第22章 -再生編-
第22章
Ⅰ 8月19日
「アネモネが討たれました」
「我々が要塞から羽を伸ばしていることが人間共に知られたか」
アネモネの失策。それは彼らにとってかなり大きな痛手となった。要塞内で次の一手を議する一方、要塞の裏手にて異なる欲望の手がうたれる。
「警備中失礼します」
「誰だ貴様は!」
「まあそうかっかなさらずに。お聞きしたいことがあるだけなんです」
要塞の裏手を警備していた植物戦士が剣を抜き異邦者に斬り掛かった。
「強い人間のこと御存じでしょうか?…まあ答えてくれなくても結構です。『意識さえ』して頂ければ…。…そちらの質問に答えていませんでしたね。…クラステル・アマリリスと言えばお判りになりますでしょうか」
クラステルは真っ二つに切られた植物戦士の胴体に近づき、頭部に右手をかざした。
「皆口を開けば名を答えろと。自由に偽れる名などに何の意味があるというのでしょうか…。その点、『記憶』は…誰にも偽れません。へえ…。妖精が人間を導いたってわけですか」
騒ぎを聞きつけた応援が要塞から出てくる。クラステルはすぐに腰をあげその場から退散した。
来週末、大手アイドル芸能事務所に所属するアイドルが一堂に集う大型イベントが東京臨海部にて開催される。
桜田牡丹も当事務所に所属しており、彼女は事務所の人気アイドルグループ『アフタヌーン』のメンバーでもある。
さて、その大型イベントを一週間後に控えた今日はその前哨戦と言うべきか、『アフタヌーン』単独でのライブイベントが東北三県で行われた。
夏休み返上で連日仕事をこなす牡丹は心身疲れ切ってはいたが、アイドルでいられる自分の境遇に強く感謝をしていた。
メンバー控え室ではメンバーが程よい距離感で各自メイクやら衣装合わせやらで普通の女の子からアイドルへと変身していく。
まあしかし、ここにいる誰がこのスーパーアイドル桜田牡丹ちゃんがちょっと前まで夜な夜なヒーローというお面も被っていたと気付き得るだろうか。否、それには誰も気付けまい。伊達に長年桜田牡丹の鎧を被ってきていない。例えそれが親だろうとしても、それに辿り着くのは決してありえないのである。
場所が東北であろうとも牡丹に握手を求めるファンは多い。
彼女は朝から晩まで休む事無く『がんばって身だしなみを整えてきたんだなあ』という男性や『この牡丹ちゃんにさぞ憧れているんだろうなあ』という女性らと交流した。
「牡丹ちゃんってヒーローでしょ?」
牡丹は瞬時に目の前の中肉中背の男の顔と声、そしてその衝撃的な動悸を上げた。
牡丹が内心を見せぬよう冷静にそれを否定する。設けられた彼の数秒の持ち時間はすぐに終了し、牡丹と男性はその後一つのキャッチボールも許されずに男性はブースからハケていってしまった。
「あの野郎もう一度まわってこいや!」。長いアイドル人生で牡丹は初めてそう思った。しかしこの日男性がもう一度牡丹のブースに現れることはなかった。何だったんだあのおt…次のファンはすぐにやってくる。彼女の考察を止まった。
帰路の新幹線。考察の再開。なぜあの男性が自分がヒーローであることに気付き得た。もしか妖精が見えるのか。あり得る。もういないけど。
確信を持てる答えを導けないまま、牡丹は自らのマンションのオートロックに鍵を挿した。
「牡丹ちゃん!」
右方から自分を呼ぶ声。懐かしい感覚。牡丹が右を向くとそこには妖精ロッタがほのかなピンク色の光と香りを漂わせ浮いていた。
「ロッタ…何してんの」
「牡丹ちゃん…あのお…ごめんね」
「あんたがいなくてめっちゃ大変だったんだからね!」
「ごめんごめん」
「でももう気にしてないからいいや」
二人は会話を続けたまま、牡丹の部屋にあがった。
今日の帰宅はかなり遅く時刻も午前一時を回っている。ひまわりもグースカと牛のように眠っている。
牡丹は汗ばんだティシャツを洗濯籠に投げ捨て、続けて下着も外し、浴室に入った。
牡丹が何か思考を巡らせていることは明確。何故ならいつもはシャワー中に鼻歌を奏でる彼女が黙々と頭皮を泡立てている。
「ねえ、牡丹ちゃん」
「びっくりしたあ!なんでシャワーまでついてくんのよ!」
「いいじゃない久しぶりなんだから。それよりね、私はやく帰らなきゃばれて怒られちゃうからそのまま聞いて。用件だけ言ったら帰るわ」
