第24章 -再生編- 

第24章

 

Ⅰ 8月27日 ②

 

 梅屋が都内某病院に駆け付けた時にはもう。

 

 その入り口は下衆なマスコミによって取り囲まれていた。梅屋はそれを割って院内に入構し受付に牡丹の搬送先を訪ねた。

 当然受付の若い女性はすぐにそれを教えなかった。が、梅屋が自身の身分照会を済ますと、受付は彼を緊急外来控室へと案内した。

 梅屋は平然を装いながらも可能な限り歩幅を広げ控室に向かった。

 梅屋は壁の前に並べられた椅子の一つに腰を掛ける。まもなく廊下の奥の方から一人の医師が梅屋の元にやってきた。

桜田様ですか」

「いえ…。私は桜田牡丹さんの担任の梅屋と申します」

 梅屋が自身の名と身分を伝える。対して医師は梅屋に彼女の様態を伝える。

 所謂今夜がヤマ。植物の襲撃による大量出血及び重度の外傷。梅屋はあんぐりと開けた口をゆっくり閉じ、その後は祈ることしかできなかった。

 梅屋が辺りを見渡す。彼と同じように両手を結ぶ多数の者。おそらく牡丹と同様にその植物の襲撃により搬送された方たちの親御と見受けられる。

 

 梅屋が病院についてから一時間、控室に一組の男女が駆け付けてきた。男女は見るからに顔面を蒼白とさせ、梅屋の横に着座した。

 看護師が彼らを「桜田さん」と呼んでいた。牡丹の両親だろう。梅屋は少し悩んだのち、先ほど医師から聞いた情報と自身が牡丹の担任であることを伝える。

 見るからに動揺する男性。同様に意識を失いかける女性の肩を抱き抱える。

 牡丹が転校してきた際、電話越しでの挨拶はあった。しかしそれが彼らの気まずさを解消させる薬にはならなかった。

 しばらく続いた沈黙。破ったのは牡丹の父親だった。

 彼は牡丹が栃木の実家を離れて東京でアイドル活動をすることに以前から反対していたという。今回は植物によるものだったが、今日のような事件は色恋営業をする現代アイドル産業においては遅かれ早かれ起こり得るものだったと彼は語った。

 父親は話の序盤こそ現代社会の過失を訴えていたが、最終的には彼女の夢を応援するといって牡丹を無責任に東京に送り込んだ自身を責めた。

 梅屋はどこまでも自分が情けなかった。いち人間として、いち教師として、自分は生徒一人すらも護ってやれない。それどころか目の前の親御さんに掛ける言葉すら見つからない。一度は植物界を守るなどと豪語した男がだ。本当に情けない。

 梅屋は立ち上がり、またその場から逃げ出した。

 

 梅屋が小便器の前でズボンのチャックを下ろし、出もしない小便をいつまでも小便器の前で待つ。

 壁に貼られた『あと一歩前へ』という言葉が眼に刺さってきた。

 

「やあ、調子はどうだい」

 

 幸いにも全く放尿していなかった梅屋はその声の方を振り返ることができた。ロージエ。久方ぶりの再会は雰囲気もクソも尿もなかった。

「…何しに戻って来たんだよ」

「元気かなと思って。その節は悪い事をしたね」

「そう思うなら放っておいてくれよ」

「でもよかったじゃないか。もうすぐ君の愛する植物の世界が戻ってこようとしてるんだよ?」

「…」

「まあいいや。元気そうで何よりだよ」

 ロージエはそう言うとあっさりと帰っていった。梅屋もそれを阻まず。するとようやく出しっぱなしのイチモツからチョロチョロと小便が出てきた。

 梅屋が一時的な解放感に浸っていた矢先、先ほどの声。再び背後から。

「あ」

「!!」

「君はもう僕の力を使えないと思っているだろうけど僕たち妖精の力は君たちの体の中にいくらか残存しているみたいだね」

「おい!さっき帰ったんじゃなかったのか!」

「僕らといたときほどの力はもう出ないだろうけど力は使えるはずさ。人一人守れるくらいの力はね。じゃ。急いでるから」

 ロージエは再びどこかへ消えていった。

 辺りに撒き散った自身の尿。どうしたものかと腕を組んだ梅屋はとりあえず出ているものをしまい、洗面台に向かう。

 鏡に映った自身の顔を数秒見つめる。右手に力を込めてみる。何も起きない。尿は巻き散ったまま。鏡の自分に笑われている。

 

