第14章

第14章 

 

Ⅰ 6月29日① 

 

 六月二十九日。未曽有の爆破テロ。謎の物体と呼ばれる廃棄物集合物体の進撃。そして植物界の侵出。この日、東京は文字通り崩壊した。

 こちらに刃を振る生命体に梅屋らは懸けたはずの命を乞う。すると意外にも生命体達はすぐに彼らに剣を向けるのをやめた。

 しかしその眼は「仲間と理解してくれた」というものではなく、「相手にする必要がない」と見切ったような、冷酷な眼だった。

 生命体と謎の物体、加えてそれらと生身で戦い続けるドラセナ。四人は誰にも相手にされず、ただその場で雨にうたれ続けた。

 圧倒的な力の差。信じていたものに裏切られた絶望。梅屋とリンドウが。ひまわりを抱えて牡丹が。それぞれが 自我を護るためにその場から敗走した。

 常に彼らに寄り添った妖精たちは、もう彼らの後ろをついては来ない。大雨のおかげで涙はあまり目立たなかった。

 四人が敗走した後も、ドラセナは謎の物体、謎の生命体構わず戦い続けた。

 彼が物体だけでなく植物と戦った理由。それは単に彼らが攻撃を仕掛けてきたからか。本人のみぞ、いや、本人の本能のみぞ知るところである。

 植物は人類を根絶やそうとしているのか。もしそうであれば、その後の世界ではコンクリートは砂と還り、ビルはやがて崩壊し、地面を覆っていったアスファルトは緑に屈するだろう。

 そうなったとき、歓喜するのは植物であり、同時に野生動物達である。人間という支配者がいなくなったこの星は良き意味で無秩序に戻る。それは猿と暮らすドラセナにとって望ましい未来なのではなかろうか。

 彼は幸いにも今この複雑怪奇な状況を理解しているない。しかし彼がそれに気付いた時、彼は自然の一部として人類に向かってくるかもしれない。 

 

Ⅱ 6月29日②

 

「何がおきてんだよ…」

 夏焼は、握りしめた無線機に何の言葉も発信できずにいた。これはパフォーマンスでも何でもない。本物の戦いだ。

 独立して動く物体、そしてそれと戦うよくわからぬ生命体と一人の人間の青年。どちらが正義でどちらが悪か、あるいは全員まとめて人類の敵か。二瓶の手はホルスターに掛かっている。しかしそれを向けるべき相手はどれだ。

 今まさにこの国は存亡の危機に晒されているのか。夏焼は市民を護る警察官として今何をすべきか、自分に何ができるのかを必死に考える。

 夏焼を追いかけてきた浅海もまたこの戦いを目撃した。ただ浅海にとっては自身のやるべきことは明確だった。彼女はすぐに新調したカメラを構え、謎の物体と謎の生命体をフィルムに押さえた。

「…」

 夏焼は姿勢を下げ、二瓶の手をホルスターから降ろさせる。夏焼の選択は傍観者でいること目の前で戦う両者と比べ、人間は圧倒的弱者である。もし奴らに自分たちの存在がバレたら。どう足掻いても恐怖の結末しか想像できない。二瓶はそれに従うしかなかった。

 しかしその時。生命体の中でも顕著に体の大きな個体が一体の廃棄物集合物体を持ち上げる。

「先輩。アレ。こっちに投げようとしてませんか」

「!…おいおい嘘だろ!走れ!もう気付かれてた!」

 一目散に車へ走る。生命体は物体を持ち上げたまま二人の方に体を向け、二瓶の予期通りそれをこちらに投げつけてきた。

「早く!アクセル!」

 夏焼が二瓶を急かし、二瓶が目いっぱいにアクセルペダルを踏みつける。濡れる車体が少しの残像を残し急発進する。

 

ブゥオン!ドッガーン!