牡丹はとりあえずロッタの好きなようにさせた。
「植物界の戦士たちが人間界を制圧する準備が整ったわ」
牡丹の髪を泡立てる指が二秒ほど止まった。
「これから『花粉症』が始まる。そうなればこの街の人々はもがき苦しみ死んでいくことになる。アルプローラと同じようにね」
「それって…私に言っていいの?」
「わからない。でも…。この先は牡丹ちゃんに任すわ!じゃあまたね!」
「ちょっと!ロッタ!勝手すぎるんだけど!」
牡丹の呼びかけが返ってくることはなかった。牡丹はとりあえず昼間の男性のことは置いておいて、脱浴後すぐにこの事実を自分の知り合いで最も軍事力のあるリリーに伝えた。
あれこれしてたら外はもう明るい…。早く寝なくては。お肌に悪い。
聖木を成就させた妖精たちはその後カーネーションにより聖園に軟禁されていた。妖精と人間との間に生まれかねない友情を懸念しての処置。
しかしおてんばロッタは知っていた。人間界に繋がるもう一つの空洞の存在を。
その空洞はロッタとクリプトメリアしか知らない極微の空洞である。クリプトメリア曰く、数年前に人間界で発生した大地震の際に生じた表裏世界同士の歪みからなるものだという。
噂好きの妖精から花陽隊の作戦を耳にしたロッタは、その穴から再び人間界へと舞い戻った。
牡丹を気遣い用件だけを伝えたロッタは久々の煌びやかなる夜の東京に目を眩ませた。
このネオン街ももうすぐ自然に還ってしまう。妖精なりにセンチメンタルに行き交う人々を眺めた。
バシュ
「!?」
ロッタの小さな体が突然何者かに掴まれる。人間界でそんなことが起きるはずがない。何故なら自分の姿は人間には見えないはずだ。ロッタは自分を掴む手から伸びていった先にある御尊顔を見た。
ロッタの眼に映ったのは人間ではなく、冷たい顔をした植物だった。
Ⅱ 8月27日
牡丹はひまわりの早起きの才能に関しては一目を置いている。見るからに寝坊しそうな身なりなのに、彼女は毎朝蝉が目覚めるよりも早く起きて畑に向かう。
しかし今朝に関しては久方ぶりに寝起きのひまわりの姿を拝むことができた。
今日はイベント初日。疲労が残存する身体にムチを打ち、彼女はひまわりの焼いたトーストを一枚おなかに入れた。
準備を済ませた二人は最寄りの駅まで一緒に歩く。二人が乗り込んだ早朝の電車は彼女ら以外に人影はまばら。二人は朝から続く他愛もない話を誰の目も気にせずしばらく続けた。
牡丹が乗換駅で下車するとひまわりを乗せた電車は西方面へと消えていった。
その後二回の乗り換えをこなし会場についた牡丹。いつも通りのメンバーといつも通りのくだらないやりとりをいつも通りに済ませ本日のライブリハーサルへと向かった。
時刻は午前十時。大型イベント会場の扉が開き、夏休み最後のイベントが幕を開ける。
初日はライブやを行わず各種イベント及び交流のみ。しかしライブに負けずとも劣らぬ熱気が会場をすぐに充満させ屋内の酸素は顕著に薄くなった。
牡丹の考えはただ一つ、先週の東北の男性が顔を見せ次第口止めする事。
物心ついた時からアイドルとしてこの業界に入った牡丹はファンの扱いには慣れていた。こういう場合、ファンには特別感与えることが重要である。
定石ならば漏らしたくない情報を必死に否定、あるいは無視を決め込むかの二択であろう。ただ牡丹の場合、情報をあえて肯定したうえで「二人だけの秘密だよ」などという言葉を語尾に添える。するとそのファンは自分と牡丹との間に特別感を見出し、その秘密を永久に内密にしてくれるのだという。
「かかってこい!」牡丹が再び念を送る。その時。
「逃げろー!」
念が変なものを呼んでしまったのか。その断末魔は鮮明ではなかったが、確かに聞こえてきた。牡丹はブースを飛び出し、騒ぎの方向をファン達と一緒に覗き見た。
聳えたつ人の壁により状況がよくつかめない。牡丹はちょっと高いところを見つけては、逃げ惑うファン達の流れに逆らって登った。
…ふと俯瞰で自分を見つめる。流れに逆らってる自分は他からどう見えている。ボーイッシュで売り出し中のあの子も女の子らしい可愛い叫び声を上げて逃げている。
…もしかして私はこれまでにも自分が気が付かない内にそのような、『ヒーローが取り得る』行動をとっていたのか?だからあの男もそれに気付き得たのか?
