第11章 -植物界編-

『植物界』。それは大都市東京の裏、あるいは異世界、はたまた目に見えない極小の世界か。明確な定義などないが確かにそこに存在する、現代人の知らない『こちら』とは異なる世界。

 

第11章

 

1 アルプローラ聖国

 

 植物界。人間界とは異なる世界ではあるが、我々人類と同じ地球上にたしかに存在するもう一つの世界である。

 人間界と植物界は表裏一体であり、それらは相互に影響を与え合っている。

 植物界の国家【アルプローラ聖国】。人間界でいうところの丁度東京都心の裏側に位置する、大聖木クリプトメリアを主君とした統治国家である。

 およそ二十八億年前、革命家スイレンがアンボレラからの独立を宣言。淘汰戦争に勝利したスイレン軍がこの土地にアルプローラ国を建国したのが国家の始まりとされている。

 建国後、スイレンらはこの土地に数億年以上前から鎮座している聖木らと調合。アルプローラ国は彼ら聖木の御霊によって統治されるアルプローラ聖国へと体制を改め、それから現在までの約二十八億年間その名を守り続けている。

 淘汰、戦乱、支配、災害、疫病、進化、交配。人類が永久に追いつくことができない果てしない歴史をアルプローラは常に勝利し続けてきた。

 アルプローラは何故最強で在り続けたのか。それは彼らが多種族国家であり続けたことが大きいだろう。

 スイレンと初代大聖木ピナスは、国家に多様な種族を招き入れ、国家内での自然交配と淘汰を促した。

 その結果、市民は世代を重ねるごとに強靭かつ叡智に進化を重ね、単種族国家が主流だった当時の地球上ですぐに覇権を手中に収めた。

 無限に枚挙できるアルプローラの種族をあえて区別するとすれば、大きく三種に分別できる。

 まず一種目は現在のアルプローラ主君である《大聖木クリプトメリア》をはじめとする『聖木』と呼ばれる存在である。

 聖木は【聖園】内に鎮座し、その場から動くことはない。

 現大聖木であるクリプトメリアは第二代大聖木であり、彼がアルプローラに戴冠したのは今からおよそ十七億年前のことである。

 二種目は『妖精』である。

 妖精は大聖木クリプトメリアを中心に広がる、花が咲き、草木が茂る聖園内に棲まい、時には大聖木や他の聖木のお世話をしたりするが、基本的には歌ったり、踊ったり、お昼寝したり…。と実に悠々自適な生活を送っている。

 ちなみに妖精には『死』という概念がない。そのため『生』という概念もない。

 彼らはどこから生まれたのか。彼らはいつ頃から聖園に棲まい始めたのか。そもそも妖精とはどういう存在なのか。そんなことを詮索するようなやつは野暮である。

 そして第三の種。国内でもっとも多くの割合を占める【植物】である。

 人間のように二足歩行し会話する植物もいれば、人間界のソレらのように座して動かないものもいる。

 植物は聖園を囲むように市街を形成し生活している。基本的に彼らが聖園に立ち入ることは許されない。

 例外として、主君として鎮座する大聖木の代わりに国家を統治する事実上の行政機関である【聖会】のトップである近木。聖木と聖園の警護を主に、また都市中の犯罪にも対応する【聖下蘭十字騎士隊】の隊長。そして外敵との戦闘を目的とした【花陽隊】の総帥。上記三名のみが聖園への入園を許可されている。

 余談だが聖園と街々を隔てる城壁には東西南北四つの小城があり、各門には聖下蘭十字騎士隊の小隊が一隊ずつ配置されている。

 その陣形を『十字』に見立てたことが聖下蘭十字騎士隊の名の由来となった、

 また唯一の聖園への入り口は聖会議会城内にあり、そこには騎士隊隊長《ファレノプシス》が聖園の警護を務めている。

 ここで現時点での国家の仕組みを改めて解説する。

 植物界の一国家【アルプローラ聖国】には《大聖木クリプトメリア》が主君として君臨し、その大聖木を中心として【妖精】らが暮らす【聖園】が広がっている。

 その聖園から広がるようにして市民である【植物】達が生活を送る数多くの街が形成されている。

 大聖木は主君としてアルプローラに鎮座しているが、国家の直接的な統治は【聖会】が取り仕切っている。

 現在《グラジオラス》が務める、【近木】は言うなれば事実上アルプローラの最高決定権保持者である。

 聖園と聖会直下の【聖下蘭十字騎士隊】が国家内の治安維持を目的として組織されているのに対し、もう一つの独立した武力組織【花陽隊】は対外敵交戦のために組織されている。

