第4章

第4章

 

① 3月26日

 

「えっと…これは何?」

「肉じゃが!」

 ひまわりが肉じゃがと呼ぶ何かは、牡丹の1LDKに異臭を充満させた。さていかにも不穏なこの二人。出会いは今からおよそ二十時間ほど前に遡る。

 郊外の公園内の林に新たな物体が出現した。各々は何かと理由をつけ現場へ急行する。ライブ中であった牡丹を除いて。

 梅屋とリンドウは少し気の持ちようが軽かった。というのも二人はあの緑の青年が助太刀に来てくれるだろうと踏んでいたからだ。

 しかしながらこの日、待てど暮らせど緑の青年はやって来なかった。回次を追うごとに前個体よりさらに強固になっていく物体。二人は再び窮地に陥れられた。

 物体が彼らの命を獲ろうとしたその時、二人の前に現れたのは緑ではなく、淡い黄色い光を纏った女性だった。

 しかし、満を持して登場した黄色の女性はまるで役に立たず、たったの一叩きを浴びたのちにその場にのされてしまった。

 三度窮地に立たされる梅屋とリンドウ。結局、遅れてやってきた緑の青年がまた圧倒的な強さをもってその場を収め、物体は跡形もなく破壊された。

 惨めさに駆られるリンドウとは対照的に梅屋は冷静だった。

 早々に立ち去った緑の青年と同じように、自分たちも早くここを離れなければまた誰かに目撃され変な噂をたたされてしまう。梅屋はリンドウに提言した。

 リンドウはその旨に賛同し、倒れた黄色の女性を梅屋に任せ、二人はそれぞれ別々の方向へと散っていった。

 人目のつかない公園の便所裏で黄色の女性の顔を改めて目にした梅屋は、その純朴そうな顔うんぬんよりも、意識を失ったままの彼女を抱く自分を俯瞰で考え、自らがより人に見られてはいけない状況にあることに遅れて気が付いた。

「ガベリア!」

「ロージエ。久しぶり」

「…とんでもないのを連れてきてくれたな」

「いろいろあったの!」

 その夜、Lindberghに再集合した梅屋とリンドウは、ガベリアから彼女のこれまでのあらすじを一通り聴取し、未だピースカ眠るこの女をどうしたものかと頭を抱えていた。そして二人は無理やりにその解決策を導き出した。 

「というわけで牡丹。この人を今日から預かってくれ」

「は?」

「菊江ひまわりです!不束者ですがなにとぞよろしくおねがいします!」

ひまわりさんは今住所不定無職らしいからそれらが見つかるまでよろしく」

「絶対イヤですよ!何でそうなるんですか!」

 牡丹にとって妖精に導かれた者同士、なんて繋がりは無いに等しい。牡丹は心の底からそれを拒絶した。

「ガベちゃんはほんとお騒がせさんねえ」

「ロッタ、ひまわりをよろしくね!」

「そこ!私に頼みなさいよ!てかまだ了承してないから!嫌だからね!絶対無理!」

「あはは」

「あははじゃないよ!」

 人生十七年の経験から、どう足掻こうとこの女が自分の部屋に転がり込んでくること、そしてそれを自分が断り切れないことを悟り、牡丹はしぶしぶしぶしぶしぶそれを認めた。

「はやく仕事見つけてね!絶対!」

「おまかせあれ!」

 ひまわりは牡丹をなんとなく妹の雛菊と重ねた。怒っても怒ってもニコニコしてる気味の悪いひまわりに牡丹は何故か次第に怒る気力を吸い取られていった。

ひまわりさんご飯作れるって言ったよね!?」

「うん!肉じゃがだよ!」

「きーーー!!」

 牡丹とひまわりの嵐のような、しかし太陽が顔を覗かせる暖かい共同生活が始まった。

 

② 4月1日

 

 四月。ピンクの絨毯が春風に飛ばされ、その下の新芽が顔を覗かせる。

 今年も都内では田舎から出てきた多くの若者らが東京の満員電車に洗礼を受けている。その洗礼を浴びせる者達も、元々は同じような田舎者だったはずだが彼らはそれを隠れキリシタンのようにひたすら隠して生きている。

