ。花陽隊だろうと気持ちは同じだろう?…アルストロよ。よく考えるんだ。またここに来る。そのとき、同じ質問をしよう」

「待て!お前が悪に魂を売った決断はわからぬ!わからぬが動機に関しては理解し得た!正直に言おう!私をはじめ多くの花陽隊員はあれ以来大聖木様に不信感を抱いたはずだ!だからお前が頭をおかしくしたのも頷けるのだ!だがしかし!何故我々に剣を向ける!その必要はないはずだ!」

「理由などない。強いて言えばそれが条件だったからだな。あいつを牢屋から出したのにも理由などない。ヤツが外に出たがっていたからだ。もうどうでもいいだろう?少なくとも私はもうどうでもいいのだ」

 ファレノプシスアルストロメリアの次の問いかけには応じず、兵器と共にその場を消え去った。

 もうアルストロメリアに感情に喜怒哀楽する余地はない。彼はただ辺りに散らばる同胞達の無残な姿を眺めた。

 静かだ。どういう訳か今日は五月蠅い人間軍の追撃が来ない。救護が捗る。

 カトレアももう限界だ。全員を治すことは無理。アルストロメリア機械的に、誰を治癒させ、誰を名誉の戦死とさせるかを的確に指示した。これは感情を失ったからこその所業であった。

 茫然と空と地上の境目を睨むアルストロメリアに、二人の人間が近寄って来る。

 二名はアルストロメリアの異様な妖気を察し、何も言わず、抱えたカランコエラナンキュラスの身体をそれぞれその場に優しく寝かせた。

「待て」

 その場をすぐに去ろうとした二人の人間に、アルストロメリアは自ら口を開き問うた。

「…何故こいつらを助けた」

「それh」

「お前はいい。お前だ。デルフィンのお前」

 少し場面を戻す。ラナンキュラスファレノプシスに瀕死の重傷を与えられた数十分後、物体の回収から、梅屋がラナンキュラスを、同様にリンドウが瀕死状態のカランコエをそれぞれその場から担ぎ上げ、その魔の手から命懸けで逃がした。この行動に対し、彼らはお互いに何の打ち合わせもしていなかったという。

「…放っておけばカランコエは息絶えていた。貴様らとしてはそちらの方が都合がよかったのではないか?」

 アルストロメリアは複雑な事情を抜きにしてリンドウに率直に尋ねた。

「こいつに貸が一つあっただけだ。自惚れんな。こいつをぶっ飛ばすのはオレだ」

「…礼は敢えて言わんでおこう」 

 アルストロメリアカランコエを担ぎ、加えて軍人でないラナンキュラスも特例で花陽隊要塞に搬送させた。

 

 この地球史上に初めて、永遠に終わらぬ生命が生み出された。それをどう捉えるかは個人の倫理観に委ねられる。正解などない。ただ一つ言えるのは、永遠に続く命があったとしても、永遠に続く国などないということだ。

 アルプローラ崩壊のカウントダウンはもう、あと僅かしか残っていない。