第19章 -再生編-
第19章
① 8月15日
世界で一番熱く光る夏。蝉の鳴き声。日本の夏は、流れ出る汗さえも趣を持つ。
「この『ヒーロー』っていうのはろくなもんじゃねーな!」
阿久津農園の歯抜け、室田は如何わしい写真週刊誌に乗ったイラスト記事を読んで言った。
「こいつらさえいなければってんだろ?」
阿久津農園の毛抜け、佐々木もそれに同調した。
「でもさ、あれだよね。うん。あれだ」
阿久津農園の間抜け、相川もおそらく同調した。
「お前らそんなもんいい加減読むのやめろ!」
阿久津農園の社長阿久津は、還暦をとうに過ぎても毎日のようにコンビニでエロ本を買ってくる室田を叱咤した。
「だいたいお前らはよくこんな嘘に本気になれるな」
「社長は信じてないのかい」
「オレはこの目で見たものし以外は信じねえ」
「うふふ」
この時ひまわり、「実はもうその『ヒーロー』にみんな会ってるんだよなあ」。心の中で笑いながら、そのいつもと変わらぬ光景を見て麦茶を飲んだ。
「みんな元気かなあ」
北海道から上京してきて初めて体験する本州の夏。その信じられぬ暑さに項垂れながら、彼女はこの一か月半あることについて考えていた。
「これ以上あたしはここにいる理由があるのだろうか」
『聖木を護る』、この使命はどうやら終わったようだ。終わったからガベリアはもういない。テレビで植物達は人間に病気にさせられたと言っていた。だから今植物と人間が戦っている。あたしはたしか聖木を護るために東京に来たはず。だからもう東京でやることはないよね。すっごく暑いし。ボタちゃんにも迷惑だし。
阿久津もひまわりのことをかなり気に掛けていた。阿久津はひまわりがヒーローだったということを知る由もないが、近頃ひまわりが北海道に帰ろうと目論んでいることは何となくだが感じ取っていた。
友人の紹介とはいえこんな若い女の子が、こんなゴミクズしか働いていない農場で貴重な二十代の時間を潰してしまうのはこちらとしても申し訳ない。それにひまわりに何故東京に来たのか聞いても妖精だ何だと言ってまともな返事をよこさない。
阿久津も以前までは従業員らの下品ぶりに対して特に何かを咎めるようなことはしてこなかった。しかしひまわりが来てからは、彼女のことを気に掛けるとそうせざるを得なかったし、ひまわりのような純粋無垢な子を守らねばという親心が彼をそうさせていた。
阿久津は実の息子にも貰ったことのない父の日のプレゼントをひまわりに貰った。
黒いキャップ。若者が被ってるようなやつだ。阿久津はそんなことを言ってそれを貶していた。が、阿久津はそのキャップを毎朝恥ずかしそうに、誰にもばれないように被って出勤している。今まさに休憩所で流れるラジオの声の主がそれを選んだとも知らずに。
東京の西端、東京の名を冠しても田舎であることには間違いない。ここいらの住民らはあの宣戦布告をどう見たのか。見たところで、それをSFか何かか、といんばかりに多くの住人にとっては右から左だった。
実際彼らもやれ都会モンが、やれ空気が汚いだ、普段から言ってることは植物らと大して変わらない。
さて広い農場の真ん中。フカフカの土の上にはそんな雑音も一切届かない。聞こえてくるのは雑木林が風に揺れる音と、セミの鳴き声、それと鋏音だけ。
阿久津が商品にならない規格外のトマトをひまわりに渡す。ひまわりは嬉しそうにトマトを頬張る。