 ひまわりが合流してきてからさらに二体の物体が現れ、彼らはそれらの駆逐に尽力した。

 妖精の力とは何とも不思議なもので、生身の拳闘ではビクともしない物体に対し、それは悉く有効打を与えた。

 摩訶不思議な妖精の力もさることながら、緑の青年の素性、妖精アイビンの行方、そして謎の物体を動かしている存在等、彼らを取り巻くほとんどの事柄は依然何もわかっていない。

「あったかいねー」

 ひまわりが多摩方面から都心へ上る人気の少ない電車内で、車窓を物珍しそうに眺めるガベリアに言った。 

 この日、ひまわりもまた新生活の扉を開くためリンドウの伝手によりとある農家へ面接に赴いた。

 猫の手も借りたいほどに慢性的に人手が足りていなかったこの野菜農家にとってひまわりの紹介はまさに青天の霹靂だった。

 加えてそれが若い女だとなれば彼らに採用しない理由はない。ひまわりはあっさりと就職を決め、ウキウキで牡丹の元へと帰っていった。

 そんな浮かれモードの彼女は帰路、またひとつ思わぬ出会いをする。

「アイビン!どこ行ってたの!」

「ああガベリアあ」

 ひまわりはどこか同族の匂いを感じた。ガベリアの姿を見つけるやこちらに寄って来たるぐるぐる眼鏡にずんぐりむっくり緑色の妖精アイビンに。

 アイビンは人間界に来てからの事をガタゴトと揺れる電車の中でひまわりとガベリアに話した。

 アイビンによると、植物を愛し植物に愛された人間の青年を見つけたまではよかったのだが、信じがたい彼の移動速度にしばしばその姿を見失ってしまうとのことだった。

 ガベリアはとりあえずアイビンを慰めた。ひまわりもそうしようと思ったがいい言葉が出てこなかったのでやめた。

 その夜、牡丹が家に帰ると自分の部屋にはまた新たな見知らぬ同居人が増えていた。

「えっと…」

「牡丹ちゃんおかえり!アイビン君だよ!」

 アイビンの代わりにその事情を解説しようとしたひまわりをガベリアとロッタ制止する。ひまわりが黙ったところで、二匹の妖精が事の次第を牡丹に説明した。

「妖精も眼鏡すんだ…」

 すでに平穏な生活を諦めていた牡丹は、もはや大筋よりもそんなどうでもいいところの方が気になった。

「あの青年はきっと鞘師山にいるはずだよおお」

「じゃあ明日みんなでその人のいる山にいこーう!」

 アイビンの証言を聞いてひまわりが阿呆のように提案した。

「明日は朝から仕事だからムリ」

「そっか!じゃああたし一人で行ってくるね!」

「それもだめ!ひまわりさんが一人で行ったら絶対行方不明になるでしょ!」

「あはは!確かに!」

「何笑ってんのよ!…じゃあ梅屋さんでも誘えば?明日は土曜日だし学校も多分休みでしょ」

「わかった!そうする!ありがとう!ボタちゃん!」

「襲われないようにね」

「なんか出るの?」

「ケダモノ」

「何それ!」

「うるさいな!いいから早く寝てよ!」

「あはは!」

 

③ 4月2日

 

 列島に春が来た。とは言ってもまだまだ山間部に吹き付ける風は冷たく、訪れる際には着込む必要があるだろう。

 寒さに強い北国育ちのひまわりは平気そうな顔をしている。一方隣の梅屋は体を震わせていた。寒さからか、あるいは二人を囲む猿たちの恐怖からか。

アイビンの案内により奥多摩山系の鞘師山に入山した二人は道なき山道を進んだ。

 のほほんとしてそうなひまわりは見かけによらず体力がある。息をきらして歩く梅屋と対照的にまったく息を切らさず歩を進めている。梅屋は負けじとひまわりを先行し続けた。

 先に小川のせせらぎを聞いた梅屋は小休止を入れようと後方を振り返った。ところがそこにはついてきているはずのひまわりの姿がない。道理で息を切らす吐息が聞こえてこないわけだと合点した梅屋は、すぐにひまわりを探した。