 

「どこ行ってたんだロージエ」

「すまないデルフィン。さあ急ごう」

 赤と青の光の尾が雑多な街へと消えていく。

「クラステル」

「おやおや。まさかそちらから出向いてくるとは。よくこの場所がわかりましたね」

「この臭い世界では妖精の匂いが目立つんだ」

「さあロッタを返してもらおうか」

「断るといったら?」

「それは困るな。これは独断行動ではないカーネーション総帥の勅命だからね」

「なるほど。もし断れば私の元にたくさんの兵隊さん方がやってくると」

「その通り。お前がロッタを連れている限り君の居場所は常にまるわかりさ。さあわかったらその妖精を解放しな」

「交換条件ってのは、受けてもらえますか?」

「一応聞いておこうか」

「ありがとうございます。じゃあ赤い君。君がこの子の代わりに私の元に来てくださるならこの子を解放しましょう」

「なぜ妖精を囲いたがる?」

「光る人間。君たちが創り上げた可哀そうな子達。彼らの居場所が知りたいんです」

「それならば別に居場所を聞けばいいじゃないか」

「彼らはですね、傷ついた君たちを見ると血相を変えて向かってくるんですよ。それがあまりにも快感でしてね。お恥ずかしいことに。この条件をのんでくれるならばもう他の妖精に手を出さないと『大聖木様に』誓いますよ」

 ロージエは交換条件の内容よりも目前の下衆野郎が軽はずみに大聖木様の名を口にしたことに腹を立てた。が、取引の手前、冷静を装った。

「…わかったよ。まずはその妖精をこちらに寄越してくれ。その後、僕がそちらに行こう。『大聖木様の』名に誓って」

「…ほら、どうぞ」

 クラステルはロッタを二匹の方へ投げつける。デルフィンはそれを捕まえ、優しく抱きかかえた。

「さあ、おいで」

「…ロージエ!」

「大丈夫。デルフィン。大聖木様と総帥にありのままを伝えてくれ」

 デルフィンと気を絶したままのロッタに別れを告げ、ロージエはクラステルの元へと移動した。クラステルはロージエの身体を掴み、廃墟から飛び出し夜の街へと消えていった。

 

「で、彼らはどこにいるんでしょう?」

「…芽実高校。そこで人質でも取ればきっと彼はあっさり姿を現すよ」

「芽実高校。場所は自分で調べろってことですね。…で他の連中は?」

「その男を倒せば、君の能力でわかるんじゃない?君は『そういうの』が好きみたいだし」

「フフフ。中々鋭いですね。是非いつか君の頭の中も覗いてみたいですね」

「その時はこの世の終わりだよ」

 

 人気の少ない静かな遊歩道、コツコツと歩く女性に話しかける一つの陰。

「…すみません。芽実高校ってどちらでしょうか? …そうですか。へえ今は夏休み中?じゃあ九月とやらに出向いた方が面白そうですね…。」

 人気の少ない静かな遊歩道、一つの女性の首が転がっている。

 

Ⅱ 9月1日

 

 八月が終わった。生徒達にとっては『八月が終わった』、というよりも『夏休みが終わった』という意識の方が支配的か。

 近年の九月と言えば残暑うんぬんとかではなく、ただ単純に夏である。

 登校してくる生徒。ほとんどが上着を手に持ち歩いている。二学期の始まりとともに冬服の着用が義務付けられる校則も早いうちに改めなければならない。

 新学期の教室。やけに静かだ。室内を見回すと有田の姿がない。そりゃ静かなわけだ。

 出席を取り始める。桜田牡丹、森山スミレの返事もない。牡丹はともかく、森山スミレといえばこれまで学校を皆勤している。風邪でも流行っているのか。

 放課後の教室。学期の掲示物を改める誰もいない教室。秋風がまだ固いコピー用紙をはためかせる。

 

