第32章

第32章 

 

 Ⅰ 

 

「何故アルストロメリアは開花していないのに場を仕切ってる」

 いつかの戦場。リンドウはラナンキュラスに問うた。

「何で、と言われれば総帥が彼を指名したからとしか言えないが、何で総帥が彼を指名したかと言えば…それはわからんな」

 リンドウは期待外れな回答に黙りこくった。

「…開花できなくて焦っているんだろう?梅屋が開花してしまった手前」

「別に」

「開花だけがすべてじゃない。戦い方は無限にある。私はアルストロメリア以上に自らに努力を課した生命体を知らない」

 そんな綺麗事をを並べたお説教など聞きたくなかった。

 人生でこんなにも自身を追い込んだことがあっただろうか。リンドウは寝る間も惜しんで身体を鍛え抜いた。本当に死んでしまうのではないかというほどに死ぬほど努力を積み重ねた。しかし。

 

 Ⅱ 12月8日

 

 こんなご時世でも、人々は今年もやってくるクリスマスに浮かれていた。花卉業界も最後の繁忙期を迎え、リンドウは自身のブランドを落とさぬよう、身を粉にしその職務を全うした。

 すっかり憎くなってしまった植物を商売道具として愛でる。異常であることは百も承知だが、彼は良い意味でそこの線引きができていた。

 イタリアンカフェでのブライダル装飾。この国の平和ボケには本当に頭が下がる。明日にはこの国がなくなっているやもしれぬというのに、人々は性懲りもなく今日も愛を紡いでいる。

 軽バンに乗せたブーケと装飾花を搬入し、サポートとして連れてきた三つ葉を助手席に乗せ、店舗へと戻る。

「何だこの曲」

「店長知らないんですかー?アフタヌーンですよ!アイドルです!変じゃないです!怜奈ちゃんとか、知沙希ちゃんとか、牡丹ちゃんとか…」

「牡丹って桜田牡丹か」

「牡丹ちゃん知ってるんですか!さすがですね!」

「ちょっとな」

 三つ葉はこの二年間で本当によく成長した。ただのコーヒーも淹れれなかった少女が、今では巨大なスタンド装飾花を一人で作れるまでに成長した。そしてそのセンスたるや、正直自分や藤乃を遥かに凌駕している。

 神様は不公平だ。いや、皆に公平に不公平なのかもしれない。『努力は必ず報われる』。どこの無責任なバカが言ったのか知らないが、この言葉だけが今は心の支えだ。

 

「あ、藤乃さん」

 信号待ち。助手席の三つ葉が外を見て言った。リンドウも左方に首を向ける。

「見ない方がよかったのかもしれない」。もしそう思っているのならば、おそらく見ていなかった場合に「見ればよかった」と大概後悔するものである。

 リンドウと三つ葉が見た。それは男と親密にベンチに座る藤乃の姿だった。

 後続車のクラクションで信号が変わったこと知る。リンドウは急いで視線を前方に戻しアクセルを踏む。

 よくは見えなかったが背丈からして隣にいた男性は婚約相手の亀井先輩ではなかった。

 休日の藤乃が、いや従業員が休日に何をしようが勝手だが。プライベートの詮索はよくない。リンドウは運転に集中しろよと自分に言い聞かせた。

「あの人…」

 三つ葉が藤乃の横の男に見覚えがあるような口を効いた。誰だ。いややめよう。関係ないのだ。自分はこの店のオーナーだ。そして世界を護るヒーローなのだ。そんな細かい事は、どうでもいいのだ。

 

 Ⅲ 12月9日

 