 近木グラジオラス、騎士隊長《ファレノプシス》、そして花陽隊総帥の《ドラクロアカーネーション》。この三名が、聖園への入園を特別に許可されている選ばれし植物達であり、それぞれ国家の三大権力を担う有力者である。

 

2 大聖木クリプトメリア

 

「人間との戦争はいかぬぞ」

 大聖木クリプトメリアが聖園に集まったアルプローラビッグスリーらに説く。

 萎れる幹の先で黒ずんだ頂点部位の葉がひらり、またひらりと芝生の上に落ちた。

 クリプトメリアの姿が日に日に侵されていく。老衰によるものではない。彼を苦しめているのは凶悪な『疫病』である。

 この疫病は発見後すぐにアルプローラ全土に爆発的に蔓延し多数の死者を出した。その被害者数は未だ増加の一途を辿っている。

 この疫病の原因はすでに判明している。それはこの世界と表裏一体の世界、人間界の人間達による空気汚染によるものである。

 植物の生活を困窮させている疫病の原因が人間らにあると知った市民たちは、当然のように人間たちへの反感感情を露わにした。

 今までにもこのようなことは何度もあった。が、クリプトメリアは断固として市民らに人間との交戦を許さず、植物達はそれに従い耐え忍んできた。彼らのDNAにはその度に強靭な組成へと進化を遂げていった自分達の歴史が全て刻まれている。

 今回の疫病禍においても、クリプトメリアは市民に対し、友の死を乗り越え耐え忍ぶことを説いた。

 しかし、この疫病はかなり凶悪で、進化や変異の余裕もないほどに即効的だった。そして疫病の魔の手は遂に大聖木であるクリプトメリアの御神体をも蝕み始めた。

 クリプトメリアはすぐに自身の死を察するとともに、このままでは自身の存在でやっと制御できていた市民による人間への反感感情が、自身の死を引き金に暴発してしまうと危惧した。

 それからクリプトメリアは逐一グラジオラス、ファレノプシスカーネーションら三名を御前に招集し釘をさした。

 特にカーネーションに対してはよりそれを強調した。カーネーションは日頃から外部へ好戦的な意識を持っている。人間に対してもだ。

 カーネーションはその場においてはクリプトメリアの言葉に深く首を垂れていたが、クリプトメリアにはそれが彼の意思決定にさほど影響を及ぼしていないことを容易に悟っていた。

 

3 総帥ドラクロワカーネーション

 

 花陽隊総帥ドラクロワカーネーション。彼が他の植物よりも種として抜きん出ているというのは、彼の名前を見れば一目瞭然だろう。

 アルプローラでは一般的に、『死後に各個体に個体名をつける風習』がある。仏教の『戒名』に似たこの慣習は、その各個体の死に様を、死後付与する名において語り継ぐという文化である。

 そもそもアルプローラの倫理観は人間のそれとかなり異なる。彼らは『どう生きるか』ではなく『どう死ぬか』を強く重んじている。

 死する瞬間に種子をこの世に生み落とす植物達は、自らが死に、次世代へと遺伝子を紡いでいくことで種が進化し、国家の繁栄へと連鎖させていくと信じている。

 しかし果てしなく繋いできた遺伝子の連鎖は、いつしか彼らの倫理観をも進化させ、彼らは次第に『ただ種子を落とし死ぬ』のではなく、『どう種子を生み落とし死に絶えるか』を拘るようになっていった。

 従って彼らは常に死を望んでいるわけだが、それは美しく、華々しく、責務を全うしたものでなければならない。それはつまり『その瞬間が訪れるまでは「死ねない」』訳であり、これはまさしく人間が「生きたい」、「死にたくない」と願うのともはや変わらないのかもしれない。 

 さて、このような倫理観から、簡単に「植物界のために命を捧げる」という、死の大義名分が得られる花陽隊に入隊する若者は非常に多い。彼らは死を恐れぬ戦士となり、祖国の為に簡単に命を捧げる。