 

 船が行き交う夜の港。コンテナに寄りかかり行き交う船を眺める一人の男。

「あなた…数えきれないほどの人を殺めてますね。私と同じだ」

 上からの呼び掛け。男は体勢そのままに目線を上げる。コンテナの上。こちらを覗き込む深紅の植物体。

「オレは殺した奴の顔と名前は全て覚えている。お前と一緒じゃないな」

「そうですか。じゃあ私もあなたの名前を覚えておきましょうか。これからあなたを殺すわけですし。あなたの記憶は是非見てみたい」

「気持ち悪い奴だな。殺すぞ」

「あなたの為に私の名を教えておきましょう。クラステル・アマリリス。あなたの脳裏に刻んでおいてください」

「まじで気持ち悪いな」

「ふふふ。名乗らなくともあなたの名前は私にはわかるんですよ」

 クラステルが刀を鞘から抜き男性に斬りかかる。

 

ギャギン!

 

「!!」

 男性はクラステルの太刀を何の工夫もなしに浴びた。しかし男性は涼しい顔でしてクラステルを睨む。

「お前はそうやって人を殺してきたのか」

「!?」

ガキンカギンガキンガキンガキン!

 クラステルが不格好に何度も太刀を振り下ろす。

「…まだやるかい?」

「ななんで貴様は無傷なんだああ!!!?」

 わがままに何度も振り下ろされたクラステルの剣。男性に一太刀も浴びせることができずに朽ち果てた。

「おいおい、さっきまでのお行儀の良さはどうした」

「ふ」

「何を笑ってるんだ貴様は妖精の分際でええ!!」

「おいおいマジのキチガイじゃねーか」

 クラステルは自分を嘲笑した、腰に据えたロージエを痛めつけた。しかし妖精を視認できないこの男性の眼には、植物体が自分で自分の腰元を何度も叩いているようにしか見えず、思わず前述のような諸感想をもった。

「気がすんだか?今弾がねえんだ」

 男性はそう言うと重い腰をあげ、クラステルにまんまと背を向け闇の中に消えていった。

 クラステルはこの憤怒の全てをロージエにぶつけた。妖精が絶命しないことを良い事にクラステルは数時間ロージエを弄り続けた。

 

Ⅲ 9月2日

 

 新学期の授業が本日から再開する。有田は今日も姿を見せなかったが、昨日に比べ教室内は騒がしかった。その和の中心は桜田牡丹であった。

 皆が牡丹の具合を心配した。しかし彼女は終始あっけらかんとし、全ての心配は無用であるとそれらを拒んだ。

 

 一、二限目を終わらせた梅屋。例によって三限目の下準備に取り掛かる。

 三限目は一年生への授業ということで、彼はより生徒たちの理解度を高めてやりたいと、両手いっぱいに自作の教材を抱え教室に向かった。

 このクラスは一学期から引き続きとてもおとなしいクラスだ。授業への意欲が強く表れている。どっかのクラスとは大違いだ。

 授業が中盤に差し掛かる。ついに昨晩夜更かしして創作した教材が教卓の上に登壇する。その瞬間、大音量の校内放送が梅屋の名を呼んだ。

 目に見えるように肩を落とす梅屋。生徒たちにとりあえず自習を告げ、呼び出し先である校長室へ向かう。

「遂にクビか」放送を聞いた二年B組の生徒らは、口を揃えて湧いた。この時間を担当していた紅葉も一緒になって笑った。

 

 重厚な校長室の扉を元気よく三回ノックし入室する。背広を羽織った大きな背中は逆光により悪魔のような漆黒のシルエットとなり窓際に立つ。そして本革のソファーにはうつむく有田。