 

「!?」

 彼らの進行方向に止められていた黄緑色の軽自動車が投げつけられた物体により破壊され、大きな爆音とともに炎上する。

 二瓶がハンドルを左に大きく回し、何とかそれとの衝突を回避。もう進路を塞ぐものはない。アクセルをふかすだけ。それなのに、あろうことか、二瓶はその場に車を停車させた。

「二瓶!」

「女性がいます!」

 夏焼が二瓶の目線の先を見る。カメラを持った女性が茂みの中で謎の生命体を撮影している。

「馬鹿野郎!」

 夏焼が助手席の扉を開け、全速力で女性の元へと向かう。

「何をやってるんだ!早く逃げろ!」

 夏焼が女性の返答を待たずしてその体を抱きかかえ、二瓶が寄せた車にそれを投げ入れる。二瓶もそれを確認するや再度アクセルを思い切り押し込む。

「…何やってんだ!」

 数百メートルほど進んだところ、ワイパーの音だけが鳴る車内で夏焼が女性を咎める。

「ああ、私の車があ…」

 しかし女性は夏焼の言葉を何一つ真摯に受け止めず、背後で炎上する黄緑色の軽自動車を見て別れを惜しんでいる。

 胆の据わった女なのか、それともただのバカなのか。夏焼がバックミラー越しに隣に座る女を睨む。

 すると夏焼はすぐにその顔に覚えを感じた。こいつ。半月前にボーリング場で絡んできたバカFBIである。夏焼が女に仕掛ける。

「…FBIの捜査は順調ですか?」

「ええ。もんのすごーい情報を掴んでしまいました!夏焼警部♡」

 夏焼の皮肉を込めた問いに女は笑顔で答えた。

「本当ですか。是非情報共有を依頼したいのですが」

「交渉次第ですよ、夏焼警部♡」

 浅海が地下鉄駅の入り口前で車を停めさせる。夏焼はとりあえずそれを了承し、浅海をその場で下車させる。

「また今度意見交換でも」

「ええ。是非♡」

 夏焼は自身の電話番号を浅海に渡し、二瓶に車を出させる。

 気付けば車は混乱の都心。人々は皆各々の電子機器で最新情報に目玉をひん剥いている。この車はどこに向かうべきか。二瓶が夏焼に問う。

「夏焼さん。どうしますか」

「…」 

 あの女はもちろんFBIではない。しかし。あの女があの現場に居合わせたのは事実だ。たまたま駆け付けた自分達とは訳が違う。あいつはあの場であれが起こるとわかっていた。…あの女の情報筋は本物。それも警察よりも優れたそれ。

 夏焼は加えたタバコに火をつける。しかしそれは雨で完全に湿気り、夏焼はそれを車外へと投げ捨てた。

 

 アルプローラの戦士たちは日が暮れる前に、と、挿し木を中心に軍事要塞の設営を始めた。カーネーションは東京を一望できる要塞の最頂部を気に入り、まだ仮ではあるがここを総帥室とした。

 カーネーションはアルプローラとは全く異なる金属の街並みを日没まで眺め、この街が原始の姿に還ったところを想像した。

 奥の方では雲が割れ、少しばかり日が覗いているように見える。雨はいつのまにかあがっている。日が沈んだというのに、この街はまるで朝靄のように明るい。

 要塞は急ピッチで完成しつつある。目の前で敵の要塞が設営されているというのに、人間たちは呑気に電子機器で写真か何かを撮っている。眼で見たものを記憶できないほどに頭が弱いのか知らないが。

 こんなアンポンタン共に我々は二度も滅ぼされかけた。こんなオタンコナス共がこの星の盟主。屈辱以外の何物でもない。

 腰抜け共が攻めてくる様子は今のところない。相手にされていないのか?人間には我々など眼中にないということなのか?

 時代が大きく動いた六月二十九日が沈み、人間達はやっと我々の要塞の前に陣営を敷きだした。六月三十日は必ずやってくる。まだどちらが滅びるという訳ではないので。

 

Ⅲ 6月29日③ 

 

 今日はやたらと外が騒がしい。この日。面倒が嫌なホームレス達はブルーシートを被った段ボールハウスに籠りきっていた。外界が今日を史上最悪の日と称してるとも知らずに。

 さて、いつのまにか日が暮れている。雨も止んだようだ。それに外も何やら静かになった。曲がりきった腰を進行方向に垂らし、ホームレス達の何人かが自然と外に出てくる。

 どうも今日の夜は暗い。変だなあと空を見上げた彼ら。曲がった腰を直立させる。

 