 その、死をも恐れぬ戦士達が揃って憧憬の念を抱き、隊内外から『武神』と称されているのが、花陽隊【第一団隊アルプレライヌ】副長《レオナルド=ダンデライオン》である。

 ダンデライオンはこれまで、数多の戦で多大なる戦果を挙げてきた。

 開花させた風を操る能力を駆使し、幾度となくアルプローラを救ってきた彼を市民らは大いに称えた。

 やがて彼が種として他の個体から著しく抜きんでている表れとして、市民らは彼の名に生前であるにも関わらず、個体名を付与した。

 ダンデライオンに個体名が与えられた時、多くの戦で指揮を執り、無敵聖国を創り上げた知将、花陽隊総帥カーネーションにも個体名を授けようという機運が市民の間で高まった。そして、それは程なくして実現した。

 さて長くなってしまったが、カーネーションの個体名は、彼が多大なる国家功労者であることを示し、同時に種として他種から大いに抜きん出た能力を有していることを表しているのである。

 花陽城。アルプローラ市街南西部に位置する花陽隊の総本部である。カーネーションはその総帥室から老婦人が聖会を襲撃している様子を眺めていた。

 親しい者を疫病で亡くしたのであろう老婦人はすぐに騎士隊に取り押さえられた。市民の人間への反感感情はもう止められない。一連を見たカーネーションは側近に言った。

「時は来たか。武器を獲らせろ」

 

4 ラナンキュラス

 

 花陽隊が動き出した。その情報はすぐに聖会首脳陣達の耳にも入る。

 おそらく明日ないし明後日、カーネーションは市民らを引き連れ聖会へクーデターを仕掛けてくる。

「平和主義を愛されたクリプトメリア様の死機が、皮肉にも内戦の引き金になろうとは…」

 グラジオラスは深く溜め息を吐き頭を抱えた。ファレノプシスグラジオラスのその行動に少しの余裕を感じた。

 グラジオラスは事態が悪化すれば職を辞すればいいだけ。しかし実際にクーデター軍と剣を交えるのは我々騎士隊。ファレノプシスは自らの腰に携えた鞘を見つめ、この剣は明日、同胞を切る事になってしまうのかと思慮した。

 クーデター軍の軍勢はおそらく数万を越えてくる。もちろん歴戦の花陽隊戦士達も参戦してくるだろう。

 一方こちらの戦力は騎士隊数百名。それとあるいはクリプトメリア様の言葉を未だ信じてくれる市民がいくらかこちらにつくか。ともかく圧倒的不利であることは変わりない。

 グラジオラスは会議の最初こそ絶望に打ちひしがれているような素振りを見せていたが、後半は自らカップティーを注ぎ、顔を和らげ談笑していた。

 会議の終わり待たずにファレノプシスは席を立った。このままではまずグラジオラスの首を落としてしまうと自らそれを視界から外した。

 聖会議城を出たファレノプシスはその足で郊外のとある学校へと向かった。

 小奇麗な応接室へと案内された彼は、とある植物と面会するためにこの学校に訪れた。 

 窓からは普段ならばきっと静かな町並みが臨めるであろうが、今日のそれは時折怒号が飛び交い、砂ぼこりの舞う荒れたものとなっていた。

 授業を終えた目的の植物が応接室に入ってきた。二者は久方ぶりの対面に固い握手を交わす。入室してきた彼の名は《ラナンキュラス》。アルプローラ郊外の学校にて教鞭を振う、ファレノプシス士官学校時代の同期である。

「偉大なる隊長様が遥々…」

 膝をつき首を垂れるラナンキュラスが自分をからかっていることを知っていたファレノプシスは、彼をとっとと椅子に座らせ積もる話もせずに事の次第を語りだした。

 ラナンキュラス。今や国家三大権力の一つを担うファレノプシスが当時憧憬の念を抱くほどの剣術の才を持つ士官であった。しかしながらラナンキュラス士官学校を卒業後、いかなる入隊を拒否。最終的に彼は学校教諭の職に就いた。ファレノプシスをはじめ、当時の軍関係者はその才能を持て余す彼の判断に酷く失望した。