「やっぱり北海道の方がいいか」
「うーん。どうでしょう」
「頼むから気を遣うなよ。あいつらもな、お前が来る前はちゃんと仕事してたんだ。お前がよく働いてくれるからあいつらさぼってんだ。まあお前も大概トロイがな」
阿久津は時折毒を差しながら、ひまわりとの小休止に腰を落とした。
「他のヤツらが今頃年金で余生を楽しんでるっつーのにオレはこんな歳でもまだ働いてる。金に困ってるわけでもねえのに」
阿久津はクーラーボックスに入れておいたメーカーのよくわからないサイダーを飲みながら、一緒に冷やしておいたスイカを取り出し、ひまわりと別けた。
「オレにはここしかねえし、野菜しかいねえ。女房は逝っちまったし倅はもう畑のハの字も知らねえ都会モンだ。そのさらに倅の顔なんてもう忘れちまった。オレが死ねばここも終いだ。オレはここで生まれてここで死ぬ。そしてここの肥料になってオレは畑と永遠にフォーエヴァーだ。もしここが植物界に支配されたとしてもオレは化けてでも出てきてここを守る」
スイカの種をプププと飛ばし、ひまわりは阿久津の話に耳を傾ける。
「実家の牧場は大丈夫なのか」
「うん。なんか弟とかががんばってるみたいです」
「そうか。ひまわりの父ちゃんは幸せ者だな」
「ですねえ」
「さてやるか」
「はあい」
二人はまた木陰から炎天下の畑に戻る。すぐに響くひまわりへの阿久津の叱咤が、蝉の声に滲んでは消えていく。
「まずい…。すぐに四門の士官を中央に集めろ!至急議会城の門前に兵を固めるんだ!」
人間界出兵から約一か月半。依然増え続ける疫病の猛威、音沙汰のない花陽隊の成果。鎮静化されていたアルプローラ市民の暴動は再び再燃した。
いくらかの市民はあの時と同じように再び武器を握り、集い、聖会へと突撃を企てた。
「オレたちも人間界に行かせろ」、「人間を全員殺してやる」。抑えきれない人間への衝動を爆発させ、もはや知能のないケダモノと化す市民ら。
ついに突撃してきた彼らを騎士隊は必死に抑え込んだ。
ファレノプシス、ラナンキュラスが剣を取る。が、それは中々に難儀だった。
押し寄せる暴徒。理性もクソもない。理性のあったダリアやダンデライオンの方がまだやりやすかった。暴徒市民らの勢いに騎士隊は圧倒される。
「花陽隊はいったい何をしているんだ!」
ファレノプシスが本国に残留しているはずの花陽隊第二団隊が応援に来ないことに咆哮した。
暴徒達はついに騎士隊を押し込み聖会議城の敷地内に侵入する。屋内にある聖園への扉はもう眼前に。
ラナンキュラスは仕方がなく彼らを切った。殺さずに全ての暴徒を鎮めること。留意こそしたが、それはもはや不可能だった。
ラナンキュラスが強硬策に出たことにより、暴徒達の勢いもさらに増す。
ファレノプシスも暴徒連中の先頭に立ちはだかり彼らを切る。しかし止め処なく流れ込む暴徒連中に彼らは押され、遂に聖園への扉に手が掛かる。
市民を聖園に踏み入れさせたとなれば、長い間守り抜かれた蘭十字騎士隊の名誉は無に還る。その時はもうこの国は花陽隊、いやカーネーションの独壇場だ。
…カランコエの二団をこちらの残したのはその為か…!。カーネーションはこれを見越して同胞不戦派であるカランコエをこちらに残したということなのか…!。
「調子に乗るなよ…」
