第13章 -植物界編-
第13章
1 ロージエ
人間界への道が開かれた。アルプローラ市民たちはやっとこの疫病の苦しみから解放されると歓喜した。
クーデター翌日、家屋の修復作業音が響き入る聖会議城。三者会談。今後の動向について。
「人間界の大気汚染は深刻であり、今すぐ進軍すれば花陽隊は人間と交戦する前にただちに全滅するでしょう。そのため、まずは人間界に大聖木様の差し木を植え付け、あちらで花陽隊が活動出来得る環境を創るべきであると考えます」
差し木の成就に数ヶ月の時間を要することを差し引いても、現時点で最も再現性の高いこの作戦は満場一致で可決された。
議題は挿し木を人間界に植え付けるに当たって、それを誰が監視するかに移る。
聖園に住み着く妖精たちは植物や人間と異なり、死の概念がない。初手で人間界に派遣するにはうってつけの存在である。
しかし妖精は挿し木対して物理的護衛ができない。ここで提案されたのが、何人かの人間をこちら側に取り込む策である。
クリプトメリアの「人間界で妖精を視認できるのは、植物を愛でるような心ある者のみである」という言葉を引用し、そのような人間ならば、うまい事口車に乗せられるのではないか。大きな反対もなく三者合意に至った。
複雑な任務目的を理解し、確実にその任務を遂行し得るであろう妖精の選出を始めた。
ファレノプシスらは聖木らや妖精達に聞き取りを行い、その中で複数回名前の挙がったロージエという妖精を呼び出した。
ロージエを聴聞したファレノプシスとカーネーションは、彼についていくつかのパーソナリティを得る。
彼が希少な『開花した』妖精であるということ。大聖木様への強い信仰を有し、大聖木様と直に親交を持つということ。
カーネーションはロージエを気に入り、彼の任務を介助する他の妖精の選考をロージエに委ねた。
植物界の未来を担う重大な任務に着任したロージエは、まず仲のいいデルフィンとその恋人のロッタを、次に昔から人間界に行きたがっていたガベリア、そしてたまたまそこにいたアイビンをそれぞれ選出した。
五匹の妖精が人間界への空洞へ潜る直前、クリプトメリアは彼らに伝えた。
「使命に正解はない。ただ間違いはある。自分たちで考えるんだ」
その言葉を胸に、五匹の妖精は空洞に潜り、人間界へと旅立った。
2 ジャミスン
クーデターから数日経過したが、レオナルド=ダンデライオンはあの日以来姿を晦ませたままである。声の大きいダンデライオンの雄叫びが聞こえてこないということは、おそらくそういうことであろう。
しかし不可解なことに彼の遺体が探せど探せど一向に見つからない。それどころか彼を倒したであろう謎の青年の身元さえもわかっていない。関係者がラナンキュラスに聴取しても知らぬ存ぜぬの一点張りだ。
一方ラナンキュラスに敗れたダリアだったが、こちらはなんとか一命を取り止めたようだ。ただ今回の人間界進軍には役に立たないだろう。
「総帥!」
人間界にいるはずのロージエが血相を変えて総帥室へと入って来た。
「挿し木が狙われています。敵は謎の物体です。…ただ、我々妖精の力を人間に与えれば、戦えない相手ではないと存じます。また彼らに力を与えたところで、後々、我々の脅威にはなり得ないかと。許可を下さい」
もう気付かれただと。そんなバカな。まだ植樹から半月も経っていない。
しかしこのロージエ。進言の中にその後に起きうるリスクとその大きさについても考察がなされている。その場をアイデアでやり過ごすことは容易だ。敵が何かもわからない。
そこに妥当性があるかは別として、カーネーションはロージエを信用し彼をその許可を下した。
わかってはいたが、この戦いは簡単なものではない。ロージエが選出した四匹についての詳細は聴取したものの、明確なものではない。もしあちらが難儀を極めるようならば、ロージエの他に、参謀として新たな妖精を送り込む必要がある。
カーネーションは、ファレノプシスにすぐにその旨を伝え、適正な妖精、できることならば『ロージエと仲の良くない』妖精の調整を要請した。