「いったい何事でしょうか!」

 悪魔はゆっくりと振り返り乾いた分厚い唇を開けた。

「梅屋先生。有田君が暴行事件をはたらいたそうだ」

「暴行?」

「学校としては規則に沿って彼を停学処分としなければならない」

「ちょっと待ってください!状況がわかりません!彼とちゃんとお話しされたんですか!」

「先ほど警察の方たちから連絡があった。相手の学生は複数の骨を折る重傷だそうだ。…さすがに擁護はできない」

「有田…」

「最近君のクラスはどうなっているんだ。桜田さんの件もある。君の雇用についても考えなければならない。…少し彼と話をしなさい。隣で待ってるから終わったらまた呼びなさい」

 校長は梅屋と有田を校長室に残し隣の応接室へと移動した。梅屋は有田の対面に座りいったい何がどうしたのかと問うた。

 きっかけはしょうもなかった。有田とスミレが牡丹の見舞いに行く途中、どこから聞きつけたのか牡丹目当てで病院の周りをうろちょろする学生が多数いたという。スミレはそれらをよく思わなかった。

 

「どけ!邪魔!」

 スミレは道を塞ぐ大学生と思われる男連中にわざと肩をぶつけ、彼らの間を割った。男連中はそれに腹を立て一人がスミレの腕を掴み食い下がった。それに腹を立てた有田は。

「お望み通り牡丹と同じ病院に送ってやった」

「…有田。暴力とか腕力で勝負をつけるのは弱虫の証拠だ」

「じゃあ相手が殴ってきたらどうすんだよ」

「堪えるんだ。納得いかなくてもそれで場が収まるなら謝るんだ。決してお前が悪くなくても。辛い痛い苦しいのその先には必ず勝利が待っている。いいか。お前が暴力で仮の勝利を手に入れたところでどうなった?お前は停学になった。これはお前の負けだろ」

「あ?」

「いいか。人間はもう力で争わなくてもいいように何万年もかけて他の動物とか虫とかにはない言葉と心っていう武器を手に入れたんだ」

「いやわかんねえって。綺麗ごとばっか並べんな。お前の言葉で説教しろ

 

「!!」

 

 校庭から女子生徒らの悲鳴。慌てて窓から外の校庭を見下ろす。校庭の奥、一体の深紅の植物体。のそのそとこちらに向かってくる。

「逃げろ!」

 梅屋が校庭の生徒たちに叫ぶ。赤い植物体。放つ妖気。鳥肌を立てさせる。

「梅屋くん!警察に電話だ!」

 校長室に戻った校長が梅屋に叫ぶ。しかし梅屋は動かなかった。彼は自身の思考で頭がいっぱいだった。

 何だあの妙な感じは。なぜあいつに懐かしさや憎たらしさを感じる。梅屋はさらに目を凝らして植物体を観察する。

「ロージエ!」

 梅屋は植物体の腰にくくられたロージエの姿を発見する。あいつは間違いなく自分を狙っている。理解した途端に背筋が冷えた。

 植物体は決して急ぐことをせず、腰に掛けた鞘から剣を抜き女性生徒を順々に切っていった。血しぶきの沁みるグラウンド。平和な学び舎に戦慄が走る。

 教室から惨劇を見ていた牡丹。その植物体の姿。あの時の。

 しかし敗北の記憶が彼女の足を躊躇させることはない。策もない。けど勇気はある。私の宝物の仇。てゆうかやられた分をやり返す。牡丹は「バレる」などという細かいことは思考から除外し、校庭の生徒達を救出するために窓から飛び出そうと窓枠に足を掛ける。