「な、なんじゃこりゃ…」

 

 なんと昨日までなかった巨大な建造物がお月様の隣に築かれているではないか。

 これが騒ぎの正体か。数名のホームレスがワンカップ片手に井戸端会議を始める。やがて辺りがまた騒がしくなりパトカーから降りてきた警察が近寄って来る。

「すぐにここから退避してください」

「どこへ!」

 警察の答えは曖昧だった。いつでもそうだ。言われる通り退避したところでこいつらが新たな住処を取り繕ってくれるわけではない。

 彼らが警察のそれをしばらく渋っていると、背後の建造物から三人の変な人が外に出てきた。

 コスプレーションというのか。最近の若いやつの趣味はわからん、とホームレスらはその姿をじろじろと不思議そうに眺める。しかし何やら雰囲気は物騒だ。警察たちはすでに三人に拳銃を向けている。

「止まれ!!」

 警察の制止にも三人は歩みを止めない。「止まらないと撃つぞ」と始めに言われてからもう彼らは何歩歩いただろうか。手の震えた滑稽な警官の姿を一名は鼻で笑っている。ホームレスらもここぞとばかりにその姿を笑った。

「君たちに用はない。この国の頂点に話があるのだ。安心しろ。別に殺しに行くわけではない。ただの対話だ」

 真ん中の紅い人が警察に言う。しかし警官らはそれを真面目に取り合おうとしない。

「もう一度だけ言う。道を開けてくれるか」

 それでもなお、彼らの動向には何の進展も見受けられず。真ん中の紅い人はそのまま強引に前に一歩、歩みを進めた。

 ヒュン。風を切る音と供に目の前の警官ら数十名の胴と足が一瞬にして離れ離れになった。三名の内の一名が刀についた血を払う。奥の警官らは一斉に銃を取り出し、彼らに発砲する。

 銃弾は確かに彼らを貫いたように見えた。しかし血しぶきどころか、彼らはところどころ空洞になった胴体を何もなかったかのように再生し、そのまま歩き続けた。

 警官らの何人かはその場に腰を抜かし、また何人かは正気を失い、彼らに我武者羅に突撃した。後者らが彼らの刀の餌食となったのは言うまでもない。

 彼らは再び進行を始める。二歩、歩いたところで彼らがふと立ち止まる。紅い生命体が奥で壁となるマスコミ連中に眼をやる。するとその右のオレンジの生命体は彼らを映すマスコミの群れ中から一人のカメラマンに近寄り、問う。

「それは放送中か」

「!!」

「それは現在放映中かと問うている。お互い言語に不自由はないはずだ」

「そ、そうでう」 

 するとオレンジの生命体は震えるカメラマンの首根っこを掴み、そのまま三度進行を続けた。囚われたカメラマンのカメラは彼らの進軍を世界に映し続ける。

 

「こちらに謎の生命体が向かっています!」

 深夜の首相官邸内が揺れる。間違いなく人生でも最も長い一日。虹橋の爆破テロに加えて雪崩れのように起こる巨大なインシデンツ。果たして今日という日に終わりは来るのか。暦上では誰も気づかぬうちに六月二十九日は終わっていた。が。

 側近が首相に警察官数名が殺された凄惨な状況を伝える。彼らを逆撫でてはいけない。

 やつらがテロの首謀者か。もうどこまで来てるのだ。官邸の門前?何故そこまでのうのうと通させたのだ。この国の警備は無能ばかりか。

 逃げることすら叶わなかった電光石火の客人。彼らはあくまで『対話』が目的だと語っている。一国の主としてこれ以上の殉職者を出すわけにはいかない。首相はネクタイを締めなおし、官邸の門を開けさせた。

 