直後、カーネーションは人間界に六匹目の妖精ジャミスンを派遣する。
ジャミスンの使命は他の五匹とは明確に異なり『謎の物体の調査』と『ロージエらの監視』である。
種族は違えど。住む世界は異なれど。長い時間を共有すれば生命の鼓動は共鳴し情を育んでしまうもの。それを熟知していたカーネーションは、万が一にもロージエ達が人間側につくことも頭に入れ、その挙動があればすぐに報告するようにとジャミスンに念を押した。
後のジャミスンの報告によれば、案の定妖精の中には人間に深く肩入れをしている者がいるとのことである。
謎の物体については、人間の創り出した何かしらの非生物であるとの報告を受けるも、未だその目的や大本については判明しておらず、聖木の挿し木に対して何かしらの狙いを定めているとみて間違いないとのことだ。
そしてもう一点。ジャミスンはアルプローラの脅威に成り得るであろう開花した二人の人間の存在をカーネーションに伝えた。
3 ハイドランジア
六匹の妖精を人間界に送り込んでから三ヶ月が経過した。アルプローラは当初の予定通り人間界に生身の植物を派遣する計画を始動させた。この重要な任務を任されたのが、花陽隊【第四団隊ファルサメリヤンコ】副長であるハイドランジアである。
ハイドランジアは開花者であり、彼は空気中の酸素原子と水素原子を体内でなんやかんやして自在に水分子に変換する能力を持つ、花陽隊きっての特殊工作員である。
彼の任務は三つ。『汚染度合いの調査』、『要塞建設予定地の測量』、そして『『花粉症』に使え得る施設の調査である。
ハイドランジア派遣から太陽が二週ほど回った頃、彼は無事人間界から生還した。
彼の持ち帰った、目ぼしい二施設、さらに予備の三施設の図面および周辺環境の地図は見事としか言えないほど細部まで観察されていた。
要塞建設予定地の測量もまた素晴らしいもので、アルプローラ幹部はそれを基に『花粉症』をさらに詰め、要塞建設に必要な材料の調達を進めた。
また挿し木周辺は呼吸器なしでも活動可能なほどに空気清浄が成されているものの、十数キロ以上を目途にそれ以上差し木から距離を取ればマスクなしでの活動は不可能であると彼は報告した。
そして時はあっという間に過ぎ去り、聖木の成就が近づく。人間界進軍のため、軍備を整える花陽隊。今回はカーネーションも前線に進出し指揮を執る。その間の国家防衛は国に残る第二団隊とファレノプシスら騎士隊に託される。
ファレノプシスはその旨を再びラナンキュラスに伝え、一時的に聖会に身を置いてほしいと要請する。ラナンキュラスはそれをまたあっさりと了承したが、ひとつ条件を付与した。
「・・・てほしい」
「いくらなんでも・・・個人の権限では・・・」
「しかしそれが条件だなあ」
「…何とか極秘裏に手配を進めよう」
「恩に着るよ」
進軍当日。広場にはアルプローラを背負った選ばれし誇り高き戦士たちが隊列を組み、民衆は声を上げた。
花陽隊は総帥ドラクロワ=カーネーションの下に四つの団隊が存在している。各団隊にはカーネーションの信頼を得た隊長と副長がそれぞれ配置され、彼らは現場にてカーネーションの代わりに決定権を有する。
全四団隊の中で人間界へ遠征するのは第一団隊、第三団隊、第四団隊の三団隊。
一団隊は隊長のダリア、そして副長のレオナルド=ダンデライオンの離脱により、実質団隊が半壊状態であったが、新たに第二団隊隊長であった《ブーゲンビリア》が第一団隊隊長に就任し同じく副長には《カレンデュラ》が就任した。
ブーゲンビリアの第一団隊隊長就任に伴い、第二団隊は副長であったカランコエが隊長に昇格、副長には《ハイビスカス》が就任した。なお第二団隊は外敵攻撃に備えアルプローラに残留する。
さらに派遣される【第三団隊チセセルサール】。隊長は《アルストロメリア》。その下に副長の《カトレア》を携える。
同じく第四団隊ファルサメリヤンコは隊長に《ユーストマ》。副長にハイドランジアを構える。