「やめなさい桜田さん!」

「何すんのよ!触んないでよ!」

 紅葉が牡丹の腕を掴みそれを止めた。

「あなたが行って何になるの!その体で!」

 牡丹のセーラー服の胸元がはだけ、痛々しく巻かれた包帯が露わとなる。

「余計なお世話なんだけど!じゃあどうすんのよ!見殺しにしろってゆーの!?そんならあんたが止めて来いよ!」

「私はこの教室のみんなを絶対護るから!だから絶対外に出ないで!ここは私に従いなさい!」

 初めて声を荒げた紅葉を見た。彼女の勇気と正義に牡丹はその顔を立てざるを得なかった。冷静に考えればそりゃこの体であの凶悪な植物に敵う訳ないけどさ。居ても立っても居られないじゃん。牡丹は歯痒さを抑えきれず窓枠から降りるやいなや黒板を思い切り殴った。

 この場で戦えるのはお前だけだぞ。お前だけ。頼りないお前。全てはあのバカに懸かってる。何やってんだよ。

 牡丹は貧血で意識を遠のかせながらも細い腕でなんとか自らを支え、ヒーローを待った。

「梅屋くん!軍はまだ来ないのか!」

 校長の叫びが壁に掛けられた歴代校長の額縁が揺らす。梅屋はそれを余所眼に角のロッカーに収納されたモップを取り出し、有田に静かに語り掛けた。

「有田。先生さっき暴力で解決するのは弱虫だって言った。先生もな、弱虫だ」

 そう言い残すと梅屋は勢いよく立ち上がり三階の校長室の窓から校庭に飛び降りた。

「!!」

「梅屋!」

 校長と有田がその名を叫ぶ。校庭のほぼ中心にいた植物体はすぐに梅屋に気付き、女子生徒の殺戮を止める。

 

 二人はお互いに近づき、植物体は梅屋に言った。

「あなたは光る人間でしょうか」

「その妖精はどうした」

「彼が見えるという事はそういう事ですね。私の名前はクラステル・アマリリス。この妖精はまあつまり光る人間発見器といったところでしょ

「ふざけるな!!」

 誰も聞いたことがなかったであろう梅屋の怒鳴りが校舎を揺らす。

 梅屋は右手の拳を握りしめ光を灯した。赤く輝くその拳。クラステルは歓喜した。やっと二人目。

 梅屋の赤い光はやがて彼の全身を包みこむ。

 

「ヒーローがきた…」

 

 学校が静寂に包まれる。

 梅屋は自身を包んだ赤い光を勢いよく振り解く。そして、校庭の中心に赤色のヒーローがその姿を現した。

 

「いけえええ!」

「梅屋先生!」

「やってやれ!」

「梅屋!ぶっ殺せ!」

 

 ヒーローの登場にその場の人間が狂喜乱舞する。

 クラステルが狂気的な笑みを浮かべ梅屋に切りかかる。梅屋はそれを見切り、赤く灯らせたモップでクラステルの一閃を受け止めた。

 クラステルはがら空きとなった自らの腹部にしまったと思った。しかし梅屋から反撃は訪れなかった。

 これはラッキーだが…少々興が削がれる。クラステルは大きな太刀筋で再び梅屋に追撃する。梅屋はそれをまた剣道のお手本のように弾き飛ばす。しかしまたしても梅屋の反撃は振り下ろされない。

「…所詮ただの人間でしたね。妖精の力を受けてもこの程度」

 クラステルは梅屋の実力を見切り、この勝負を終わらせる鋭い一閃を振る。しかしそれもまた梅屋によって弾かれる。

 今のは力を測ったさっきのとは違う。クラステルがさらに刀を振る。しかし振れど振れどその太刀は全て梅屋に捌かれる。そして太刀が弾かれる度にクラステルの身体は無防備に晒される。それでも梅屋からの攻撃は一度も起こらない。

「どうした。所詮人間だぞ」

「き、貴様あ!」

 梅屋の受け太刀は握力のなくなったクラステルの手から遂に彼の刀を弾き飛ばした。

「…」

 こいつ!反撃できなかったんじゃない!しなかっただけだ!測られてたのはオレの方だった!

