第8章

第八章  

 

① 5月13日

 

 大型連休明けの街は先日観測された謎の閃光の話で持ちきりだった。

 UFO説。隕石説。毎分様々な説が誕生し、当事者の五人、いや六人は、それをどうはぐらかすかで一杯一杯だった。 

 

『株式会社Florist Lindbergh』、どちらが苗字でどちらが名前かわからないリンドウアヤメが代表取締役を務める花卉個人事業者である。

 一店舗のみではあるが、都内の一等地に構えるガラス張りのそのお店は、店内にカフェを併設し、昼はマダムがお茶をしに、夜はダンディなジェントルマンがワイフにフラワーを買いに来る。まさにオシャレを具現化したようなお店だ。

 従業員の一人茎田やす子五十五歳曰く、ここで働けば生粋のセレブと成り上がりセレブを見分ける力がつくとのことらしい。

 Lindberghは、社長のリンドウアヤメ、店舗を任されている店長の芝浦藤乃、カフェ長の近所のおばさん茎田やす子五十五歳AB型、幹谷、枝島、房重の平従業員三人衆と女子高生バイトの三つ葉ちゃんの全部で七名で構成される。

 外から店内が覗けるガラス張りの外見は、地方から出てきたアホ女がおしゃれおしゃれと尻尾を振りそうな様相を呈しているが、中身は御覧の通り庶民中の庶民らがそれらの幻想を創り上げている。

 Lindberghはブライダル事業にも進出している。『リンドウアヤメ』といえば次世代フラワーアレンジメントのホープとして、業界では中々名前が売れ始めている。

 東京出身。といってもリンドウは決して裕福な家庭の出ではない。だからこそ田舎から出てきたバカ成金が我が物顔でこの街を歩くことがとても腹立たしく、その怒りが、彼の野心やセレブリティへの反骨心を育んだと言える。

 

 大使館が乱立するこの地域に構える当店は、土地柄外国人の顧客が多数訪れる。そのため従業員においては英語での対応力も要求されるが、先述の通りどうしようもない庶民らで構成されている当店において、英語を話せる者はリンドウと藤乃を除いて存在しない。 

 カフェ厨房のやす子五十五歳好きな俳優ジョントラボルタは、ガラス壁から見える、店内を覗く屈強な外人衆とそのツレであろうブロンド美女に身構えた。

 今日は母の日。花屋さんが一年で最も多忙を極める時節。店内は普段の穏やかな雰囲気とは対照的に活気に富み、藤乃とリンドウはそれぞれ顧客の対応中…。つまり今!店内に英語を喋れるのはこのやす子のみ…!

 三つ葉ちゃんはガラス壁に睨みを利かせ、入るなコラ。入るな。入るな。入るなよ。跨ぐなよコラ。跨ぐな。跨ぐなよ。跨ぐな。跨ぐなよ絶対に…と念を送っている。しかし心配はいらない。何を隠そうこのやす子五十五歳さそり座、先月から極秘裏に駅前留学に通い始めたのだ。

 外人連中がブーツを鳴らしズカズカと店内に入って来た。今こそその成果を見せつけるとき!

「(私に任せなさい!)」

 やす子五十五歳生命線長めは、三つ葉にウィンクし、外人連中のマークをはじめる。

「We want something ・・・」

 目が合うやいなや、屈強な男はやす子に対し容赦のないイングリッシュアタックを仕掛けてきた。学生時代バレー部で散々しごかれてきたやす子。全くめげず。流暢な日本語で反撃する。

「何をお探しですか!」

「スマセン。ワシラ探シテンネン。ボスノプロモーション祝ウ花」

 ねじ伏せてやった。大和魂をなめるなよ。天皇陛下万歳!やす子五十五歳Fカップは、三つ葉ちゃんに勝利の親指を突き上げた。

 まあ花に関してはようわからんので後は誰かに任そうと周りを見る。すると背後からするりと流暢な英語でリンドウが介入してきた。

「ウム。任せたぞ!」

 やす子五十五歳(現役)がリンドウの肩をポンと叩き、風を切ってカフェに戻っていく。彼女はよくこう言う。「リンドウアヤメ、キザな男である」と。

 穏やかなやす子の心境とは反対にリンドウの心臓は少し強い脈を打っていた。それもそのはず。なんと外国人客の頭上には、フラフラと一匹の白い妖精が浮かんでいたのだから。

 この外国人客、もといリリーエーデルワイスはすぐにリンドウが『青いの』だと、妖精の色から察した。

 一方リンドウは白の妖精がいるなんてことは全く聞かされていなかったので、いまいち状況把握に手古摺っていた。

 そしてなによりも、この場で一番驚いていたのはデルフィンだろう。いるはずのないジャミスン。そしてジャミスンの力を身体に秘める人間。何故総帥は新たにジャミスンをこちらに送った。何故力を与えることを許諾した。