あ見えた。あれはテレビでやってた暴徒植物。戦士の身なりじゃない。
牡丹台から降りる。…みんなを助けなきゃ。ロッタの力はもうないけど。けど今この場でその勇気があるのはきっと私だけだな。うん。この牡丹ちゃんだけだ。でも死にたくないなあ。でもきっと死ぬだろうなあ。逃げちゃおっかなあ。実際逃げても誰も文句言わないんだよなあ。でもなあ。
彼女は会場に狂気が渦巻く中、一人目線を下げて深い自問自答に浸った。
「?」
彼女がふと意識をこちらに戻す。彼女の百五十後半の身体がいつのまにかよく見るファン達によって三百六十度取り囲まれている。その中には東北のあの男性の姿もあった。
「みんな何してるの…早く逃げなきゃ」
牡丹の喚起に一人のファンが背中を向けて返した。
「大丈夫。もうすぐヒーローが現れて俺たちを助けてくれるはずだから」
「え」
「そう、俺たちはその時を待ってるんだ」
「ヒーローは必ずやってくる」
いつもは手や声が震えている人、自分のことだけを話す人、汗っかきな人、中年や小太りやハゲ、大学生にチャラ男にどうしようもないおっさん、あるいは自分と変わらないくらいの女の子…。みんながいつもより大きく見える。
そうか。もうみんな気付いてたんだ。そして勇気と覚悟を決めている。同様にそれを決めたことがある牡丹はすぐに皆のそれを悟った。
「もし、誰かが俺たちの後ろでヒーローに変身したとしても、それに気付く奴は誰一人いないだろうね」
「でもねみんな私もう…」
「大丈夫。ヒーローは来る。必ず」
この人たちのしょうもない人生を自分が支えてあげている。そう思っていた。でも違う。肉親でもないの自分の為に日本全国、時には海外まで足を運び、大金をはたき、人生を捧げてくれているこの人達。親でもマネージャーでもメンバーでも気付き得なかった私の秘密に辿り着いた愛すべきこの人達こそが、私をアイドル『桜田牡丹』でいさせてくれる唯一の存在。
パニックに陥ってもおかしくないこの状況下で仁王に立ち、みんなが創り上げてくれた『桜田牡丹』という概念ただ信じて待ってくれている。中には足が震えている人もいる。そりゃ怖いよね。でももう大丈夫!みんなに恥はかかせない!みんなを絶対に死なせない!みんなは私の大切な宝物だ!私が絶対守る!
牡丹とファン達の間にはもうありがとうなんてちっぽけな言葉はいらなかった。牡丹は目をつぶり、体内に残存した僅かなロッタのチカラを呼び覚ます。
来る。ヒーローは必ず来る。私の身体に。必ず戻ってくる。山脈の如く立ち並んだファンとファンの間から木漏れ日のように桜色の淡い光がもれた。
「みんな。行ってくるね」
ファン達は皆一斉に小さくうなずき、桜色に光るヒーローを狂乱の中心へと送り出した。
「!!」
ダン!
牡丹は勢いのままに暴徒植物体を蹴り飛ばしコンクリート打ちっぱなしの壁に激しく打ち付けた。植物体は完全に油断していたが、もし植物体がその攻撃に身構えていたとしても結果は同じだっただろう。
状況把握に戸惑う植物体を余所眼に先ほどまで彼によって狂気に満ちていた会場は桜色のヒーローの登場に大いに沸く。
逃げ遅れた人達が、あるいは一度は逃げた人たちが再び戻り、桜色のヒーローの一撃毎に歓声を上げた。
牡丹の攻撃は止まらなかった。牡丹はキックボクシングのレッスンで得た功でなく、何か心の奥底から湧き上がる底知れないパワーで群衆を狩る植物体に立ち向かった。
幼稚だった自分に、一人で人気者になった気でいた自分に、そして本当は何も出来ない情けなさに彼女は羞恥した。
彼女はそれを八つ当たりにも似た華麗なコンビネーションに昇華させ、トドメの延髄蹴りを植物体頭部に炸裂させた。
植物体の頭部が吹っ飛び、植物体が完全に沈黙する。
「!!!!!!!」
会場はライブでは聞いたことのないほどの歓声に包まれた。
「そんだけ声出んならもっとライブで出しなさいよ!」
桜色に包まれた牡丹はその歓声に怒った。しかしそれが誰かに届くことはなかった。
牡丹が顔を和らげ、ずっと見守ってくれていた自らのファン達の方を向く。彼らは牡丹にしかわからぬくらいに小さく首を横に振った。
ここで桜色のヒーローと彼らの関係が勘づかれてしまっては彼らの心意気が水の泡となる。牡丹はまた彼らに助けられてしまったと、彼らの方から目線を外した。
牡丹があちこちで鳴るシャッター音や鳴りやまない歓声を浴びながら、人目のつかないところへ逃げようと足に力を入れる。
「」
もう聞こえるはずのない断末魔。再び牡丹の鼓膜を揺らす。
感じたことのない強い悪寒と殺気。背中に。悲鳴の方を振り向く。真夏の気温を歪ませるほどの冷気。深紅の植物体。
何だこの気持ち悪いオーラは。あの日対峙した戦士達、今倒した暴徒とは全然違う。強いとか怖いじゃない。教室に零れた牛乳を拭いた雑巾のような。ただただ気持ちが悪い。
「やっと会えましたね」
「え!?ストーカー?」
「まああなたを追い求めてここに来た、ということをストーカーと言うのならば私は立派なストーカーですね」
「何それきっしょ。…つーかあんた誰よ!いくら私が種族を越えて可愛過ぎるからって植物につけられる覚えなんて全然ないんだけど!」
「クラステル・アマリリスって言ってもわからないですよね。まあこれを見て頂ければ話は早いのではないでしょうか?」
「…!!」
クラステルは縛り上げたロッタを懐から取り出して晒した。ストーカーっていうのは冗談でも何でもない。こいつは本当に私に狙いをつけてやってきたんだ。それを理解した牡丹は背後のファン達に叫んだ。
「みんな!逃げて!」
それでも先ほどの歓声に気をよくしたのか。もしくは牡丹の暴徒に対する圧倒的強さに慢心しているのか。それとも牡丹と心中する気なのか。彼女のファンの大半はそこに留まった。それに怒った牡丹はクラステルから完全に背を向け大きな身振りで再び叫んだ。
「早く逃げろっつってんでしょ!アイツはマジでヤ
ブシャーン!