ファレノプシスが自ら禁じていた自身の開花能力を発揮させる。瞬時に屍となる暴徒達。しかし尚も止め処なく暴徒連中は迫りくる。
全ての事象には相性がある。ファレノプシスは「誰が最強か」という議題において必ず名が挙げられるほどの猛者であるが、今回に限っては、死を恐れず突撃してくる暴徒達に対して彼の能力は『相性が悪かった』。
「もうだめだ…!」
聖園への扉が開く。聖園の草花が暴徒らによって踏みにじられ、妖精達はそれを木の上から見ている。
「空洞にだけはいかせるな!」
騎士隊員ら続々と聖園に突入する。彼らの軍靴がさらに芝生を捲り、緑の大地が次第に黒くなっていく。
「あったぞ!空洞だ!」
騎士隊の制止を振り切った数名の植物が人間界への空洞を発見する。
「止めろ!殺して構わん!」
騎士隊が暴徒を斬る。しかし、暴徒連中の勢いは止まらなかった。
重なる唸りと共に、暴徒連中はついに人間界への空洞を潜っていってしまった。
我も我もと空洞に雪崩れ込む暴徒達。その中にファレノプシスは信じられぬ顔を見る。
「待て!ラナン!」
何を血迷ったのか。それとも事故か。ラナンキュラスは他の暴徒らとともに人間界への空洞に潜り込んでいったのだ。
しかしファレノプシスはまず聖園内に侵入した暴徒達の殲滅を優先した。
開けた聖園では彼らの殲滅にさほどの時間を要さなかった。
ファレノプシスが剣を鞘にしまわず聖園を見回す。聖なる土地には市民の死体が転がっている。凄惨な光景。先人達が守り抜いてきた大切なものが音をたてて崩れていく。
昼下がり、早朝から始まった本日の農作業を締め、プレハブの事務室に皆が帰っていく。
ひまわりが四人分のお茶を汲む。水垢のこびりついたグラス。端の椅子にチョコンと腰を落とす。
佐々木らが壁に張り付けられたブラウン管から垂れ流されるワイドショーを肴に下世話な話を繰り広げる。ひまわりもその番組にアイドル桜田牡丹を見つけるやテレビに注視した。
ふと辺りを見回す。見てるのは自分だけか。みんないつのまにか気持ち良さそうに寝ていた。
ひまわりは四人の湯飲みを下膳し、社長が用意してくれた一回り小さなもう一つのプレハブ、ひまわり専用更衣室に入った。
実家には紫苑も雛ちゃんも薊もいる。自分はここにきて、働かせてもらって、社長やボタちゃんに何か恩を返せただろうか。
いつでもトロいひまわりの着替えだが、この日は一段と遅かった。
「逃げろ!!」
ひまわりにもその叫び声は届いた。ひまわりは慌ててツナギのチャックをもう一度上げ外に出る。すると事務室から飛び出る佐々木の姿が一瞬だけ見えた。
か。ひまわりが佐々木が消えた方へと歩く。近所の人たちが慌てて車に飛び乗っている。みんな何かから逃げているように見受けられる。
「ひまわりちゃんも早く乗れ!殺されるぞ!」
室田の言葉に何も言えず、ひまわりは言われるがままに室田の泥だらけの車に飛び乗る。
ひまわりが事の次第を問う。三人は口を揃えて言う。「こっちも奴らが来た」と。
植物が襲ってくる。そんな話は都心の話だとばかり思っていた。「何故都内に留めておかないんだ」。三人は情けない戯言を叫んだ。
「社長は!」
ひまわりが乗り込んだ車に阿久津がいないことに気付く。
「社長は畑に行った!俺たちは止めたんだ!」
ひまわりは直感した。社長はあの子たちを護りに行ったんだ。
バタン!