 リンドウはこの日、よりによって藤乃と作業をともにしなければならなかった。

 リンドウの頭には、聞くか、聞くまいかの二つしかない。否、聞きたい、を入れれば三つだ。結論から言えば、リンドウはそれを聞いた。

 藤乃はそれを否定した。リンドウは聞いてしまった手前、食い下がった。

 何故新婚の自分が他の男と会おうというのか。何の嫌がらせなのかと藤乃は珍しく怒りを隠さなかった。

 だがリンドウには逆にそれが何かを隠しているように思えた。すれ違う二人を乗せた車は険悪な雰囲気を帯びたまま店舗へと帰っていった。

 二人の雰囲気が悪いことは見ればわかった。三つ葉はリンドウがあの件を聞いてしまったのだとすぐに察した。

 店舗の裏で独りタバコを吸うリンドウに三つ葉が近づく。

「社長、まさか聞いたんですか?」

「ああ、勢いでな」

「何やってんですか。デリケートな問題ですよ。私でもわかります」

「ああ、言わなきゃよかったよ」

「…でね、社長。ここから先はそれも踏まえて聞くか聞かないかを社長にお任せしますけど。どうします?」

「あ?」

「あの時、藤乃さんと…藤乃さんらしき人とイチャイチャしていた男の人、絶対にあの人です」

「誰だ」

「絶対に言わないって約束します?」

「もちろんだ」

「指切り」

「…」

「しないなら言いません」

「わかったよ」

 リンドウがイヤイヤ小指を伸ばす。

「嘘ついたら針千本飲ーます。ゆびきった!」

「はい。で、誰だ」

「梅屋先生です」

「!!」

 リンドウに衝撃が走った。

 何故あいつはオレを逆撫でする事ばかりしてくる。なぜオレの求めたものばかり掻っ攫っていく。

 怒りの炎はすでに赤色を超え青白く。三つ葉がいつ横からいなくなったのかさえも全く記憶にない。タバコの火元はじりじりと、それを挟んむ指先に近づいている。

 リンドウは誰とも口を利かず、業務に戻った。周りの人間は腫物を扱うようにリンドウから遠ざかった。

 業務中。リンドウは自然と黄金に輝いていく自身の指先を見た。彼は不敵に笑いながらアレンジメント装花を創り続けた。

 再びの配達。車では行けぬ狭い路地。仕方がなく車を停め、花を担ぎ遊歩道を征く。

「…」

 これは思し召しか。目の前から歩いてきたのは梅屋と紅葉だった。リンドウはそっと装飾花を地面に置き、道の真ん中に立った。そして、梅屋がこちらに気付くやいなや、その顔面に飛びつき、ぶん殴った。

 

「!!」

 

 黄金を乗せた彼の拳は梅屋の身体を簡単に弾き飛ばした。

「いきなり何するんですか!」

 紅葉が梅屋を庇い、リンドウに向かい叱咤する。梅屋がそれを制し、自らリンドウに尋ねる。

「何をするんですかリンドウさん!」

 リンドウは話を聞かず、再び黄金の拳を梅屋に向ける。

「リンドウさん!何があったんですか!落ち着いてくださいよ!」

 リンドウの拳が止まる。するとリンドウは紅葉の方を見て口を開く。

「お姉さん。あのね。こいつは浮気をしてるクズ野郎ですよ」

「は?私達恋人でも何でもないんですけど。たまたま一緒に歩いてただけで恋人ってあなた童貞ですか?何なんですかいきなり。かっこいいつもりですか?」

「紅葉先生やめてください!でもリンドウさん、何でそんな嘘を言うんですか!」

「嘘?目撃者はオレの他にもう一人いるんだぞ」

「もうどっか行ってくれません?気分悪いんですけど」

 その時、三人の前に藤乃が現れる。

「ほら。噂をすれば浮気相手の御出ましだぞ」

 睨む紅葉。表情一つ変えない藤乃。困惑する梅屋。

 一吹きの北風が四名の前髪を揺らした直後。藤乃はあろうことか梅屋の手を引き、リンドウと紅葉を置いて茂みを飛び越え裏手に消えた。

「!!」

「!!」

「藤乃!」

 リンドウが追いかける。植木を飛び越え、さらに裏手へ。住宅街まで。

 しかし、見失う。

 

「リンドウさん」

 リンドウの背後、梅屋がノコノコと姿を見せた。梅屋と藤乃は互いに手を結び、こちらを見ていた。

「…幸せそうで何よ

「リンドウさん。あなた目障りなんですよ。平和が一番に決まってるじゃないですか。なのにこの女ね、あなたに感化されたのかしらないですけど、侵略者はここから追い出すべきだって言うんですよ。おかしいですよね。元々僕たち人間が侵略者だったのに」

「梅屋。お前マジで殺すぞ」

「開花もしてないあなたに?僕がですか?笑」 

 リンドウの頭が怒りを感じた時にはもう、その拳は梅屋に向けて握られていた。

 

 バシ!