 豪華絢爛な来賓室か何か。通された花陽隊総帥カーネーションは、来賓用の椅子にふんぞり返るでもなく、優雅に座った。

 カーネーションの両脇にはその護衛としてカトレアとアルストロメリアが立つ。さらにその横では生気の抜けたカメラマンがカメラを彼らに向け回し続けている。

 彼らは今、部屋の湿度と密度をあげる数えきれないほどの警備員に囲まれ、ほぼ三百六十度から銃口を向けられている。

 もうどれくらいたったのだろうか。警備員がちらりと壁にかかった高そうな時計を見る。まだ三分。たったの三分。

 彼らはこの時代に装備は剣のみ。拳銃が覇権を握る現代においては丸腰みたいなものだろう?それなのに何故だろうか。彼らの命を取れる気が全くしない。動物園で見た檻越しの猛獣に似た、生物として圧倒的な威圧感。細胞という細胞が彼らに逆らってはいけないと怖気づいている。

 これ以上待たせるならば、逆に首相を襲ってしまいかねない。警備らの頭にそれがよぎった時、遂に日本国内閣総理大臣岩田昌弘が入室する。

 カーネーションは椅子から立ち上がり、岩田と握手を交わす。岩田はカーネーションの冷たい手に触れ、改めて彼が血の通った人間でないことを悟った。

 彼はすぐに握手を解き、カーネーションを着席させた。

「植物界、もしくはアルプローラの存在はすでにご周知で?」

「…もちろん存じ上げております」

「使書は御覧に?」

「はい。拝見致しました」

 その肯定に中継を覗く国民が驚愕した。これは特番か何かか?自らの国の首相は『植物界』という異世界の存在をすでに周知している。もう一度確かめる。これは特番か何かなのか。

 しかしながら確かに聞いたことがある。例えばアメリカ大統領は就任したらすぐに宇宙人の存在をまず聞かされるというし。そういう信じがたい都市伝説は生きていれば自然と耳にする。しかしそのような都市伝説は舞台がアメリカかヨーロッパである事が定石じゃないか。それがこの平和の国に。在り得るのか。

 人々は隣で共にそれを見る親愛なる人に、それがいない人はインターネットに、その真偽のディスカッションを白熱させた。

 カーネーションは世界に構わず話を続ける。

「警備の方々の腕が震えてきたようなので本題に入ります。使者であるハイドランジアが授けた使書にも記してた通り、我々アルプローラ聖国はあなた方人間達による深刻な大気汚染により凶悪な疫病に苦しんでいます。このままいけば我々植物は近い将来絶滅することになるでしょう。…そこで我々アルプローラと表裏一体、日本国の首相である岩田様に要求します。今すぐ我々にとって有毒な排気ガス、工業ガスの排出を取りやめて頂きたい」

「…それはもちろん検討させて頂きm

「検討などしている猶予などない。今すぐにこの汚れた空気の浄化を要求する。徐々にではなく。『今すぐに』、『全て』です」

「私だけでは決めかねます」

「あなたに選択肢は二つのみ。今すぐ表に立ち、声を大にし排気の禁止を宣言。外の無能達にガスを排出している者を撃ち殺しに行かせる。あるいはこの土地を巡って我々アルプローラと戦争を始める」

「ここでは決めかねます!十分に検討し共に最適な解決策を見出したいと」

「…残念です。我々には時間がないのです」

 カーネーションはそう言うとおもむろに立ち上がり、隅で体を丸めるカメラマンを窓から放り投げ、自身も窓から外へと飛び出した。

 警備員が下がった腕に持っていた銃を一斉に彼らに向ける。その瞬間、アルストロメリアが睨む。睨むだけ。刀を抜かず、柄に手を添え、ただ睨むだけ。しかし、それだけで十分。すでに彼らの指は鉛のように重い。それを引くことができる強者は、この場にはいない。

 アルストロメリアが目で牽制をしたまま、カーネーション、カトレアが飛び出した窓から外を覗く。

 官邸の外周には、カーネーションとカトレアの参上にも全く逃げ出す様子のないマスコミ連中が彼らにカメラを向けている。こいつらの方がよっぽど根性が据っているな。アルストロメリアは室内を振り返り笑った。 

 アルストロメリアが飛び降りる。そしてカーネーションは声を高らかに張り、人類に宣言する。

 

「対話は決裂した。これより我々アルプローラは人類に宣戦布告する」

 

 悪夢の六月二十九日。いや明けて六月三十日。人類と植物は事実上の戦争状態に陥った。