「ひまわりちゃん!?」
ひまわりは車の後部扉を開けた。次の瞬間。
「!?」
ひまわりはなんと超高速で走る車から外に飛び出した。
映画では見たことがあった。でも実際やったらどうなってしまうのか。そんなことを考えられる脳味噌があったなら、ひまわりはとっくに北海道に帰っている。
ズジャー
ひまわりの白い肌はお世辞にも無事とは言えなかった。しかしひまわりは立ち上がり、農場へと走った。
畑。阿久津が野菜に防護ネットを敷いている。
「社長逃げて!」
阿久津はひまわりを無視し野菜を優先させる。ひまわりが慌てて社長の元に駆け寄る。無言で作業する阿久津の瞳。ひまわりは本気を感じ、作業に手を貸す。
「お前は逃げろ」
「断ります!」
ひまわりが初めて阿久津に歯向かう。
ズシャ。ズシャ。足の形を想像できない。聞いたことのない足音。
二人が一斉に足音の方を向く。大根を何の感情もなく踏みつけ、こちらに向かってくる植物体。
阿久津は怒った。我が子を弄られた親のように怒り狂った。阿久津は近くのシャベルを手に取り植物体に向かっていった。
阿久津が振り上げたシャベル。生身の人間ならば骨の一本や二本では済まされない重大な攻撃と成り得る。はずだった。しかし。植物体はいとも簡単にそれを右腕で受け止め、シャベルを圧し折った。
「社長!」
ボゴ!
強烈な殴打。老人の身体はいとも簡単に弾き飛ばされた。植物体がケケケと笑う。そして、そのニヤけた目は次にひまわりを捉えた。
ひまわりが目の前に転がる阿久津の元に駆け寄る。彼にまだ意識がある事を確認したひまわりは阿久津を腕に抱いた。
「…逃げ…るんだ」
「断ります!」
ひまわりがまた歯向かう。反抗期に似たそれ。
植物体が作物をまた無残に踏みつぶし二人の方へとゆっくり歩を進めてくる。殺すことが目的じゃない。彼は私達をじっくり弄ぶことを楽しんでいる。
その歩みの全てを見つめたひまわり。今まで彼女が見せたことのない怒りに染まる瞳。ひまわりが阿久津に口を開く。
「社長。あたし、実はヒーローなんです」
「あ?」
「だから見ててください」
ひまわりは阿久津の頭部を柔らかい土の上にそっと降ろし、天に右手を揚げた。
そのままゆっくりと立ち上がり、ひまわりの右手は激しい光を帯び始める。
「!!」
そして、彼女の体は次第に黄色く、淡く灯りだす。
淡い光が彼女の全身を包み込んだ時にはもう、植物体はひすでにひまわりの眼前まで来ていた。
ひまわりは心に決めた。この畑、社長、そして佐々木さん室田さん相川さんはあたしが護る。ぼたちゃん、リーダー、リリさん、ドラちゃん、リンドウさん。雛ちゃん、薊、紫苑、父さん、母さん、ガベリアにみんなみんな!。大好きなみんなは私が守る!大好きなみんなの為にこの力を使う!
息を荒げる植物体がひまわりに拳を振りかぶる。
「ごめんね、植物さん」
ショッギャァァァァァン!
「!?」
ひまわりの右手から強烈なビームが放たれた。
激しい光が収まる。あったはずの植物体は黒い影だけを残し跡形もなく焼き消されている。
ひまわりはふうと一息をつき、自身を包んでいた淡い光を収める。彼女は阿久津の元に寄り添う。
「社長、大丈夫ですか?」
「な、なんだあれは…」
「あれは太陽ビームです!」
「いやいや」
「うふふ。ああ今日は残業ですねえ」
ひまわりは植物体に少し、自身のビームにて大半を荒らされた畑を見て言った。
「…。…そうだな」
二人は立ち上がり、まだまだ終わらぬ長い昼間と蝉の声の中に消えていく。
数日後、性懲りもなく如何わしい雑誌に更ける三人。特集は今日もヒーローやら謎の物体やら。
「社長はこういうのは信じないからな。だよな社長!」
「バカ。ヒーローはいるよ」
「あ?この前は信じねーつったじゃないか!」
「オレはこの目で見たもの以外は信じねえって言ったのさ」
「あ?」
ひまわりはニコリと笑いながら、また隅でズズズと麦茶を啜った。
世界で一番熱く光る夏。世界で一番大きな太陽。世界で一番愛してる。