花陽隊各四団隊にはそれぞれ特色があるが特に第一団隊アルプレライヌは『伝統と栄光の一団』とされ、一団に所属するのは花陽隊で最も栄誉なこととされる。二団隊長から一団隊長へと就任したブーゲンビリアであるがこれは最高の栄転といえる。
さて、「我が子が開花したなら花陽隊に入れろ」という言い伝えの通り、花陽隊には多くの開花者が所属している。
アルプローラにおける開花者の割合は全市民の二パーセントにも満たないとされるのに対し、花陽隊所属隊員の開花者の割合は全戦士の十パーセントにも昇る。
数多くいる開花者の中でも三団隊副長カトレアの存在はかなり異質である。カトレアが開花させた能力は『治癒』。自身の生気と引き換えに他人の健康状態を回復するというものであり、戦場で彼の能力は大きく重宝する。
しかし戦死こそ最高の名誉であるアルプローラ市民において、いたずらに死機を延長する彼の救護を嫌悪する戦士も珍しくなかった。
彼がまだ一兵卒であった頃、それでもあくまで種族の勝利の為に、まだ戦えると判断した戦士の命を繋ぎ止める彼の姿が当時副長であったアルストロメリアの目に留まった。その後、彼は同氏の推薦により三団隊副長に就任する。
カトレアの副長任命により花陽隊全体の士気は湧いた。特に裏で尽力する団隊所属以外の隊関係者らの士気は著しく上昇し、決して目立たない任務でも幹部らは自分達を見ていて下さるのだと、花陽隊に対する忠誠も深まった。
カトレアの副長就任が大きく影響を及ぼしたのは花陽隊内のみではない。古代より大聖木に仕え、その名を栄えさせた蘭族の遺伝子を継ぐ者が代々隊長に就める聖下蘭十字騎士隊幹部内部も、この任命に揺れた。何故ならこのカトレアも蘭族の遺伝子を継ぐ、『その』資格を有した植物であったからだ。
つまり現隊長であるファレノプシスの身に何かが起きた場合、順当にいけばその籍に就くのは同じく蘭族の末裔である騎士隊最高四幹部、聖園東西南北の門を護る、東門の《シンビ》、南門の《モカラ》、西門の《バンダ》、北門の《オンシ》ら四名のうちの誰かとなる。しかしもしこのままカトレアが戦果をさらにあげ、団隊長にでもなってしまったら。横槍でカトレアが騎士隊長に就任することも全くあり得ない話ではない。
個体として最も名誉のある騎士隊長となるために、出もしない血の滲むような努力を重ねてきた彼らにとって、この話はとても気持ちの良い話ではない。
花陽隊が留守の内に何か一つでも問題をおこせば、カーネーションはこれでもかとそれをつつきまわしカトレアの就任を世論に推すだろう。そうなれば彼の就任は決定的だ。
何も起こすわけにはいかない。穏便に。どうか穏便に。彼らは日々大聖木に祈った。
静寂なる騎士隊員の祈りとはまるで正反対、カーネーションが登壇すると民衆のヴォルテージは爆発した。彼らは人類殲滅の願いを彼らに託し、それはひとつの大きな唸りとなり街は揺れ、カーネーションのはじめの何文字かはそれに掻き消された。
「・・・れから人間界に進出する。長らく皆を待たせてしまったことをまずは詫びる。しかし皆がこの時間の必要性を理解してくれていることにも嬉しく思う。全ては大聖木様の御心の為に。全てはアルプローラ聖国の誇りの為に。全ては国民の為に!我々が再びこの地に凱旋するとき、人間界という地獄は草花の茂る楽園となっているだろう!」
大衆の歓声と戦士たちの雄たけびが重なり合い天の雲を割った。ついに、植物界アルプローラ聖国軍が人間界に侵出をする。
「ここが、人間界…」
広がるグレーの雲の下に広がるグレーのビル群。鼻に刺さるアスファルトと排気ガスの匂い。弄ばれた植木の植物。ゴキブリのように集るドス黒き謎の物体。目が腐るほどの胸糞悪い光景。
アルプローラの戦士たちが三団隊長アルストロメリアの号令により剣を抜く。
「ごめんね、みんな」
気が付くと彼らはすでに妖精の光を失い生身の人間に戻っていた。皆が肌色の両の掌を見つめ絶望した。
雨は振り続いている。もう止むことがないのではないかというほど強く、もはや目の前すら見えないほどに。