第12章 -植物界編-

第12章 

 

1 近木グラジオラス

 

 グラジオラスは見積もりを遥かに上回るクーデター軍に息を飲んだ。それらが起こす砂塵は聖会議城上階部まで立ち昇り、首脳陣のほとんどはすでに敗北を確信した。

「さてと。ちょっくら死んできますか」

 ラナンキュラスが冗談なのか本気なのかわからない掛け声とともに腰を上げる。それにファレノプシスも続く。

「おっと。君はまだ死ぬべきじゃない」

 ラナンキュラスファレノプシスを制する。

 この戦いの後に起こるであろう人類との戦争を展望すれば、ファレノプシスという植物を今死なせるべきでないことは自明だ。

 自らの死で犠牲の頭数を増やし、早急にこの無意味な戦いを終結させる。大聖木様の教えを貫き、その御前で死ねるとはなんたる幸福か。

 ラナンキュラスはコツコツと自らが決めた死に場所へ階段を下った。

ダンデライオンとダリア…」

 聖会首脳陣はクーデター軍の先鋒を把 握した。花陽隊第一団隊アルプレライヌ隊長ダリア、そして同じく副長の軍神ダンデライオン。花陽隊が誇る超級軍人二名をカーネーションはぶつけてきた。

 人類との戦争に向けて少しでも人員を確保しておきたいと考えているはずのカーネーションが、失ってはならない最高の駒をこちらに寄越す。つまりカーネーションは、『戦わずして勝つ』という選択肢を獲ってきたことになる。

 聖会陣営ですら先を考えれば「失うのが惜しい」と思うほどの最高戦力を先鋒に誇示することで、カーネーションは無血での開城を試みたのだ。

 余程のバカでない限り、この二人に挑んでくる者はいない。そして万が一、余程のバカがいたとしても、そんなのにこの二者が負けるはずがない。花陽隊としてもファレノプシスをはじめとする聖会側の手練れは残しておきたい。

 カーネーションの目的はただひとつ。聖会を早期降伏させ、聖園にある人間界への空洞の解放。そして持ち得る最大戦力で人間界へ侵出すること。

 

2 サンダーソニア

 

 ラナンキュラスは聖会議会城から地上に降り、聖会陣営の兵達を見た。

 覚悟を決めている者が大多数。その中にいくらか震えている者も混ざっている。そしてそのどちらでもないヤツが一人。誰とも隊列を成さずにただつっ立っている青年。その青年の元へとラナンキュラスが歩み寄る。

「…ダンデライオンって知ってるか?」

「知らない」

「そうか。今この世界で一番強いとされてる男だ」

「…」

「どう、やる気出てきたか」

「別に」

 ラナンキュラスは自分が呼びつけたこの青年と気まずそうに話した。

 ファレノプシスとの会合後、わざわざアルプローラの最果てまで行って彼が口説き落としたこの青年。名を《サンダーソニア》という。

 隆々武骨な青年サンダーソニアはかつてのラナンキュラスの教え子である。ラナンキュラスは当時からサンダーソニアの中に眠れる、とてつもない強さに魅せられていた。

 田舎の小さな町工場で細々と暮らす信心深い彼はこの世界に絶望していた。

 種のために意義のある死を追い求めていた彼は、数年前に勃発した先の蝶蜂軍との大戦への参戦を決めた。

 彼の倫理感を尊重した当時の担当教諭ラナンキュラスはそれを引き留めず、ただ一つ『開花』の理論だけを彼に教え、戦場へと送った。

 熾烈を極めたこの大戦は植物界にも多くの犠牲者を出したが、ダンデライオン等の活躍もあり見事蝶蜂軍を殲滅させ勝利を飾った。

 戦地から凱旋した戦士達を出迎える市民たちに紛れ、ラナンキュラスも教え子の行方を気にした。勝利の凱歌を市民が奏でそのアーチを胸を張り凱旋するのか。あるいは種の為に華々しい最期を遂げてみせたか。