 アルプローラでは効率や損得よりも、美学を重んじる傾向がある。その代表例としてアルプローラの民の戦いは『一騎打ちこそ美学』であるとを幼い頃から教えを説かれる。従って内戦となれば絶対数よりも各個体の個体力の強さが勝敗を決する。

 それを踏まえ、ファレノプシスラナンキュラスの剣術を見込み、贔屓目に見ても厳しい来たる戦いに、旧友である彼を招集しようとここを訪れたのだ。

「もう長い間剣は握っていないが」

 ラナンキュラスファレノプシスの招集にあっさりと応じた。ラナンキュラスに対しては、相互に感謝を言い合う間柄ではなかったが、ファレノプシスもこの時ばかりは頭を下げ感謝の意を示した。

 聖木信仰心が強いラナンキュラスならばあるいは、と考えていたが、あまりにもあっさりとそれを承諾したものだからファレノプシスは多少戸惑った。が、それ以上に彼と再び共闘できる喜びが少しだけそれを上回った。

 二人はやがて積もる話をした後、応接室を出た。正門までファレノプシスを見送ったラナンキュラスは、中心部へと帰るファレノプシスとは逆方向に歩き出した。

「どこへ行くんだ」

「面白いのがいる。戦力の足しになるかもしれない」

 ファレノプシスは薄れゆく彼の背中をみて疑った。この男、まさか勝つ気でいるのか。

 

5 市民軍

 

 翌朝、街の噴水広場には予想を遥かに上回る数の市民らが集結した。目の色を変え、今か今かと反人間感情を露わにする市民たちの眼前にカーネーションが登壇すると、市民ら沸きには沸いた。

 乱れ荒れるる市民たちとは対照的に、カーネーションは静かに語りだした。

「…我々はなぜ苦しんでいる。

…我々はなぜ耐え忍んでいる。

…我々はなぜ死にゆく友を弔っている。

我々の歴史は勝利の歴史だ。敗北などという言葉の意味を我々はすでに失念している。

ではなぜ今我々は苦しんでいる。

なぜ耐え忍んでいる。

なぜ死にゆく友を弔っている。

この苦しみの先に何があるというのか。

耐え忍んだ先に栄光はあるのか。

志半ばで死んでいった友の無念は永遠に晴らされないのか。

そう遠くない明日、我々アルプローラ聖国の精鋭なる医師団はこの疫病を完全に克服させるだろう。

しかし!このままでは我々の誇り!栄光の歴史!この星の盟主としての尊厳は完全に死に絶える!違うか!?

我々は大聖木様の暖かすぎる御心に甘えすぎていた。

大聖木様の教えである人間との否交戦を守り抜いてきた。

しかしその結果がこれだ!

人間どもは寛大すぎる大聖木様の慈愛を前に調子に乗りくさり、今度は我々を滅亡させようとしている!

我々の愛する大聖木様が今まさに愚か者共によって攻撃を受けているのだ!

人間共までをも愛した我が大聖木様をだ!

しかし!聖会の出した答えは何だ!

人間との交戦はない。

なぜだ!

我々がこれ以上苦しむ必要あるか!

我々がこれ以上耐え忍ぶ必要があるか!

我々がこれ以上死にゆく友を弔う必要があるか!

戦乱に落ちれば必ず勝利するのは我々だ!

我々の歴史は勝利の歴史だ!果てしない過去と永遠に続く未来において!我々には勝利しかない!

…我々はこの後、友に刃を向けることになるだろう。

では聖会や聖園の同胞達は悪か?

否!彼らは決して悪ではない!

彼らは大聖木様の教えを最後まで信じ貫いた英雄達だ!

では我々の敵は誰だ!」

 

「「「「人間だ!!!」」」」

 

「我々は聖会の友を越え!忌まわしき人間界に正義の使者として進軍しなければならない!

我々の勝利の歴史、種族の気高さ、大聖木様への誇りを!たかだか数千年しか時を紡いでいない人類のガキどもに叩き込んでやれ!

さあ武器を獲れ!

我々の敵は聖会ではない!

その先の人間界の猿どもである!」

 

ヴウオオオオオ!!!!

 凄まじい怒号と地鳴りは、世界の裏側をも揺らし、歴史を動かした。