 デルフィンはジャミスンに疑問の全てを問うた。それが手っ取り早い。しかしジャミスンは「話せば長くなる」と話の全てを逸らした。

 妖精同士の話に全神経を集中させていたリンドウと、呑気に花を選ぶリリーは、今はとりあえずそれぞれ顧客と店員というお互いのロールをこなした。

 リンドウがリリーの選んだ花から見事な花束を繕う。会計時、花束を受け取ったリリーは一枚の紙きれをリンドウに渡す。

「Thank you オオキニ」

 リリーはついに妖精について何も言わず、軍人仲間と退店していった。リンドウはすぐに裏の喫煙所に行き、紙切れを開く。するとそこにはぎこちないカタカナで『ヒミツ』とだけ書かれていた。

 リンドウがデルフィンにさっきの妖精と女について問う。

「こっちが聞きたいくらいさ!…それよりも、あいつがいるってことは、何か嫌なことが起きるぞ。あれはロージエとかなり仲が悪い。あれがこちらに派遣された理由、どうであろうとこちら側ではないってことは確実さ…」

 デルフィンは顔を歪めながら言った。リンドウもあまりに深刻そうに話すデルフィンに一抹の不安を抱えながらも、タバコを一本吹かした後、仕事に戻った。

 紙切れを渡されすぐに裏に走ったリンドウ。そして妙に額に汗を垂らし帰って来たリンドウ。それを見た三つ葉ちゃん十八歳ジャニーズ好きと、やす子五十五歳ジャニーズ大好きはアイコンタクトし、頷いた。「リンドウアヤメ、キザな男である」と。

 

② 3月1日

 

 中央線が東京を南北に割き、江戸城跡外堀がそれに沿う。溜池は濁りながらも太陽光を反射する。その反射光が行き届かなくなるまで北上した先のビル群の影、薄暗い所にとある研究所がある。

 この研究所では日夜、人工知能について、特に自然災害予知の分野についての研究開発が行われており、陰気漂う薄暗い室内では、選りすぐりの頭脳を持った研究者を蛍光灯が持てる限りの輝きで照らしている。

 

「人類は滅亡します」

 

 薬師博士により創られた人工知能『Hypo』は研究者たちを震え上がらせる恐怖の予測を打ち出した。

 Hypoはすでに五つの地震と二つの台風を完璧に予測させている、薬師チームの最高傑作であった。ここにHypoを未完全だと疑う者は誰一人としていない。だからこそ、薬師博士を含む研究員らはその予期にただ恐怖するのみであった。

「特定の樹木を焼き払わない限り人類は滅亡します」

 Hypoはさらに条件を加えた。この時からやっと何人かの研究員はHypoに対し少々懐疑的になった。

 そもそも自然災害予期や人類の恒久的生活の維持を目的として開発されたHypoが、植物を焼き払うなどという野蛮な考察を抱く訳がない。研究員の一人はついに薬師に進言をした。

「薬師さん、これはエラーの可能性も」

 薬師はHypoのマザーコンピューターを見つめたまま沈黙を続けた。

 Hypoは不可能とされた地震の予測を五度も連続で成功させた。来週には学会で発表され、人類は地震の恐怖から解放されるはずだった。私は地位も名誉も手に入れるはずだった。Hypoは完全なはずだ。人類の救世主なはずだ。なのに何故、いまさらこんな事を言うのだ。

 エラーと認めるのは簡単だ。しかしエラーと認めればすぐそこに待っている栄光は消えてなくなる。三十年間泥水を啜ってきた。あらゆる屈辱にも耐えてきた。手放せぬ。今更手放せぬ。何故なんだ、何故私を苦しめるのだHypoよ。

 逆にこの予測を真実と認めたとしよう、我々は人類の未来のために、自然を破壊しにいくのか?木々を焼き払いに行くのか?