 しかし彼の瞳に映ったのはそのどちらでもなく、後方で絶望した表情を浮かべ俯くサンダーソニアの姿だった。

 ラナンキュラスはすぐにサンダーソニアの元へ駆け寄り事情を問うた。すると彼は何も言わず、ただ一人マーチを抜け、家のある郊外方面へと帰っていった。

 出兵時、見せてこともない程に高揚していた彼に何があったのか。それ以来、サンダーソニアは二度と戦地には姿を現さず、望んでいた士官学校への進学も取りやめてしまった。

 あれから数年経った今でも、ラナンキュラスは未だ彼からその訳を聞き出せてはいない。

「向かって右がダンデライオン。左がダリア」

「…」

 巻き上がる砂塵と怒号。ラナンキュラスはその先頭に立つ二名の名をサンダーソニアに教えた。

 やがてその姿ははっきりと目の前に現れ、意気揚々とこちらに口上を述べてきた。

「開城を要求する!」

「致しかねる!」

 ダリアが先鋒で迎え撃ったラナンキュラスに問い、ラナンキュラスはそれを拒んだ。

「お前はラナンキュラスだな。落ちこぼれの」

「お見知りおき感謝いたします。ダリア隊長」

「その隣の者は」

「彼もまた落ちこぼれであります。我々は大聖木様の教えに従い、あなた方を迎え撃ちます」

「そうか…お前のようなバカが花陽隊に入らなくてつくづく良かった!」

「もったいないお言葉であります」

「仕方ない。さっさと終わらせよう!」

 ダリアとラナンキュラスは互いに鞘から剣を抜いた。ダンデライオンラナンキュラスを呆れた顔で笑うとその横のサンダーソニアに問うた。

「お前も死にたがりか?」

「…お前は俺を殺してくれるか?」

「ハッハッハ!ウム!善処しよう!他に何か聞いておくことはあるか?」、

「…人間は強いか?」

「これから死ぬ奴に教える必要があるか?」

「…」

「おい小僧。オレに挑むお前は勇者か。それともただの愚か者か。とにかく、貴様のその勇気を称え、お前の個体名はオレが責任をもってつけてやろう。小僧、お前種名は何とい

 

バッギャギバギバギバギバギイイン!

 

 その刹那、空気を切り裂く轟音と閃光が鳴り響く。閃光が止むと世界は硝煙とともに壊滅し、白虎が通ったかのようにまっすぐ伸びた黒い道筋の中央には、白い煙を上げ焼け焦げるダンデライオンの姿があった。

 さらに同刻。ラナンキュラスと一進一退の剣を交えていたダリアは不意に轟いた閃光と轟音に一瞬の隙を見せる。

 ラナンキュラスの剣はお手本のように美しく、音もさせずにダリアのハラワタを切り裂いた。

 

3 武神レオナルド=ダンデライオン

 

 ダンデライオンは失せゆく意識の中で、ある事を、まさに走馬灯のように思い出していた。

 蝶蜂との戦いにおいて。持ち場の敵を全て粉微塵に始末した後、他の戦地へ助太刀に赴く途中で、地獄を目にしたこと。

 風を操り、苦戦を強いられている小隊はないかと空から俯瞰で戦況を見つめていたダンデライオンは、異様に地面が黒ずんでいる場所を見つけた。

 何事かと黒の大地に降り立った彼は驚愕した。そこには、何千匹、いや何万匹という数の蝶蜂が、煙を上げ、真黒の炭と化していたのだ。

 その蝶蜂の死骸があたりの地面を覆い、黒い絨毯、いや黒い海、いやあれはもはや黒い地獄としか形容できない光景を創っていた。

 そのような能力を持った戦士は記憶にない。その後も一向に名乗り出なかった悪魔のような仲間。それがまさに今目の前にいるコイツだ。間違いなく。

 冷静に考えろ。コイツをこんな若造と鼻で笑い見くびっていたことは素直に認めよう。ここからだ。オレは今反省をした。また強くなった。反省は生物を強くする。まだだ。まだ勝機はある。いや、勝機しかない。オレはレオナルド=ダンデライオンだ。

 ヤツの能力は何だ。一瞬だ。ものの一秒、いやそれよりも短い刹那。とにかくここでやりあうのは危険だ。コイツはヤバい。市民、街、そして聖園すら破壊しかねない。

 コイツを一旦この場から広場へ、いやもっと遠く、山岳地帯まで吹き飛ばす。黒焦げのダンデライオンは持てる限りの力を振り絞り、辺りに強風を巻き起こした。

 サンダーソニアの巨体がいとも簡単に吹き飛ばされる。自らも風神布で風に乗りそれを追いかけた。

 聖会議城から数キロメートル離れた荒野に飛ばされたサンダーソニアは荒野の真ん中で自身の身体がところどころ切り裂かれている事に気が付いた。

 ダンデライオンの姿は見えない。風は渦巻くように強く吹いている。それでもサンダーソニアはその場に立ち尽くした。

 腕に痛感を感じる。腕を見ると腕部がサックリと深く切られている。今度は腹部に同じような痛感を感じた。目には見えてこないが、何かしらの攻撃を受けている。

 冷静になれ!冷静になれば負ける相手ではない!奴の攻撃範囲、威力は凄まじい。しかしこちらの姿が見えなければ攻撃もできないだろう!能力がわからなくともこちらには経験があり!知恵があり!そして誇りがある!

 ダンデライオンが起こした竜巻の粉塵は辺りの鋭い石を凶器に変えて巻き上がり敵の体を切り刻む。加えてダンデライオンは音速を超える突風を生み出し、彼も自在にそれに乗り槍を振る。この竜巻の中で彼を捉えることは常人には限りなく不可能である。常人には。 

 

ガスッ!

 

 サンダーソニアの左手がダンデライオンの首を掴んだ。

「な、なぜだ!何故つかめ得る!!」

「…これから死ぬ奴に教える必要があるか?」

 

バギバギバギバギ!!!!