「梅屋さーん」

 助けを求めるひまわりの声は聞こえてくる。しかしいかんせん彼女の姿は見えない。

芍薬!ここ!」

 遠くでガベリアが梅屋を呼ぶ。駆け付けた先ではひまわりが何者かに掘られた深い穴に嵌っているではないか。想像通りどんくさかったひまわりに頬を緩める。

 梅屋がひまわりを引き上げようと彼女に右手を伸ばす。するとその瞬間、梅屋の瞳に映るひまわりの姿が急激に縮小していった。

 梅屋が血の上った頭で自分の右足先を見てやる。足首には縄。縄を辿った先には樹木。枝の先には猿。そこでもう一度自身の状況を確認してみる。

 簡単なことだ。猿が仕掛けた罠に引っかかり自分は宙吊りに、ひまわりは落とし穴に。

 驚く必要もない。簡単なことだ。山の猿に嵌められただけ。…いや簡単なことか?

 梅屋が混乱している間にもどこからともなく猿達は群がり二人を縄で縛りあげた。

 これから自分達は酷い拷問を受けるのだろうか。あるいはこのまま焼かれて喰われてしまうのか。何をされるのか想像すらできない分、梅屋は強い怯えを覚えた。

「頭がいいお猿さんですねえ」

 一方ひまわりは冷静なのか、それともただのバカなのか。まるで緊張感を抱いていない。

「あ!」

 アイビンが猿の群れに何かを見つける。

「す、すみません!そこのお兄さん!」

 程なくして梅屋もそれに気付く。群がる猿らの中。一際目立つ細く引き締まった体。あの青年だ。どこを見るでもなく佇んでいる。

 しかし、青年は梅屋の言葉に反応すらしなかった。梅屋は諦めず何度か声を掛けたがその全ては空砲に終わった。

「あの!自分たちは決して悪い事をしに来たわけじゃなくて!この猿たちに伝えてもらえませんか!」

 依然青年はまるで反応を示さない。一連のやり取りを見ていたひまわりが何かに気付く。

「あの子、言葉がわからないんじゃないですか?」

 ひまわりの仮説は青年を観察すればするほど正しいように思えた。

「そうか、だからリンドウさんの問い掛けにも全く耳を貸さなかったのか…」

 梅屋がひまわりの仮説に合点をいかせたその時、彼らを取り囲んでいた猿たちが一斉に手を叩き始めた。

 囚われた二人の人間の話が一歩前進したように、猿たちの会議も何やら決着がついた様だ。拍手が止むと、一匹の偉そうな猿がこちらに近寄り決定事項か何かを伝えに来た。

「ウキウキウッキ」

「お猿さんってホントにウッキウキ言うんですね!」

「この状況ですごい呑気だね!」

「ウキウキウッキーウキ」

「ウキウキウキ?」

「!?ひまわりさん今猿語喋ったよね!?わかるの!?」

「適当です!」

「ウキウッキ」

「ウキウキキキキウ!」

「ウキウクウ」

「ウッキウクク」

 ひまわりは流暢な猿語で首長猿と会話を繰り広げた。梅屋はガベリアがひまわりを『太陽のような子』と称していた由縁を体感した。

「ウキウキキッキ」

「ウキ」

「ウキウキ」

 ひまわりの言葉に何やら納得した様子の首長猿と長老猿は、若者猿に二人の縄を解くように指示した。縄を解いた若者猿は二人を山奥の集落に案内する。

「ウキキ」

 猿達が二人に木の皿に盛られた料理を給仕する。どうやらこれから二人は猿らにもてなしを受ける運びとなったようだ。

 円形に彫られた木の器には白濁した粘性の何かが注がれた。ひまわりはそれを何の躊躇もなく口に運ぶ。

「うわ!おいしいな!今度牡丹ちゃんにも作ってあげよう!」

 梅屋も小指の先につけ恐る恐る口に運ぶ。