 

「!?」

 梅屋が藤乃と繋いでいた右手を放し、その拳を掴んだ。

「リンドウさん。あなたってあの薬師って博士とやってること同じですよね。お花を自分の都合で切っては挿して切っては挿して。美しかったら何でもいいんですか?お花を殺してもいいんですか?僕は良いと思いますよ。リンドウさんに賛成です。だからね、リンドウさん。ボクも自分の理想に邪魔な美しくない考えを持っている者は切っていくことにしたんです」

 ドン!

 梅屋がリンドウの横腹を蹴り飛ばし、続けて藤乃をリンドウの方へと押し倒した。

 竜胆は懐に飛び込んできた藤乃の両肩を咄嗟に掴んだ。

 

 ブシュウウウ!

 

「!?」

 血飛沫が音を上げ吹き出しリンドウの顔を赤く染めた。

 眼前の藤乃の身体はたすき掛けのように肩から腰へ真二つに斬り裂かれ、その上体は崩れ落ち、リンドウ手からすり抜け視界から消えた。

 目の前には、日本刀に付着した赤黒い血液を振り落とす梅屋の姿。

 リンドウは梅屋に襲い掛かった。しかし足元の藤乃によってそれは妨げられる。梅屋は怒り狂うリンドウを尻目にまたその場から逃走した。

 リンドウは足元で転がる藤乃の死体を踏みつけ、猪突猛進に梅屋を追った。

 数百メートルいった先の角を梅屋が左に曲がった。リンドウももちろんその角を左に曲がる。

 

 ゴン!

 

 衝突音が弾ける。頭を何かにぶつけた。視界が狂う。すぐさま視界を前に戻さねば。

 視界を戻した先、自分と同様に頭を抑える男。梅屋だ。何故この角をこちらに戻ってきた。リンドウはすぐに梅屋の胸倉を掴んだ。

「リ、リンドウさん!やめてください!自分はリンドウさんと戦いたくありません!」

 リンドウは梅屋に耳を傾けず、ついに梅屋の首を締めに掛かった。

 

 ビッシュウウ!

 

 茨がリンドウの身体に巻き付いた。梅屋の首元が解放される。

「リンドウさん聞いてください!僕はリンドウさんと戦いたくないし、戦う理由もありません!」

 リンドウは茨に巻かれた身体でクスリと笑った。

「お前はどれだけ努力した?」

「何のことですか!」

「この能力を開花させるのにどれだけの努力をしたかと聞いてるんだ」

 リンドウは静かに問うた。しかし梅屋はその質問に答えることができなかった。どう答えたとしても、その先の展開が読めてしまったからだ。

「…だよな。努力なんてしてないよな。全くな…。ふざけるな!」

「!」

 リンドウの気迫に梅屋は思わず一歩退いた。

「共存だと?力も人望も女も何もかも手に入れたお前は世界に満足してるやがるからそんな阿保面を下げて和平だなんだとヌカせるんだ!平和主義なんて言ってんのはな、テレビの前のバカだけだ!現実を見ろ!現場を見ろ!そんな空想広げる間もない地獄が日常だ!平和なんて口が裂けても言えねえ!明日のわが身を、食料を確保するための殺るか殺られるかの世界だ!お前みたいな平和ボケの理想語りはキモいし腹が立って仕方がない!」

 

 ブシャアア!

 

「!!」

 リンドウの身体に纏わりついていた茨が弾け飛んだ。

「オレがどれだけ努力したと思ってる?寝る間も惜しんで!誰よりも働いて!誰よりもこの街を護ろうとしている俺が何故開花せずお前やひまわりのようなバカが開花する?」

「リンドウさん!落ち着いてください!」

「でももういい!オレはすでに開花していた!オレの開花は『怒り』だった!『怒り』が俺を強くする!惨めさが!劣等感が!羞恥心が俺を開花させた!ゴミのような人生!数々の屈辱!全てが身体の真ん中で黄金に輝いている!」

 ドゴーーン!