 

「電

 気付いた時にはもう、ダンデライオンは元の姿がわからないほどに崩れ去り、タンポポの綿毛のように荒野の風に吹かれ飛んでいってしまった。

サンダーソニアは深いため息をつき、とぼとぼと家に帰った。

 

4 騎士隊隊長ファレノプシス

 

 ラナンキュラスはしまったと焦った。咄嗟に見えた間合いに、思わずダリアを切ってしまったのだ。まだギリギリ生きているダリア。そして遠くの方で鳴った轟音と電光。おそらくダンデライオンはサンダーソニアにやられた。つまるところ、聖会陣営がクーデター軍に勝利しかけているのだ。

 誤算であった。シナリオでは我々二名の首を彼らが掲げ、尊き犠牲を乗り越えなんちゃらかんちゃらと開城がなされるはずだった。

 何より一番の誤算はサンダーソニアが開花していたことである。彼があの時見せた絶望の表情。あれは自らの圧倒的な強さを知り、戦死などでき得ないことだと悟ったものだったのか。ラナンキュラスは遅ばせながら理解した。

 さて、我々の勝利により後方の聖会陣営は無駄に士気があがっている。同じく、二名の英雄をやられたクーデター軍も鳥肌が立つほどにいきり立っている。戦争になる。最悪の状況だ。やってしまった。

 花陽城から戦況を見つめていたカーネーションは、まず聖会の判断を煽った。もし聖会がこの大金星に乗じて、クーデター軍を鎮圧しようと企むのならば、花陽隊もさらに戦力を追加しなければならない。しかしその場合、人間界へ侵出する戦力はもはやこの国に残らないやもしれぬ。さてどう出る。ファレノプシス

 この時。最初に動いたのは市民らだった。ダリアが敗れ、それでもちまちまと一騎打ちを続ける花陽隊に市民たちはついにしびれを切らした。彼らは遂に暴徒と化し、美学もへったくりも持たず怒号をあげ聖会に迫っていった。 

 騎士隊は剣を取り、形振り構わず突撃してくる暴徒と化した一般市民たちを薙ぎ倒した。

 市民らの進軍はカーネーションにとって花陽隊の駒を使わずに聖会を揺すれる好都合だった。

 

「同胞同士で争っている場合じゃないでしょう!」

 

 花陽隊【第二団隊カレマリャード】副長の《カランコエ》はカーネーションに抑えきれない怒りの進言をした。

「我々の敵は人間です!そうでしょう!同胞同士で殺し合う必要はない!」

 実は彼のように、花陽隊内にはこのクーデターの参戦を拒否した者がいくらかいた。花陽隊はアルプローラを護るものであり、どんな大義名分があろうとも同胞に向ける刃や拳は持ち合わせていない。そう主張した彼らの意思をカーネーションは尊重し、この戦いを拒否する者達を咎めることは一切しなかった。

 カランコエは他の幹部達の制止を振り払い花陽城を飛び出した。

「アルストロ。カランコエを死なすな」

「はい」

 カーネーションは何の策がある訳でもないくせに飛び出したカランコエを他の幹部に任せ、引き続き戦況を見守った。  

 植物界のため、死を恐れず突撃するクーデター軍。大聖木様の教えのため、それらに立ち向かう聖会陣営。そしてこの同胞同士の無意味な戦いを止めるべく間に入った花陽隊幹部ら。血で血を洗う悍ましい光景に、上層で眺める聖会首脳陣らは思わず目を伏せだした。

 ファレノプシスカランコエ同様、この執拗な抵抗に何の意味があるのかと自問自答した。もしクーデター軍を我々が鎮圧させたとして、その先のアルプローラはどうなる。市民の聖会への不満はさらに高まり、そして疫病により市民はさらに死に絶えていく。私たちが守っているのは何だ。それはたったひとつ。『大聖木様の教え』だ。なぜ人間と戦ってはいけないのに、植物同士を戦わせる。大聖木様の教えは偉大だ。しかし、これは間違っている。

 ファレノプシスは聖園に走った。彼はクリプトメリアの御前に膝をつくと、アルプローラ史上で初めて、大聖木に対していち植物が異議を申し出た。

「大聖木様。人間界への空洞を直ちに解放してください。この戦いはあまりにも無意味です」

ファレノプシスよ…つらい思いをさせ申し訳なかった」

 クリプトメリアももちろんこれまでの戦況を見守っていた。全てを包括的に理解したクリプトメリアは無念そうにそう言うと、自身が管理する閉ざされた人間界への空洞を史上初めて解放した。

  

 「同胞達よ聞け!」

 

 ファレノプシスが聖会議城の屋根に立ち、血みどろの交戦を続ける植物達に叫んだ。 

 「人間界への空洞は今!大聖木クリプトメリア様の御心によって開かれた!我々はもう同胞同士で傷付けあう必要はない!その剣、その拳、その覇気を親愛なる友から下し、憎き人間界に向けろ!我々は…アルプローラは再び勝利したのだ!」

 ファレノプシスの言葉により、クーデターは鎮静、終結した。

 後の史実には、ダンデライオンをはじめとした少なくない名誉の戦死者の名とともに『市民の覇気により人間界への道が開かれた』と記された。