第15章

第15章 

 

① 6月30日

 

 六月三十日。日本国はアルプローラ聖国との戦争状態に堕ちた。国民らはそれを生中継にて周知した。

 日本政府は直ちに自衛隊及び米軍に対し都内公園に築かれた植物要塞への爆撃命令を下した。夏焼ら警察も市民の避難活動に配置された。

 政府がアルプローラ殲滅にすぐに舵を切ったことに対し、国民のいくらかは違和感を覚えた。生中継された会談を閲覧するに、人間界こそ悪なのでは?と論ずる者も少なくなかったからだ。

 今まで口を利いてこなかった植物達が反逆の意思を示したことにより、人々は各人の判断を迫られていた。

 人間として、あるいは日本人としてこの住みやすい国を護るのか。それとも文明人として、生きとし生けるもの全てが共存していける地球を作り直すのか。答えなどない。決めるのは自分である。

 

 ドドーン!ドゴーン!バゴーン!

 明朝。植物要塞から黒煙が上がる。軍の攻撃が始まったのだ。

 しかし植物要塞はあらゆる爆撃にビクともしなかった。木製に見えるそれは焦げ跡こそ残すものの、その形をまるで変えず、その場に佇み続けた。

 アルプローラには、いや、あえて主語を大きくする。自然界には、ダイヤモンドよりも固く、パンケーキより柔らかい植物が腐るほど存在する。もちろんこの要塞も木製であるわけだが、それは人間界の何よりも強い。

 醜い現代兵器を持ち合わせない植物戦士達。彼らはこのような種族を懸けた戦いでも、自分たちの美学を重んじ、すぐさま市民を殺戮しに出掛けるような行為は決してしない。

 彼らは要塞中で騒がしい弾薬の雨が止むのを待つ。ティーでも嗜みながら。彼らの梅雨はまだまだ止みそうにないようだ。

 爆撃に揺れる要塞。リリーはライフルのスコープからそれを覗く。

 いつもより静かな耳元にエイミングの冴えを感じる。ジャミスンはどこかに消えたようだ。理由は知らないが、植物界の進軍を考えればつまりはそういう事だろう。

 自分が植物界に騙されていた。謎の物体こそ人類の味方だった。そう考えるのが妥当だが、彼女の頭の片隅にはもう一つ、ある可能性が考えられていた。

 虹橋の爆破現場は凄惨を極めていた。リリーは自らの心が怒りに燃えていくのを感じた。この心の荒み。彼女は驚くほど簡単に植物を自らの敵と変換した。

 つまり。実はまだジャミスンはこの傍らに浮いているのだが、この荒んだ心がジャミスンの姿を視界から消してしまったのではないか。彼女はそうも考えたということだ。

 妖精のいない元通りの生活。リリー以外の五人にもそれは順々に訪れる。

 妖精は初めから人間界侵略の為に自分達に近づいてきていた。自分たちは人類滅亡の為の捨て駒だった。謎の物体はそれを防ごうとしていた。信じていたもの全てを失った。何もしたくないし、何も考えたくない。この場から消え去りたい。

 全く歯が立たなかった。例えあの時、妖精の光が残っていたとしてもいずれ惨殺されていた。

 彼らの見下すような冷酷な眼。圧倒的な強さ。そして憎らしい程の可憐さ。思い出すだけで細胞は恐怖に支配され、震えが収まらぬほどの動悸に襲われる。 

 それでも今日はやってきた。テレビは付けたけどすぐに消した。耳触りが悪い。ただ幸か不幸か、彼らにはヒーローではないもうひとつの生活がある。

 彼らは俯きながらも身支度をし、それぞれの元の生活に戻った。 

 ドラセナもドラセナで悔しい思いにやきもきしていた。

 突如攻撃を仕掛けてきた植物達。日が暮れ植物要塞の大体が完成するや、彼らはドラセナの追撃を簡単にいなし、要塞へと引いていった。

 あいつらがまた出てくるまで待とう。公園の木に上り臨戦態勢で要塞を睨むドラセナ。いつのまにか眠りに落ちる。彼は彼の想像以上に疲れ果てていた。

 気が付けば辺りは夜。彼は『その日』の夜だと勘違いしているが、実際は彼が眠りに落ちてから丸一日以上が経過していた。

 公園の外周には人間達が野営し、感じたことのない明るい夜であった。

 ドラセナは鳴るお腹を押さえ、食糧の調達を始めた。

 数本先の木の枝の上に鳥の巣を見つける。ドラセナは器用に枝を伝ってそれに近付いた。

 巣から卵を頂戴し、それを頂く。ドラセナに取っては当たり前の日常である。

 肴に大木へと成長した聖木を眺め、卵をもう一つ食べる。再び降ってきた雨粒が葉を叩いている。

「!」

 ドラセナはその音の中に誰かの足音を拾った。

 器用に木の上でクルリと上体を回し、臨戦態勢に入る。音のする下方。ドラセナは眼を獣のソレに変え索敵を始めた。

 スッチュスッチャと泥濘を撥ね堂々と歩く黒い影。あれは人間でもなく、あの物体でもない。あいつらの仲間だ。

 目を光らせるドラセナ。ふくらはぎを膨らませ上方からその黒い影に飛びつく。

 バシィン!

 ドラセナの蹴撃が黒い影の頭部に入る。黒い影は軽くよろめき、着地したドラセナと目を合わせた。

 しかし。黒い植物体はドラセナを見るや、彼を全く眼中に入れずにまた歩き出した。そうはさせまいとドラセナが泥中から蔦を出です。

 蔦が黒い影に巻き付く。身動きを失った黒い植物体。迫りくるドラセナ。それでも尚、植物体はドラセナを一瞬たりとも視界に入れない。ドラセナが勢いのままに再び右足を振りかぶる。

 

バギバギィィィン!

 

 何が起きた。言葉を知らぬドラセナは彼なりの思考回路でそれを推察した。

 確かに手応えがあった。回し蹴りは確実に入っていたはず。しかし泥濘に寝ているのは自分だ。何が起きた。体に異様な熱さ。今までに感じたことのない麻痺感。直立すらすることができない。

 

「お前じゃ無理だ」

 

 ドッバギバギバギーゴーン!

 

「!?」

 植物体が起き上がれぬドラセナに強烈な蹴撃を与える。謎の物体のよりも遥かに重い攻撃。そして轟く雷鳴と激しい稲妻。ドラセの身体は大砲から発射された砲弾のように林内から吹っ飛ばされ、広場のアスファルトに打ちつけられた。

 ゴツ、ゴツと、五十メートルほど先の林の闇から植物体がゆっくりとこちらに迫り来る。身体は依然言う事を聞かぬ。早く立たねば。早く。しかし。

 

「…お前じゃ無理だ」

 

 ドラセナは力尽きた。

 先ほどの轟音と閃光は何だと野営の軍人達が飛び起きる。

 小雨。アスファルトの縁には黒焦げの青年。植物の姿はない。