 避ける間もなく飛んできたリンドウの肉弾攻撃により梅屋は数十メートル離れた団地の一階ベランダへと吹っ飛ばされた。

 リンドウはコツコツと一歩ずつ噛み締めるように、梅屋が埋まるベランダの柵へと歩みを進める。

「ちょっと待って!何で二人が争う必要があるんだ!」

 リンドウの動線に割って入ったのはロージエだった。しかしリンドウはその声を完全に無視し、一歩、さらに一歩と歩を進めた。

「デルフィン!いったいどうなっているんだ!」

「聞きたいのはオレの方だ!何故芍薬はあんな事をしたんだ!」

 二匹の妖精はお互いの話が噛み合わないことをすぐに疑問に思い、状況の整理を共に急いだ。リンドウはすでに、梅屋の目の前に辿り着いている。

 リンドウは道中拾ったビニール傘を黄金に染め、その先を梅屋の額に当てた。状況を把握した二匹の妖精が大至急リンドウの視界の前に割り込む。

「待ってリンドウ!二人は本当に争う必要がないんだ!」

 デルフィンがリンドウを制止させる。ロージエも間髪入れずに状況の説明を始める。

「藤乃を殺した芍薬は偽物だったんだ!ほら、わかんないけどユーストマを大量生産したように!薬師がきっと創り出したんだよ!何故かわかんないけどあいつは二人を争わせようとしてるんだ!」

 リンドウが耳を貸した。

「…そうか。あれは偽物だったのか。通りで言ってることがおかしいと思ったんだ」

「そうさ!だから二人は戦う必要はないんだ。敵は

「この際。これまでのどのお前が本物でどのお前が偽物かなんてのはどうでもいい。重要なのは未来の話だ。お前は人間と植物の共存を望む。オレはこの街の防衛を望む。どちらが正しいか、今決めてしまおう」

 梅屋が額に当てられたビニール傘を掴み、立ち上がる。

「…だからあなたと戦う気はないって言ってるでしょう」

「甘ったれるなよ。そんな覚悟で共存などかなえられると思うな。オレ以外にどれだけの人間が反対すると思っている。人間だけじゃない、お前に殺意剥き出しの植物達を説得できるのか。植物に家族を、あるいは人間に友人を殺された奴らを全員相手にできんのか?」

 リンドウが梅屋に鬼気迫る。

「オレはお前を倒し、この存在を証明する!」

 リンドウが再び梅屋を殴り飛ばす。梅屋の身体は窓ガラスを破り、団地の一室内へと放り込まれた。

 リンドウがビニール傘を捨て、ベランダの金属柵を一本圧し折りまた黄金に染める。

 侵入者に泣き喚く幼児の頭を撫で、梅屋が再び立ち上がる。

 顔を上げた彼の面持ちは、先ほどまでとは全くの別物であった。

「…すみませんリンドウさん。目が覚めました。理想を勝ち取るためには、あなたを倒さなければならないってことですね…。わかりました。ロージエ、デルフィン。ありがとう。でもね、ちょっと下がっててくれるかい」

 梅屋は室内に飾られたクリスマスツリーを根元から持ち上げ、同じく黄金に染めた。

「勝負だ…。勝負だ梅屋芍薬!」

 

「おらああああああああ!」

 

 ガッキン!

 

 二者の咆哮により二つの黄金がぶつかり合う。

 梅屋のクリスマスツリーががリンドウを弾き飛ばした。追い打ちをかける梅屋を今度はリンドウが叩き付ける。すぐに立ち上がる梅屋、茨を出現させリンドウに巻き付ける。しかしリンドウはそれを読んでたかのように鉄片で叩き千切る。

 梅屋とリンドウの力は余りにも均衡していた。人間同士の争いとは思えぬ覇気を垂れ流し、この戦い、まさに死闘。

 ロージエとデルフィンは悟った。もう誰にも止められない。もし止まることがあるとした、それはどちらかが死ぬ時だ。

 二人の脳は、視界から相手以外の事象を完全に排除させた。こいつを殺す。彼らはもう叡智を得た人間から程遠い何かに退化していた。

 ブシュウウ!