「これはたしかに…うまい」

 呑気なひまわりと、同じく呑気な梅屋の元に一匹の若猿が寄ってきた。

「ウキキウキウッキ」

「ウキ?」

 例によってひまわりが猿語で返答する。

「ウキウキウッキ、ウキウキ」

「ウキウキ?」

「ウキ。サボテン」

「サボテン?」

「ウキ」

 若猿が何かを承諾し、木製の櫓へ入っていった。

「彼今喋ったよね?」

「さっきから喋ってますよお」

「違くて、人の言語を。今たしかにサボテンて」

「さあ?」

 すぐに櫓から出てきた若猿は例の青年をこちらに連れてきた。

「ドァセナ」

「ウッキ?」

「ドラセナ」

「ドラセナ?」

「なるほどなるほど」

「何かわかった?」

「このお猿さんお名前はサボテン君で、この男の子はドラセナ君っていうみたいですね!」

「ウキウキウッキ」

「ウキキ?」

「ウキ。ウキドラセナウキウキサボテンウッキ」

「ウキキキ」

「今度はなんて?」

「二人は親友なんだけど、あたしたちがドラセナ君を連れて帰ろうとしてるのか心配してるみたいですね」

 ひまわりの通訳が正しいのかはさておき、サボテンがひまわりに心を開いているのは確かだろう。

 二人が語らってる間もドラセナは二人に興味を示さず遠くの方を見たり棒で地面に絵を描いたりしている。

 ひまわりはふと、会話の切れ目にドラセナが地面に描いた絵を見た。するとそこには塊が樹木を倒す絵、人間あるいは猿の絵、そしてそれに寄り添う妖精らしきものの絵がそれぞれ描かれていた。

「…ふむふむ」

 ひまわりが近くの枝を拾い絵を付け足す。ドラセナも適宜地面にストーリーを追加していく。二人の間に決して言葉はなかったが、確かにこの時、二人は意思の疎通をこなしていた。梅屋とサボテンもこの場の沈黙を護った。

 二人の会話が二人にしかわからない合図で終わり、ドラセナは櫓に戻り、ひまわりも一息をついて天に腕を伸ばした。

「じゃあそろそろ帰りますかあ!」

 ひまわりは立ち上がり、猿達にごちそうさまでしたと頭を下げ、宴会広場から歩き出した。梅屋も戸惑いながらもひまわりに続いた。

 二人はアイビンを猿山に残し下山を始めた。猿達の中には彼らを見送る者、逆にまだ彼らに懐疑的な者もいた。

 サボテンが先導してくれた下山中、梅屋は一連について省みた。

 彼のバックボーンについては正直事件性を感じざるを得ない。下山後警察に通告し、彼を強制的に人間の生活に戻すこともできる。しかしそれは果たして彼の為になるのだろうか。それに人間である彼を家族同様に養ってきたであろうあの猿たちはその時、人間に対してどんな感情を抱くだろうか。ドラセナ君は人間だ。猿ではない。しかし彼の居場所はあそこだ。

 ひまわりはその答えをすでに悟っているかのように、軽やかに、時に朗らかに夕日を堪能している。沈みゆく太陽は山と山の間に没し、梅屋の悩みもどんどん深みにはまっていった。

「また来ましょうねリーダー!」

「リーダー?」

「梅屋さんはあたしたちのリーダーでしょ?」

「いや、そういうのは多分リンドウさんが」

「ふふふ」

「ドラセナ君とは何を話したの?」

「内緒です!リーダー!」

 奇妙な縁で結ばれてしまった五人の青年。高校教諭を務める梅屋芍薬、花屋を経営するリンドウアヤメ、北海道の牧場からやってきた菊江ひまわり、現役女子高生アイドルの桜田牡丹、そして謎に包まれた聾唖の青年ドラセナ。

 彼らの共通点はたった一つ、妖精に導かれたということのみである。