 刀を失ったクラステルはその場に無防備に晒された。それでもなお梅屋はクラステルにトドメをさすことをせず、それどころか赤らめたモップをその場に投げ捨ててみせた。

 クラステルはそのなめきった梅屋の振る舞いに怒りを制御できず、己の拳で梅屋に殴り掛かる。

 

ブジュル!

 

「!?」

 クラステルは怒りのままに梅屋の鳩尾を殴った。しかしその場に跪いたのはクラステルの方だった。

 梅屋を殴ったはずの右の拳からは何故か自身の体液が垂れ流れ、次第に神経が激痛をクラステルに伝える。

 クラステルが梅屋の身体を見上げる。梅屋は特に何の工夫もなくその場に立ち、クラステルを見下している。

「クラステル。観念するんだ」

 クラステルが再び梅屋に殴り掛かる。その時、茨のような何かが出現し梅屋の身体に巻き付いた。クラステルの拳はその茎と棘によって防がれ、クラステルは再び自らの拳により自身を傷つけた。

「…痛いか?」

「貴様ああ!」

「痛いだろう?後悔しているだろう?相手を殴るというのはそういうことだ」

 全く攻撃を仕掛けない、それなのにこの勝負を優位に進めていく梅屋の背中を有田ら生徒たちは目に焼き付けた。

 クラステルは梅屋に背中を向け背後に転がった自らの剣を走って回収した。

「人間風情が説教垂れてんあああ?!」

 もはや言葉として機能を成してない叫びとともにクラステルは三度梅屋に襲い掛かった。

 

ビュルゥィィィィィィン!

 

 クラステルの身体は梅屋が出現させた茨によって縛りあげられ、彼の身体は校庭に砂煙をあげ滑り転げた。

「これで君はもう誰も傷付けることはない」

「ふっざけるなああああ!ほどけ!ほdけ!」

「君を裁くのはこの星だ。地球がもし君を許せばその茨はきっと消える」

 梅屋の身体を纏っていた赤い光が次第に収まる。終わった。

 …いやまだだ。砂煙の左方から殺気とは違う気配。梅屋が再び身体に力を込める。しかしロージエはそれをやめさせる。

芍薬。もう大丈夫だよ。彼は違う」

「違う?」

 砂塵の中から姿を現し新たな植物体。見るからに満身創痍。

「やってくれたな、クラステル」

「貴様あああ!!生きてたのかあ!?」

「うるさいなあ。ちょっと黙ってろよ」

 縛り上げられたクラステルの元に歩み寄った植物体はクラステルの額をつま先でポンと蹴った。

「おい!助けに来てくれたんだろう??おあの時の事は謝るから!だからお前これをとってくれ!!同じ植物じゃないかああ?この人間を一緒に殺ろう!解いてくれ!」

 植物体はクラステルの頭を今度は思い切り蹴り上げた。校舎からは皆がまた新たな植物体と対峙する梅屋の姿に固唾を飲んで見守る。

「…君たちの目的はなんなんだ」

 梅屋が問う。

「…まあ人間にも色んな考えの人がいるだろう?植物だって同じさ。人類を滅ぼそうとする者もいれば、平和を望む者だっている。こいつみたいに頭のおかしい奴もね。…そんで本題だけどこの植物はこちらで預かっても構わないかい?」

「どうするつもりですか」

「ちょっとこれには貸しがありましてね」

「助けてくれるんだなあ!・・・やっぱりそうですよね。失敬。少しばかり気が乱れてしまいました。さあとっととこの人間を殺しましょう!」

「うるさいやつだな。誰がお前なんか助けるか。犯した罪の数だけ働いてもらうぞ。一生分じゃ足りないかもな」

「あなたは何者なんですか」

「私もあなたとと同じただの教師ですよ。ま、言葉なんていくらでも嘘がつけますから。だからこれ以上はあえて言わないでおきましょう。どうしても聞きたかったらその小さなお友達にでも聞いてください」

 植物体はロージエを指さした後、五月蠅く喚くクラステルの口に校庭の砂を詰め込みそれを引きずって学外へと歩いて行った。

 植物体が去って行く。それとうまく入れ替わるように学校には警察、救急、自衛隊が遅すぎる到着を果たした。

 梅屋は肩の力を落とし、校舎の方を振り返り生徒たちの顔を見る。

 

