エピローグ
エピローグ
日は出ている。一つとは思えぬほどに。
しかしこの大地はやけに冷える。カランコエは世界を覆う純白の世界に引かれた一本道を、抱きかかえた赤子が冷えぬよう、優しく包みながらひたすら歩いていた。
ガベリアの案内で彼は雪上にポツンと佇む一軒の家に辿り着いた。
カランコエはその家のインターフォンを律儀に押し軒先で反応を待った。
「!!」
中から出てきた若い女はカランコエの顔を見るや、若い人間の女特有の金切り声で叫んだ。
すると似たような顔のまた若い女がドタドタと階段を駆け下り、こちらに顔を覗かせた。
カランコエは面倒くさい事になる前にと、女らに用件を伝えた。
「雛菊という女性はいるか」
「雛菊はあたしですけど…」
二階から降りてきた女が表向きは冷静に答えた。
「菊江ひまわりからの遺言だ。『雛ちゃんは本当にすごいよ。何がすごいかというとね。ちょっと今は思いつかないけど。あたしの自慢の妹だよ。大好きだよ』とのことだ」
「は…?」
雛菊の頭の中は音が聞こえるほどにグルグルと高速回転した。
目の前にいるのは植物だ。テレビで見た。薬師博士が倒した奴らだ。それが何でこんなとこにいんの。何で赤ちゃん抱いてんの。てか遺言って何よ。何で姉さん死んでんのよ。何でそれをあんたが伝えにくんのよ。
「…」
巡り巡った雛菊の頭が導き出した回答は沈黙だった。
「薊という女性はいますか」
「え!あたし薊!」
先ほど金切り声をあげた女が一転健気に答えた。
「菊江ひまわりから遺言だ。『薊はね。すっごく可愛いよ。何かねリスみたい。大好きだよ』だそうだ」
「ひま姉死んじゃったの?」
薊は目に涙を浮かべてカランコエに問うた。
彼女たちはひまわりが薬師と戦ってたことを知らない。カランコエは彼女たちに何からどう話すべきかを悩んだ。
「どうなのガベリア」
「え」
カランコエとガベリアは雛菊の問いに逆に言葉を失った。
「雛ちゃんウチのこと覚えてるの…?」
「うん。覚えてるよ。覚えてるけど…。何かわかんないけど、あなたを思い出そうとすると頭がズキズキすんのよ」
「そっか…。薬師は妖精の存在を知らないから彼女達からその記憶を消せなかったんだ…。その上に変に新しい記憶を植え付けられたから…」
ガベリアが状況から仮説を立てた。さらに雛菊は眉間に皺を寄せて頭の中をグルグルと回した。薊は終始口を開けていた。
雛菊はカランコエとガベリアに説明を求めた。カランコエが全てを話そうと口を開くと、薊は見るからに寒そうなカランコエを見てまずは彼らを家の中にあげてあげようと雛菊に言った。
彼女たちの部屋に上がったカランコエとガベリアは改めてこの一年間の全てを話した。
植物界が人間界由縁の疫病の危機に晒されていたこと。ガベリアら妖精がその作戦の為に人間界に駆り出されたこと。そしてひまわりを見つけたこと。その時雛菊たちと出会ったこと。ひまわりが戦士となったこと。植物界と人間界の戦争が始まったこと。薬師が虹橋を落としたこと。ひまわりが大聖木様の力を授かったこと。ひまわりが植物と恋人関係になったこと。世界が人間と植物の共存を望みだしたこと。ひまわりの恋人が薬師の仲間に殺されたこと。薬師が世界を凍らせたこと。ひまわりが最後まで薬師と戦った事。そして薬師に殺されたこと。彼女は最後まで彼女の戦い方を貫いたこと。薬師が人類に異なる記憶を植え付けたこと。それにより世界中が薬師のことを英雄だと思っていること。そして、ひまわりがこの子を世界に遺したこと。
雛菊と薊は静かにカランコエとガベリアの話を聞いた。彼らの言葉に信じ難いことはひとつもなく、彼女たちは彼らの話を全て信用した。
「その子はどうするの」
「この子は希望だ。アルプローラのではなく、この星の。…ガベリアと私としてはこの子を君たちに育ててほしいと考えている。…雛菊、薊。この子を預かってくれるか?」
「うん。わかった」
雛菊はあの時と同じように、それを即答した。ガベリアは彼女のそれが投げやりな解答ではなく強い芯によるものだと知っていた。
「ありがとう。君たちなら安心して預けられる。『その時』はは必ず来る。それまでこの子を頼む」
「うん。任せて」
カランコエの顔が人間界に来て初めて柔らかくなった。
「あ、紫苑だ」
階下の玄関戸が開閉し、薊はその主の名を言った。
「紫苑君か。彼にも遺言がある」
「そっか。薊、呼んできて」
「いや、いい。私が降りよう。ここに長居する訳にも行かない」
カランコエは腰をあげ、階段を下り紫苑と対面した。紫苑は例によってカランコエの巨体を眼にするや腰を抜かした。
「紫苑君。菊江ひまわりからの遺言だ。『紫苑、家族みんなを守ってね。大好きだよ』だそうだ」
「は?」
「雛菊、薊、突然お邪魔して悪かった。あとは頼んだぞ」
「うん。気を付けてね」
「カランコエ。ウチはここに残るよ。ひまの遺したこの子をここで見守る」
カランコエはうなずき、菊江家をあとにした。背後では紫苑が姉二人に「今のやつは何だ」と喚いてるのが聞こえる。
「次は…阿久津農園の社長、阿久津さんか。これまた遠いな」
カランコエはクシャクシャのレシートを胸元にしまい、再び日光が照らす雪原の一本道を歩きだした。
世界の始まりのように眩しい。まるで天に太陽が二つあるかのようだ。