「!?」
クラステルの剣は彼女の背中を切り裂いた。牡丹は声も上げずその場に倒れた。
勇敢な彼女のファンらは怒号をあげ、丸腰でクラステルに立ち向かう。
クラステルはこの時ひどく興奮した。一太刀を浴びせるだけで、虫のように醜い人間が沸いてくる様が愉快で仕方がなかった。そしてそれを一人づつ丁寧に捌いていく爽快感はアルプローラでは感じ得ない快感だった。
イベント会場の一角に死体の山が築かれていく。それは大不幸中の幸いにも、牡丹がヒーローであることを隠蔽した。
クラステルはこの時盲目的に殺人に夢中になっていた。背後からの刺客に気付き得ないほどに。
ジャキン!
鋭い音とともに、乱れるように舞うクラステルの剣が止められる。クラステルはその受け筋に身に覚えがあった。
「また、あなたですか」
クラステルが太刀筋だけを見てその持ち主を悟り呆れるように罵る。
「お前が逃げるからだろう?」
「…いいでしょう。あなたを殺して、そのとぼけた頭の中をじっくり見させてもらういますよ」
「お前に剣というものを教えてやる」
ラナンキュラスだ。私が言えたものではないがしつこい奴だ。二者の間合いに空気が張り詰める。しかし。クラステルはまたも突然剣を鞘に納める。
「!」
「今、私が逃げたらどうなるでしょうかね?」
「あ?」
「このおバカな人間達に、植物の正義と悪ができますか、ということです」
ババッバン!
「!?」
人間軍が来ていたのか。クラステルが殺人に夢中になり私に気付かなかったように、私もまたクラステルを仕留める為に神経を集中させ過ぎた。その接近を悟ったクラステルはそれらが入場するタイミングで大窓から逃げた。今来た人間からしてみればこの惨状を創ったのは紛れもなく私。…やるなあ。
バララララアッララ!
初弾を受け止めても尚立ち上がるラナンキュラスに機動隊はさらに数百発の弾丸を撃ち込む。ラナンキュラスが血反吐を吐きその場に倒れる。
機動隊が動かなくなったラナンキュラスに恐る恐る近づく。
サク!
「!?」
ラナンキュラスは突然腰に差していた短刀で機動隊員の一人の足を斬り払い、その者を盾とし立ち上がった。
機動隊は発砲を躊躇。ラナンキュラスは機動隊を牽制したまま、クラステルが破った大きなガラス戸から会場を抜ける。
ラナンキュラスの歩いた動線。盾にされた人間の血とそれではない体液。機動隊員がそれを辿っていく。両足首から下を切り落とされた機動隊員。港の波止場に浮かぶ。植物体の姿はもうない。
盾とされた機動隊員は一命を取り止めた。が舌を搔っ斬られており、彼らにすぐの追跡を妨げさせていた。
幸せで満ちるはずのイベント会場は血飛沫が飛び散る凄惨な現場へと姿を変えた。植物関連の事件で最も多くの被害者を出したこの殺戮劇は日本中を震撼させる。
さらにアイドルの桜田牡丹がその犠牲者となったことをマスコミは嬉々として記事にした。
梅屋の元にもすぐにその速報は耳に入る。牡丹という存在は、梅屋にとってヒーローとして共に戦った仲間である以前に、最愛の生徒の一人でもある。
牡丹が植物にやられた。梅屋は今何を思うのか。それでもまだ。