「!!」

 

 梅屋が勝ったのだ。生徒、教職員達の歓喜に梅屋は俯いた。照れからか。校庭で救助を待つ女子生徒を偲んでか。理由はここからではわからないが、彼は間違いなく、この学校のヒーローだった。

 

 梅屋とその場の責任者として校長は数時間の事情聴取を受けた。日も落ちはじめ、太陽がクリーム色の校舎をオレンジ色に染める。

 聴取が終わり、梅屋は静かになった校内をひぐらしの鳴き声を聞きながら少し歩いた。

 警察に自分がヒーローであるということは口が裂けても言えなかった。リンドウ達との約束もあるが、何より自分でヒーローと名乗り出るのが憚られた。まあそれでもきっとおそらくは校長ないし生徒の誰かがそれを口に漏らしてしまうだろう。

 クラステルは自分や牡丹がヒーローだと知ったうえで襲ってきた。今後そのような植物に再び狙われない保証はどこにもない。

 有田の件もあるし、きっと自分はもうこの学校にはいられない。梅屋は見納めという気持ちでこの校舎を練り歩いていた。

 最上階の音楽室のそばを歩いていると、廊下の窓から差し込む夕日と重なった赤い光がこちらに話しかけてきた。

「ありがとう。芍薬

「ロージエ」

「どうして助けてくれた?君を裏切ったのに」

「悲しいかな君を助けたわけじゃない。ごめん」

「そっか。まあいいや。僕が君に感謝することには変わりはない」

「…ロージエ。君は何を望んでいる?」

「?」

「君は本当に人間を滅ぼして、植物の世界が来ることを望んでいるのかい?」

「そうさ。それが僕の使命だから」

「でもきっとさっきの植物」

ラナンキュラス

「?」

「あの植物の名前はラナンキュラス

「…ラナンキュラスさんのような植物もたくさんいるはず」

「何が言いたい?」

「うまく言えないけどとりあえず、まだ君たちの世界を創らせるわけにはいかない。でもきっといつかさ」

「まあがんばってよ。じゃあね。芍薬

「…」

 そう言うとロージエはまた夕日に溶けて消えていった。

 やがて梅屋は校長室の前に辿り着き、最後の報告をしに入室した。校長が昼間と全く同じ位置で鮮血が黒ずんだ凄惨な校庭を窓際から見つめている。

「校長先生殿…。聴取が終了いたしました」

「ご苦労だったね」

「つきましては、これ以上の迷惑はかけれない故、この学校を

「君は…。君はあの場にいなかったみたいだがいったいどこをほっつき歩いていたんだ?」

「はい?」

「君がどこかに逃げ隠れている間、赤いヒーローがやってきて、我々を守ってくれたよ」

「あの校長…その赤いヒーローというのがですね

「もし、またあんなバケモノが襲ってきたら大変だ」

「あの…」

「いったいあの赤いヒーローは誰だったんだろうか。警察が全生徒に聞きとりを行ったらしいぞ。「ヒーローの素顔を見た者はいるか」と。しかし生徒の中にその素顔を見たと答えた者は誰一人としていなかったそうだ。無論、私もその顔を見れなかったから彼らにはそう伝えたがね」

「え!」

「梅屋先生。君は見逃したようだがあのヒーローとやら。惚れ惚れするほどかっこよかったんだ。どうしても私はお礼が言いたい。そこでどうだろう。君にはこの学校にいるはずの赤いヒーローの正体を暴いてもらいたいんだ。それまで君のクビは保留しておいてあげよう」

「校長殿…!恩に切ります!ありがとうございます!」

 梅屋は深い感謝の礼を示し校長室をあとにした。校長は赤い夕日に染まるその背中に人知れず敬意を表した。

 誰も傷付けず、戦わずして護る力。わがままな強き者として。