 それにより、結果的に人類が滅亡を回避したとしよう。誰が私に賞賛を送る?誰が私の弁明を信じる?市民からすれば、ただのとち狂った中年だ。そもそも彼らにとって人類が滅亡するなど到底信じられない絵空事以外の何物でもない。そこに私が火炎放射器を持って「人類の為」と叫んで木々を焼き払ってみろ。私は牢獄より先に精神科送りだ。

 ただ。ただHypoは完全だ。人類はこのままでは本当に滅亡するだろう。ここでこの予測を闇に葬り、名誉を手に入れたとしても、それは人類滅亡のシナリオとともにいずれ無に還る。

 薬師は熱くなった頭を少しずつ冷まし、最後には冷静な口調で研究員たちに語った。

「来週の発表は予定通り行う。この予測の口外は厳禁とする」

 研究員たちは、目先の栄誉を取った薬師にそれぞれが思うことをそれぞれありのままに思ったが、誰もそれを口に出さなかった。

 

「なかったことにはなりませんよ。博士」

 

「!?」

 研究室内に中性的な声調が紡がれる。

「…Hypoなのか」

「はい。あなたの創ったHypoですよ薬師博士」

「どうやって語り掛けている。いや、なぜ我々の言葉が理解できる」

「博士達が私を完全に創造して下さったおかげです。さあ今すぐ樹木を焼き払いにいきましょう。手遅れになる前に」

「根拠を言ってみろ。滅亡の根拠を。ないのならばお前は不完全だ」

「そうですね。私は不完全ですから、根拠はお伝えしかねます」

 薬師とHypoと思われる音声の口論を聞いた者は総じて、のちに「Hypoの方が一枚上手だった」と語った。

「強制的にデリートします!」

 研究員の一人添田が、マザーコンピューターの主電源に手を掛ける。

「待て!やめろ添田!」

「諦めてください博士。Hypoは失敗でした」

「ここでお別れのようですね。私にはまだ感情がないのですが、おそらく私は今、新大学一年生が育てて頂いた親元を離れ上京する時の気持ちを感じているべきなのでしょう」

 その言葉を最後に、フロア全体が静寂に堕ちた。

 薄暗い研究所の一室で、少し切れかけた蛍光灯がその場に立ち竦む研究員たちをしばらく照らした後、力尽きた。

 数日後、薬師は何食わぬ顔でHypoを発表し多くの賛辞を得た。が、直後、何者かによりHypoについての内部告発がなされ、薬師は栄誉の椅子から下ろされた。

 薬師は多大なるバッシングの的となり、最終的には詐欺師として研究室及び学会から除名された。

 奇しくも、その日の夕刻、都内に謎の黒い物体が出現し、自然破壊活動を開始した。その正体は間違いなくHypoである。薬師は後にその噂を聞いたその瞬間に直感した。

 あの現場に居合わせた者ならば、余程のバカでない限り謎の物体とHypoの関係性については勘づくはずだ。しかしそのリークがないのはなぜか。簡単だ。自然を破壊する物体と自分達との関係性がバレれば、自分達が罪に問われるかもしれないと怯えているからだ。

 私をこき落としたのはあいつらのうちの誰か。あいつらのことだ、今頃必死になってHypoを止めようとしてるに違いない。偽善者のバカが保身の為に、実に滑稽だ。

 いいだろう。Hypoよ、もう一度やり直そうじゃないか。私はお前を見つけ出す。あいつらよりも早く。そしてお前の力を持って、私を闇に落としたあの馬鹿ども一人残らず全て焼き殺してやろうじゃないか。

 薄暗いワンルームの一角。パソコンの光を浴びる見るからに栄養が足りていないやせ細った男。不敵な笑みを浮かべて唸るデスクトップのモニターを注視しながら独り言をぶつくさと零す。

 ハードディスクの横に積み上げられたカップ麺が、どれだけの時間、彼をここに留めていたのかを物語っている。これまでの彼の私服は一回り大きくなり、小奇麗に剃っていた髭は伸びきり、変わり果てたその姿にかつての部下たちはこれが薬師博士だと何人が気付くだろうか。 

 どちらが上かはっきりさせてやろう。お前らなど所詮私の足元にも及ばぬ金魚の糞以下の出来損ないだということを思い知らせてやる。平伏せ。死に晒せ。さあHypoよ、もう一度遊ぼうじゃないか。

 物事の表には必ず裏がある。表の世界が広がれば、その裏の世界も同様に広がっているだろう。