 リンドウの鉄方が梅屋の右肩部に突き刺さる。リンドウはすぐにそれを抜き、さらに追い打ちをかける。

 ビュルリリリン!

 梅屋の茨がついにリンドウの鉄片を捉えた。隙を見た梅屋は、もうボロボロになり枝のほとんどが折れ落ちたクリスマスツリーをリンドウの首に振る。このツリーはもはやただのインテリアではない。ロージエ、クリプトメリアの力が籠った鋭い刃。それをリンドウの首に振った。この行動こそが、梅屋の覚悟を表している。

 リンドウはコンマの世界で鉄片を破棄する選択をとる。腰を落とし、それを握る右手を開き、大腿筋の解放から、リンドウは梅屋の背後に周った。

 梅屋のツリーに空を切らせ、刹那に梅屋の背後をとったリンドウは、最後は残った自らの肉体で梅屋の首を絞めた。

 梅屋もツリーを破棄し、背後に回ったリンドウを背負い投げで体から引き剥がす。

 少し間合いが、お互いの足元に相手の『剣』が転がっているのを見つけさせる。梅屋は鉄片を拾い、リンドウの懐に踏み込む。

「!?」

 しかし。リンドウは梅屋のツリーを取らなかった。梅屋がそれを躊躇した時にはもう丸腰のリンドウの腹は血飛沫をあげ上下に裂けていた。

 梅屋はリンドウのハラワタがどろどろと落ちていくのを見た。中途半端に躊躇したことにより、傷口が血死に至らぬそれとなった。何故リンドウはツリーを取らなかった。仏教徒だからか。そんなことを言っている場合か。

 

 リンドウは薄れゆく意識と視界の中で、ある言葉を空に呟いた。

 

「神様は公平に不公平だ」

 

 リンドウの真っ青な花弁が徐々に彩度を失っていく。それは遂に青白く、生気を失い頭を垂れた。

 リンドウさんは貫いていたんだ。それを取るという事が僕に屈することだと考えて。最後まで僕のそれには応じないと、強い意志を貫いた。

 勝ったんだよな。間違いなく。勝ったというのに何だこの感情は。そこはかとない虚無感。この感情にまだ名前はないだろう。いやなくていい。こんな感情なんか。永久に。

 

「気分はどうでしょう?梅屋芍薬さん」

 

「!!」

 梅屋はその声の主を覚えていた。名前は咄嗟に出てこなかった。あいつだ。学校を襲撃したあの紅い植物。

「もっとあなたのお顔を見せてください!あなたの絶望した顔を見てるとですね…バッキバキに興奮するんだあ!もっと見せてくれよ!…これは失敬!見せてください!お顔を!」

 何が起きている。意味がわからない。デルフィンが何か言っている。こいつが復讐の為に自分とリンドウさんを戦わせたらしい。

 なんでこんなことをする。いやしたのは自分か。原因はあいつ。しかし結果を導いたのは自分。悪いのは誰だ。

「良いデータも取れた!あなたの絶望した顔も見れた!だがまだ復讐は終わってはいませんよ!あなたをこれから絶望の絶頂に導いて差し上げます!」

 昼なのか夜なのかわからない曇り空の下。クラステルの遠ざかる声。呻きをあげるリンドウ。ただ茫然と、梅屋。

 

 夜のLindbergh。藤乃は明日のブーケでも造りながら一人、リンドウの帰りを待っていた。

「なぜだかけんかしたーああだいすきなあのひととーまたこーちがさきにあやまるのーしかたのないこーとーねー」

 店内には彼女の鼻歌と閉店間際のデパ地下で買った一包みのチョコレートがぽつり、間接照明の光を浴びて、温かい体温に溶かされるのを待っている。